旅行の前日、新野聖子は勤めている美容室の仕事を昼過ぎに終え、車を貸してくれる友人のところへ行った。
 真琴はその間、自宅で二人分の旅行の荷物をまとめていた。
 鞄にまとめ終わると、何か疲れてソファーで寝てしまった。
 真琴が起きた時には夕方近くなっていた。部屋の冷房が入っていたので、暑くはなかったのだが、喉が乾いて冷蔵庫から冷やしていた水を取り出した。
 一口、二口、水を飲み終えると、テーブルに置いてあったスマフォの通知LEDが光っているのに気がついた。手に取って、見てみるとと、母からのメールと『リンク』のメッセージが入っていた。
 母のメールをみてみると、どうやら借りた車の写真を見せたかったようだ。丸い感じの屋根の車で、フォルクスワーゲンのようだったが、真琴が覚えているビートルとは違っている。多分、メーカーも違うのだろう。ちょっとレトロな感じで格好良い、と真琴は思った。
「……チンクエチェント? ふーん。わざわざ新幹線に乗ってまでその車借りに行くんだもんね」
 そこら辺のレンタカーを借りれば、とも言ったのだが、どうしてもその友人の車に乗りたかったらしい。
 気をつけて戻ってきて、と返信すると、真琴は『リンク』に切り替えた。
 見ると、薫からのものだった。旅行するんだったら、予定教えて、ということらしい。真琴は、日程表をコピペして返した。
 すると薫からすぐに通話が来た。
「はい」
 薫は慌てたような口調で、
「旅行って、誰と? どこに?」
「お母さんとだよ」
「吉方位温泉、私も行きたい!」
「マジ?」
「……マジだよ」
「うーん。宿は別でも良いの? 取れるかわからないけど」
 真琴は答えた後、薫の反応が消えたので、心配になった。
「あれ? 薫? 聞こえてる?」
「……ごめん。冗談だよ。旅行はいけないよ。塾あるし」
「そう……残念だね」
 もう少し早く言えば薫も都合がついたのかもしれない、と真琴は思った。ただ、母が言い出したこの旅行に、自分の友だちがべったりついて来たら、母にすれば嫌だろう。今回はどのみち仕方ないのだ、と思った。
「あ、そんな話だけで連絡した訳じゃないんだった。後でメールするから、そのとおりスマフォの設定してもらって良いかな?」
「いいけど」
「万一、旅先で何かあったら駆けつけないといけないから」
「え?」
「エントーシアンの話よ。判るでしょ」
「そうか。旅行中もそんなことになるのかな……」
 考えてもいなかったことを指摘されて、すごく気持が落ち込んでしまった。
 薫は声を張って、言った。
「真琴! 万一のことを考えて、って意味だから。まず万一にも旅行先にエントーシアンなんて出て来ないから。真琴の行動バレてないし!」
「そうだよね」
 薫は懸命に気持ちが明るくなるような話題を向けた。
「そうだ。おみやげ! おみやげ欲しい! 私におみやげ買う前に写真送ってよ。こっちで選ぶから」
「そんなのおみやげになんないじゃん……」
「そうか。じゃあ、おみやげの写真はいいわ。そうね……食べ物! 食べ物食べる時は必ず写真メールして。『リンク』に貼ってもいいし」
「うん」
「ソフトクリームとか、かき氷の時もだよ!」
「うん。そうする」
 何か小声でブツブツという声が聞こえる。
「ど、どうしたの? 薫」
「あ、後……恥ずかしいけど」
「え? そこで切ると余計恥ずかしいように思うよ」
 と言ったのだが、再び二人は黙ってしまった。
「恥ずかしいけど……」
「思い切って言ってよ!」
 来るか、と思うツボをことごとく外してくる今日の薫は、なんか変だ、と真琴は思った。
 また静かになってしまった。
「ごめんね」
 静寂が薫にそう言った。
「大丈夫、恥ずかしくないからさ」
 真琴は言った。
「お願いだから、言ってみてよ」
「じゃ……言うね。真琴の水着の写真。送って。私だけに」
「えっ…ああ……良いよ。そうそう、可愛いの買ってもらったんだ。あっ、当日雨降らなかったらね」
「ありがとう……でも」
 何か調子が狂う。
 さっきまで真琴は旅行先でもエントーシアンとのことを考えて行動しなければならない、と薫に言われ、ちょっと気分が落ち込んだのに、今度は自分が薫を励ましている。
「でも。雨が降ったら部屋で来て写真送って……」
 さり気なく雨の時は写真を送らないよ、という伏線を破られてしまった。
「……うんうん。分かった、送るから」
「約束だよ」
「うん。約束したから」
「録音しといたからね」
「……」
 真琴は、そんな薫に少し呆れた。