ややこしいシートベルトを外して車を下りると、汐の香りがした。少し歩くと、眼下に海が見えた。丁度、月の光が海に反射していて、波に泳いでいるようにみえた。
「綺麗ね」
 真琴は母の反応がないので、変だな、と思いながら振り返った。
「!」
 どうやら母の作戦だったらしい。
 振り返った瞬間にカメラのシャッター音がしたからだ。
「撮る前になんか言ってよ」
「言ったら自然な表情にならないじゃん」
「大体、暗くて撮れないわよ」
 母は慌ててモニタで確認した。
「結構良いカメラなのよ。ほら」
 見てみると、何かを探すような、心配そうな、自分の顔が映っていた。
「へぇ…凄いね」
 母は真琴の隣に立った。
「それで、なんだっけ」
「え、ああ、海綺麗だね」
「そうね」
 母は二人の目の前にあった柵に手を掛け、すこし身を乗り出すようにした。
「そういう言葉しか出てこない景色ってあるよね。なんか迫力があるというか」
「ボクの語彙がないだけだよ」
「あんた、高校出たらどうするの」
「何、突然」
 真琴は、破けた紙風船のように顔を歪めた。
「美容師の学校行くとか、言ってたじゃない」
 屈託のない笑顔を、真琴に見せた。
「それ本気? 確かに真琴は髪いじるの好きそうだけど。この前みたいに、水着とかファッションとかあんまり興味ないみたいだし。お化粧もしないしさ」
「そ、それは校則とかあるし」
「お母さんさ、まだ50%はあんたの為。残りの50%を自分の為、って思ってるんだ。だから」
 また、母は笑った。
「何が50%だか分からないよね。考えていることの内、あなたのこと、50、自分のこと50、って感じ?」
「なんとなく判る」
「本当なら、もう少し自分やその他のこと、増やしてもいいのかな、って思ったりもする。けど、あんたが自分で稼ぐか、私の部屋を出ていくまでは、このままでよいのかなって」
「高校でて、専門学校行ったら、もっとお母さんは自分のこと考えられるよね」
 真琴も柵に手をかけて身を乗り出し、
「今からだって、自分のこと100%でも良いんだよ。もう十分育ったし、自分のことは自分で考えるよ」
 母は左手で真琴の頭を撫でながら、
「いいの。そういう意味じゃないの。私が勝手に考えるてるの。だから、あんたは、やりたいことが決まらないのに、専門学校なんて選択をしなくても良いのよ。大学に行っていいの。ううん。別に大学にだっていかなくてもいい。プーをしててもいい。そんなに急いで出ていこうとしないでいいの」
 母は少し泣き顔のようになった。
 真琴は自分の髪を切るハサミの扱いが下手だから、専門学校に行くな、と言われているような気がした。
「なんかボクのハサミはそんなに下手かなぁ」
 母は真琴の方を向いて、首を振って、
「それは違うよ。上手だよ。きっと学校に行ったら一番になれるくらい上手だと思う」
 母はまた海を向いた。
「髪を切る商売をしよう、とかって人は、やっぱりお化粧とか、ファッションとか、そういうもの、に興味があるの。真琴は違うような気がする。別に髪を切る職業についても良いの。けど、まだ急がなくていい。真琴をみていると、なんかそう思う」
 真琴は泣き始めた。
「違うよ。別にそんなんじゃない。好きだからやろうと思ってるだよ。勉強なんか好きじゃないし。出来る方でもないし」
「……」
「…だから、だから自分の髪切るの好きだから。それだけだから……」
「うん」
 そう言って、母は泣きじゃくる真琴を抱き寄せた。更に気持ちが高ぶって来て、真琴の呼吸はいっそう乱れた。
「だから…」
「うん」
 真琴の心の奥底にあった将来に対する疑問が吹き出して来て、一体どうしてよいのか分からなくなってきた。
 自分は髪を切るのが好きで、髪が切れる自分を活かした職業につこうと思っていた。高校などにいかず、すぐにも職について、独り立ちするつもりだった。
 しかし、 真琴は 泣きながら、自分が、大学のキャンパスで薫や友だちと談笑しながら移動する姿を思い浮かべていた。
 もう一人の自分は、半纏を着てコタツに入りながら、ノートパソコンに何かひたすら打ち込んでいた。何か、熱中しだしたら寝るのも惜しんで、続けてしまう。そんな知らない自分の姿だった。
 母は真琴の頭を撫でてくれた。
「答えを急がないでいいの。お金も心配しなくていい。実は、結構溜まってんだゾ」
 真琴はうつむいていた顔を上げ、母を見た。母も泣いていた。
「じゃあ…」
 真琴は続けた。
「お、お小遣いアップして…」
「コラ!」
 二人は笑った。
 涙を散らしながら、声を出さずに笑った。
 笑っているうち、その意味が分からなくなったが、二人は笑い続けていた。