涼子はメガネを掛け直し、喫茶店を出た。雨が降っていたが、なにか、濡れてもいい気分だった。自分がどうなってもいい、とまではいかなかったが、傘をとりに戻ったり、鞄の中を探したり、コンビニで傘をかったり、そういった雑多なことを考えたくなかった。
 ただ一人のことを考えていたかった。
 これはフラれたことになるのか、と自分に疑問をむけたが、返ってくるこたえはやはり失恋だというものだけだった。
 ほんのごく短い間に猛烈に好きになったのは、真琴のことが初めてだった。
 大抵は優しい部活の先輩、や事務所の先輩をみているうちに惹かれていた、ということが多かった。それはすごく短い回数や時間ではなく、二ヶ月、三ヶ月をかけて、時には一年も掛かってその気持ちに気付いたりするものだった。
 男性ではなく、女性が好きではないのか、ということは、小学校の頃になんとなくわかっていた。
 それは何かきっかけがあった訳ではなかったが、気づいた時はそうだった。
 だから、好きなのに叶わないのは慣れていた。
 相手が自分と同じ……で、なければ、そもそも『好き』を口に出すことすら出来なかったから。
 そう考えると、初めてフラれた、のかな。
 涼子は暗い道を歩いていると、黒塗りの外国車が速度を合わせてきた。
 やり過ごそうとして立ち止まるとその車も止まった。
 そして窓がスーっと下がると、中から褐色の肌の女性がいて、視線が合うと声をかけてきた。
「失礼ですが…… 渋谷涼子様ですね」
 涼子は良くみる為に、窓の高さに頭を下げ、相手の顔をみてみると、見覚えがあった。ただ名前も、どこで見たのかも思い出せなかった。
「北御堂家にお世話になっている、メラニー・フェアファクスという者です」
 北御堂…… ああ、薫の車を運転していた人だ。確か、教育係とかなんとか。
「何か御用でしょうか?」
「雨が降っております。良かったら送って行きましょうか」
「こどもの頃から、そういう言葉について言ってはいけません、と言われて育ったので…… けど、ちがうかな。今日は。いいかな。だるいし」
 涼子は後部ドアを乱暴に開けて、後部座席に飛び込んだ。うつ伏せになっていると、足音がして、扉が閉まった。
 運転席から再び声がした。
「涼子様のご住所は」
「いいの」
「お送りしますよ」
「いいの、しばらくどこかドライブしてよ」
 涼子は座席伏せたまま、そう言った。
「承知いたしました」
 車は雨を弾きながら、あてもなく走り出した。
 大通りは雨のせいで急に混雑していた。メラニーは知る限りの裏道を通って、なるべく停車しないように心がけた。
 しばらくすると、郊外へ続く旧道にでた。道は不思議と空いており、快適に車を運転していた。
「何かしゃべって」
 涼子は靴を脱いで、座席で体育座りになり、半ば車両の後ろを、半ば右手側を見ていた。
「何か、と言われても難しいですね。私に何か質問はありませんか? それにお答えしましょう」
「雨は何時までふるの」
「確か、さきほどの情報では夜半まで降るとか」
「今何時?」
「四時半です」
「ここどこ?」
「富空街道の丸富町付近かと」
「あなたはなんで生きているの?」
「自分のなすべきことを全うする為ですよ」
「すべきこと、とは?」
「人を愛することだったり、仕事を成し遂げたり。一つではありませんし、その時々で違います」
 涼子はそんなことを聞きたかった訳ではなかったが、黙っていることも耐えられなかった。
「なんでも答えられる?」
「判る限りは」
「薫は今何している?」
「……」
 何か反応があった??
 涼子は少し興味を持って、体育座りを止めた。シートに座り直して運転席のメラニーの様子を見ることにした。
「メラニーにとって薫とは何者?」
「……」
 それは答えられないんだ。なぜ生きているか、とかには簡単に答えてしまうくせに。涼子は心の中が意地悪な自分で埋められていくのを感じた。
 涼子はさらに問い詰めているうち、メラニーの反応をみて欲情している自分に気付いた。