あかねは、練習が終わると部室でボールの手入れをしていた。帰っていく先輩達が、チラ、っと自分をみて『お気の毒に』というような顔をするのがイヤだった。
 『お気の毒』なのは単に手入れの当番だから、という訳ではない。今日の部活の時に、来週の月曜までに、全員の意見をまとめ、部員が投票出来るようにしなければならないのだ。一方的に、反『川西』派の意見をまとめるのは簡単だし、怖くもないが、どう考えても少なくない数の、親『川西』派がいる。こんな役をすれば、いろんな厄介事が舞い込んできそうな予感がする、だから『お気の毒に』なのだ。
 上級生が着替え終わると、最後に部長の橋本さんがあかねのところに来た。
 耳元に小さい声で言った。
「あかね、ごめんね。なんかされたり、困ったことがあったら私に言ってね」
「はい、ありがとうございます」
 その言葉で、あかねは少し気持ちが楽になった。
「お先に」
「お先」
「おつかれさまでした」
「おつかれさまでした」
 上級生が部室を開けると、一年と二年が入って着替え始めた。部室が狭いため、女バスでは年功序列でこういうしきたりだった。
 あかねは、一二年の半分ぐらいが着替えて帰っていったころ、ようやく手入れが終わって、皆に合流した。
「あかね、困ったら相談してね」
「なんかあったら話して」
 着替えていると、皆がそんな風に声をかけてくれる。一人じゃないんだから、重苦しく考えることもないか、とあかねは思うことにした。
 着替えた後で、部室のベンチで少しぼんやりしていたら、皆は先に帰ってしまったようだった。誰もいない部室からボンヤリと校庭を見ていたら、廊下のドアが開いた。
「みく?」
「あかね、まだ残ってるの」
「うん、ちょっと考えごとしてた」
「そうだよね。ちょっと責任大きいよね」
「みくはどうしたの?」
「あかねと一緒に帰ろうかと思って」
 あかねは、なんとなく、川西をクビにするような意見を採用しないように、何か言ってくるんじゃないか、と思っていた。
 みくが来たのは、ある程度予想の範囲だった。
 一緒に帰るほど仲良くはなかったが、同じクラスだったし、断る理由もなかった。
「うん、一緒に帰ろ」
 あかねはバッグを背負って、部室を出た。鍵を締めて、用務員室の叔父さんに渡すと、校門へと走った。神林みくが、そこで待っていた。
「おまたせ」
「うん」
 あかねは、みくと少し距離をおきながら、なんとなく姿をながめていた。
 バスケをしている時も思っていたが、あらためて体つきをみると、みくは運動部には向かない感じがした。
 とにかく体が華奢な感じなのだ。太ももはそんなに細いわけではないが、膝から下は細くて、良くこれで練習についてこれているな、と思う感じだった。
 腕も細くて、やっぱりこれはシュートが打てないな、と思わせるほどだった。
 女子としてのルックスは確かに良いが、この子はバスケをする体型ではないのだ。
 二人で駅方向へ少し歩いていると、みくが話し始めた。
「私、皆から、川西先生をかばってる、ように思われてるよね。きっと」
 かばってるじゃん、事実、とあかねは思った。やっぱりこういう話しをしたかったんだ、これが毎日あるのかな、と思うとやっぱり気が重くなってきた。
「けどね。私は、川西はどうでもいいの」
「どういうこと?」
「私の気持ちなの」
 はぁ…… 本当に変わった子だ。
「私、パパいないんだよね」
 だから…… 唐突なんだよ、良く分からない。関連性も。なにもかも。
「皆に絶対黙ってるって約束してくれる?」
「う、うん」
 確かに、パパいない、ってのはキツイ話っぽい。話題にしずらいから、誰かに言うなんてことはないだろう。
 あかねは少し神林の方へ近寄った。
「パパ、自殺したの」
 え、重、重すぎる告白だよ。
「そ、そうなんだ」
「なんでだと思う」
「……わからないな」
「あ、そうだよね。うんとね、パパは普通のサラリーマンだったんだけど」
「うん」
「電車でね、痴漢にでっち上げられちゃって」
「え!」
「声大きいよ」
「ごめん」
「それで、会社をクビになっちゃって」
 ああ…… なんとなく、川西を庇う、というかその意味が分かった。
 それが理由だとすると、確かに川西も教師クビだろうし、新聞にも載るかもしれないし、雑誌の取材もくるだろう、自殺という可能性もあるよな。
 それが怖いんだ。きっと。
 もっとも身近な人の自殺で。
 けど、川西は冤罪じゃないんだよな。
 本当にやっちゃってる。認めてか、認めずか、土下座までしちゃってる。ちょっと状況は違う、と思った。それに、痴漢は明らかに狙って触ってるけど、川西のセクハラは教えるついでにタッチしたり、タッチ出来るような風に教えたりするところが厄介だ。