あかねはふらっと電車から下り、地上へ出るエスカレータを登った。どうやら住んでいるところより、都心方向へ来ていたようだった。車通りの多い道沿いを歩くと、川があった。古い橋が掛かっていて、川沿いには古いレンガで作られた建物があった。あかねがぼんやり川面を見ていると、そのレンガの建物の上を電車が通り過ぎた。
 何本かその電車を見ていたが、自分がどうしたらいいのか、どこへ歩いたらいいのか、答えは出なかった。もう何も考えない方がいいのかも知れない。そうでないと、また何か、人の見えないものや、聞こえないことを聞いてしまい、気味悪がられてしまう、そんな気がする。
 あかねは、なんとなくここがどこかを知っていた。わざと、どこか分からない、と思い込みたかった。だからあかねは走り出した。何も分からない道にたどり着くまで、息が切れて倒れるまで、走ってどこかに消えたかった。
 けれど、気がつくと着いた先も知っている場所だった。人通りが全く違ったが、記憶の中の景色では、ミチがメイドの格好歩いていた通りと一致していた。
 あかねは思った。
 ミチと同じになろう、と。
 あかねの中には、暗黙のうちに、ミチが悪いことをしている、という意識があった。実際、ミチが何の為にメイドの格好をし、どんなところで働いているのか、確証もないのに。それどころか、あの子自体がミチであったことすら怪しい。しかし、あかねの中では、ミチが悪いことをしているような気になっていた。
 そんなことをさんざん考えて、あかねは、自分が嫌になった。もう自分はどうなってもいい、そんな気持ちだった。どうせ自分の見えているものは他人には見えない。自分の聞こえているものは他人には聞こえないのだ。自分の価値なんかない、あかねはそう思った。
 あかねは、小さなビルの入り口に入ると、名刺ぐらいの大きさのチラシを一枚手にとり、そこに書いてあるフロアへそのまま階段で上がった。金属製の扉の前にはチラシと同じ会社の名前が書いてあった。
 ここを入れば、もう家族とは合えない、そんな気がした。家以外に、自分の居場所を見付けなければならない、そう感じた。
 あかねは、インターフォンを鳴らした。
 扉の奥で小さな物音がし、インターフォンのランプが付いた。
「ご用件は?」
 女の人の声だった。
「あ、あの」
「?」
「あの、私」
「開けます、お待ちください」
 また小さな物音が聞こえ、鍵をあける音がした。扉は小さく開いた。チェーンがかかったままだった。
 扉の向こうから少し覗く顔は、あかねの母よりは、少し若い感じの女性だった。
「お仕事したいの?」
 あかねは頷いた。
「お金に困ってるの?」
 あかねは首を振った。相手の反応を見て、間違ったような気がした。
 扉の向こうの女性は、つま先から頭まで、あかねのことをじっくりと見ていった。
「う〜ん。なんかピンとこないのよね。こっちも地雷は踏みたくないの。他のところに探してもらえる?」
 あかねは、こんなところでも自分は役に立たない、不良品なのか、と勝手に思った。そして涙が出てきた。声を出して泣きたいような感情の高ぶりはないのに、ただ頬を涙がつたった。
 あかねは階下に向き直ると、一段一段階段を下りていった。
 悲しいのか、悔しいのかもわからなかった。感情が乱気流に巻き込まれたように、ガタガタと震えているのかもしれない。
 あかねが階段を下りてくると、無精髭を生やした、太り気味の男が上がってくるのが見えた。すれ違うように、あかねが踊り場でまっていると、男はじっとあかねの顔を見てきた。あかねがすれ違おうとした時に、声をかけられた。
「君、セーヌの子?」
 あかねは一瞬反応したが、無視して階下に降りようとした。
「待ちなよ」
 あかねは男に腕を取られた。
 瞬間、体がビクッと痙攣したように反応し、心の中でも何かが動いたような気がした。
 あかねは無理やり振りほどくことをせず、男の言うことを待った。
「……店の子だろうと、そうじゃなくても、どっちでもいいや。デートしない? いつものように、そこら辺を歩くだけさ。店とは関係ないんだろ? 直接君のお金になるからさ、ね?」
 あかねの腕を離し、懐から財布をだした。
「なんなら、先に半額渡そうか」
 あかねはうなずいた。
「決まり!」
 急に声の調子が違って聞こえた。
 あかねの中で何度もその声が繰り替えされた。


 
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