その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

2016年06月

「ほら、これ。知世のための研究棟よ」
 画面に描き出されたのは、まるでお城のようだった。シンデレラがかぼちゃの馬車に乗っていくところ。尖っていて、キラキラしている。
「これが研究棟?」
「水晶のクラスターをイメージしたものよ」
 確かに柱が重なり、くっつきあったような形は水晶のクラスターをイメージさせる。
「派手すぎませんか」
「私が所長になった時、大した宣伝効果がなかった、と周りからさんざん叩かれたのよ。だから、今度何かあるときは、大げさなくらい派手なのにしてやろう、と決めていたの」
「私が所長になるわけじゃ……」
「知世が自分で思っているよりも、画期的な研究成果なのよ。XS証券と共同開発というのも話題としてはいい。加えて、この研究棟。これで研究資金が集まるわ」
 ポイントはそこか…… と思った。
 自分の為に研究棟を建てるというより、マスコミへの宣伝の為の投資なのだ。
「明後日。明後日は写真とるから。その雑誌にのせるインタビューも受けてもらうから」
「えっ?」
「テレビとかじゃないから怖がらなくていいのよ。この研究棟の大きなイラスト画があるから、それをバックに写真を撮って……」
「まだXS証券に回答したわけじゃ……」
「もう戻れないの。考えずに突っ走ってもらうから」
 所長は体を寄せて、私の首筋にキスをしてきた。
 私はタブレットを受け取り、画像を確認した。
 水晶の城、そう呼びたくなるような建物が描かれていた。

 研究室に入ると、疲れた顔で杏美ちゃんが振り返った。
「坂井先生…… 取材の申し込み電話が」
 言っているそばから杏美ちゃんの前の電話がなる。
 しばらくそれを無視して鳴らし続けている。
「メールも見切れないし、どうしましょう」
「……事務局側は何もしてくれないの?」
 杏美ちゃんがうなずく。
 電話の音がうるさくて、私が受話器を取った。
『居るならなんで取らないの! 取材の申し込みよ』
 ガチャッ、と大きな音がして外線と繋がる。
『坂井先生の研究室ですか? 撮影とインタビューを申し込みたいんですが……』
 私はスケジュールを見ながら、相手の要求に答えようとするが、ならこの時間、じゃあ、この場所で、と自分たちの主張しかしてこない。
「こちらもスケジュールがあって」
『雑誌に載せるんですよ。そっちから頭を下げるぐらいの話なんですよ』
「私は、そちらからの取材申し込みだと思っていますが」
『研究費用を稼ぐから一杯インタビューが必要なんじゃないですか? いいからこの時間に取材させてください。こちらも時間がないんです』
 何なんだ、この態度は。
 杏美ちゃんが疲れた顔をしていたのもうなずける。こんな感じの相手とずっと会話をしていたら、普通の人は、すぐ頭がおかしくなってしまう。
「では取材は結構ですから」
『あっ、待て、坂井先生に代われ』
「私が坂井です!」
 そのまま受話器を置いた。
 置いた瞬間に次の電話が鳴り始める。
「坂井先生……」
「今日もこの調子だとしたら何も出来ないわね」
 杏美ちゃんがうなずいた。
「コードをはずしちゃおう」
 私は電話器のイーサケーブルを外した。
 音が消えた。
「良いんですか?」
「杏美ちゃんの仕事は電話番じゃないんだから」
 所長が以前言っていた雑誌の取材は、テレビ局も相乗りしていたもので、その日の夕方に放送された。
 まるでスーパー女性研究者が現れたかのような報道で、直後から研究室の電話がこんな状態になったのだ。
 取材の前日のXS証券との契約は、何の障害もなくスムーズに終わり、翌日には上条くんが主体となって共同開発がスタートしていた。
 一方で私はそんな取材攻勢で共同開発の方には上条くんを通してしてか参加できていなかった。
 バッグの中から振動音がした。
「先生のスマフォじゃないですか?」
 私はスマフォを取り出すと、画面には研究所と表示されていた。
 杏美ちゃんに見せるようにスマフォを下げた。
「?」
「内線を取らないから、事務局から直接かかってきたんですよ」
 私は拒否側へ指でスライドさせた。

 叡智だけではない。ありとあらゆる場所で撮影された画像、動画データ、正式、非公式、盗聴まで含めた音声データ。今はハードがなくて動かない古いソフトウェアから、開発途中の最新のソフトウェアまで…… 最初の人類、と呼ばれているアルディ(ラミダス猿人)のDNAから、さっき生まれた赤ちゃんのDNA。蟻も人もクジラも。可能な限りの情報を集積する。国家間の債務の履歴から、さっき子供が買ったガムのレシートまで。一人一人がそれらの情報を送ることは、義務になった。
 とにかく何でも記録出来るものを集約する、国連が決定したプロジェクト。〈某データセンタープロジェクト〉。
 そのデータを使って何をする気なのか。
 先生も『用途は後で考える』と言っていた。
 208x年には圧縮方法と集積率が収集する情報を上回り、全世界の情報が記録可能になるということだった。
 先生の授業はそこから現代の社会情勢へと展開していった。
 〈某データセンタープロジェクト〉の目的が知りたい。
 もしかして〈転送者〉はそれの副産物?
 それとも〈某データセンタープロジェクト〉を阻止する為に、反政府レジスタンスが作ったデータセンター破壊ロボット?
 いや、そもそも〈某データセンタープロジェクト〉の目的はなんなのだ?
 この前〈鳥の巣〉の中で書くことになったプログラムの内容や目的を思い出していた。
 もしかしたら、そこにヒントがあったかもしれない。
 単純に入力を補助し、入力が終わったら整理してデータベースに書き込む、というだけのことだった。課題で与えられた通りだと入力のフォームが複雑で、一度整理した方が良かった。
 もしかすると、その〈某データセンタープロジェクト〉の為の情報収集用画面になるのかもしれない。しかし、作るにあたって全く外部にネット接続出来ないのでは一体あの画面を誰がみるというのか。
 やはり、今作っているシステムと〈某データセンタープロジェクト〉とは相当に開きがありそうだ。データを蓄積するだけが目的とは思えない。
「とすれば……」
 世界の出来事を学習し、未来を予測する装置の作るのかもしれない。
 単純な気候変動を取っても、現状から温暖化していくシミュレーションは出来ても、人間の行動が予測できないからそれは正しい未来ではない。
 人間の行動も含めた未来を知る為、全ての情報を入れて、コンピューターにディープラーニングさせ、全世界の未来をシミュレートし、予測する……
「|白井(しらい)っ!」
 気がつくと、授業が止まっていた。
 また、ミハルを覗く全員がこちらを向いていた。
「『とすれば』の後はなんだ?」
「えっ?」
「おら、白井、みんな待ってんぞ」
「ほらほら、何にも考えてないって……」
「キミコ……」
 マミが謝って、というように手で合図した。
 私は慌てて立ち上がった。
「す、すみません。何でもありません」
 ただ未来を予測するだけではない。
 きっと世界をまるごとシミュレートして、『命』を|〈データセンター〉(そこ)に封じ込めるのかもしれない。
 思想によっては〈転送者〉が正義の味方なのかも……
 いやいや。自分やマミを殺そうとしている。
 だとすれば〈転送者〉を正義と認める訳にはいかない。
「白井?」
「はい?」
「はい? じゃないだろ、当てられてるぞ?」
 目の前のタブレットがフラッシュしていた。
「……えっと、もう一度お願いします」
「どういう授業をしたら白井に興味を持ってもらえるだろうか? って質問したんだ」
「ごめんさい集中します」
「はい、じゃ、佐津間。答えて」
「もっとエッチなトークを入れると興味を持ってもらえるんじゃ?」
 皆の笑い声が聞こえた。
「お前も話しを聞いてないのか? 鶴田、答えて」
「国会が立法で、内閣が行政」
「正解だ。まったく、誰が授業を聞いていて、誰が聞いていないのか…… 先生不安になってきた。これからも時々、こういう簡単な質問を織り交ぜた方が良さそうだなぁ」
「佐津間アホなんじゃねぇのか」
「佐津間はいつも白井のこと考え過ぎ」
「白井はエッチなトークが入れば興味もつんか? どんだけエロなんだよ」
 どうでもいい教室の声が聞こえてくる。
「こら、静かにしろ。そろそろちゃんとした『高校生』に授業をしたいんだが」
 クラスが急に静かになった。
 ああ、本当にアホをやってしまった。
 授業に集中するべきだった。
 そこから私は先生を向いて授業を受けた。




 放課後、皆が部活動や生徒会でいなくなると、教室には私とマミとミハルが残った。
 スクールバスの発停スケジュールを見て、次のを待つしかないと判断したからだった。
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 いや、本当に記憶を無くした人もいるかもしれないから、言い方を変えよう。
 |殆どの場合ウソだ(・・・・・・・・)
 確かに酷く飲んだ。
 しかし、記憶はある。
 寝ていたのを錯覚するなら、その分の記憶はない。当然だ。寝ていたのだから。
 覚醒している時間が長ければ、一晩中起きて飲んでいるなら…… それはそれで記憶が交錯するかもしれない。記憶の順番と、実際の出来事順番がズレるかもしれない。
 だから、記憶を無くした…… と錯覚するのだ。
 つまり、昨晩のことを私は記憶していた。
 杏美ちゃんにもたれかかった後、所長がタクシーを呼び止めた。
 杏美ちゃんは所長に言われるまま私をタクシーに入れると打ち上げに戻り、所長とタクシーは所長の自宅へと向った。
 お酒で気分は良くなっていたが、何をするのもだるかったし、自分の将来への不安から、所長に求められるまま、私はベッドの上で服を脱いでいた。
 酔っていない時にはしないだろう、と思うところに舌を入れていたし、自分で自分を慰めているところを梓に見せていた。なにしろ気持ち良かったし、何もかも忘れて夢中になっていた。
 そのままこの大きなベッドに朝まで裸で居たわけだ。
 いや、今が朝なのか、単純に時系列からの推測にすぎなかった。
 私はベッドのしたに散らばって落ちている自分の肌着を拾って身につけると、遥か昔の記憶をたどりながら、トイレを探した。
 座って用をたすと、今が朝と呼ぶには遅すぎることが分かった。
「上条くん……ごめん」
 急いで所長が寝ている部屋に戻り、バッグからタブレットを取り出した。
 約束の時間まで、後何分もないが、やらないよりはマシという感じに、ゆっくりと契約書類に目を通した。
 契約が頭に入ると、何点かの疑問が浮かんだ。
 その段階で、上条くんのメールをチェックすると、同じ疑問点を的確に問い合わせていることが分かった。
「さすが」
 XS証券からの回答も正にこちらの求めていた内容だった。
 ほぼこれで問題はない。
 後は金額…… これは今の段階では何も決まらない。
 私は急いで上条くんに返信を書き始めた。
 その時、スマフォが鳴った。
「ん……」
 画面もロクに確認せずに応答すると、上条くんだった。
『今、お電話よろしいですか?』
「ええ」
『契約書類は確認いただけましたでしょうか?』
「今……」
『今、返信メールを書いている、んですね? 大体わかります。このままでOKか、更になにか質問するかだけ教えてください』
「午後は用事があるだもんね。OKよ。このままで問題ないわ」
『わかりました。良かったです。休日にすみません。お騒がせしました。では明日、よろしくお願いします』
 上条くんはそう言って電話を切った。
「知世…… 仕事?」
 所長は完全に起きてしまったようだ。
「XS証券の契約の件です」
「そう。大丈夫だったでしょう?」
「ええ。明日、回答します」
 ベッドから頭だけを出した所長が、手招きをした。
「来て」
「……」
 昨晩は|酔っていた(・・・・・)のと、|怖くなっていた(・・・・・・・)ことが重なっていたせいで、体を交わしてしまったが…… お酒が抜けた今、所長の隣に行くのには勇気がいった。
 ゆっくりとベッドに寄って、中に入って近寄っていく。
 シーツの温もりが感じられ、眠気をさそう。
 さらに近づいていくと、所長自身の体温に触れた。
「おはよう」
 そう言って、所長は目を閉じて私に顔を向けた。
 私も目を閉じて…… 半ばヤケ気味だった…… 唇を重ねた。
 薄目を開けると、所長の年齢に反して若く張りのある肌が見えた。
 舌が絡み合っていくキスの感覚と、首に回してきた手、そのせいでくっつく肌と肌の感触で、私の中で意図しない欲情が起こっていた。その一方で理性が、このまましてしまうと所長の支配から逃れられなくなる、と警告していた。
「……」
 昨日のアレ、が最後。
 私はそう決めた。
「あん…… 冷たいのね」
「……」
「そうそう。XS証券の話もあるから、知世に言っておくことがあって」
 ベッドサイドにおいてあったタブレットを取り出す。

「何? 何してたの?」
 ミハルは木場田と佐津間に挟まれるようにして、膝をついて座っていた。裸ではなかったが、シャツを直しながら、ボタンをはめているところだった。
「あんた達、ミハルに何したの!」
「何もしてないって」
「……」
「佐津間、あんたは何でなにも言わないの?」
「……」
 かちゃかちゃとズボンのベルトを直すばかりで目を合わせようとしない。
「ミハル、大丈夫だった?」
 マミがミハルを抱きしめる。すると、ミハルもマミに体を預けるようにして抱きしめた。
「……」
「|白井(しろい)誤解だ」
 木場田が両手を左右に振った。
「多分だけど、相当誤解している」
「何が誤解なのよ!」
「こら、授業始まるぞ! 早く教室にもどれ」
 そう言って、私が入ってきた反対側の扉から、担任の佐藤が顔をだした。
「はい! すぐ戻ります」
「ほら、白井も、木更津も戻ろうぜ」
「……」
「……誤解だって」
 とにかく、今は教室にもどろう。
 木場田や佐津間を問い詰めるのは後回しになった。
 ミハルが何か喉につまらせたように咳込んだ。マミが背中をさすっている。
 教室に着くと、担当教員が来ていて急いで席についた。


『おい、館山、お前フェラ上手いんだってな』
『知らない』
 木場田がミハルを突き飛ばして座らせる。
『お前の元カレってやつが、サセ子だって言ってたってんだよ』
 佐津間は自分のモノを出して、自分でこすり、勃起させる。
『ホラ、やってみろよ』
『イヤッ!』
『やれって言ってんだよ!』
 木場田の大きな声で、ミハルの小さい体がふるえる。
 目の前に突き出された佐津間の小さいモノを、おそるおそるミハルが触る。
 ピクッ、と佐津間のモノが反応する。
『ほら、まずはペロッと』
『鶴田は見張りしてろって』
 遠くから鶴田がもの欲しそうな顔で見ている。
 ミハルは言われた通り、舌で佐津間のものを奥の方から先端へ舐め上げた。
 先端の方は何か濡れている。
『うっ』
『そうろうかよ』
『いってねーよ』
『気持ちいいのかよ』
 佐津間のその小さいモノは、ちょっと前より太く、固く、そそりたつようになっている。
 ミハルはよく分からずにそこを指でしごいていく。
『そろそろフェラってくれよ』


「どうしたのキミコ。大丈夫?」
「|白井(しろい)息が荒いぞ」
 教室中の視線が集まっていた。
「い、言え、ちょっと戻ってくる時に走ったせいで、まだ……」
 ちょっとは走ったけど、本当にそれくらいで息づかいが荒くなるものか、と思ったが、わざとらしく呼吸と整えるように深呼吸をしてみせる。
「予鈴がなったら教室にもどる。それをしていれば走る必要なんてないんだ」
 いや、だから…… ちょっと変な妄想をしてしまって興奮してました、なんて言えるか。
 チラッとミハルの方を見た。
 以前、ミハルは|他人(ひと)の考えることを読み取ったことがあった。
 今、この妄想を読まれるとまずい…… そう思ったのだ。
 幸い、ミハルは私のことなど全く気にせず、じっとタブレット端末をみつめていた。
「……話しを戻すぞ。こうして、今も各国の某データセンターの建設を進めている。我が国ではその途中で『某システムダウン』の事故が起こってしまったんだがな」
 その『某システムダウン』の跡地が〈鳥の巣〉だ。
 ことの発端は、この〈某データセンタープロジェクト〉だった。
 全人類の『全ての叡智』を記録する場所。
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結局、カクヨムもツインテールは……の1,2話(ここで掲載している(1)〜(4)を公開した時点でアウトだった。

ユーガトウは親友とのエロがあったからアウトかなって思ったけど、ツインテールは主人公が『想像』しているだけ。

それでアウト…… とは。


健全だねぇ……

うん。

分かった。

 突然、ミハルがそう言った。
「えっ?」
 私は世界がシミュレーション世界を作っていくことが自然だ、とは少しも思わなかった。そうなる可能性はあるかもしれない、とは思ったが。
「本当にこの体の中にある『私』とシミュレーションされた『私』が同じだと思ってるの?」
「同じことを逆に聞くわ。どこが違うの?」
「えっ…… 明確に違うじゃない。私達はタンパク質で出来た細胞の上にいるのよ」
「コンピュータがタンパク質で作られ始めたら?」
「まだ、そんなものないじゃない?」
「実用的ではないレベルというだけで、不可能ではないわ」
 二人は食事もそこそこに言い争い始めた。
「まぁまぁ」
「公子、公子はどう思うの?」
「理由は分からないけど等価じゃないと思う。等価かもしれないけど、私は私だ、というところはゆずれない。生や死の重みは同じだとおもう」
「?」
「いざという時にコンピュータを破壊出来ない?」
 マミがそうきいてきた。
「うーんけど、そこまでではないかも。自分が助かる為なら、躊躇なくコンピュータを破壊する」
「そこに何億人も住んでいたとしても?」
「……」
「……ミハルはどう思う?」
「……」
 ミハルはパンをかじりながら校庭の方をじっと見ていた。
 確かに人が住んでいる、と言われた時に、そのシミュレーションシステムを躊躇なく破壊出来るか、と問われれば、ためらってしまう。
 なんとか仲良くやっていこうとは思うだろう。
 しかし侵略があったら、壊すだろう。
 電子上の命と、我々の命が等価でないと思っている証拠なのかもしれない。
「ミハルは?」
「なに?」
 さっきまでの会話はまるで無かったような返事だった。
 しかも、その言葉自体が私達に向けられたものではない事がわかった。
「木場田に鶴田? ついで佐津間まで…… どうしたの?」
「お前に用はない」
「だから、何?」
「ここじゃ話しづらいからちょっと一緒にこっち来いよ」
 ちらっとミハルをみやるが、いつもの無表情のままだった。
「ちょっと、何なの?」
「だから関係ないだろう、館山に用があるんだ」
「私も行く!」
 立ち上がろうとする私を、ミハルは抑えるようなしぐさをした。
 ミハルがこうやって私達の行動を止めよう、としてくるのは珍しい。すくなくともこちらのことを考えての行動をしている、ということはいつもの何を考えているのか分からない、暴走モードではないはずだった。
「うん、分かった」
 ミハルはパンを口に含み、もぐもぐと口を動かしながら木場田達について校舎の方へ帰っていった。
「なんだろう?」
「ミハルのことだからね〜 な〜んにも想像つかないよ」
「心配だよ」
「大丈夫だよ、こうやってたもん」
 マミは『あなた達は座ってて』というようなさっきミハルがみせた仕草をしてみせた。
「そだね」
 確かに考えてもしかたない。
 二人で食事をすませた後、教室へと向かった。
 北校舎と南校舎をつなげている通路の扉を開けると、通路の奥に木場田達を見かけた。
「あ、木場田! ミハルは?」
 ビクッとした木場田の足元に、ミハルの姿が見えた。
 急に鶴田が私とマミの方に走ってきて、私の両肩をつかんだ
「ちょっと待っててくれるかな」
 私は鶴田の頭を避けるようにして、ミハルの方を見た。
「!」
 裸だ、いや、裸ではないのかもしれないが、肩が見えている。
「ちょっと、ミハル、裸じゃないの?」
「違うから! ちょっと下がって待っててくれるかな」
「あんた達ミハルになにしてんの」
「だから、なんでもないから」
 私は鶴田の腕を払って通路に入った。
 マミも鶴田を振り切ってついて来た。
「あっ……」
 佐津間がズボンのベルトを外して、シャツを入れ直していた。
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 急に上条くんが周りに言った。
「先生ももう一度グラス持って」
 見渡すと、グラスを上げた。
「乾杯!」
 午前中の病院での告知が頭をよぎった。
 飲めもしないグラスをグイッと傾けると、目が回り始めていた。
 この時点ではただの立ちくらみだったかも知れないが、会が半分を回った頃には、本当に目が回っていた。
「あの時、よく測定機のスクリプトが怪しいって気づきましたね?」
「あぁ…… あれ、あれはカンよカン。おんなのカンてやつ」
「マジですか、女のカンって凄いですね」
「すごいのよぉ。スクリプトなんか一回見れば頭にはいるからぁ」
 自分では正確に発音しているつもりなのだが、口や舌が伴っていないのがわかる。
「プログラムコードは大部分が論理的なのだけれど、ある部分は感情的でもあるのよぉ。わかるぅ?」
 上条くんが笑いながら答える。
「なんとなくは」
「そこよそれなのよぉ……」
 自分の限界の酒量を超えている。頼んではいけないと思っていた。
「もういっぱいもらって」
「ダメよ」
 後ろから声がした。
「もう飲んだらダメ。帰れなくなる前に、気持ち悪くなっちゃうから」
「しょしょちょう…… じゃなくて|梓(あずさ)じゃない。今頃おそいわよ」
 中島所長は、上条くんをどかして、私の横に座った。店員を呼び止め、私の注文したお酒の変わりに何か違うものを頼んでいた。
「|知世(ともよ)も珍しいわね。こんなに飲むなんて」
「梓ものもぉよぉ」
「……知世は帰れなさそうね」
 所長の口元が笑ったように見えた。
「かえれますよ、かえれますから」
「そう言う時はダメなのよ。分かっているんだから」
 店員が所長にグラスを手渡した。
「ほら、お水。飲んだほうがいいわよ」
「あぁ…… 日本酒でしょう…… 梓はいつもそうやって日本酒飲ませてたもん……」
 私はグラスを右から左から眺めまわした後、上から口をつけた。
「いたらきます」
 アルコールなのか、水なのかがわからなかった。
 ふと、昨日の晩に現れた人物の影が見えた。
「あっ!」
 現実なのか、いつものソースコードのように現実にオーバーラップしている夢なのか、全くわからなかった。部屋の先の扉から、その影が出ていった。
「待って!」
「どこ行くんですか、坂井先生」
「知世!」
 後ろから大声で呼ばれるが、何故人を追って部屋を出たぐらいで騒いでいるのかわからなかった。
 私はその人物の影を追い続けた。
 昨日は男かと思っていたが、姿は女性のようだった。とはいえ、正面から確認したわけではなく、なびく髪が長いから女性に見えているのかもしれなかった。
 昨晩の『声』は男のように低かった。
「待って!」
 走っていた影は、急に立ち止まると振り返った。私は正面で向き合ってしまった。
「やっぱり女?」
 美しい顔立ちと胸元の宝石。
 眉間にはビンディがあるように見えた。
「インドのかた?」
 そのまま手を伸ばしてきて、私の両肩を抑えた。私は
「危ない!」
 杏美ちゃんの声が聞こえると、目の前の女性が消えた。
「えっ?」
 大きなクラクションの音が聞こえ、大きく迂回した車が高速で通り過ぎていった。
「大丈夫ですか!」
 杏美ちゃんが息を切らしてやってきて、私の手を引いた。
「坂井先生、怪我はないですか」
「知世…… 急にどうしたの」
 所長の声が聞こえた。
 何があったのか、ぼんやりと理解した。
 おそらく、私が夢遊病のように店を出て、国道で車に引かれそうになったのだ。さっきまで見えていた女性の影は、私の幻覚かなにか。
 私はそのまま目が回って、杏美ちゃんにもたれかかってしまった。

 記憶をなくすほど酒を飲む。
 そんな事はウソだ。


なろう、に小説を転載していたのですが、『あからさまな性描写』ということで ダメ出しがでました。

18禁は『なろう』ではないので、別のところに書かねばなりません。

ああ、あれは『性描写』だったんだ、といまさらながら自分の判断の甘さを反省するしだいです。


ということで、さようなら『小説家になろう』です。

「ま、これでこの道が閉鎖されているっていうのは間違いじゃないことが分かったよね」
 私が言い終わるか終わらないかのタイミングで佐津間がかぶせてくる。
「今さら何あたりまえのこと言ってるんだ」
「あんたに言ってないし」
「こっち向いてるから」
「向いてもないし」
「あらあら」
「マミ、何が『あらあら』よ。そんな反応ないじゃない」
「……ごめん」
「あんたのせいで泣きたいわよ」
「うるせぇ」
 本当に口が減らない男だ。
 そもそも男は嫌いだが、その中でも佐津間は嫌いなタイプの人間に相当する。
 ようやくエンジンが直ったようで、再び大きな音が室内に響き出すと、大した会話もないまま学校についた。
 いつものように授業はすすみ、昼食前の授業中だった。
「ちょっと脱線するけど」
 先生の口癖だった。
 脱線、という言葉はあまりネットで見聞きしないことばだったが、なんとなく知っていた。
「こんな風にコンピュータが発展してくると、本当に世界全体がシミュレートされた世界なんじゃないか、っていう説が、本当のように思えてくる。コンピュータの中にコンピュータを作り、またそこに集約していく。シミュレータオンシミュレータオンシミュレータオン…… ずっと続く、みたいな」
 無限に広がっている宇宙の中に、もっと多くの世界やシミュレーション世界がある…… のかもしれない。
「人類はただのデータで、本当に銀河の何万倍もの大きさの生物が作ったコンピュータで動くシミュレーション世界なのかもな」
「先生。こんな精密な世界は作れないですよ。この教室の中でも、この人数が同時にモノを考えているんですよ。コンピュータだったらハングアップしている」
 ああ、これだから単純な奴は。
 佐津間が割り込んだ。
「沢山のユニットで並列計算処理するから問題ない。一人一人の思考なんてそもそもそんな難しいことはしていないだろう?」
 それはそれで極論だが、方向としてはそうだ。もしこの世界をシミュレートしようと思ったらものすごい数のユニットで同時に並列計算させているだろう。ハングアップするような一直線しか動かないシステムでは無理だ。
「個別にはハングアップしてるから、あながちハズレでもない気がするが」
「木場田とかが、よく答えにつまって固まってるのはハングアップしているってことか?」
「木場田はハングアップなんかしてないぞ。必死に計算してる」
 鶴田がすかさずフォローする。
 この二人、男同士の友情にしては深すぎる、というのがマミの意見だ。
 確かに世の中が計算機の中の出来事、としても不思議ではない。ものすごく発達した科学は、データーセンターのような施設を作って情報を集約し、バックアップしていく。
 それに飽き足らず、情報を使って先に予測を建てようとする。未来が判れば大金持ちだ。
 そうやって未来予測する為に大量の情報を使いながらシミュレートしたりディープラーニングしていく。その過程が、今我々が生きている一瞬、だとしても不思議ではない。ものすごく似た社会の、何年か先を計算し、株?で儲ける為、あるいは死を、絶滅を回避しようとしているのかもしれない。
「じゃあ、我々の意識は? 自由意思というやつは何なんです? 計算可能なのですか?」
「自由意志だと証明することは難しい……」
「自由意志だ、と思っていることが実は計算の上の出来事だったら……」
 皆が思い思いに口に出し始めた。
 時計的にも、そろそろ授業も終わる頃だ。
「そうだな。これが判れば様々な謎ももわかるかもしれない。皆の一人一人を形成しているソースコードを暴くことが出来るかもしれないな」
「そんなことありえねぇっすよ」
 木場田が言った。
「ありえねぇ。俺はいまここでこうして生きていることを信じる」
「俺も信じるぜ」
 鶴田があいずちをうった。
「……時間だな。脱線がすこし長かったが。さ、終わりにしよう。日直」
「起立、気をつけ、礼」
 そうして授業が終わった。
 昼食の時間になって、私とマミとミハルでお昼ごはんを食べる為、校庭近くの木陰になる階段のところに向かった。
 まだ今の時期なら影があるから、三人ぐらい並んで食べることは出来る。
「さっきのさ、世界がシミュレーションだったらって話、なんか不思議な気持ちがする」
 マミが購買で買ったパンをかじりながらそう言った。
「不思議、って?」
 私はある点ではそう思ってもしかたない、と思い、けれど自分はどうしようもない、つまりシミュレーションじゃないんじゃなか、と思っていた。
「シミュレーションしていく世界の中でも、結局そういうシミュレーションのようなものが出来ていくみたいな説明だったじゃん。そんなものを作るために人間は探求しているんじゃないじゃん」
「このまま人工が増え続ける訳にはいかないし、エネルギーを使い続けるわけにはいかない。電子上にあるものと肉体上にあるものが等価なら、電子上に集約していく流れもあるかと思うけど」
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 そんなふうに、フラフラになりながら家につくと、ようやくソースコードが目の中から消え去った。
 少しよそ行きな服に着替え、メイクも丁寧にしてから、今度は研究所の近くの店へ向かった。実験の打ち上げがある店だ。
 私が店につく頃には、辺りは暗くなっていて、店の看板があちこちで光っていた。
 研究所とは反対側の出口に回ると、ちょうど何人か所員や学生に出会った。
「坂井先生。実験お疲れ様でした」
「お疲れ様。本当にありがとう」
 店に入ると、上条くんが近づいてきて、席に案内してくれた。本来そういうことは幹事をやっている彼の後輩がやることなのだろう。抜け目がないと言うべきか、細やかな気遣いが出来る人だ。私が男であれば『妻』にするならこの上条くんのような人、と思うだろう。
 仕切られた部屋の奥に座ると、皆の顔が良くみえた。席の取り合いに駆け引きがあるのか、徐々に埋まっていくがまだ何か緊張のようなものがある。
 そうやってしばらくすると、席が全て埋まった。正確には埋まっていなかったが、毎度ののこと、として打ち上げを始めることになる。
 上条くんが声を上げた。
「乾杯」
 最初の一口を飲んで、打ち上げが始まると、たまにある飲み会のように、近況を話したり、他愛のない会話でいきなり賑やかになった。
 近くの数人が、今日、中島所長も来るような話をしている。
「上条くん、本当?」
「中島所長がいらっしゃること、ですか?」
 私はうなずいた。
「佐藤も聞いていないみたいなんですよね。私ももちろん聞いてません」
「そう」
 少し複雑な気持ちだった。
 昨日のままの自分だったら完全に中島所長を拒否していただろう。けれど、今の自分は。
「?」
 急に打ち上げの喧騒が収まった。
 すぐにその原因が分かった。
 XS証券の林が入ってきたのだ。
 研究室の連中は誰も顔を知らない。私も昨日会っただけで、しっかり覚えているわけではないが、忘れるほど遠い過去のことではない。
 私は、林が自分のところに来る前に、この部屋から出てもらおうと立ち上がった。
「ここじゃなんなので、そっちに」
「そんなに時間はない」
「ですから、この場所じゃこまります」
 変な視線が向けられている。
 男女の仲になった男は居なかったが、周りの声から、そんな風に思われているようだった。
「中島所長から坂井先生の研究所を建てると言われた。その方法でも構わない。とにかくうちに独占的に使用権があれば……」
 研究所を建てる、私の為に?
「回答の期限までには必ず回答します。お願いですから待ってください」
「早くしないと別の会社が先回りしてくる。決断してください。すばらしい性能も、早く製品化してこそ輝くというものだ」
「ビジネスにスピードが必要なことは分かりますが、今日はお引き取りください」
「もし早められる機会があるとしたら今日でしたが…… わかりました」
「林様から頂いた内容をチェックしました。懸念点、疑問を問い合わせています」
「ああ、さっきのメールか。それならもうとっくに返信したよ。だからここに来たんだ」
「えっ、ああ、すみません。まだメールの確認が出来ていませんでした。それと、坂井先生への確認が必要ですので、まだ契約の話しは出来ません」
 林の表情が急に変わった。
「……わかりました。明後日、研究所に伺います」
 そう言うと頭を下げ、すぐに部屋を出ていった。
 あっという間だった。
「坂井先生。メールの件伝え忘れていてすみません。こんなに早く返信されてるとは思わなくて」
「ええ…… 大丈夫。上条くんは間違ってないから。向こうのスピードが想定より早いだけよ」
 もう答えは出ていた。
 私にはお金が必要だった。
 少なくとも、今のまま研究を続けているだけではダメなことは確かだった。
「いえ、もう少しまって返信すればよかったんです。返信せずに握っていた方が時間のコントロールが出来たのに」
「だから、普通の相手じゃなかっただけよ。先に疑問点の回答がそんなに早くくるとは思わないもの」
「……」
「ちょっと明日、お休みのところ悪いけど、時々メール見ててもらえないかな。この調子だと研究所で打ち合わせる時間がないかも」
「ええ。お昼前後なら見れますから、そこらあたりで良いですか」
「わかったわ。今日のメールチェックもだけど、休日出勤扱いにして、作業時間を請求してね」
「わかりました」
「……なんかダメね。気分切り替えましょうか」
「ゴメン、皆! もう一回乾杯しようか?」

登場人物

白井公子(しろいきみこ) : 〈某システムダウン〉に巻き込まれた過去を持つ主人公

木更津麻実(きさらづまみ) : キミコが恋している寮で同室になった同級生
館山美晴(たてやまみはる) : キミコ達と同室の同級生。ボブヘアに赤黒のラインのカチューシャをしている。
佐津間涼(さつまりょう) : キミコの声をババア声と評した同級生
木場田(こばた)鶴田(つるた) : キミコの同級生。木場田(こばた)と鶴田(つるた)はデキてるというのがマミの説。いつもつるんでいる。







 登校の手段が、小さくて狭いマイクロバスの限定されてから、一週間たっていた。徒歩や自転車による通学が禁止された理由は、通学路にあたる唯一の道路が閉鎖されたからだということだった。しかし、実際にずっと閉鎖されている様子はなかった。
 〈鳥の巣〉のきわを通る通学路を、ガラガラと大きな音を立てて走るマイクロバス。
 それが百葉高校の通学用バスだった。化石燃料専用エンジンの年代ものだ。
 そして学校には、この小さいマイクロバスが一台きり。全寮制の百葉高校の生徒を運ぶには無理があるのだ。だから、徒歩や自転車で通学していたのに。今、小さなマイクロバスは朝も、夕もそれぞれ十何往復かしている。帰りは部活などで分散するが、朝はスケジュールが組まれ、クラス毎に決まった時間の便に乗ることになってしまった。
 そんなマイクロバスの車内に、私とマミは一番後ろの席を取って、小さい子供のように後ろを向いて膝立てで座り、後ろの景色を眺めていた。
「それにしても凄い良い天気だよね〜」
「けど、ここ何日か、ずっと同じ感じだよね」
「お前ら何子供みたいな座り方してんだよ」
 私は声でピンと来た。
 だから振り向かなかった。
「……いいか、そんな座り方してると、パンツ見えるぞ、っていうのが真意なんだぞ」
 私とマミは慌ててスカートを抑えた。
「佐津間、またババアにちょっかい出してんのか」
 木場田がそう言った。佐津間の隣に鶴田、鶴田の隣に木場田という並びだった。
「ちょっかいだしてる訳じゃないよ」
「ちょっかいは出してなくてもパンツは見ようとしたでしょ?」
「うるさいな、そんなことしてない」
「あっ! 今、パンツ見ようとした!」
 佐津間は慌てて反対を向いた。
「本当にお前、声だけ聞くとババアだな」
「そういう言動一つ一つが『ちょっかい』っていうのよ」
 マミが体をそらし、佐津間の方を向いてそう言った。
「だから、ちょっかいじゃない、って」
「佐津間は年増好きだから、ピッタリなんだろ」
「ちがっ……」
「!」
 ボン、と大きな音がしてマイクロバスが揺れた。直後から、走行中の大きな音…… エンジン音…… がしなくなっていた。
「ありゃ。またエンジン止まったか」
「……」
 マミの横で、正面を向いて座っていたミハルが立ち上がった。
「ミハル? どうしたの?」
「……」
 ミハルはショートボブに赤黒いラインの入ったカチューシャをしている。ミハルはお風呂の時も寝る時も、一切カチューシャを外さない。髪が洗えなくて臭くなるんじゃないか、と思うが、未だそんな匂いがしたことはない。
「ミハル?」
 立ち上がったミハルはゆっくりと後ろを向いた。
 私とマミも、そのまま後ろを向いた。
 通学用のこのマイクロバスは、今や完全に停まっていた。
「……」
 ミハルが指さした。
「なに? 何かいるの?」
「いる」
 私はミハルのその声と同時に、指さしたものを見つけた。〈転送者〉だった。
「見つけた」
「えっ…… どこ?」
 マミはまだ見つけられない。
 佐津間や鶴田、木場田も含め、マイクロバスの後部にいた生徒が一斉に後ろを見始めたが、〈転送者〉を見つけたものは他に出てこなかった。
「?」
「|公子(きみこ)、どこにいるの?」
 私は指をさしてマミに〈転送者〉の場所を教えようとした。しかし、指の先が良く見えないようだった。だから、マミに顔と体をより近づけていった。息がかかるほど近寄った。
 唇を重ねてしまおう…… か。
 急速に気持ちが高ぶってくるのがわかる。
「え〜 全然わかんない……」
 マミは体をそらしてそう言った。
 探すのを諦めてしまったようだった。
「チッ」
「?」
「な、なんでもないよ」
 あとちょっと、〈転送者〉があとちょっとこちらに近く寄ってくれば、マミともう少し楽しい時間が過ごせたというのに。
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 誰も居ない時に見……
 まだ先に数分、動画が残っている。
 知っているはず。
 この先の出来事を知っているはずだ。
 思い出そうとして頭が痛くなる。
 もう少しだけスライダを動かす。
 止めると映像が動き出す。

 男が、銃のようなものをツインテールの娘に向ける。
 ツインテールは無抵抗のまま倒れてしまった。
 ストレッチャーが運ばれ、倒れた娘は乱暴に載せられる。
 救急隊は、ストレッチャーを押して白い車へ向かっていく。

「私っ…… 私っ、しっ、死んだの? だからっ」
 息が出来ない。
 私は死んだ?
 死んだからこんな…… 翼のある身体で再生された?
 そんな…… 母さん……
 お母さん……
 助けて。
 動画を見ていられなかった私は、スライダを先頭に戻した。
 涙は止まらなかった。
 私は死んだ。
 私は某システムダウンの時に、空港で殺された。
 母も死んだ。
 喉が締め付けられるようだった。
 おそらく、私の『ババア声』はこのせいだ。
 声に関わる記憶なら、少し思い出せたきた。
 母の死に、私は叫んだ。
 それまで生きてきた分の何倍も、空港で叫んだ。
 病院で目覚めた後は声が出なかった。
 医者は心理的なものが原因だと言っていた。
 確かにこの時の記憶がなくなっていて、今見た映像を自分視点から思い出せ、と言われてもできない。
 次第に心は落ち着いて、声は出るようになったけど、もとには戻らなかった。
 成長期で声変わりするのだから、と父は言った。
 そんなことを考えながら、目をつぶった。
 考え過ぎて、考え疲れて、何も考えられなくなった。
 けれどこのままでは進まない。
 動画をみているだけでは。
 私は何もない壁に向かって声を出した。
「私は今、生きている」
 だから、良しとしよう。
 今が幸せなら。
 私はタブレットを消そうと思って、タブレットに触れるか、触れないかの所でやめてしまった。
 もういい、と思って、私は机にタブレットを置いた。
 立ち上がると、部屋の灯りを消した。
 何も考えずに、自分のベッドに潜り込む。
 ベッドで触れた温かいぬくもりに、一瞬にして妄想が超大化した。
 そうだ、マミが待ちくたびれて私のベッドで寝ちゃったんだっけ。
『マミ……』
 私は温かい体を求めるように重ねていった。
 私は今、生きている。
 記憶も…… たぶんそうそうに取り戻せるだろう。
 もう、〈鳥の巣〉内に入る必要もない。
 マミと仲良く過ごしていく生活に戻れる。
 ベッドの中のマミに絡みつき、首筋を軽く吸うと、マミの体がビクッと反応して、超燃えた。
 寝間着の下に、うっかり手が入っても事故よね。事故。
 事故ってことで…… 柔らかい……
 ああ、私は今、最高に幸せだ。

 机に置かれたタブレット画面にクルクルと処理待ちのサインが表示されている。
 部屋の灯りが消えると、反応して画面の輝度が下がる。
 回っていたサインが消えると、先頭から映像が再生され始めた。
 タブレットの音声出力がオフになっているのか、監視カメラの映像のため音がないのか、いずれにせよ音はでない。
 再生されるのは、監視カメラの映像をつなぎあわせた動画。
 ある二組の家族。
 映像の端々で〈転送者〉が暴れている。
 〈転送者〉から逃げ惑う人々。
 徐々に映る人影が少なくなっていく。
 正確に言うと『動く人影』が少なくなっている。
 レンズが壊れたか何かで、端々が欠けている画像もある。
 小さい女の子が、〈転送者〉に踏み潰されている。
 潰された女の子に駆け寄ろうとするツインテールの女の子。
 父親らしき男がその細い腕をつかむ。
 大きく口を開くツインテールの娘。何か叫んでいる。
 壊れたコンクリートのかけらが落ちてくる。
 むき出しなった鉄筋。
 血だらけの廊下。
 人の代わりに〈転送者〉が通路を闊歩するようになっている。
 カメラが何度か切り替わって、母親らしき女性の死体を前に泣き叫ぶツインテール。
 映像が追っていた二組の家族の娘。
 もう一組の家族は映らなくなって久しい。
 ツインテール娘の父親がその手を引いたかと思うと、急に手を離す。
 動画が切り替わって、ハンディカメラの映像。
 やたらにブレたり、上下に動きまくっている。
 父親が娘の手を離す。
 身振りで何かをカメラの方へ訴えている。
 父親らしき男は、カメラの男が指さす方向にある、黒い車へ走り始める。
 カメラの男の横にいた男が、銃のようなものをツインテールの娘に向ける。
 ストレッチャーが運ばれ、倒れた娘は乱暴に載せられる。
 救急隊のような格好の者が、ストレッチャーを押していく。
 ヘルメットと、マスクの隙間から見える目鼻から、皆、女性のようだった。
 ストレッチャーが白い車の中運び込まれる。
 白い車のハッチが閉められる瞬間、中に乗り込んだ全員ヘルメットを外す。
 全員の頭には、赤黒いラインの入ったカチューシャがついていた。




 終わり
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 私は録音された音声に突っ込みをいれた。
 検査をした。日頃の体調に不安はなかったのだが、その『至急』という言葉に引っかかってしまった。
 言い間違えだとは思うけれど、何故そんな間違いをするんだろう。
 聞いている患者がどれだけ不安になるか、考えたことはないのだろうか。
 それとも…… 本当に?
 明日は…… 明日は実験の予備日だった。今日実験は終わったから、明日は打ち上げだけだ。大学病院に行く時間はある。
 研究の行く末と、自分の体への不安。
「あっ、また……」
 不安をさらに掻き立てるように、頭の奥でソースコードが生成される。
 今日、私の頭に降って湧いたものは、まだ見たこともない文字によるスクリプト・コードだった。
 まるで現実の風景にオーバーレイして映し出されるように明確に、文字がつらなっていく。
 見たことのない文字なのに、なんの動作をするのか、なんの目的なのかがぼんやりと分かる。
 これは水晶の動作を記述したものだ。
「水晶の動作? ですって?」
 驚いてしまって、壁に向かって声を出してしまった。
 現実はすべて超巨大な電子計算機上のシミュレーションである、というウソのような話を思い出す。
『これは水晶動作のソースコード』
 聞き慣れない音が、|そう言っている(・・・・・・・)。
「誰?」
 居るわけがない。
 |音として聞いた(・・・・・・・)事自体が錯覚のようなものだ。コードと同じように、頭に直接入り込んでいるようだった。音は聞き慣れないものだが、|意味は分かる(・・・・・・)。
『読め』
「どういうこと?」
 居ないことは分かっている。私は自分に言い聞かせる為にそうつぶやいた。
『読め』
 この『水晶動作のソースコード』を読めということだ。
 この文字を、私は知らない。
 不思議なことに意味は分かるのだ。
 だが、これを『読む』ことは出来ない。
「出来ない」
『読め』
 ぼんやりと、そう言っている人物の影が見えそうだった。いつか見たことがある。何度か、おそらく夢の中で。
 その人物は何度も何度もそう言い続けた。
 私はコードを何度も頭の中で先頭から終わりまで何度も眺めたが『読む』ことはできなかった。動作とコードは完全に頭に思い描くことができた。
 神が現れ、神託を授かる、というのはこういうことなのだろうか。
 しかし、このスクリプトを記述して実行する環境などない。それこそ、このコードが動くのは『神の』コンピュータ上なのだろう。
「このスクリプトを実行する環境があるのかしら」
 そう思った頃、ようやく声の人物が消えた。
 私の中に現れたソースコードは、自分の心が生み出した光りや影なのだろう。今日見えたコードは、将来への不安から生み出された幻想。私はそう思うことにした。
 このベッドで寝てしまえば、もう明日だ。
 私は灯りを消して、眠りについた。



 実験打ち上げの飲み会に行くため、一度自宅で着替えよう。私は家に向かう電車に乗っていた。お金が必要だ。昨日までとは違う額のお金が。
『早期に手術が必要です。といってもそれを出来るのは……』
 まるでドラマね。
 私は電車の床を見つめながら笑ってしまった。
 施術を出来る医師は何人も居ず、その順番待ち。手術に掛かる金額は法外。
 向かいに座っている子供が私に向かって「へんなの」と言った。
 そのボクに『ここが病院でなくて良かったね。病院だったらお姉さんもっと変だったのよ』と言いたかった。何もないところを見て笑うくらいなんだ。私の身に起こっている事に比べれば、変でも何でもない。
「あっ……」
 また目の前の風景にコードがオーバーレイされ、加えて外の音が聞こえにくくなった。
 子供の顔の上に昨日の水晶動作のソースコードが流れるように表示された。
『読め』
 ダメ、ここは電車の中なんだから。
 私はこれが収まるのを耐えなければならなかった。今どこの駅を過ぎたとか、社内のアナウンスを必死に聞き逃さないように注意した。
 目を閉じれば見えるものが、そのコードだけになってしまう。
 出来る限り別の風景をみていないと……
 私は立ち上がって、ドアのそばに達、外の流れる風景をみた。横に流れていく風景に、重なって縦に流れるソースコードのせいで、車に酔ったように気持ちが悪くなってきた。
 何駅か過ぎた頃、繰り返し聞こえていた『読め』の声が聞こえなくなった。
 しかし、コードのある部分にアンダーラインが引かれた。この世界での水晶の性質を表す、重要な記述のようだった。私にはなぜその一連の部分に、急にアンダーラインが引かれたのかわからなかった。

「……君の勝ちだ」
 音声の出処は、航空会社のカウンター近くの、受付機だった。
 画面が光っている。
「メモリは、ここだ」
 受付機のトレイに灯りがついた。
 そこには黒いメモリカードが見えた。
 やった。
 私の記憶。
 これで私の中で失われた某システムダウンの記憶が取り戻せる。
 メモリを吹き飛ばさないよう、距離をとって着地し、翼を体に格納した。
 トレイに手をいれると、メモリカードに触れた。
 そのまま手のひらに握り込むと、トレイから手を上げた。
 微かに差し込む突きの光りにかざしてメモリを確認すると、手帳ポケットにハサミ込んでしまった。元はオートドアがあっただろう場所を見つけると、小走りに走りでて、折れ曲がったバス乗り場の案内図の横を通り抜けた。
 バスやタクシーが並ぶ通路を走って助走をつけ、背中の翼を広げると、一気に上昇した。
 空から空港施設を見下ろすと、自分が飛行機内にいるような錯覚が何度も襲ってきた。
 実際にこんなに長時間自分の力を使い続けたことはなかった。
 疲れがどっと襲ってきて、意識して羽ばたかないと落下しそうだった。
 疲れのせいか、鬼塚からの精神感応も今は感じない。
 とにかく最短距離を飛ぼう。
 記憶をたぐりながら寮のある方向へ飛んでいく。
 闇をずっと飛んでいくと、見覚えのある形の灯りが見えてきた。
 〈鳥の巣〉の壁を超える為に、また少し頑張って羽ばたくと、カメラの間を抜けて、飛び立った場所に降り立った。
 疲れからか、眠気が襲ってきていた。
 苦しい感じがするので、何も考えずにその場で、寮監から借りたヘルメットを脱いだ。
 脱いだ瞬間、男子寮の窓に、動く人影を見つけた。
 見られた?
 まったく工夫もなく〈鳥の巣〉の壁を抜け一直線にここに降り立ったこと、脱がなくて良いところでヘルメットを外したこと後悔した。
 そのまま走って女子寮の裏側に回って、センサーを回避した。
 寮内に入ると、ヘルメットを管理室に戻して、自分の部屋を目指した。
 廊下で寮生と出会うこともなく、自分の部屋に来ると、扉から光りが漏れていた。
 時間を確認すると、とっくに消灯時間を過ぎていた。
 マミが起きているのだろうか。
「ただいま」
 小さな声でそう言って、部屋に入ると、誰も机にいなかった。
 ミハルは奥のベッドで寝ていた。
 マミの姿は見えない。
 扉を閉めて少し中に入ると、マミが私のベッドで寝ているのに気がついた。
「部屋の灯りを消さずにねちゃったのね」
 自分を待っていてくれたのだろうか、そう考えて二人に感謝した。
「もう少しだけ灯りをつけさせてね」
 手帳を取り出し、メモリを取り出した。
 学校のタブレットにメモリを差し込んで、仲のファイルを確かめた。
 これだ。
 確かに映像が入っていた。
「……」
 どれだけ待ち望んだのか、どうしても知りたかったことがここにある。
 それなのに再生するのをためらう。
 何故だか理解出来ない。
 これを見たら、失った記憶が戻ってくる、ただそれだけのはずなのに、再生をすることに恐怖を感じている。何か知ってはいけないこと、と錯覚してしまっているのかもしれない。
 迷っている内、タブレットがスリープに入り、暗くなると鏡のように自分が映る。
「!」
 出かかった声を手で抑えた。
「何時でも…… いつでも見れるよね」
 いや、でも。今見なければ。
 タブレットを付けて、ナビゲーションバーを右にスライドさせる。
 スライドに合わせて、目まぐるしく画像が入れ変わる。
「?」
 父が映っている。


 父が私の腕を取る。
 大きく口を開いて、何か叫んでいるツインテールの私。
 壊れたコンクリートのかけら。
 むき出しなった鉄筋。
 血だらけの廊下。
 人の代わりに〈転送者〉が通路を闊歩するようになっている。
 映像が何度か切り替わると、母の死体を前に泣き叫ぶツインテール。


「お母さん……」
 タブレットの画面に、涙がついて映像が歪む。
 これは、やはり見てはいけない。
 もう…… 寝よう。 
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 私は録音された音声に突っ込みをいれた。
 検査をした。日頃の体調に不安はなかったのだが、その『至急』という言葉に引っかかってしまった。
 言い間違えだとは思うけれど、何故そんな間違いをするんだろう。
 聞いている患者がどれだけ不安になるか、考えたことはないのだろうか。
 それとも…… 本当に?
 明日は…… 明日は実験の予備日だった。今日実験は終わったから、明日は打ち上げだけだ。大学病院に行く時間はある。
 研究の行く末と、自分の体への不安。
「あっ、また……」
 不安をさらに掻き立てるように、頭の奥でソースコードが生成される。
 今日、私の頭に降って湧いたものは、まだ見たこともない文字によるスクリプト・コードだった。
 まるで現実の風景にオーバーレイして映し出されるように明確に、文字がつらなっていく。
 見たことのない文字なのに、なんの動作をするのか、なんの目的なのかがぼんやりと分かる。
 これは水晶の動作を記述したものだ。
「水晶の動作? ですって?」
 驚いてしまって、壁に向かって声を出してしまった。
 現実はすべて超巨大な電子計算機上のシミュレーションである、というウソのような話を思い出す。
『これは水晶動作のソースコード』
 聞き慣れない音が、|そう言っている(・・・・・・・)。
「誰?」
 居るわけがない。
 |音として聞いた(・・・・・・・)事自体が錯覚のようなものだ。コードと同じように、頭に直接入り込んでいるようだった。音は聞き慣れないものだが、|意味は分かる(・・・・・・)。
『読め』
「どういうこと?」
 居ないことは分かっている。私は自分に言い聞かせる為にそうつぶやいた。
『読め』
 この『水晶動作のソースコード』を読めということだ。
 この文字を、私は知らない。
 不思議なことに意味は分かるのだ。
 だが、これを『読む』ことは出来ない。
「出来ない」
『読め』
 ぼんやりと、そう言っている人物の影が見えそうだった。いつか見たことがある。何度か、おそらく夢の中で。
 その人物は何度も何度もそう言い続けた。
 私はコードを何度も頭の中で先頭から終わりまで何度も眺めたが『読む』ことはできなかった。動作とコードは完全に頭に思い描くことができた。
 神が現れ、神託を授かる、というのはこういうことなのだろうか。
 しかし、このスクリプトを記述して実行する環境などない。それこそ、このコードが動くのは『神の』コンピュータ上なのだろう。
「このスクリプトを実行する環境があるのかしら」
 そう思った頃、ようやく声の人物が消えた。
 私の中に現れたソースコードは、自分の心が生み出した光りや影なのだろう。今日見えたコードは、将来への不安から生み出された幻想。私はそう思うことにした。
 このベッドで寝てしまえば、もう明日だ。
 私は灯りを消して、眠りについた。


 実験打ち上げの飲み会に行くため、一度自宅で着替えよう。私は家に向かう電車に乗っていた。お金が必要だ。昨日までとは違う額のお金が。
『早期に手術が必要です。といってもそれを出来るのは……』
 まるでドラマね。
 私は電車の床を見つめながら笑ってしまった。
 施術を出来る医師は何人も居ず、その順番待ち。手術に掛かる金額は法外。
 向かいに座っている子供が私に向かって「へんなの」と言った。
 そのボクに『ここが病院でなくて良かったね。病院だったらお姉さんもっと変だったのよ』と言いたかった。何もないところを見て笑うくらいなんだ。私の身に起こっている事に比べれば、変でも何でもない。
「あっ……」
 また目の前の風景にコードがオーバーレイされ、加えて外の音が聞こえにくくなった。
 子供の顔の上に昨日の水晶動作のソースコードが流れるように表示された。
『読め』
 ダメ、ここは電車の中なんだから。
 私はこれが収まるのを耐えなければならなかった。今どこの駅を過ぎたとか、社内のアナウンスを必死に聞き逃さないように注意した。
 目を閉じれば見えるものが、そのコードだけになってしまう。
 出来る限り別の風景をみていないと……
 私は立ち上がって、ドアのそばに達、外の流れる風景をみた。横に流れていく風景に、重なって縦に流れるソースコードのせいで、車に酔ったように気持ちが悪くなってきた。
 何駅か過ぎた頃、繰り返し聞こえていた『読め』の声が聞こえなくなった。
 しかし、コードのある部分にアンダーラインが引かれた。この世界での水晶の性質を表す、重要な記述のようだった。私にはなぜその一連の部分に、急にアンダーラインが引かれたのかわからなかった。

 私は真下にいる残り三体の〈転送者〉目掛けて降下した。
 初めはゆっくり、降りるに従い加速する。
 右も左も背後に回り込むようにカーブを描いて追いかけてくる。
「見えてるよ」
 私はひとりごとを言って、下にいた〈転送者〉の頭を使って、反転上昇した。
 追いかけてくる翼の〈転送者〉は、勢いが突きすぎて、上昇出来ない。
「取った!」
 再度反転降下し、両足を伸ばして翼の〈転送者〉二体を同時に突き通した。
 ボンッ、と肉厚の風船が割れるような音が響いた。
「後三つ!」
 床にいる〈転送者〉に捕まらないよう、素早く上昇すると、上から様子を眺めた。
 〈転送者〉は三体、腕を繋いで輪をつくった。
 右回りにグルグルと回り始めると、黒い体が徐々に小さな粒子に変わっていった。
「あの時と同じ?」
 マミがナックルダスターを使って倒そうとした、あの時と同じだ。
 回る速度はどんどんと加速し、霧のように粒子化した〈転送者〉は回転スピードも増していった。
「やばい!」
 〈転送者〉の作り出した竜巻が、フロアのゴミを巻き上げ始めた。
 メモリカードなんて簡単に巻き上げられてしまう。どこにいったかわからなくなったら、もし〈転送者〉に勝っても映像をみることが出来ない。
「はやく決着つけないと!」
 コアが見えない。
 あの時はコアが外、私とマミが内だったが、今回は逆だ。
 竜巻の遠心力を使って蹴ることは出来ない。
 内側に入り込めるほど、径は大きくない。
『今どこにいる!』
 何か声が聞こえた。
 いや、聞こえたような気がした。
 今は、〈転送者〉が作り出す音しか聞こえない。巻き上げたものが空気を切り裂く音しかしないのだ。
『誰?』
 私は目を閉じて思った。
『竜巻か…… 曲がっているポイントにコアがあるはずだ。そこを狙え』
「鬼塚刑事!」
 私は思わず声に出してしまった。
 声に出しても、おそらく遠くにいる鬼塚に伝わるわけもなかった。
 鬼塚からの呼びかけやアドバイスは、精神感応のような距離を無視した対話だった。
「曲がっているポイント」
 私は襲いかかってくる竜巻の動きをみながら、どこで折れ曲がってくるのか、どれがコアの動きなのかを感じ取ろうとした。
『目で追うばかりではダメだ』
 私は目を閉じた。
 音の微かな相異、肌に伝わる風圧。
 それらを総合しながら、曲がっているポイントを探っていく。
「そこ!」
 竜巻のスピードを利用するように、巻き込まれる方向に飛び、グルグルと中心に近づくと、竜巻の中止を輪切りするように蹴りつけた。
「バフュン……」
 蹴った周囲の竜巻が止まり、付近の黒い粒子が円運動をやめ、無秩序に広がり始めた。
 下の方に残った竜巻は以前運動を続けており、上方の淀んだ粒子を巻き込み太くなっていった。
「後、2体…… ね」
 黒い粒子が増えてしまって、くびれのような、曲がるポイントが分かりにくくなっていた。
「一か八か」
 私は上空を取って、漏斗状の竜巻に飲み込まれるように下降した。ドリルのように回転しながら、進むと、まっすぐ真下に足を突き立てた。
「ギュギュギュギュグギュギュギュグウゥ……」
 あちこちから空気が漏れ出るような音がして、そのままコアがひとつ潰れた。
「やった! 後一体!」
 更に黒い粒子を巻き込みながら、ゆっくりとした流れになった太くで低い竜巻は、回転を弱めながら、固体化を始めた。
『固まる前にコアを貫け』
 鬼塚に意図せず情報が流れているというのか。
 私は助言に救われながらも、この精神感応に疑念を抱いた。
『そんなことを考えてる場合か!』
『言われなくても、やりますよ!』
 必死に回りを飛び回って、コアらしきものを見つけた。
「これでおしまい!」
 下部に見えていた最後のコアを蹴り、空港施設の壁へ蹴り飛ばした。
 壁に当たると、コアは平たく歪んで、ボン、と破裂する音がした。
 残った黒い粒子は、コントロールを失い、液体の粒のように床に降り注いだ。
 空気中の黒い粒がなくなると、完全な静寂が訪れた。
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 空港施設と同じ高さに飛びながら、中に何か警報や、軍の姿がないかを確認した。
 搭乗ゲート24A。
 ここだ。
 私は地上に降り立つと、翼を体にしまった。
 天井が高い部分では役に立つが、殆どの部分で邪魔になる。足先の力だけを使って〈転送者〉を貫くつもりで戦わなければならない。
 開いている入り口から中に進む。
 天井から突きでいているカメラの方向を意識ながら、映ったとしても人と分からないように物陰を作って移動する。
 どこにメモリを置いたのだろう。
 このまま〈転送者〉と会わずに済めば、戦わずに済む。
 机の上や置きっぱなしのパソコンをみるが、それらしいカードはない。
 ミハルが見せたメールには、某航空の受付カウンターと書いてあった。
 ここは搭乗口24Aだ。ここは航空機と接する側で、某航空会社の受付カウンターではない。
 ここから逆に進んで、某航空会社の受け付けカウンターまでこい、ということか。
「プッ、ププププッ」
 機械的な破裂音が聞こえる。
「シュー、プッ」
 気体の圧力が変わる音。
 これは〈転送者〉だ。
 私は身構えた。
 しかし、どこの物陰からも〈転送者〉は現れない。
 扉のようなものもない。
 〈転送者〉の音ではなく、施設の稼働音だったのだろうか。
 ゆっくりと廊下を進むと、構内の案内図があった。
 そうだ、思い出した。
 航空会社のカウンターって…… 確か……
 チケットを確認してもらったり、そこで父親が荷物を預けたりしていた場所。
 様々な航空会社の受付が並んでいた。
 広いフロア、高い天井。
 そして、今、ここで〈転送者〉が仕掛けてこないのは、そこで私を試そうとしているせいなのではないか、と思った。
『我々はお前の力を知りたい』
 ミハルが〈扉〉の支配者と名乗る者の声を代弁していた時に、そう言っていた。
 そうなのかもしれない。
 急ごう。
 今度こそ、あの時の記憶を取り戻そう。
 私は暗闇の中を走った。
 同じ距離を保って、何者かが追ってくる気配を感じながら。

「いいのですか?」
「何のことだ?」
「屋根の低いこのエリアで襲わせないと、今までの戦闘履歴からすると」
「我が方の〈転送者〉が負けるとでも言いたげだな」
「……その通りです。正直に話してください。何か理由(わけ)があって、この娘(むすめ)に勝たせたいのですか?」
「……」
 男は返事をせずじっと〈転送者〉からの映像を眺めていた。

 金属探知機のゲートがを抜けると、急に天井が高くなった。
 背中に力をいれると、勝手に翼が広がる。
 自分が出てきた辺りを見返すと、黒い身体に赤い目の〈転送者〉が1、2、3…… 6体、出てきた。
「まさか、ここに追い込むつもりだったの?」
 いや、〈転送者〉にとって不利なここへワザワザ追い込む訳はない。
 何か罠があるのかもしれない。
 一体の〈転送者〉がガス状になって舞い上がってきた。
「そういう手があったか」
 私がホバリングしている高さにくると、こちらの羽ばたきで流されてしまう。
 張り出してた三階のフロアで再度固体化し始めた。
「もらった!」
 その〈転送者〉が固体化するまでが余りに遅かった。
 翼で加速すると、次の瞬間には、中心に現れたコアを蹴り壊していた。
「後5体っ!」
 床の方で〈転送者〉は奇妙な音をたてて、変形し始めた。
「シィー、シュシュシュ……」
 黒い煙が吹き出したかと思うと固体化した。
「羽根が生えた?」
 〈転送者〉はバタバタと音を立てて飛び上がった。すると、その羽根をつけた〈転送者〉二体は、ホバリングする私を挟むように回り始める。
「空中戦で負けるわけには」
 上昇したり、地面スレスレに急降下しても、〈転送者〉はトレースすように両脇についてくる。こちらが止まると、こっちを中心に飛び回る。
「戦えないの? それとも、こっちが仕掛けるのをまってるの?」
 答えるわけもない。
 が、〈転送者〉は全く仕掛けてこない。
 こちらから何かフェイントをかけて、様子をみるしかない。
「!」
 左サイドにいる〈転送者〉を狙って速く移動すると、背後を取ろうというのか右サイドが動いた。
 こっちが、サッと体勢を戻すと、右サイドの〈転送者〉はまるで何もなかったように同じ距離に戻る。
「そういうこと……」
 おそらく右に迎えば左が動くだろう。
 こちらが動かなければ、挟み撃ちしてくるかもしれない。
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 所長は立ち上がった。
「知世ちゃん、自分の立場も考えて。もう何年もこのガラスと水晶の研究をしているのよ。成果もなしで」
 怒りが混じった表情だった。
 中島所長が、同じ研究室だった時のことが頭をよぎった。
 中島さんに、何度も何度も呼び出されて叱られて、何回も書き直し、何度も『紙』の書類を出しにいった。
 中の論旨がどうとかではない。
 ページが間違っている、レイアウトが悪い、図表が悪い…… 誤字脱字、表紙のフォントが違う……
「いい、考える余地はないの。契約上問題になる部分は、契約書の修正を要求すればいい。契約を前提とします」
「……はい」
 私には選択肢はない。
 最初からそう言えばいいのだ。
 私は立ち上がって、頭を下げた。
「坂井先生。それでは、よろしくお願いします」
 扉を開けて所長は出ていった。
「……なんか、もう急展開すぎますね」
「実験が終わったばかりなのに、ごめんなさいね。上条くん」
「いいんですよ」
「この話は、明日の打ち上げでは……」
「大丈夫、話したりしませんから」
 私はうなずくと、腕をテーブルにのせて、そこに頭をのせた。
「お疲れのようですね。私は研究室に戻りますが、応接室はまだ2〜3時間予約してありますから、ここに居ても大丈夫ですよ。」
「ありがとう。それじゃ私はここにいるから、何かあったら連絡して」
「はい」
 そう言うと上条くんは応接室を出ていった。
 この数時間で起こったことがよく理解できていなかった。
 考えてた通り、ファイバに水晶構造が入ると光りの集中が減り、ファイバヒューズ:光ファイバへ高出力をかけると、突然光球が進行方向と逆へ進行し、ファイバを壊してしまう現象の発生を抑えられる。
 これまでのケーブルよりは高価になるが、安定して高出力を使えるのだ。
 実際の実験はこの光ファイバーと、電子回路に使う水晶振動子の構造だった。
 電圧をかけると安定した周期で変形し、クロックを作れる水晶振動子だが、これを今までより簡単な構造で高クロックを取り出すようにしたものだった。
 今までやってきたガラスと水晶の研究で、ものになりそうなものはこれだけだった。
 その実験が上手く行き、いままで上限とされていたものの300倍もの性能が出せることが確認できた。
 何ヶ月かかけた実験が終了した、その数分後に、企業の取り締まり役が来てその権利を買いにきた。トントン拍子というには早すぎる。
 仕組まれている、と考えてもおかしくない。
 巻き戻って実験は果たして成功だったのか、というところまで疑いたくなる。
 私を騙す為に、皆が成功したように見せかけたのではないか、とすら思いはじめていた。
 私は壁に向かって、声にだしてみた。
「変な考えは、やめよう」
 何かある時は、こうやって壁とか天井に話し、自分に言い聞かせてきたのだ。
「実験は成功した。今日はそれだけを持って帰ろう」
 私は部屋に顔を出し、帰る前に研究所のシャワールームへ向かった。
 このまま電車に乗りたくなかったのだ。
 汗臭かっただろうし、シャツが肌についていた。簡単に言えば、着替えてから帰りたかった。
 シャワーを浴びていると、もう一人シャワーを浴びに入ってきたのがわかった。
 私は髪をすすいで、体をスポンジで洗い始めると、後から入ってきた人物が、真後ろから見ていることに気付いた。
「誰?」
「知世(ともよ)」
 そう聞こえると、いきなり後ろから抱きしめられた。
 過去にもこんなことがあった。
 私は目の前に回り込んだその手をとり、指についている指輪をみた。
 小さなエメラルドを一文字に並べたリング。
 ……中島所長だった。
「びっくりするじゃないですか」
「良かったわ。脅かすつもりだったし」
「充分驚きました。だから、そろそろ離してください」
「冷たいこと言うのね」
 私は所内での生き残りの為にしてしまった過去の事を後悔していた。
「冷たくないですよ。所長さんがこんなことしているところ見られたら、セクハラ問題になりますよ」
 所長の指が、私の乳房を求めるように体を這ってきた。
「知世(ともよ)が訴えるかしら?」
 先端をさぐりあてると、つまんで回した。
「あっ…… わ、私が…… 私が訴えなくても、回りから見ればどういうことかは明らかなのではないですか」
 もう一方の手が足の付け根の真ん中へ、するすると降りてくる。
 中島所長はそれと同時に、顔を私の耳元に近づけてきた。
「本当にイヤがっているの? 反応を見ていると、そうは思えないんだけど」

「佐津間が格好いいかどうかなんて知らん」
 私は笑ってしまった。
「佐津間。友達にも言えないことがあるの。あと、女の子にしか解決できないこともね」
 いや、今回の件は、女の子、というより〈転送者〉を倒す力を持っている人にしか解決出来ない。話してもどうにもならないし、巻き込んでしまったら大変なことになる。
「もしかしてそういう話だったのか?」
「……いや、ま、そういうことにしといて」
「佐津間くん、そういう追求したらセクハラになるよ」
 マミはそう言った。
 私はそれ以上のことは考えることをやめた。
 学校では学校のことを考えていないと、周りに気取られてしまう。目の前のことを精一杯やっていくしかない。

 放課後、帰りのバスから、〈鳥の巣〉の壁を見ていた。一定間隔で壁の上に監視カメラが見える。映ってしまったら、きっと軍隊が出てくる。どうやったらこの〈鳥の巣〉の監視カメラを避けて、空港へ侵入できるだろう。
「ねぇ、何みてるの?」
 マミが外ばかり見ている私をつついてそう言った。
「ああ、〈鳥の巣〉の監視カメラを見てたの。あれは何を撮ってるのかなって」
「私知っているよ」
「えっ、何を撮ってるの?」
「ものすごい数の監視カメラがあるでしょ。あれ、記録量が大量になるから、人の姿を認識して、顔だけを記録しているみたい。下を向いているヤツは、車を認識して、ナンバープレートを記録するの」
「へぇ、画像認識するんだ」
「まあ、完璧ではないみたいだけど」
 もしかしたら、その認識の隙をつけば、私が通過しても警告が出ない可能性がある。
 何らかの方法で人と思わせないようにすればいいのだ。顔以外はとても人と思えないだろうから、変身前に人と認識されなければ、きっとなんとかなりそうだ。
「そうだよね。なかなか人を認識するのって難しいよね」
「けど、何でカメラのことなんて気にしてんの?」
「いや、私達ってあれでいつも監視されてるのかなって」
「……」
 マミは何故かそれ以上話しをしなかった。
 寮の部屋に戻ると私は寮監にあるものを借りた。
 私達の部屋の、お風呂の時間がくると、私は二人に言った。
「今日私はお風呂やめとく」
「えっ、キミコ、どうして?」
「ちょっとやることがあるの」
「今やっとけば良かったのに」
「二人がいると、ちょっとやりにくいから、いなくなるの待ってたの」
 ミハルは相変わらず無言だった。
 マミは少し暗い表情になった。
「何か隠しているでしょ」
「うん。隠しているよ。だからお風呂入ってきてよ。二人がいたらできないんだ」
「ううん、違うの。そういう隠している、じゃないよね…… けど。うん。分かった」
「マミ…… ありがとう」
 マミは何かを感じ取っていたようだった。
 私が近くに行くと、マミはそのまま抱きしめてくれた。
「気をつけて」
「どこかに行くわけじゃないよ」
「うん。そうだったね」
 マミとミハルはお風呂のしたくをして、部屋を出ていった。
 マミは私のウソにそのままだまされたふりをしてくれたのだ。
 部屋着から普段着に着替え、寮の裏口へ回った。張ってあるセンサーの高さを知っていれば、上を越していくか、下を這って行けば誰にも気付かれずに寮を出ていける。
 寮を出ると、男子寮の灯りが少しだけ見える。
 相当に遠目が効く者なら、その部屋に誰がいるのか見えるだろう。今はそんなことを気にしている場合ではない。男子寮の死角を回り、私は〈鳥の巣〉の監視カメラの両側に一番距離を取れる辺りを確認した。
 寮監から借りたものを装着し、もう一度あたりを見回し、自分の翼を解放した。
 伸びをするように一度開き、そしてたたむ。
 地面を蹴って、思い切り羽ばたいた。
 少し後ろに下がり気味に上昇すると、一気に狙った壁の上へ飛んだ。
 壁を超えると、めちゃくちゃに破壊された住宅地が続く。〈某システムダウン〉の際の被害というより、避難地域に指定され、その後の扉破壊処理でこうなったのだ。
 宅地の先にはいくつか丘があって、林や公園があった。
 扉を破壊された鉄道車両があり、小さな駅があり、街があった。〈鳥の巣〉ゲート付近の駅をコピーしたかのような、典型的な地方の駅の風景だった。
 その先に長細い闇として、空港が広がっている。
 果たして気付かれてないか、それは分からなかった。寮監から借りたヘルメットで、人物の特定までは出来ないだろう、と予想していた。
 ただ、人の侵入、と判断されて警報がなっていたらまずい。
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「上条くんも座って、一緒に聞いて」
「林です」
 上条くんにもポン、と名刺を渡した。
「ああ、XSビデオオンラインの会社ですか?」
 林の顔が一瞬、気味悪い感じに歪んだ。
「やっぱり男の子ですね」
「?」
「いいえ、そんなことは置いておいて。先生の研究している水晶のファイバー、新しい水晶振動子。そこら辺を、ごっそり、全部、実用化させたいんですよ。ほら、この前うちが子会社にしたMM電気通信株式会社。そこに作らせて」
 何を言っているのだろう。
 今さっき、実験レベルがクリアされたばかりだというのに。いや、実験レベルがクリアされたことを知っている、というのか。
「まだ、実験をしている段階で」
「いや、もう実験も終盤のはずでしょ?」
「何故」
「別に盗み聞いたり、不正に情報を集めたわけじゃない。信用してください。確実に製品化して、相応の報酬の支払いを約束します」
「だから、何を言っているんですか。私はまだ論文を」
「そんなのんきなことは言ってられないんですよ。先生のファイバーがあれば、世界を飲み込むことが出来る。ごっそり先回りして、世界中の株を、先物取引を、全部ね」
「?」
「何を言っているか、分からなくていいんです」
 さっきとは別の、もっと嫌な感じに口元が歪んだ。
「とにかく。実用化の権利を独占させてください」
「……」
「実用化しなければ、ただの論文で終わりです。実用化すれば…… 世界は変わる。本当ですよ。坂井先生。良い答えを待っています。契約書はここに入っています。それでは」
 林は立ち上がると、紙コップをヒョイっと持ち上げ、グイッと一口で飲み干した。
「3日後。ここに来ます。所長にも約束をとっています。それ以上は待てません」
 上条くんが慌てて先回りし、応接室の扉を開けた。
「あ、ここでいいですよ。それでは」
 私は立ち上がりもせずに、林を見送った。
 何の話をされたのか、もう一度整理していた。
 私の研究のうち、水晶構造を持ったファイバーと、超高周波水晶振動子に興味があるようだった。それを一社で実用化したい。独占使用をしたいということだ。
 正直、製品になった時のことなど考えていなかった。
「坂井先生。チャンスですよ」
「……チャンス?」
 よく分からない企業に、こちらの研究成果を渡すことが?
「文面は私がチェックします。先生に不利なことがあれば必ず知らせます」
「チャンスなのかしら?」
「論文はお金には直結しませんからね。理論的にはOKでも工業製品になるまで時間がかかれば、その間に代替の技術が出来ていたりして、お金には結びつかなかったりします」
「お金……」
 お金のことは考えていなかった。
 必要なもののお金は十分にあったが、父の死のことを思い出すと、この世の中で、お金の必要性は嫌というほど知っていた。
「そうですよ。XS(ここ)なら相当儲かっていると思います」
「そういば、上条くんはXSを知ってたみたいね」
「あっ、そうですね。はい」
 その時、応接室の扉が開いた。
「坂井先生。ちょっとお話し良いかしら?」
「所長」
 返事を待たずにそのまま林が座っていた席に座り込んだ。
 私は椅子を回してそちらに向き直った。
「良い話だと思うんだけど」
「待ってください。XSの話でしょうか?」
「製品化、工業化は必要よ。今回の研究は理論だけで終わるものじゃない。今回のことがまとまれば研究所や大学への寄付金についても考えていただけるそうよ」
 もうそんな話まで行っているのか。
 おかしい、そんなに回線速度が必要な企業があるのだろうか、いったいどんなデータをやり取りしているというのだ。
「回答は3日後ということに」
「知世(ともよ)ちゃんは考える必要はないわ。あ、念の為、法務の方に確認させるから、私でいいから契約書のコピーを送って」
 所長の問いかけに、上条くんが返事をした。
 上条くんがいる前なのに、私を『知世ちゃん』と呼んでしまっている。
「中島所長、何をそんなに焦っているんですか」
「……成果が欲しくないの?」

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