その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

2016年09月

 そして抱きついてしまう。
『くすぐったいよ、キミコ』
『だって嬉しんだもん。良かった、マミが目覚めて』
『そんなに寝てたの?』
 私はうなずく。
『あっ、ここキミコのベッドじゃない』
『ごめん。今日は上のベッドはチアキに取られているの』
『?』
『チアキが何者かは後で話すね。今日はここで寝て』
 マミはぼんやりと上のベッドの方を見つめる。
『こっちを見て』
 マミの顔に触れ、こっちを向かせる。
『ようやく一緒になれるね』
『……』
 唇を近づけていくと、マミは瞳を閉じた。
 唇が触れると、お互いに形を確かめるように唇を動かす。
『マミ……』
『キミコ』
 二人は何度も何度もキスをしながら抱きしめあった。

「キミコ」
「えっ?」
「どうしてここに寝てんの?」
「マミの看病をしてたんだよ」
「あっ…… えっ? あ、頭がいたい……」
 マミが頭を抑える。
「大丈夫? お医者さん、呼ぶ?」
「そこまでじゃないよ。大丈夫…… けど。なんだろう…… なんか頭に付けられたか、叩かれたか、そんな感じ」
「どこまで覚えている?」
「背中になにかモノを突きつけられて。ゆっくり振り返った時にミハルがいたような気がしたけど、頭に何か…… そこから良く覚えていない。もうその先は夢を見ていたみたい」
 ミハルではない。おそらくそれがチアキだ。
 部屋は暗く、これ以上説明も難しい。
「本当に具合は大丈夫? 大丈夫だったら、明日、朝説明するよ。出来ればバスの中で」
「うん具合は大丈夫よ。ミハルの尾行は?」
「心配しないで。全部明日話すよ。今は寝よう」
「あ、で、どうしてここなの? 私上の段だよね?」
「んと、今違う人が寝てるから。私と一緒に寝て」
「……うん。それも明日話してくれる?」
 私はマミの髪を撫でながら、うなずいた。
 そして髪をかきあげて、おでこにキスをした。
「おやすみ、マミ」
「フフッ」
「?」
「お母さんを思い出しちゃった」
「マミのお母さんって、どんな人」
 マミは仰向けになって目を閉じた。
「ナイショ。おやすみなさい」
「おやすみ」
 私も仰向けになって目を閉じた。
 自分は母の記憶はない。
 あるはずなのだが、目をつぶっても、父と、継母のことしか思い出せない。
 空港の記憶と同じに、どこかに封印されてしまっている。
 空港で掴んだあの映像から、失われたものを取り戻せるはずだった……
 なみだが耳に入った。
 体を横にしたりしている内に、疲れが私を眠りに引き込んでいた。



 私が寝返りをうつとマミにあたり、マミが寝返りをうつと私にあたった。つまりかなりの頻度で体が触れ合ってしまい、夜中に何度も目が覚めた。朝が近づいたころ、ようやく疲れから熟睡したのだが、そう思ったのもつかの間で、今度は目覚ましに起こされた。
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 元となる『人間』の記載以外にも、動的に『リンク』しているプロパティやメソッドが多く、何がどう動くのかを把握するのが大変だった。
 ようやくこのインスタンス、すなわち私についてしまった病気の記述や、何故この女王が『読め』と言って呼びたがったいるのかを把握した。
 病気には、死までのカウンターと、それを早める為の記述ばかりが書かれていて、外す方法が一切なかった。某国の医者のインスタンスを調べたが、私の病気を取り除くメソッドもプロパティも持っていないことが判ってしまった。
『つまり、私は私に絶望しか持っていない』
『夢と思い込もうとしているのね? これはあなたの世界のコードそのものなのよ』
『ウソよ!』
『インスタンスは消滅しても履歴は残っているわ。人が記憶をアクセスする為にね。XS証券の林を見てみればわかるわ。あれはこちらから直接コードを改変して殺したのよ』
『えっ?』
『林が死んだのは、あなたにとっての現実、でしょう?』
 私の記憶の整理の途中で、どうしようもない出来事をなんとか分かる範囲でつじつまを合わせようとしているのだ。だから、こんな世界シミュレータのような形で……
『いい加減、目をそむけるのはやめて。私があなたの脳にアクセスしている手段はここ』
 壁に映し出されたコードが切り替わった。
 私のインスタンスが持つメソッドの一覧から、一つがハイライトされた。
『わかるでしょう? これは夢ではなく、事実なのよ』
 女性は顔を近づけてきた。
『何か、直接あなたに訴えかける方法はある? 私が、あなたの夢の中の想像でないことを示す方法を教えて』
 長い髪の女性は、どことなく、中島所長のようにも見える。けれど、年齢や表情の作り方は同じではない。
 私がこの女性を信じるとすれば…… なんだろう。もう一度林を生き返らせたり、突然電柱が車の頭上に現れたような、〈現実〉へのアクセスがあったら信じるだろうか。
『林を生き返らせる? 大胆なコード変更が必要になるから、これはやめましょう。コード管理のプログラムが排除を始めるでしょうし』
『コード管理のプログラム?』
『あなたも狙われていたでしょう? 私の近衛兵が何度も救ったはず』
 確かに私は、何度か甲冑の男に助けられた。
 あの時、こっちを狙っていたのはコード管理のプログラムだった、というのか。
『今は、林の事故の件を追っているみたいね。こっちはいくつもプロクシを立てているから、バレやしないでしょうけど』
 この発言や、私がさっき壁でインスタンスを調べたりコードを検索したことはコード管理プログラムに察知されないのだろうか。
『だから、やれるとしたら、もっと全体に影響のないことにして。コップを左右入れ替えるとか。そんなことなら見せてあげられるわよ』
『さっき、コードを見たり、インスタンスを調べたりしたら、コード管理のプログラムに察知されないの?』
『同じことよ。いくつも変わるプロクシを経由している。バレたところから切り離してしまうから、問題ないわ』
『……読めば』
『?』
 女性はじっと私を見つめ返した。
『私が読めば、どうなるの?』
『その瞬間に私が|あなたの(・・・・)|インスタンス(・・・・・・)を取り出す。そして、私達の世界に招き入れるわ』
『インスタンスのリストにアクセス出来るのに、私を取り出せないの?』
『あなたの関連するところを全て抜き取らなければならないの。それに、あのリストだけではあなたのインスタンスの先頭アドレスすら分からない。あのコードを詠唱することは、あなたの世界に混乱が生じる。インスタンスを構成している部分を全部抜くという危険な作業の為、混乱させ、目くらましをする必要があるの』
 何を言っているのだ。
『あなたを…… というか、世界から一人を取り出す作業は危険なの。普通にやってはコード管理プログラムに邪魔されてしまう。だから目くらましが必要なの。混乱させて、それに乗じて取り出す、と言っているの。だから、あのコードを詠唱してほしいの。これで判った?』
 いや、だから、私の世界はコードで出来ているのか? 世界シミュレータの中の話なのか?
『何度言ったらわかるの?』
『けど、信じられない。これは私の夢よ』
『起きなさい』
 私はベッドの上で上体を起こした。
 キッチンの方にキラキラと光る粒子が飛んでいる。
 光は長い髪の女性を描き出した。
「げ、幻覚?」
『幻覚じゃないことを証明します』
 私はベッドを下りてキッチンに入った。
 ピンクとブルーのマグカップを取り出し、テーブルに右にピンク、左にブルーを置いた。
「これを入れ替える、ということ?」
『そういうことよ。ほら、判ったでしょう?』
「左にピンク、右にブルーを置いたわ」
『違う! さっきは逆に置いたでしょう?』
「……左にピンクだったはずよ」

 半分ぐらい、というか、完全に故意に顔を当てたのだ。
「ごめん」
「早く測って」
 トップとアンダーを測って総合的に競うことになった。
「う〜ん、82、アンダーは73」
 チアキが勝ち誇ったような顔をする。
「じゃあ私の勝ちね。83の73だから」
「え? はかってからだよ。なんの為にメジャーあるの?」
「ふ、ふん。はかってもサイズで劣るわけない。勝ちは勝ちね」
 チアキが腕を上げる。
 同じようにメジャーを後ろに回す。顔を上げる時に、同じように胸に顔を擦り付けてみた。
「私の方が柔らかいでしょう?」
 チアキが私を抱きしめてきた。
「えっ?」
「顔を当ててみたかったんでしょ?」
 考えていなかったタイミングで、チアキの胸に顔を埋めてしまった。
 柔らかくて気持ち良かったが、そんなことは恥ずかしさで顔が熱くなって消し飛んでしまっていた。チアキにはさっきのミハルへの行為もバレていたのだろう。
「そんなこと考えてないよ」
「赤くなってる、思ってたより可愛いのね」
 チアキは手を離して、上に上げた。
「さ、はかってみて」
 私の顔が離れると、プルン、と胸が揺れた。
 自分もこのくらいは欲しい……
「じゃ、はかるね」
 ミハルではかったところと同じぐらいのところをにメジャーを回し、バストトップを通過して合わせる。
 私の顔が離れると、プルン、と胸が揺れた。
 自分もこのくらいは欲しい……
「は、80ちょうど」
「はぁ?? そんな訳ないじゃない。メジャーをキツくしすぎなんじゃない?」
「そんなハズはないけど」
「だから83だって言ったでしょ? 絶対におかしい」
 何度も当て直してみるが、少ない数字になりこそすれ、80を上回ることはなかった。
「じゃ、じゃ、アンダーを測ってよ。差分なら負けてないから。差が大きければ、カップ数で勝つんだから」
 アンダー側をはかってみる。
 今度は何度測ってもミハルと同じ73にしかならない。
「そ、そんな……」
 私はミハルに横に並んでもらってじっと比較した。
「もしかして、垂れ……」
 チアキは私の口を抑えてきた。
「みなまで言うな」
 反対を向いて、チアキは襟元を広げて自分の胸を眺めている。
「……」
「どうしたの?」
「三ヶ月後、もう一度勝負よ。今垂れ気味なら、バストアップすればいいだけの話よ」
 私はミハルの耳のそばで囁いた。
「(垂れてるの認めちゃったよ……)」
「こら! 余計なこと言うな」
 頭を手で抑えつけられた。
 なんか、混乱してきた。
 つい何時間か前は、チアキという名も知らないこの|娘(こ)はマミをさらった敵のはずだったのだ。
「あっ、もうこんな時間。もう帰れないから、ここに泊めてよ」
「えっ……」
「泊めないなら寮監に言いつけるわよ? 人さらい、って」
 私もミハルも仕方なく泊めることにした。
「ここに寝ていい?」
 マミのベッドに勝手に登っていった。
「誰も寝てないじゃない。もしかして、あんたの?」
 私は首をふった。
「そこは、今ここに寝ているマミのベッドなの」
「けど、今は使ってないと」
 チアキは服を脱ぎはじめた。
「だからそこはマミの……」
「私は裸で寝るの。だから一番上じゃないと困るの」
 しかたない。自分のベッドでマミと一緒にねるしかない。
 こんなに早くマミと寝れるチャンスがくるなんて。

『あれ? キミコ、なんでこんなところに?』
『マミ、起きたの。良かった…… 心配したんだよ』
 私はマミのほおに軽くキスをする。
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 研究の時に自分の言葉が傷つけているように、真実をそのまま話すと誰かが傷ついてしまう。
「そんなことを話さなくても抗議できます」
 中島所長は何か別の手段で戦おうとしている。
 それは私には出来ないことだ。
「もう帰ります。研究もしばらく休みます」
「えっ、何言っているの? 水晶の研究棟なのよ、あなたの為の水晶の塔……」
 中島所長が私の肩をつかみかけたが、それをかわすようにして、振り返らず、走った。
 逃げたかった。
 一人になりたかった。
 心地よいベッドで、すべてのことを忘れ去りたかった。
 家に戻ると、灯りもつけずそのままベッドにもぐった。
 足元の小さいモニターで杏美ちゃんがインタビューされる様子が頭によみがえる。何であんなことをしたのか。杏美ちゃんは一言も同性愛者、だなんて言ってない。
 それなのに、まるで昔から好き合っていたような気になって…… 罠だったのに。
 何度も何度も後悔を繰り返し、考え疲れてきた。
 ベッドの中で体を丸めているうち、ようやく何か落ちつくと、そのまま眠ってしまった。



 見知らぬプログラムのソースコードが目の前の壁に映し出されていた。
 私が注目すると合わせるようにスクロールされていった。手も動かないのに、単語の検索が実行され、目的の語がハイライトされる。
 なんだろう、と思いながら、自分の考えを変えてみる。
 見たこともない言語のはずなのに、関数を宣言するキーワードを知っている。
 条件分岐する記述のしかたも、繰り返しも。
 コメント行にかかれている不思議な文字すら、何が書いてあるのかが読める。
『また、あの世界なのかしら』
 壁の周りに注目していくと、壁を中心に長机と椅子が取り囲んでいた。どうやら講堂のようだ。
 後ろから声がした。
『どう、女王になる気になった?』
 振り返ると、長い髪の女性が立っていた。
 再三、私に『読め』と言い続けていた女性だ。
 美しい顔立ちと、胸元の宝石を憶えている。
『このコードはなんですか?』
『あら? あなたには読めたでしょう? あるオブジェクトを記述したものよ』
『確かに、”リンゴ”の記述がされています。遺伝子のデータへのリンクもされていて。何か壮大なシミュレータなんでしょうか?』
 ふと、この女性と普通に会話出来ていることに疑問を持った。
 耳に入ってくる音は、とても言葉とは思えないような、歌でもない、念仏のような音に聞こえている。
『ちょっと待ってください』
 自分の話した声も、まるで念仏のような音だった。なぜそれがこの口と喉で発声出来ているのか答えはでなかった。
『シミュレータ、というのは確かに間違えではなないかもしれないわ。けれど、私がこれをシミュレータ、と答えたらあなたはどう思うのかしら?』
『どういう意味ですか?』
 通路を下りながら、正面の壁を見るように手を伸ばした。
『ほら、これを見て』
 映し出されているコードが切り替わった。
 先頭にカーソルがあたり、このオブジェクトは、いくつものファイルから構成されていることが示された。
『遺伝子構造のタイトルはこれ』
『に、人間?』
『インスタンスのリストを見ることも出来るわ』
 妙な記号で作られたIDとペアになって人名がリストされた。
『!』
 私の名前だ。
『そう。これはあなたよ。こちらにくれば、このインスタンスは削除される。世界を移動してしまう、ということね。あらゆるしがらみから逃れられるのよ』
 どういうことか分からなかった。
 これは夢に違いない、とも思った。
 夢でないとしたら、自分が世界シミュレータの中のインスタンスの一つである、ということを受け入れることはできなかった。
『ちょっと待って! これを見せてください』
 純粋な興味だけが動機だった。
 夢でもこんなに面白いことはない、と感じていた。
『みてもいいけど、このままでは改変出来ないわよ』
『ええ、それは構いません』
『改変するなら……』
 私は女性のことばを遮った。
『まず見せてください!』
 とにかくなにが起こるのか、どんなことになっているのかを確かめたい。
 夢なのだとしたら、自分は自分に対し、どんな想像をしているのだろう、とも思った。
 最初のように思考することで壁に映るコードをスクロールしたり、ファイルを開いたり、検索したり、ジャンプしたり、自由にコードを動き回ることが出来た。

「い、今?」
「私も百葉高校に転校するのよ」
「て、転校って……」
 その時、ドアが開いた。
「ミハルっ! どこ行ってたの?」
「おしっこ」
「そんな言い方しないで! おトイレでしょ。じゃなくて、チアキが百葉高校って……」
 私の言ったことを無視するかのように、ミハルは戸口のダンボールを押し、部屋にいれようとしている。
「あの…… 聞いてる?」
「手伝って」
「……う、うん」
 二人でダンボールを持ち上げて、部屋の中に運び込む。チアキは気にも止めない様子で、机で教科書を広げている。
「私がいない間にどういう話になったの?」
「チアキは百葉に転校してくるんだみたい」
「それはわかったけど」
 私はチアキを振り返ってから、小声で言う。
「(マミをさらおうとしたのよ)」
「結果的にここにいるからいいじゃない」
「良いわけないでしょ」
「やってるテキストは変わらないのね」
 チアキがこちらを振り返って言った。
「百葉高校の卒業生がずいぶん評判良いから、もっと高度なことやってるのかと思ってた」
 私はあたりさわりのないよう、学校のパンフレットレベルの回答をする。
「テキストを中心にはしてるけど、タブレットの配信と、校外学習があるからなのかもね……」
「まあ、それにしたって大したことはなさそうね」
 私はチアキの言葉を聞き流して、マミのようすをみた。上のベッドには担ぎ上げれない為、マミは下段の私のベッドに寝かしていた。
「前の学校の方が高度だった」
 ミハルはダンボールを開封して、黙々と中の確認をしていた。
 しかたなく、チアキに返事をする。
「そうなんだ」
「それにもっと先の項目をやっているし」
「へえ」
「これが時間割? 科目も時間数も少ないのね。これだけ少なければ余裕ね」
「そうだね」
 マミの様子は汗はかいているが、熱がある、というほどではない。目覚めないのが心配だが、しっかり呼吸もしている。不自然な感じはない。
「百葉高校ってバカの集まりね」
「ふぅん」
「あんたバカでしょ? マヌケなんでしょ?」
「そうだね」
「ちょっと!」
 チアキが教科書で私の頭を叩いた。
「聞いてんの?」
 さすがに適当に返事をしすぎた。
「聞いてないよ」
「聞きなさいよ」
「あなたの方が面倒くさいわね」
「私のカチューシャどこやったの?」
「知らないよ」
 んっ、と思って、ポーチの紐を握ってしまう。
「何、そのポーチ」
「い、いいじゃない」
「ポーチの紐よ。普通は胸のない子でも強調されるもんなのに……あなたは」
「い、いいじゃない。ほっといてよ」
 ポーチの紐ではなく、胸を隠すようにギュッと腕をたたんだ。
「そういうあんたは胸あんの?」
 チアキは胸のしたを抑えて、突き出してみせた。
 はからなくても、見た瞬間にわかる。
「ミハル、助けて」
「客観性が必要ね」
 そう言うと、ミハルはガサガサとダンボール内を探し始めた。
「あった」
「メジャー怖いメジャー怖い…… メジャーは嫌い」
「キミコのサイズははからないから大丈夫」
 端から勝負にならないということか。
 私はメジャーを渡された。
 手を上げたミハルの後ろにメジャーを回すと、顔でミハルの胸を押し上げてしまった。
 やわらかい胸の膨らみ。
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 スタジオからの声がこちらのイヤホンに入っていくる。とぼけたような声で、こっちのアナウンサーから聞かれるのと同じような質問だった。
「聞こえましたか? どうでしょう? 先に答えを考えておいてください」
 中島所長は安心したように微笑んだ。
 小さなモニターに放送されている様子が映っていた。竣工式の映像が終わり、コマーシャルが流れているようだった。
「そろそろです。こっちをみてください」
 中島所長はスマフォを使って少し前髪を整えていた。
 私はタオルで顔の汗をすこし抑えた。
 アナウンサーが横に立って、マイクを何度か握り直した。
 カメラの前で指示が始まる。
「3、2、1」
 最後は手で仕草が入った。
「水晶の研究棟ですが、まるでお伽話に出てくるお城のような雰囲気です。水晶のこういう集まりをクラスターと言うんですね」
「……はい」
 所長が答えるのか、私が答えるのか、一瞬判断に困ってしまった。
 アナウンサー眉が微妙に反応した。
「中島所長、研究棟なのですが、なぜこんな形になさったのでしょう」
 何度も何度も繰り返して答えていたせいで、所長もスラスラと話し始めた。
 私の研究成果をみて、水晶の未来、そして建物にインパクトを与えて、将来、研究者になりたい、あそこに入りたい、と思う女性を増やすためだということだ。
 そう、男性研究者ではなく、女性研究者を増やす目的でお城のような研究棟にしているのだ。研究室によっては、内部がピンクだったりもするようだ。
「女性の研究者を増やす。実現するといいですね」
「私の代では彼女ぐらいでしたが、彼女が所長とか、そういう世代になった時に……」
 話は続く。
 私は予定していたやり取りが変わったのだと気付いた。
 おそらく、私が適切なタイミングで答えなかったからだ。
 所長が喋り終えると、スタジオ側からの質問に切り替わる。
「坂井主任、所長は女性の研究者を増やしたいとのことですが、あなたは女性同士の恋愛感情についてどう思われますか?」
「どういうことですか?」
「あなたの研究室にいる女の子がセクハラ被害に合っているという事実があるようですが」
「私の知っているかぎり、そういう事実ありません」
「ちょっと次のインタビュー映像をお見せします」
 画面がまた切り替わり、録画された映像が流れた。音声も姿も本人が特定出来ないように変えられている。
 内容が進み、話の内容からどうやら私がセクハラしているということのようだ。そして、ちらっと映った服を見た瞬間、はめられたと悟った。
「(杏美ちゃん……)」
 テレビに入らない程度の小さいこえでつぶやいた。
 所長は怒りで拳を握りしめている。
「どうですか? この女性は被害にあった時のことを録画しているということで」
「覚えがないですか?」
「……」
 私は答えることができなかった。
 ハメられた、と言えば事実を認めたも同じことになってしまう。相手がさそってきたかどうかなんて、この短時間のやり取りでは説明できない。
 したか、しないかの部分だけが重要だ。
 中島所長がこちらにいるアナウンサーを引っ張っていき、怒って話し合いをしている。
 私だけが画面の前に晒され、スタジオからの口撃を受けている。
「ま、覚えがないというのならしかたありませんが」
「自分の性的趣味の為に女性研究員を増やすことのないようお願いしますね」
「この水晶の棟に移ったらセクハラもなくなっていることを期待します」
 まるで私が女性なら誰でも性的対象として見て、セクハラを仕掛けるような口ぶりだった。
 こうやって印象が悪くなってしまうと、出資してくれているXS証券が手を引いてしまうのではないか。
 もう、私の研究はお終いだ……
 放送が終わった、という合図が入った瞬間、私のほおを涙が落ちた。
 所長はこちらの撮影クルーの責任者を出せと要求している。研究所の宣伝になると思ってテレビを受け入れたのに、こんな形で裏切られるとは思っていなかったのだろう。
 所長、もういいんです。
 もうおしまいにしましょう。
 私は今の病気で死ぬ運命なんです。
 セクハラの責任を取って研究所をやめます。
 せめて死ぬまでの間、静かに暮らしたい。
 思いがこみ上げてきた。
 一つ一つは言葉にならない。
「所長。もういいんです」
「何言ってるの? 事実と違うなら戦わないと」
「事実とは違います。けれど、こんな風に報道されたら覆すには…… 話したくないことまで話さなければならない。それは色んな人を傷つけてしまう」 

「それ私のなのに」
「あっ、ゴメン……」
「!」
 急に振り返ったミハルが、私の口に手を当ててきた。
「(ダメよ。あれを持ってることがわかったらあなたが狙われる)」
 私はうなずいた。



「ここは百葉高校の寮ね」
「そ……」
「おっちょこちょいがマヌケな失言をしないようにしているだけ」
「そんな情報は制服をみれば簡単に推測つくわ」
「何故マミをさらった」
「可愛かったからかな?」
「カチューシャを付けたのは?」
「気持ちが知りたいからよ」
「カチューシャは気持ちが分かるの?」
「同じものをつけている同士ならね」
「じゃ!」
 私はミハルに耳打ちした。
 ミハルは首を横に振った。
「誰から指示を受けている?」
「そんなものはないわ」
 ミハルはチアキに迫った。
 その時、ノックの音がした。
「館山さん、いる?」
「……」
「寮監よ、出て」
 ミハルは私をぐっと睨んだ。何故睨まれるのかわからなかった。ミハルはまだ戻っていない、とウソをつけばよかったのだろうか。
 ミハルが小さくドアを開けると、寮監が言った。
「荷物きてるって連絡入ってない?」
 そのまま扉をぐいっと開け、床の荷物を部屋に突っ込んできた。
「タブレット確認してませんでした」
「ダンボールもう一個あるから。そっちは取りきてちょうだい」
 部屋の入り口に、大きなダンボールが置かれた。もう一個は流石に持ってこれなかったから、自分で持っていけということのようだ。
「……」
 ミハルがこっちを見ている。
 私はしばらく考えて、寮監にチアキが見つかってはマズいことに気がついた。
「ごめんごめん。私が取りに行くね」
 ミハルに手を合わせると、寮監の手を引いて廊下をあるいた。
「どこに荷物きてますか?」
「館山さんにやらせないとダメなんじゃない?」
「いいんです。館山さん用があるみたいなんで」
「白井さんが、イジメられているとか、使いっぱしりになっているとか、そういうことじゃないのね?」
「イジメられてなんかないですよ」
 寮監は良かった、と言って笑った。
 置いてあるダンボールはさっきのと同じぐらいの大きさだったが、かなり重かった。
「大丈夫かい?」
「あっ、大丈夫です」
 本当は手伝ってほしいくらいだが、手伝ってもらうとまた部屋のドアを開けなければならない。開けたらミハルとそのそっくりさんが…… っていうのはシャレにならない。
 なんとか階段を登りきると、荷物を一度床に置いた。
「ふぅ……」
 ダンボールの箱の柄から、大手の通販会社のものだということはわかる。
「通販なんかしてるのか。それにしてもこんな大きい箱に目一杯買うなんて、やっぱり、すごいお金持ってるんだよな……」
 何故こんなに沢山お金を持っているのか。
 そしてそれが、どういうお金なのか。
 親の小遣い? 大きすぎる。
 バイトで稼いだとしても、いったい、いつバイトしている?
 短時間で高額な報酬を得られる手段なんて限られてくる。
 手段のいくつかは、ヤバイ仕事になってくる。
「またミハルの放課後の行動か……」
 もう一度ダンボールを持ち上げて、なんとか部屋の前についた。
 ノックをするが、反応がない。
 まさか、チアキとミハルが……
 急いでドアを開けて中に入る。
「どうしたの?」
「何やってるの?」
「見ればわかるでしょ? 勉強」
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 私が傷つこうが、私にどう思われようが関係ない。
 ただ思うがままにならない|私(モノ)に腹をたて、それを支配しようとしているだけだ。
 下手に抵抗したらコイツに殺される。
 ならば殺される前に殺さないと……
『承知』
 頭上方向から声が聞こえたような気がした。
 甲冑の男の声。
 あの屋敷でどうかなったのかと思っていた。
「ん? 変だな……」
 林が何かつぶやいた。
 車は減速しながら、左の端に寄っていった。
 私はいつでも車を出ていけるようミラーをみていた。
 車が止まりかけた時、運転席側で、ドカン! と大きな音がした。それと同時に車が完全にとまった。速度は大して出ていなかったが、止まった衝撃はすごかった。
 私は、視界の左端に映るものを確かめようとゆっくりと横を向いた。
「ひっ……」
 林が…… 動かなくなった林がいた。
 電柱のようなものが…… 電柱そのものが、縦に貫いていた。屋根は破れ、歪んでいた。そのまま下にいた林の体を血だらけにして貫通しているようだった。
 林の顔と手が私に助けを求めるように動いた。
「いや!」
 後ろを確認しないまま、車のドアを跳ね上げた。
 全身がガタガタ震えていた。
 道路に手をつきながら這い出ると、ようやく立ち上がった。
 人が死んだ。
 いや、殺された?
 ……まさか、私が願ったから?



 林の死は、事故として処理された。
 電柱を使って人を殺せるような環境が作られた訳ではなかった。その場所で工事をしていたとか、近く資材置き場があったとかもない。事故としても変だった。上の高速道路から落ちてきた可能性は考えられるが、その時間通行していたトラックに電柱を積んだ車はなかった。
 それに加え、事件を見た者が、私しかいなかった。
 深夜の時間帯だったし、目撃者が出てこなかい。今後も捜査は続くだろうが、この事件を解決するような証言が出てくるとは思えなかった。
 私はこう予想していた。
 甲冑の男がやったのだ。
 人の手でこのコンクリート製の電柱を持てるとは思わないが、こちらの世界に出入り出来るのなら、その応用でものを移動させることも出来るのではないか。突然、車の真上にコンクリート柱を出現させれば、落下して突き刺さるだろう。
 考えはしたが、誰にも言わなかった。
 一つには、信じてもらえないだろう、ということがある。
 そして、もし信じて貰えた場合、林の死を望んだのは私…… つまり私が林を殺したと告白するようなものだった。どちらにせよ私にメリットはなかった。
 警察も私が林に言い寄られていて、それを拒否していたことは知っているようだった。だからと言って、落下してくる電柱の真下に車を誘導することが出来ることにはならなかった。
 事故。
 それ以外の表現は出来ない死に方だった。
 そして、この事故を、おもしろおかしくテレビや雑誌が取り上げた。
 おかげで、マスクををして歩かねばならなかった。コンビニに行くにも、夕飯の買い物をするにも、気晴らしに街を歩くだけでもだ。
 騒動の間も、XS証券との合同研究は進められていたた。ワンマンだったはずの林がいなくなって、どこに向かうかわからないと言われたが、以外と後任の社長が優秀だったのか、それとも元々しっかりした組織だったのかは分からない。
 フラフラと迷走するのではなく、やるべきことを進めていくような雰囲気があった。
 研究所への資金提供も続けられ、『水晶の棟』は完成を迎えた。
「研究所のゾクに『水晶の棟』と呼ばれていた研究棟が完成しました。そこで今日は所長の中島梓さん、主任研究員の坂井知世さんをお呼びしまして、お話しを聞きたいと思います」
 アナウンサーが話し終えると私達の姿がカメラに映った。私達が頭を下げると、アナウンサーが続けた。
「それは本日の竣工式の様子からご覧ください」
 どうやらそれがキッカケで、録画分の再生が始まったようだった。
 アナウンサーは段取りを確認するために小さい声で私達に確認した。
 やり取りは至極普通のことで、私達がわざわざここで話すほどのことではなかった。
 棟が出来てどう思っているか、中はどうですかとか、何階に入るんですか、とか、そんなことだ。竣工式後の所員へのインタビューとさして変わらない。
「後、スタジオからの質問がいくつかきます。答えられないような時はこちらで仕切りますから安心してください」
「……」
「答えられないような質問は困るのですが」
 中島所長はきっぱりと言った。
 アナウンサーはスタジオ側のキャスターやコメンテーターにどんな質問をする気なのか聞いてくれた。

「ミハル、あのボックス席の上で私の上に乗っかってきたのは、なんだったの?」
 ミハルはストローでジュースを一口吸い上げると、目を閉じた。
「あれは……」
「あれは?」
「マミの嫌がることをしたのよ」
「マミが嫌がることだったの?」
「そこがポイントだったの」
「どういう意味?」
 ミハルはまたストローをくわえて黙ってしまった。
 確かに、あの直後、マミが人とは思えない声をだして、こちらに向かってきた。
 ミハルのそっくりさんのコントロールを抜け出し、自分の意思が働いた、ということなのだろう。
 ミハルはそこを引き出す為に、私の肌を舐めはじめた訳だ。
 ミハルの唇を見ていたら、そのことを思い出してしまった。
 ミハルはジュースを置くと言った。
「もしかして、感じた?」
「なっ、なに言ってんの!」
「マミが居ない時に続きをしてあげる」
「だからっ、何にも感じてないからっ」
 ミハルは口に指を当てて、黙れと仕草した。
 どうやらミハルのそっくりさんが目覚めようとしているのだ。
「手足縛る?」
「……」
 何も返事がなかったが、立ち上がれないよう、両足をタオルで縛っておくことにした。
「!」
「気がついた?」
「……」
 ミハルのそっくりさんは、何故ここにいるのか分からなくて呆然としているようだった。
「私を憶えてる?」
 上体を起こそうとして、足が縛られていることに気がついた。
 すぐにタオルを外そうと手をかけた。
「やめなさい」
 ミハルのそっくりさんは手を止めてミハルを睨んだ。
 そしてまたタオルをはずそうとすると、ミハルがその手を叩いた。
「やめなさい」
「あんた、だれ?」
「先に名乗りなさい」
「あ、ごめんね。私は|白井(しらい)」
 ミハルのそっくりさんのベッドに腰掛け、そう話しかけた。
「あんたには聞いてない」
「でも判ったでしょ? あなたは誰?」
「……チアキ」
 私は微笑み返した。
「チアキ、ね。よろしく」
 右側にチアキがいるせいで、私は左手を差し出した。
「?」
「握手しよ?」
「何故?」
「今日からお友達だから」
「左手で?」
 左手の握手に何か深い意味があるのか知らなかった。ただ、チアキが左手を出すには苦しい位置にいることはわかった。
「じゃあ」
 私は立ち上がって、右手を差し出した。
 チアキは軽く、指先を握って一度振って離した。
「よかった。握手できて」
「面倒くさい人ね」
「面倒くさいところがいいところよ」
 ミハルがそういった。
「で、あんたは?」
「……ミハル」
「ミハル? ミハル…… もしかして」
 チアキは何か考えたようにあごに手をやった。
「近くで顔を見せて」
 ミハルは表情を変えなかったが、チアキに近づいていった。
「もっと近くで」
 手の届くところまで近づくと、チアキは急に手を上げた。
 パチン、と肌がぶつかる音がした。
 どうやら、チアキがミハルのカチューシャを外そうと手を頭へ向けたようだった。
 また、パチン、すこしあけてバチンとまた音がした。右手も左手も使って、なんとか外そうとするが、ミハルはまるでカンフーの達人のようにその手を止めてしまう。
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 その時、轟音を立ててタクシーの車道に入ってくる車があった。
 薄いクサビ型の車が入ってくると、横のおじさんが何かぼそっとつぶやいた。
「スーパーカーだ……」
 タクシー待ちの人の前に止まり、こっち側のドアが跳ね上がる。
「坂井先生」
 そこから出てきたのは林だった。
「タクシーなんて待ってたってこないよ。今日はすまなかなった。お詫びに家まで送っていくよ」
 信じてはダメだ。
 大きな声で言った。
「結構です」
「すまなかった。信用をなくしたのはわかってる。だから、お詫びに送らせてくれ」
 林も大きな声でそう言う。
 タクシー待ちの何人かが、ジロジロとこっちを見ている。
「結構です」
 私が言うと、タクシー待ちの人々は、耳を抑えて、うるさい、という仕草をした。
 そんなに大きな声じゃないのに、まるで迷惑だからどっかよそに行ってくれという感情がみてとれた。
「すまない。あやまる。この通りだ」
 林は車道で土下座した。
 タクシー待ちの人たちは私を睨みつけた。
 これだけ謝っているのに、許さないのか、とでも言いたげだ。
「……」
 乗らなければならないような圧力を感じる。
 許さなければいけないような。
 タクシーが一台こちらに入ってきて、クラクションをならした。
「早く行けよ」
「車をどかせよ。タクシー入れないだろ」
「許してくれ」
 林はまだ土下座している。
「許してやれよ。早く乗って車をどかせ」
 見知らぬ人たちが追い立てる。
 またタクシーがクラクションを鳴らす。
「早くいけよ」
 あからさまに私を睨みつける。
 この男がどんな男か知らない人たちが。
「……」
「許してくれ」
「車を動かしてください」
「坂井先生が乗らなければ動かさない」
 こんな場所で名前を呼ぶのか。
「タクシーが入れません。車をどかしてください」
「坂井先生が乗らなきゃ動かさない」
「乗るだけ乗れよ。俺たちだって帰らなきゃならないんだ!」
 泣きたくなった。
「もう!」
 私は林の車のドアに立った。
 どうやって開けていいのか分からなかった。
「早くして!」
 状況に気付いた林がやってきて、ドアを跳ね上げた。
 寝そべるような低いシートに座ると、林がドアを閉めた。
「坂井先生…… 許してくれてありがとう」
「許してません。そこの先でおろしてください」
「おろしませんよ。開け方も分からないでしょう?」
 やっぱり、この男はそのつもりで……
 私は大声をだした。
 しかし、エンジン音が大きくて、そとの人に気づいてもらえたか分からなかった。
 駅を出ると、人通りもまばらで、加速する車から降りることはできそうになかった。
 ハンドルを横から操作してしまえば止まれるかもしれない。でもこのスピードだ…… 運が悪ければ自分の命がどうなるかがわからない。
 運転している間は少なくとも林は手が出せないと考えるべきか。
 片側二車線の広い道に出ると、林は更に加速した。
 やはり、このまま乗っていては……
「止めて!」
 この車のどれが何のレバーだか分からなかったが、こちらから操作出来るレバーを引いた。
 轟音が響いて車が急に減速した。
「危ない! 死にたいのか」
 林の右手が顔面に当たった。
 後頭部を強くシートにぶつけた。
 私の中で何かが切れた。
 やっぱり惚れたとかそういう感情ではない。
 ただ征服したいだけなのだ。

 カチューシャを取り上げると、まぶたが閉じ、机に突っ伏すようにして気を失った。
「一体、このカチューシャはなんなの?」
「……」
「それに、マミも起きてこないよ」
「……」
「ミハル。このカチューシャの件で何か知っていることがあったら教えて?」
「……わからない」
「高いよ、まけてよ」
 遠くから木場田の声がした。私は急に今の状態がまずいことに気がついた。
「とりあえず、店を出よう。支払いもそうだけど、同じボックスに四人いるのがバレたらまずい」
 私はミハルのニセモノを担ぎ、ミハルがマミを担いで店を出ることにした。
 ボックスをでるところさえ見られなければ、見かけは同じだから、組み合わせが違っているとは思うまい。
 会計の最中も、ずっとぐったり寝ているせいで、店員に不審な目で見られたが、金を払うと、にっこりと微笑み返された。
「ありがとうございます。次回のご利用をお待ちしております」
 外に出ると、雨はあがっていた。
 傘、どうしよう。返すにもどこにいるか分からなかったし、親切を受けた自分は偽者だ。それが相手にばれたら、どう思うのだろう。そのまま持って帰るしかなかった。
 向かい側の店の前で、木場田と鶴田が待っていた。
 背の高い木場田はマミを、低い方の鶴田はミハルのそっくりさんの方を手伝った。
 直接寮に帰るのではなく、学校に帰って、シャトルバスで帰ることにした。
 そうすれば寮の建物の近くまで木場田と鶴田が手伝えるからだった。それに、私とマミは普通の格好ではない。メイクも衣装も制服に着替えないと、寮には戻れない。
「けど、この子を寮に入れちゃって大丈夫なのか?」
「そうだ。それこそ誘拐にならないか?」
「この|娘(こ)が先にマミを誘拐しようとしたのよ。そこらへんはなんとかするから、手伝って」
 私はなんの根拠もなかったが、そう言って手伝わせた。そういうことは後で考えるしかない。マミが目覚めないのも変だ。何かこのミハルのそっくりさんがその秘密を握っているに違いない。ここで解放するわけにはいかないのだ。
「わかったよ」



 マイクロバスが女子寮につくと、私とミハルはそれぞれ気を失ったミハルのそっくりさんとマミを背負っておりた。
「だ、大丈夫か?」
 フラフラする二人を見てか、心配そうに木場田が言う。
「大丈夫よ。そこまでなんだから」
「気をつけろよ」
「ありがとう…… 木場田」
 車内に戻りかけたところを呼び止めた。
「なんだ?」
「佐津間はどうしたの?」
「えっ? あれ? 忘れてた」
 木場田は慌ててバスに乗り込んだ。
 そして答えがないまま、マイクロバスは男子寮へと出発した。
 バスの窓から何か言っているようだったが、エンジン音がうるさくて聞こえなかった。
 私とミハルは寮の玄関まで二人を運んだ。そしてミハルのそっくりさんの方にフード付きのスエットを着せた。マミは玄関先に座らせておき、まずはミハルのそっくりさんを部屋に運び入れた。
 それから戻って二人でマミの手足を持って運んだ。
「ふぅ〜 疲れた。何か飲み物持ってこようか?」
「キミコ、カチューシャ持ってる?」
 私はカバンをガサガサ探し、取り出して見せた。
「ほら。あるよ、二つとも」
「カバンにいれておくんじゃなくて、取られないように身につけてて」
「だって、気を失って」
「言うことを聞いて」
 何か緊迫した雰囲気に、私はゆっくりうなずいた。
 室内でも身につけていておかしくない、肩掛け紐のついたポーチに入れた。
「寝るときもよ?」
「……寝る時は良くない?」
「せめて枕元とか。分かるところに」
 こんなカチューシャがそんなに重要なのか。
 ミハルはやはり、このカチューシャが何かを知っているハズだ。
 そうでなければこんな指示を……
 私は重要なことを思い出した。
「何がいい?」
「……なんのこと?」
「飲み物だよ」
 ミハルは肩を落とし、軽く息を吐いてから言った。
「なんでもいい」



 私は食堂に行ってお盆にジュースの入ったコップを四つのせ、部屋に戻った。
 マミも、ミハルのそっくりさんもまだ目を開かない。私は、ミハルに聞きたいことがあった。
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 テーブルに体を打ち付けてしまう。
 そこをミハルが空いた片手でマミの頭からカチューシャを奪った。
 マミは眠るようにまぶたを閉じた。
「分かりました、分かりました。会計しますから、お二人ともこちらへ」
「さっさと行けよ、デカイだけ男」
「蹴ることないだろうが」
「蹴り返すことねぇだろうが」
「お客様! 落ち着いてください」
 外は外で、まだ、なんとか時間を稼いでくれている。
「こっちのカチューシャも取れる?」
「どういうこと?」
「敵のカチューシャを頭から取って、ってこと」
 テーブルで打ったお腹を抑えながら、立ち上がり、赤黒のカチューシャに手を伸ばす。
 バチン、と手を払われた。
「痛っ……」
「それは私」
「?」
「マミのカチューシャを持っているでしょう?」
「!」
 そうか、こっちがミハルであっちがミハルのそっくりさん。
「あっ!」
 手を払われ、持っていたカチューシャが舞う。
 私は思わずそれを手に取る。
「それを返して」
「渡しちゃダメよ、こっちに頂戴」
 二人のミハルがカチューシャに手を伸ばしてくる。
「どっちがミハル?」
「私よ」
「こっちが私」
 最初から双子と思って接していた訳ではない。そもそもミハルの特徴はボブヘアと赤黒のカチューシャ、と思っていた。
 突然、それが二人になり、完全に見失ってしまったのだ。
 どうやって見分ければいいのかなすすべがなかった。
「どっちがいつものミハル?」
「私よ」
「私」
 少し考えて、こっちが知っているミハルしか知らない問いを出せばいい、と思った。
「じゃあ、朝のバスで私達が座る場所は?」
「バカね、そんなの先に答えたやつの真似をして答えればいいだけじゃない」
「そんなことないわ」
「先に答えた方がウソをつくからよ」
 二人のミハルの言葉に惑わされてしまった。
「先に答えた方が本物なら、ニセモノはウソだと分からないから真似して先に答えたのと同じことを言う。つまり、間違え、間違え、なら後に答えたヤツがニセモノでしょ」
「じゃあ、正解、正解、なら?」
「後に答えた方がニセモノ」
「間違え、正解なら?」
「先に答えた方がニセモノでしょ。正解、間違えの順なら、後で答えた方がニセモノ」
「ヤマカンであてたら?」
「そんな問題だしたら意味ないでしょ?」
 これで本当に考えを尽くしているのだろうか。
「一方に答えが聞こえないようにすればいいのよ」
 何か、それがあたかも正しいかのように私は言った。
「答えを私に耳打ちしてもらって、相手に聞こえないようにすればいいのよ。それなら単純に、正解したものが本物」
「それは危険よ!」
「じゃ、問題を出すわ。私のフルネームを答えて」
 私は耳に手を当てて顔を寄せた。
「危ない!」
 近づいたミハルは、急にナイフを突きつけてきた。
「だから言ったじゃない!」
「判ってたわ」
 ナイフを持つ手を左で抑え、耳に付けていた腕で、胸を肘打ちした。
 ミハルのそっくりさんは、声にならない息を漏らしてナイフを手放した。
「ミハル、ありがと」
 ミハルが私のことを思ってくれていなかったら、助からなかった。耳打ちさせる案をすぐさま否定したミハルを見て、こっちが本物と思ったのだ。
「カチューシャを奪って!」
 ミハルのそっくりさんは、体をよじって抵抗しかけたが、私の手が早くカチューシャにかかった。
「ううっ……」
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「坂井先生!」
 XS証券の代表取締役の林だった。
「やさしくするから」
「どこが? 部屋に侵入して待ち伏せていたのに」
「頼むから」
 林は私の足にしがみつくようにして、離さなかった。私が反対の足で蹴っても、林は離さなかった。
「イヤッ、絶対にイヤッ!」
「頼む」
 いっそ、この口を…… 顔を蹴ってしまおうと思った。血だらけになろうが、痣になろうが、林を受け入れるよりましだ。
「良いのか?」
 林が一瞬止まった私のお腹の上に馬乗りになった。
「いやっ、イヤに決まってるでしょ」
「騒ぐな」
 頬を叩かれた。
「……」
「坂井先生! 坂井先生! どうしました?」
「!」
 管理室から、私の異常に気づいてここに来たのだ。私の異常は、この警備機械を操作して伝えた。
 林は私の目線を追った。
「こいつか」
「先生、坂井先生、どうしました?」
 私は慌てて立ち上がって、管理室からきた警備の人へ走った。
「助けてください」
「私は何もしてないよ。倒れた坂井先生を引き起こそうとしていたんだ」
「ウソです、捕まえてください」
「中島所長に電話して、つかまえていいのか聞いてみろ。お前らの給料だっていくらかはこっちの懐から出てんだぞ」
「坂井先生はすこし離れててください」
 警備の人は林を追い詰めるように動いた。林は林で、追い詰められていることが判って、チラチラと左右を見回した。
「障害」
 私は大きな声で言った。
「器物破損。人を殴ったり、モノを壊したらそれこそ警察に届け出なければならないわ」
 そうでなくても警察に突き出したいところなのだが、この研究所のスポンサーである話をされたら、おそらく警備の人は示談にしようとする。
「くっ……」
 林は実験用の機材から手を離した。おそらくそれで殴るか、投げるかしようと考えたのだろう。
 棒立ちになった林に、無造作に警備の人が近づく。
 捕まえようと手を伸ばすと、トン、と警備の人の肩を押して林は走った。
「待てっ」
 林が研究室を出ると、警備の人が追て出ていった。
「はぁ……」
 警備機械の操作ガイドに書いてあった『緊急通報』の操作を覚えていてよかった。機械のトラブルもあって、こちらの状況は管理室でモニターしていることも幸いした。
 警備の人がこなかったら、今頃私はどうなっていたのだろう……
 そう考えるにつけ、林という男の行動原理が分からなかった。
 林の資金で、光ファイバーの実用化を共同でやっていて、林の考えた株取引のアルゴリズムをコーディングした。つながりはその程度で、何か考えを話し合ったり、気持ちを伝えあったりしていない。お互いにお互いを何の感情も持たない状態…… 少なくとも私はそう思っていた。
 それなのに、林はウソの仕事の依頼をして呼び出し、体を求めてきた。拒否したら今度は研究室で待ち伏せていた。
 自分の体をみても、男が欲情する体とは到底思えなかった。
 仕事で関係しているから、プライベートでトラブルになったらそっちに影響する。だから、私に手を出すメリットはひとつもない。
 だったらなぜ求めてくるのだろう。
 惚れた…… とか、そういう感情なのだろうか。
 最初に私が拒否したせいで、復讐、とか遺恨とかそう言うものも含まれ始めているのだろう。
 執着。
 どうすればそういう感情を捨ててもらえるか、考えた。
「遅かったか……」
 最終電車が行ってしまって、改札が閉まっていた。駅の反対側へ降りると、そこにはタクシー待ちの短い列が出来ていて、私はそのうしろに並んだ。
 よっぽど嫌われるようなことをすれば嫌ってくれだろうか。
 ぼんやり嫌われるようなことを考えていた。
 暴力を震えば嫌われるだろうか。
 好きなものをけなせば嫌うだろうか。
 乱暴なもの言いをすれば……
 タクシーはなかなかやってこない。
 短い列でも縮まないなら長い列に並ぶのと同じことだ。

 私が降りるのをやめると、ミハルのそっくりさんはマミの青赤のピッタリ体にフィットした素材の上から、胸の形を確認するように手を動かし始めた。
「!」
 そうだ、あのカチューシャの能力かもしれない。
 ミハルが赤黒のカチューシャをして、私とマミと三人でお風呂に入った時のことを思い出した。
 あの時も、まるでこっちの考えが読まれているようだった。
 だから、今も、あのミハルのそっくりさんに、やって欲しいこと、やって欲しくないこと、そういうことが読まれてしまうのだ。
 こっちが降りようとすれば、考えを読み取り、即座にボタンを押すだろう。
 何が目的かは分からないが、このままにはしておけない。最悪、マミがカチューシャでコントロールされ、連れ去られてしまうだろう。
「!」
 後ろをみると、ミハルが私の足をつかんでいた。
「な、何するの」
 梁の上を引きずられる。
 ミハルは私の肩をつかんで仰向けにしてきた。
「こ、怖い、落ちる……」
 ミハルは何も喋らない。
「……」
「だから、何?」
 私の言葉には全く反応なく、そのままするっと体を重ねてきた。
 細い梁に背中を預け、落ちないようにバランスをとるので精一杯だった。
「ミハル、聞いてる?」
 私の上に馬乗りになったミハルは、上着を脱ぎ始めた。
「えっ、だから、ちょっと……」
 ミハルはちらっと下を指差した。
「……」
 下をみると、マミが睨みつけている。
 ただ、同じ睨むにしては、いつもの表情ではない。動物のような、ただ敵意だけがむき出しになっているかのようだった。
「マミ!」
 私は下の席に向かって手を伸ばした。
 引っ張り上げる気があるわけでも、何をするつもりでもなかった。
 理由もなく、ただ触れたかった。
「マミ!」
 瞳の色が違って見えるほど、表情が野獣のようだった。カチューシャに縛られて意識を失っているのかもしれない。
「えっ?」
 ミハルは上半身ブラだけの姿で、私の服をまくりあげるようにまさぐってきた。私の素肌が見えると、そこに唇をあててくる。
「ミハル、やめ……」
「グァ……」
 下の席から、人の声ではない、鳴き声のような音が聞こえてきた。
 ミハルのそっくりさんが、マミの肩を抑えようとするが、マミはそれを振り払ってこちらに上がってこようとした。
「グァエセ……」
 ミハルはマミに引っ張られて、席に転げ落ちてしまった。
 私は反対側の縁に指をかけてなんとか落ちるのを免れた。
「何事ですか?」
 騒ぎになってしまった。
「鶴田! お願い。時間を稼いで!」
 隣の席で上を見上げていた二人を頼った。
 店員はマミとミハルのそっくりさんがいる席に駆けつけようとする。
「何がありました?」
 そこへ木場田が飛び出して言った。
「聞いてくれよ店員さん、コイツが酷いこと言うんだ。俺のことをただデカイだけだって」
 鶴田もカーテンを手で払うと出ていった。
「俺も、もう帰るぜ」
 私はそれを確認して、ミハルの落ちたボックスへ飛び降りた。
「こんなやつと一緒にいれるか、会計は別だ」
「店員さん、早くここから出たい。こんなヤツと一緒に居れない」
 カーテンの外では木場田と鶴田が店員を引き止めている。
 ミハルの体を受け止めるようにして、マミは横になってしまい、ミハルのそっくりさんはミハルと手を合わせて組み合っている。
「マミのカチューシャを取って!」
「判った」
 私はテーブルの上を回って、マミの頭側へ回ろうとした。
「!」
「待ちなさい」
 ミハルのそっくりさんが、手で私の足を引っ掛けた。 
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 機械のところにぶら下げている操作ガイドをもう一度確認する。
 最初のやり方で間違っていない。
 最初の方法で、同じ扉から出ようとすると、やはり警備をセット出来ない。
 私は部屋をでて、棟の管理室に電話した。
「……そうなんです。警備を入れてもらえますか?」
『ちょっとまってください。全部閉まってますよね?』
「確認しました」
『やってみますから、待ってください』
 おい、坂井先生の研究室をセットしてみて、と小さい声で会話しているのが聞こえる。
 何か、ボソボソと話し声が続く。
『先生、まだどこか開いてるところがあるんじゃないかな? じゃなきゃ、人が残ってるとか。もう一回だけ見てもらえます?』
 管理室の人間がこっちにきて確認すればいいじゃないか。そう思ったが、言わなかった。
「……はい」
 開け閉めのポイントは全部見た。
 あとは居室に誰かいるかどうか…… まさか、いるはずがない。
 カードを操作して、もう一度研究室に戻った。
「やっぱり誰もいないじゃない」
 部屋をすべて見て、最後に自分の机に戻ってきた。
 警備機械が故障したんだろう。
 私が帰ろうという時に迷惑な話だ。
 ふと、目の前のディスプレイを見ると、動くものが写り込んでいた。
「だれっ」
 長い髪の女性だった。
 霧にプロジェクターで投影したような、オボロな姿だった。
 私はその光源を探して手を伸ばした。
『投影した映像じゃないの』
 そこから声がした。
 そんなバカな。私は振り返ってもう一度、消えているディスプレイを見た。私以外に、その女性の姿を写り込んでいる。私の幻覚ではない、ということなのか。
「話が出来るの?」
 女性はうなずいた。
「私に、読め、と言っていた人ね?」
『あなたのこの世界での命は短い。あなたの命のコードを結ぶ替りにあのコードを詠んで欲しいの』
「私はあの言語を読めない」
 女性は笑った。
『読める』
「読めない」
『ウソ』
 私は椅子から立ち上がった。
 何が根拠なのか示さない相手に苛立ちを憶えていた。
『私はあなたに継承してほしい。だから、あなたにコードを読む力を与えたのよ。その力を使ってきたくせに。今になってあのコードを読めない訳はないじゃない』
「……」
 女性は首をかしげた。
「どういう意味?」
『どのみちこの世界では生きられないの。遅かれ早かれ読むことになるわ。早く継承しないと、不利になるのはあなたなのよ』
 風で霧が吹き飛ぶように女性の姿が消え去った。
「ちょっと。話が出来るって言ったじゃない。 待ってよ!」
 私は叫んでいた。
 何を継承するというの? この世界で生きられないって…… 病気の事?
 私は力が抜けたように椅子に座った。
 あの女性の姿がただ発光しているだけではないとしたら、警備機械が反応したのかもしれない。
 気を取り直して警備機械の方へ戻る。
「警戒を開始します」
 私はため息をついて、ドアの方へ向かった。
 椅子に何かぶつかったような、ガタッという音がした。
「誰?」
 やっぱり部屋に誰かいたのだ。
 警備機械の近くに戻り、部屋の灯りをつける。
「誰? いるのは分かっているのよ」
 ガタッとまた音がした。
 どの椅子が動いたのかまでは分からなかった。机の影に隠れているに違いない。
 私はさっき読んだ警備機械の操作ガイドのことを思い出した。
「誰? 出てきなさい」
 ま、真下?
 私は足首をつかまれた。
 振りほどこうと足を動かそうとしたら、転んでしまった。
「林!」

「ミハル?」
「……」
「あなた、双子なの?」
「……そんな記憶ないわ」
「?」
 忘れたい、という意味だろうか。
 本当に双子ではないという意味なのだろうか。
「双子なの?」
「知らない」
「じゃあ、これって」
「……」
 黙ってしまった。
 本当に知らない、と考えるしかない。
 ミハルと関係ない人物だとすると、あまりに似すぎている。けれどミハルの関係者ならそれこそミハルが何か知っているはずだ。
「あっ、木更津に何かするみたいだぞ」
「カチューシャがもう一個ある」
「鶴田、マミの方を見せてよ」
 マミはぐったりしたように寝ている。
 何かを嗅がされたか、飲まされて寝ているようだ。
「さっきからずっとこうだ」
「どうしよう、どうやって隣に乗り込む?」
 コツコツと足音が近づいてくる。
「お客様、ボックスから手を出さないようにお願いします」
 注意の声が聞こえる。
 カーテンを開けられたら、私達がいることがバレてしまう。
「(ミハル、店員が来る。上に上がるよ)」
 ミハルは無言でうなずく。
 それぞれ、背もたれに足を掛けて急いで梁の上に上がる。上がった、瞬間に『シュッ』と音がしてカーテンが開く。
「お客様。今度ボックスから手が出たら……」
 鶴田が店員の方へ頭を倒し、上から木場田が鶴田のワキの下を舐めるように顔を入れた。
「ワキを責められて、つ、つい、てを伸ばしてしまったんです……」
「お気持ちはわかりますが、ボックスからは手を出さないようにお願いします」
「気をつけます」
 あまりに取ってつけたような良い訳だ、と思い思わず笑いそうになった。しかし、ここで笑ったら店員に気付かれてしまう。
 私は無理やり視線を変えた。
 そこではマミとミハルのそっくりさんがキスを始めていた。
「えっ!」
 思わず声を出していた。
 ヤバイ! 店員に気付かれた?
「ヴェ……」
 下で木場田が言った。
「ヴェっ!」
 店員はテーブルの下とかを見ている。
「なんか声が聞こえたような気がします。お客様、まだ何かしていませんよね?」
「その声て、アタイの声でしょう。ほら? ヴェって」
「……」
 疑っているような目線を木場田に向けたが、全く動じない木場田に諦めた様子だった。
「今度手をボックスから出しているのを見つけたら規約通り、3倍料金を頂いた上、退室してもらいますから。よろしくお願いします」
「気をつけます。ヴェっ!」
 カーテンを締める直前に、ものすごい目で睨み付けた。
「(それが客に対しての態度なのかね)」
 木場田は小声で言った。
 お前の、最後の『ヴェっ』が店員を苛立たせたのに気付かないのか、と私は思った。
「(それより)」
 マミの様子が気になっていた。
 もう一度、マミのいるボックスを覗き込むと、マミの頭には赤黒いカチューシャが付けられていた。
 そして舌と舌、唾液と唾液を交換するような、大人の、濃いキスが展開されていた。
 お互いの髪を手で絡め、胸やら太ももやらを触り放題触り合っている。
 私は嫉妬で頭が変になりかかっていた。
 背中の翼が勝手に広がろうと、ウズウズしていた。この翼が私にあることに気づいてから、こんな感覚になったのは初めてだ。
 不意に、ミハルのそっくりさんが私を見つけたように見つめてきた。
 そして、ニヤリ、と笑った。
 気付かれた? ならば……
 私が梁から降りようと体を動かすと、ミハルのそっくりさんがテーブルに置いてあるボタンに手をかける。ボタンは店員を呼ぶ為の装置と連動していて、押すと同時にボックスの番号が分かるようになっている。
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 見ちゃいけない、という意識から、素早く背もたれに足を掛けて梁に上がろうとした。
「ちょっと待て」
 足を引っ張られた。
 ソファーに落とされた瞬間、私は輪姦される、と思って拳を握りこんだ。
「よく見れば白井じゃねぇか」
「お前、何してんだ」
 聞いた声が二人。
 よく見ると、男の一人が木場田で…… もう一人は鶴田だった。
「あんた達こそこんなところを利用してるってどういうこと?」
「しーっ」
 口に指を当てられた。
「木更津が連れ込まれた」
「見たの?」
 鶴田がうなずく。
「どこか知ってる?」
「隣だよ」
 私は慌てて、這い上がろうとすると、また足を引っ張られた。
「慌てるな」
「場所がわかってるなら、慌ててよ。鶴田も黙ってないで。それとも、ほっとく気?」
「!」
 上から視線を感じる。
「誰?」
 もしかしたら、さっき足を引っ張ったヤツかもしれない。
「……」
 すると、木場田の横にするっと落ちてきた。
「館山!」
「ミハル!」
「あっちは見終わったの?」
 ミハルはうなずいた。
「隣にマミがいるんだって」
「……」
 ミハルは見えない壁を見通すかのように、睨みつけた。
「木場田、なんで隣にいるのに助けに行かないの?」
「隣は女の子どうしだ。何が起こるわけでもあるまい」
「女の子同士だってヤバイに決まってんでしょ? あんた達だって男同士で何やってたんだか」
「はぁ? 俺と鶴田はそんな関係じゃないぞ」
「店の人はそう思ってないでしょうね」
「とにかく! まだ何かしている様子はない」
「覗いてたの?」
「……まあ、そうだ」
 木場田はうつむいた。悪いことをした、という思いはあるようだ。
「ミハル?」
 テーブルの上に立ち上がり、木場田と私の前を抜けて、マミのいるブロックを上からのぞこうとした。
 木場田も鶴田もミハルから顔をそむけた。
「なんで私がすると足を引っ張るのにミハルの時はOKなの?」
「館山はスカートはいているからな。見上げたら見えちゃうだろ?」
 木場田がうつむいたまま、そう言った。
 ミハルが振り返って、するっと私の横に降りてきた。そして頭を抑えている。苦しそうな表情だ。
「……赤黒い、カチューシャ」
「?」
 何を言っているのか分からなかった。
 ミハルのカチューシャの事なのだろうか?
「カチューシャがどうしたの?」
 この赤黒いカチューシャが、緊箍児(きんこじ)のようにミハルの頭を締め付けるのだろうか?
 ミハルはマミがいる側のブロックを指さした。
「どういうこと?」
「ちょっと確かめるか」
 木場田がスマフォを取り出しながら言うと、鶴田もスマフォを取り出して何か操作している。
 鶴田はそのままスマフォをカーテンの下から、隣ブロックの方へ伸ばした。
 鶴田は、木場田のスマフォを指さす。
「えっと、これってテレビ電話?」
「そうだ」
「テレビ電話を使って隣を覗いてたの?」
「木更津が無事かどうかを確かめているのだ」
「常習的にやってんじゃないの?」
「それより、見ろ。赤黒のカチューシャだ」
「あっ!」
 赤黒のカチューシャというより、マミの向かいに座っている人物に驚いてしまった。
 赤黒いカチューシャだから、というだけではない。
 顔つきも体もミハル本人のようなのだ。
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 とにかく壁沿いのヤブをわけて進み、必死に出口を探した。
「どこだ、クソッ」
 私を探しているのか、見えない甲冑の男を探しているのかは分からなかった。
 ただ、自分が奥へと進む度に声が小さくなっているのは確かだった。
 足止めしてくれているのだ。
 ということは…… 幻聴や幻影ではないのだろうか?
 今の事実からするとそれしかない。
 けれど、タクシーは壊れてはいなかった。それはどう説明する?
「あった!」
 壁沿いに木製の扉があるのを見つけた。
 あそこから出れるに違いない。
 扉はかんぬきで閉じられていた。それを外す以外に出る方法はなかった。
 持ち上げてはずそうとするが、かんぬきになる横木が腐っているのか扉が悪いのか、がっちり擦れ合ってビクとも動かない。
「誰か……」
 こんなところに助けがくるわけもない。
 さっきの甲冑の男が助けにきたとして、その時は猟銃男もセットでやってくるだろう。
 門のサイドに背中をあずけ、かんぬきを足でおした。
『ズル……』
 もしかしたら、これでなんとかなるかも。
 私は片足だけでなく、両足をかんぬきにかけて蹴った。
「きゃっ」
 かんぬきがはずれ、私はそのまま門の床に落ちてしまった。
『ダンッ!』
 奥で大きな音がした。
 音の響きが違う。おそらく、さっきのように地面に散弾を打ち込んだのではなく、どこか狙ったところに飛んだような思える。
「まさか……」
 まさか甲冑の男が撃たれた?
 とにかくこの隙に私は逃げよう。逃げるチャンスは今しかない。
 打った背中の痛みを我慢して立ち上がると、重い門を押し開けた。
 門は通りより少し高いところにあり、急いで逃げようとして階段で転んでしまった。
 そのまま通りに転がり落ちると、体は泥だらけになっていた。
「!」
 タクシーを呼び止めようと、手を上げた。しかし、タクシーは一切減速せずに通り過ぎた。それだけではなく、道の泥を私に向かって跳ね上げた。
「こんな汚いのに載せてくれる訳無いか……」
 おそらく、タクシーはこの汚れた服をみて無視したのだ。
 研究棟ならシャワーも着替えもあったはずだ。
 私はタクシーで直接家に帰ることを諦め、研究棟へ走った。



「先生」
 体がしびれたように動かない。
「坂井先生」
 杏美ちゃんの声だった。
 またいつの間にか、あの|娘(こ)の体を求めてしまったのだろうか。
「坂井先生、そんなところで寝てると風邪ひきますよ」
 体が動かないのは、椅子を並べてその上で寝ていたせいらしい。
 上体を起こすと、テーブルの反対側に杏美ちゃんが立っていた。
「警備を入れて帰ろうと思ってたんですが、先生はどうなさいますか?」
「……」
「寝ぼけてます?」
「警備は私がセットして帰るわ、杏美ちゃんは先に帰って」
 亜美ちゃんが並べた椅子を回って近づいてくる。
「先生、お先に」
 顔を覗き込むようにしたかと思うと、軽い感じでキスされた。
「杏美ちゃん……」
 軽い笑顔で手を振って、そのまま部屋を出ていった。
 本人の気持ちではなく、こんなことを強要されているのか、と考えると、可哀想でならない。
 あの日私がスマフォの画面を見たことはバレていないということだ。
 亜美ちゃんがいなくなるのを確認して、警備の為に窓や扉を確認して回った。
 警備機械を操作して、カードを当てた。
「警戒を開始します」
 機械が音声を出した。
 部屋を出ようとして開けると、
「警戒を解除します」
 と聞こえた。
「?」
 操作を間違えたか、と思い、警備機械を操作して、廊下に出る扉を開けると、また『警戒を解除します』と聞こえてくる。
 おかしい。

「……これは失礼しました」
 カーテンの下へメニューを出して、写真の書いてある飲み物を指差して注文した。
「……以上ですね。承りました」
 ようやく店員が去った。
 私は慌てて自分の担当側のボックスを確認しようと背もたれに足をかけたところ、でふと考えた。
 店員はこんどは飲み物を持ってやってくる。
 その時返事がなければ、カーテンを開けられてしまう。
 反対側を調べに行っているミハルを確認しようと目をこらすが、何枚かのベニア板のせいでよくわからない。
 とにかく、ここは私ひとりで乗り切らないと。
 もう一度席に座って飲み物がくるのをじっと待っていた。
 どのみちマミを見つけたらこの店員をぶん殴ってでも外へ逃げ出すのだから、このボックスにいないことが判ったところでどうでもいいことじゃないか、と思ったりした。
 このボックスに居ないことが判っても、他のボックスのカーテンを開けて確認するのは客のプライバシーを侵害してしまう。この店で一番やっては行けないことのはずだ。
 いや、ボックスないに居ないことが判ったら、警報装置を鳴らして、総出で探し始めるかもしれない。そのまま梁の上を這って追いかけられたら、つかまってしまう。
 やっぱりそういう意味では時間を稼ぐべきだ。
 一人で葛藤していると、カーテンの下に店員の足が止まった。
「お客様。ドリンクをお持ちしました」
 カーテンを開けられると思った私は、自分から顔をだして店員からドリンクをうばうように取った。
「ありがとな」
「ごゆっくり」
 もう来んな、と心のなかでつぶやいた。
 空調のせいか、学校を出てからずっと何も飲んでいないせいか、私は喉が乾いて目の前に置かれたドリンクに口を付けた。
 一瞬、変な味がした。
 息継ぎでいちどグラスを置いてから、残りもするっと喉を通り過ぎた。
「はぁ〜」
 ミハルの分も飲みたくなったが、それはミハルが戻ってきた時の為に取っておこう、と思った。
 自分の側の椅子の背もたれを登り、梁に手をかけた。
 ボックスの壁の上に足をかけると、グラグラっと揺れた。
 これはちゃんとした壁じゃない。薄いのベニア板に補強の角材が入っているだけのものだ。
 どうりで揺れるし、隣のボックスの声とかも聞こえてくるわけだった。
 慎重に力を入れて、梁の上にまたがると、上り棒をのぼるように手足をつかって進んだ。
 そっと梁から顔を出して、下のボックス内の様子を確認する。
 女性が胸をはだけて寝そべっている。
 男がのしかかるようにして、片方の乳房に頭をのせている。おそらく、吸ったり舐めたりいるのだろう。
 片手は跳ね上げた太ももを撫でている。
 そのまま行為に至ってもおかしくない状態だ。
 喫茶店とかなんとか言っていたはずじゃ……
「!」
 一瞬、女性と目があった気がして、梁で顔を隠した。
 いや、これは、公然わいせつ罪とか、店側が公然わいせつほう助とかに問われても文句言えないんじゃないか?
 とりあえず、ここにはマミがいない。急いで次のブロックへ移動する。
 次のブロックも女性が横になっているかなっていないかが違うぐらいで、やってることは同じだった。
 はだけた胸元、くちづけ、あちこちをまさぐり合って声を上げている。
 ここにもマミはいない。急ごう。
 次のブロックに入った瞬間、梁から半身を滑らせてしまった。
 何かひっかりになるものを探す。
「!」
 人の頭を踏んでしまった。
「ん!」
 慌てて、ソファーの背に足を移す。
 このブロックの男女は完全に下半身が合体している。
 立ったまま、女性を抱っこしたような格好だ。知識としてこれを『駅弁』とかいうのは知っていたが、本当にしているとは……
 そっと、音を立てないように這い上がる。女性の頭を踏みつけたのか、男性の頭だったのかは分からない。
 ここもマミではなかった。いったいいくつブロックがあるんだろう。
 次のブロックへ進もうと、手足を使って梁を進もうとした瞬間、再び足が外れた。
 外れたというより、誰かが引っ張っている。
「!」
 足を見ようと身体をひねった瞬間、梁から落ちてしまった。
 落ちた時に、つかまれていた足も離された。
「うわっ!」
「いたっ」
 男性同士のカップルだったようだ。
「ご、ごめんなさい。ちょっと自分たちの席に戻ろうと思って」
「?」
「お前……」
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 動かなくていい、と言った。
 動くな、とは言われていない。いや、うごくな、とは言ったが、度胸をきめてと条件付きだ。
 このままじっと座ったまま死んでしまうのはいやだ。
 私は少し草木が払ってある方向へ歩きだした。
 すこし歩きだすと、空気の冷たさが心地よく感じてきた。
 歩いていると、木々の間に黒い木材で出来た建物が見えてきた。
 そんなに距離は離れていない。
 馬の歩く音や声、人の声もしない。ならば、その建物に行ってみよう。
 誰もいなくて、入れるなら、入って隠れよう。私はそう考えた。
 建物に近づいてくるとそれは大きなロッジだった。
 いかにも別荘風だが、使われている素材が全て黒く塗られていた。
 隙なく整然としており、管理が行き届いているように見えた。
 入れそうにない、と私は感じた。
 突き出しているベランダの下に入って身を隠そう、それならば問題ないだろう。私は下に潜りこんで、木の柱に背中を預けると、そのまま寝てしまった。



 気づくと、辺りは真っ暗だった。
 スマフォを見ると、夜半過ぎていた。
 充電の残りは後わずか。物音は何もしない。別荘風の建物には全く灯りがつかない。不在のようだ。
 ふとスマフォで地図をみると、さっきまで避暑地だと思っていたものが、研究棟のごく近所であることが分かる。
「うそ、こんな地名が」
 思わず立ち上がろうとして、ベランダの床に頭を打った。
 とにかくここを出よう。
 避暑地ならともかく、都心で迷い込んだと言い訳するのは無理がある。スマフォで照らしながら歩いて床下を抜けると、同時にスマフォのバッテリーが切れた。
 床下を抜けたとはいえ、ロッジ側からも灯りがなく、暗い庭をどうやって抜けてよいのか分からなかった。
 家側に戻って門を探すしかない。
 足元の起伏につまずきながら、よたよたと歩いていくと、家の反対側についた。
「そこまでだ」
 首筋に冷たい金属を当てられた。
 私は事態が飲み込めなかったが、両手をゆっくりと上げた。
「何のようでここに入った?」
 低い、男の声ようようだった。
 答えようのない質問に、どうやって答えろというのか。正直に答えるしかなかった。
「研究棟の庭を歩いていたはずだったのですが」
「研究棟? そこの大学か」
「ええ、理由はわからないんですが、迷ったようにここについたみたいです」
「残念だが、家の庭と研究棟はつながっていない」
 カチャリ、と首すじに当てられたものが音を立てた。
「待って、私をどうしたいんですか? この首に当てているのはなんですか?」
「知りたいか? 知りたきゃ振り返ってみな。ゆっくりな」
 腕を上げたまま回れば、もしかしたら。
 私はゆっくりと回り始めた。
 四十五度ほど回ってから、顔を後ろに向けると、首に当てられているのが猟銃のようなものだと分かった。腕を下から回り込ませて、向きを変えれば……
「そこで止まれ。見えたろう? それ以上回るならぶっ放す」
「待って待って、止まるから」
 今引き金をひかれたら間違いなく頭が吹っ飛ぶ。
 見えない時より、本当の猟銃だと判ったせいで恐怖が増したようだ。
「こ、殺してどうするの、何も持ってないわよ」
「不法侵入者は殺しても構わないだろう。死体は庭に埋めれば誰も探しに来ない」
「猟銃の音がすれば、死体じゃなくても警察がここにくるわよ」
「ここに警察が来たって俺には何も影響ない。俺の家でもなければ、この近所に住んでいるわけでもないからな」
「あなたも不法侵入じゃない」
 馬が走ってくる音が聞こえた。
 まさか、これは幻影? けれど、話している内容が甲冑の男が話しているような内容とは違う。
「たまたま俺は猟銃を持っていた。それだけの違いだな」
『その男の武器を叩き落とすから、走って逃げろ』
 甲冑の男の声が聞こえた。
「さて、前戯は終わりだ。|挿入(フィニッシュ)といこうか」
 男は急に猟銃を構え直した。
 間に合わない……
 ダンッ、と大きい音がして、何も聞こえなくなった。聞こえないのは死んだせいかと思ったが、目を開けると猟銃は地面を向いていた。
「なんだ? 何をした!」
『何をしている! 早く!』
 私の腕をつかもうとした男の腕が、払い落とされていた。
 それを見て、とにかく壁の方へ走り始めた。
 まだ、この塀のどこに出口があるのか分からなかった。

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