その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

2016年11月

 チアキの声で、来ないと思っていたマミの蹴り足に気がついた。
 のけぞるようにして、スレスレでかわすと、反動で飛び込んでみる。
「シャァッ!」
 空気が漏れているような声を出した。
 いや、声ではない。マミのものとは思えないような、音だった。
「!」
 足が戻るか戻らないかというタイミングで、拳の打ち込みが始まった。
 ギリギリ手の甲で払うことが出来たが、髪に手を伸ばすどころではない。
 倒す気でやらないと、こっちが殺られる。
 翼の力を使うわけにはいかない。
 本当に殺してしまう。
「マミ! やめ……」
 言いかけたところにハイキックが飛び込む。
 両腕で受けるように抑えるが、身体が飛ばされてしまう。
 こんなに体重差があるのか……
 ミハルが叫んだ。
「髪留めを取るのにこだわらないで! 壊せば機能は止まる!」
「!」
 そうか……
 取るつもりじゃなくて、打撃して破壊できれば。
「マミ、ごめん!」
 言って踏み込むと、マミの拳が顔にくる。
 それを頭を下げてかわすと、両手でマミのお腹を突いた。
「ぐぅっ……」
 腹部の痛みに頭が下がったところで、マミの髪留めを取ろうと、遠い方の手をのばす。
 マミが取られまいと髪留めを手で押さえた。
 これはフェイント。
「そこっ!」
 マミの手の上から思い切り頭を叩いた。
「パキンッ!」
 気持ちいい程の音が鳴った。
 マミが両手で頭を抱えて、倒れ掛けた。
 私は下に入るようにして、抱きとめる。
「マミ、大丈夫?」
 マミは目を閉じてしまった。
「マミ……」
 ミハルとチアキも駆け寄ってくる。
 マミの手を離してみると、髪留めは割れていた。
 手のひらが切れていて、血が滲んでいる。
「ごめん」
「……」
 マミは目を閉じたままで、意識がないようだった。
 どうしよう…… 強く叩きすぎたのだろうか。
「ごめんっ!」
「とにかく、ベッドに運ぼう」
 ミハル達ががやってきて、ベッドに寝かせる為に手伝ってくれる。
「謝るのはあなたじゃないわ」
 マミの身体を運びながら、新庄先生が言う。
「そうよ。先生の渡した髪留めのせいだから」
「チアキ……」
「先生が渡した髪留めのせい以外に考えられないでしょ?」
「……そうだね。確かに机の上になんでこれが出てるんだろう、と思っていた」
 マミをベッドに寝かせると、新庄先生が白衣のポケットから何かを取り出した。
「いつもの引き出しにも髪留めが残っていた。何者かが、こうなることを予測して、偽物を意図的に机に置いて行ったとしか思えない」
「そんな……」
「そんな今考えたようなこと信じられない。先生、あなたが一番怪しいんですよ」
 チアキがベッドの反対側にいる新庄先生を指差して言った。
「それは」
 『先生は私の味方』と言いかけたが、それを分かってくれるとも思えなかった。私達はそれぞれ変身する能力を持ち、通常の人間ではない、という話をしたところで、普通に考えれば、余計に怪しい。
 私が先生を信じ切るのは、助けてくれたからという事実があるからであって、それまではチアキと同様怪しいと思っていたのだ。
「……」
「私は先生を信じます」
 新庄先生は私を制するような仕草をした。
「そうね。疑われるのはムリもないわね。けど、この髪留めは私に預けてくれないかしら。髪留めの謎は必ず突き止める」
「証拠隠滅しようというんですか?」
「チアキ、そこまで言うこと……」

 霧。
 あたりを包み込む霧。
 それは二、三メートル先しか見えないほど、濃いものだった。
 その霧の中を一人の少女が歩いている。
 髪は肩のあたりで切りそろえており、どこかの学校なのか、制服を着ている。
 少女は、歩いているアスファルトの道路ではなく、左に分かれた農道の何かに気づく。
 確かに、鳥やカエル、川のせせらぎに混じって、人の息が聞こえる。
 少女はその分かれ道に立って、強くその方向を睨む。
 レーザーでも出すかのような鋭い眼光。
 すると、その方向の霧が晴れていく。
 霧をほうきで履けるなら、スッと払ったように、まっすぐ道が出来た。
「見つけたっ!」
 霧が割れた先で、男は息を切らせながらこちらを振り返る。
 男は作業服のような、グレーの上下を着ている。
「お前っ、許さないぞ」
 男の興奮して裏返ったような声。
 口で息をしながら少女の方へ歩き出した。
「逆ギレ?」
 ゆっくりと距離が縮まる。
 見ると男の方が明らかに背が高い。身長差三十五センチはある、体重差はどのくらいだろう……
 格闘をしたら明らかに不利だ。
「あなたこそおとなしくしなさい。もうすぐ警察がくるから」
 少女は、さっきと変わらぬ鋭い眼光。
 男を怖がる様子はない。
「俺は捕まんねぇんだよ。お前をぶっ倒して逃げるからな!」
 男は拳を振り上げて走りはじめた。
 その後ろを、霧がまとわりつくように追いかける。
「霧よ」
 祈りのような、囁くような声。
「うわっ……」
 まとわりついていた霧が、男の体に巻き付くように強く速く流れる。
 吹き付けられる霧は、体にぶつかると水になって、顔や手、服もびしょ濡れになっていく。
 あまりの風の強さに男は、顔を腕で覆う。
「なんでお前には…… この風が……」
 少女と男の間はほんの数メートル。なのにも関わらず、一方へ強く吹き付けるばかりで、少女の髪やスカートは揺れる程度だ。
 非科学的な力が働いているかのようだ。
 よく見ると、地面から白い煙のように、霧がどんどん舞い上がり、男の方へ吹き付けられる。
 今、まさにこの場で作られている霧であり、風なのだ。
 さっき男を見つけた時といい、この少女が霧を操っているとしか思えない。
「|亜夢(あむ)ちゃん、警察の人連れてきたよ」
 優しい声、というか、緊張感のない声。
 少女を亜夢と呼ぶ少女も、同じ制服を来ている。後ろが刈り上げているようなショートボブ。
 霧の少女、亜夢と呼ばれた少女は振り返る。
「|奈々(なな)まだ来ちゃダメ!」
 声が届いたのか、届かいないのか、奈々と呼ばれた少女は霧の中を走ってくる。遅れて警官の帽子がうっすら見える。
「あっ、亜夢ちゃん!」
「!」
 亜夢は、奈々に気を取られている隙に、男に背後から腕を回され、首を絞められてしまった。
 警官、奈々、亜夢、作業服の男。霧の中、全員が確認出来る距離に入った。
「こらっ、それ以上こっちに来るな」
 さっきまで男を襲っていた霧の流れはなくなっていて、また周囲の濃度を増していく。
「亜夢ちゃん!」
「君…… 小林恒夫だね。執行猶予中にこんなことをすると実刑になるぞ」
「うるさいっ! 近づくな、この女の首を締めて殺す」
 亜夢は強い力で体ごと持ち上げられ、どんどん後ろに下がっていく。
 霧が濃くなるのと、距離が離れていくせいで、奈々や警官がどんどん見えなくなっていく。
「亜夢ちゃん!」
 亜夢は再び霧を睨みつけた。
「またおかしなことを始めようとしてるな。だが、今度はお前を盾にしてやる」
「小林、こんなことやめるんだ。逃げ切れないぞ」
「だから近づくな!」
「奈々、近づかないで。言う通りにして」
 そう言いながら、ずっと上の方の霧を睨みつける。
「そうだ。そこでじっとしてろ」
 小林は亜夢の首に腕をかけたまま、ずるずると農道を後ろ向きに歩き続ける。
 霧は白色でその流れは分からなかったが、小林と亜夢の上空で激しく動いていた。
 警官と奈々の顔は霧の向こうに消えてしまった。
 向こうからこちらも見えないだろう。

「すみません」
 マミが頭を下げる。
「いいのよ。食事終わったところだし」
 新庄先生が立ち上がり、食事を片付け始めた。
「それより、どうしたの? また怪我でもした?」
「夢遊病ってわかりますか?」
「……ええ」
「まだそうかはわからないんですけど、寝ている時に動き回ってしまうようなんです」
 新庄先生は、食器を軽くあらって、トレイに戻した。
 そして四人の顔を一人一人ゆっくりと見た。
「木更津さん? が?」
 マミは小さくうなずく。
「もうすこし詳しく教えて」
 私達は知っている限りのことを話した。
 どうやら、まだそれだけで夢遊病とか、そうでない、とかの判断は出来ないということらしい。
 行動監視カメラを付けて、夜間のこうどうを記録してみるか、ということになった。
 本当に専門の医師に見てもらう前に、本当に寝たまま行動しているのか、ハッキリさせるべきだということだった。
 マミが手わたされたのは黄色くて、小さな髪留めだった。
「これを髪につけて寝て」
「こんな小さいものでなんとかなるんですか?」
「毎日充電だけしてくれれば、映像は残るわ」
「睡眠状態か、起きているのかも判断するから、ずっと付けていてもいいんだけど。充電の必要があるから、昼は付けない方が良いわね」
 私はじっと見ていて思ったことを言った。
「……あの、充電器は?」
「スマフォと同じよ? ここ? 学校のタブレットもあるんだし、何らか持ってるでしょ?」
 マミはうなずいてから、髪留めを眺め、言った。
「これ、防水ですか?」
「お風呂入っても大丈夫よ?」
「そんな意味じゃないんです。お風呂で撮影なんて、そんなこと……」
 新庄先生は呆れた顔をして言った。
「これ、睡眠状態にならないと撮影されないわよ?」
 マミは真っ赤な顔をしている。
 正直、その発言にびっくりしているのはこっちの方だった。
 新庄先生は、私を指さした。
「大体、そういうセリフは白井さんが言うもんじゃないの?」
「言えてるわ」
 チアキが同意する。
 ミハルはマミの手にある髪留めをじっと見ている。
「ん? ミハル。どうかした?」
「マミ。ちょっとそれ付けてみて」
「うん」
 鏡の前に移動して、手で髪を梳いてから、そっと前髪を抑えるように付けた。
「つけたよ?」
 マミが振り返ってそう言うと、ミハルは手を広げて皆を制した。
「なに? どうしたのミハル?」
「先生、これ、どこで手に入れたんですか?」
「ミハル?」
「見てっ。マミの様子が変」
「えっ?」
 チアキの言葉にマミの方を向くと、マミは、首と腕が脱力したように下がっていた。
 抑えていた前髪は抑えてあるが、髪もダラリと下がって顔の表情を隠していた。
 首が下がった状態から、突然顔だけ前を向いた。
 その姿が、一瞬、〈転送者〉のE体に思えた。
「マミっ!」
「キミコ、髪留めを外して」
「そんな馬鹿な…… 」
 新庄先生はいきなり机の引き出しを次々開いて、何かを探しはじめた。
「マミっ!」
 マミは全く呼びかけに反応しない。
 すこし近づくと、腕を素早く前に出してくる。
 まるで〈転送者〉のE体のような動きだ。
 マミは素手、だからその手がマトモにぶつかれば突き指をしてしまうだけで、ものを貫いて穴を開けたりは出来ないだろう。
 だからと言って、避けずに当たれば私だって痛いし、マミが可愛そうだ。
「マミ、髪留め外すの!」
 近づいては離れ、近づいては離れと動いて、なんとかマミの頭に近づくタイミングをつかもうとする。
 ミハルとチアキは私とマミを遠巻きに見ている。
「危ない!」

 きっと夢だ。
 これが真実だとしたら…… 私はいっぱい間違っている。
 ゆっくりとママの腰に手を回し、膨らんだ部分の感触を確かめる。
『柔らかい……』
 私とママは抱き合いながら回転し、私が上になった。
 少し腰をたてて、ママの太ももを挟むようにして腰を押し付ける。
 中の方のアレがピクンと反応する。
『あっ……』
 何度も何度もそこを往復している内、ママが急に抱きしめてきて、私の顔がママの胸の膨らみに押し付けられていた。
『んっ』
 ママもまるで私を受け入れたように足を大きく開いてきた。
 ママも私に性的なものを求めている。
 そう思った私は、ママのふとももをなで上げながら、一番柔らかい部分に指を当てた。
 もう一度ギュッと抱きしめられると、そのままぐるっと回り、今度はママが上になった。
 強く腰を押し当てて、擦るように腰を動かし始める。
 
 
 
「気持ちいいよう……」
 聞き覚えのある声だった。
 ギシギシと、ベッドが音をたてていた。
「!」
 目を開けると、マミが私の上に馬乗りになり、私の手に腰を押し当てていた。
「はっ、はっ…… 」
 マミが声を飲み込むように唇をかみしめたかと思うと、急に上体を重ねてきた。
 それからマミは私をギュッと抱きしめて、気持ち良さそうに寝ている。
 私は驚きを隠せないまま、されるがままにしていた。
 こっちも抱きしめ返したかったが、マミが目覚めてしまったらどうなるのだろう、と思うとお怖くて何も出来なかった。
 ママで性的な処理をしようとしていた自分が、目の前にいる一番好きな人を気持ちよくしている。
 絡まったままの足と、押し付けられたマミの体を感じながら、私は気持ちよくなっていた。
 マミもつかれたように仰向けになると、私はマミの幸せそうな寝顔を見て、布団を掛け直す。
 その顔を見ているうちに、私も寝てしまった。
 
 
 
 次の日の昼休み、マミが今朝のことを聞いてきた。
「あたしさ、キミコのベッドに入った記憶無いんだよね」
 私が何か返す前に、まず、チアキが食いついた。
「えっ、一緒に寝てたの?」
「そうみたい。起きたら隣にキミコの顔があったから」
「チューとかしたの? チューとか?」
「チューって、いつの時代の表現よ」
 私は照れ隠しにそう言って、ちょっと時間をおいてから言った。
「私がベッドに入った時、誰も居なかったんだよね。けど、ベッドの中は暖かったの。おトイレとか行ってたんじゃない?」
「私も、最初から下で寝てた訳じゃないし…… そこが分からないのよ」
「そういや、あんた、寝る時部屋に居なかったじゃない。どこにいたのよ?」
 マズい。まあ、だが、そこに気づくのは普通だろう。
「ちょっと先輩の部屋を回ってたのよ」
「そんなのアリなの?」
「どうでもいいでしょ? 寮にいたんだから、いいじゃない」
 寮に居たことになっていれば、チアキが騒ぎたてても問題にはならない。
 寮から出ていった、なんてウワサがたってはまずいのだ。
「寝る時はみんな自分のベッドに入ってたよね」
「そう。私も上で寝てたと思うから、いつキミコのベッドに行ったのか記憶はないの」
「夢遊病」
 ミハルがボソリと言った。
「何それ?」
「寝てるのに、まるで覚醒時のように行動しちゃう病気。子供は良くそうなるんだけど……」
「子供って、どれくらいの?」
「私も、成人してないっていみじゃ、子供よね?」
 マミは自分が病気ではない、と思いたいらしい。
 ミハルがスマフォで何か調べている。
「……小学校までみたい」
「……」
 どう反応してよいかわからなかった。
 どんなものだかが分からないし、重いのか軽いものなのかもわからない。まさかぁ、とか、すぐ治るよ、とか気安い返事がアダになるかもしれない。
「そうだ、まだ昼休み時間あるし、保健室。本来、こういう相談するところでしょ?」
「……」
「マミ、行こう」
「う、うん」
 四人は連れ立って保健室へ行った。
 新庄先生は、保健室の机で食事を取っていたようだ。


『水晶のコード』が終わりました。

ちょっとだけプログラムとかに関わっていたので、そんな力があるといいなぁと思っていた話です。

コードの悪いところ、いいところがスッと頭に閃いてくるような。

将棋の何手先まで読めるような。

ソフトウェアに対して、そういうことが出来る人を描きたかったです。

まあ、もうちょっと異能を使える話出来れば、もっと良かったかもしれないですが……

それは何か別の時にまた書くことにします。 

ご愛読ありがとうございました。 

 
 
 
 私が読んだ水晶のコードにより、世界中の水晶の動きが変わってしまった。
 存在する水晶が発振しなくなったのだ。
 この|性質(コード)がもたらす変化は致命的なものだった。
 水晶が作り出す矩形波が、デジタルデバイドの肝になっている。
 コード管理プログラムも、その大きな混乱によって、私が消え去ることと、女王がこの世界に転生することを追うことは出来なかった。
 世界に起こる大規模な混乱をただ見つめるしかできない。
 発振しない水晶は、全世界のコンピュータを停止させた。
 D−RAMは記憶を失い、狂った電子回路は磁気記憶装置や、不揮発性メモリにも傷を付けた。
 コンピュータで制御された航空機がコントロールを失い、コンピュータでやりとしている通信はすべて意味のないものとなった。
 重要な取り引きが失敗し、航空機を始めとする電子制御の乗り物が事故を起こした。
 墜落に次ぐ墜落。
 衝突、停止、事故、事故、事故……
 私がこの世界から消えつつある間、世界中の悲鳴を聞き続けていた。
 通信が出来ない為に、他の誰かが、今、どうなっているのか、知るすべもない。
 世界中の大事故は報道出来ないし、自分が載っている飛行機が落ちていくのかもわからない。
 水晶の棟で、中島所長は目の前の情景を見て、自分がなぜ猟銃を持って、上条を撃ち殺したのかを考えた。
 ついさっきまで覚えていた、そんな気がする。
 大切なものの為に……
 それ以上の考えが出てこなかった。
 大切なもの……
 それは何だったのか、思い出せないでいた。
 部屋を出ようと、カードリーダーにカードを当てるが何も動作するようすがない。
 水晶のコードが書き替わり、コンピュータが動作しないことが原因だった。
 中島所長にはそれを知る由もない。
 私は消えかかったている世界の中で、中島所長に手を伸ばしたが、消えた。
 
 
 
 私は突然玉座に現れた。
 女王との交換が終わったのだ。
 私にとっての、新しい世界。
 目の前に、黒服の老人が膝をついていた。
 前世で経験した記憶が蘇ってくる。
 まずい。
 この老人は、私を消そうとしている……
 老人が顔を上げるとニヤリと笑い、こう言った。
「あなたを女王とは認めない」
 すると、老人の背中側にいた者が、さっと長い筒をこちらに向けた。
 銃だ。
「やめなさいっ!」
 言ってもどうにもならない、そう思っていたのに、その言葉が口をついた。
 バンッと大きな音が広間に響いた。
 し…… 死んだ?
 私は胸に手を当てた。
 目の前に、もう一人胸に手を当てている人物がいた。
 それは黒服の老人だった。
「何故……」
 弾丸は貫通していないものの、背中に大穴を開けていた。
 吹き出した血が、老人の足元、そして撃った男の方へと流れていく。
「何故裏切った……」
「初めから裏切っていませんよ。あなたに仕えるものはもういない」
 黒服の殺し屋が、顔を覆っていた布を取ると、老人は最後の力を振り絞って指さした。
「お前…… か……」
 老人はうつ伏せに倒れ、起き上がることはなかった。
 長い筒を持った男が代わりに私の前にやってきて、ひざまずいた。
 私は男の声に聞き覚えがあった。
「危機を救ってくれてありがとう」
「当然のことです」
「前の世界で救ってくれた甲冑の男はあなたですね?」
 男は小さく頭を下げた。
「この世界に来たばかりで、わからないことだらけです。これからも助けてくれますか?」
 男はもう一度、頭を下げた。
「お願い、顔を上げて。普通に話せる人が必要なの」
 男が顔を上げた。
「ほらっ」
 手であおぐように仕草すると、男はゆっくりと立ち上がった。
 私は指で男の脇腹をつつき、言った。
「笑いなさい。女王の命令よ」
 意味がわからない、と言った感じに戸惑っていたが、しばらくすると男はニッコリと笑った。
 世界を水晶のコードで破滅させてしまった過去、女王の代わりとしてやってきたこの世界の未来。二つの巨大な不安に押しつぶされそうだった私の気持ちが、男の笑顔でほんの少しかもしれないが、救われた。
「さあ、行きましょう」
 そして私は玉座から、この世界での初めての一歩を踏み出した。



 終わり



 

「そうだ。おそらくまた、今回のような〈転送者〉の先行調査の依頼がくる」
 私は車を下りて、鬼塚の目を見た。
「はい。その時は学校に話は通してもらえるんですね?」
「ああ。今日のことももし何か問題になったら俺の名前をだしていい」
 私はうなずいた。
「また尻もちつくなよ」
 その時、今着ている服が新庄先生からの借り物であること、自分が着ていた服を汚してしまったことを思い出した。
「あっ、忘れてた!」
「新庄が学校で返すって言ってたぞ」
「えっ、これで寮には帰れ……」
 鬼塚に言ってもしかたないことだ。私は言いかけてやめた。
「この穴から戻ったら、また汚れちゃう」
「それもそうだな」
 鬼塚がベルトを外し、シャツとスラックスを脱ぎはじめた。
「な、何するんですか?」
「俺が下に入るから背中をつたって行け」
 鬼塚がパンツだけになると、素早く穴の中に入っていった。
 ちらっとだが、股間を見てしまった。
 あんなふうに膨らむものなんだ…… と思った。サイズはよくわからなかった。
 そもそも鬼塚は二メートル二百キロの男だ。
 穴を覗き込むと、力の入った足が突っ張っていた。
「乗っていいんですか?」
「ああ」
 私はよく考えもせず、穴の縁から踵のあたりに飛び降りた。
「おいっ!」
「ご、ごめんんさい」
「乗ってくるにしたって、場所ってもんがあるだろう」
「痛かったですか」
「まあ、いい。早く寮に戻れ」
 頭を下げて、鬼塚の背中を伝い、肩のあたりまで這っていく。
「そこで止まれ」
 鬼塚がゆっくり穴の中で立ち上がると、私はそのまま寮の側の穴の外にでた。
 ゆっくりと、寮の中に足をつけると鬼塚が「じゃあな」と言って穴の中に戻った。
「雨が入らないように、蓋をしておけ」
「はい」
 休みの日とかに、ここに蓋をしにこないといけないな。ポリバケツの蓋とかではとても塞ぎきれない。かなり大きなものを探してこないと。
 私はスマフォで、そこの穴の写真を取ってから、寮へと歩いた。
 寮監がいれる暗証番号を覚えていて、それを入れると寮の通用口の扉が開いた。
 そっと開けて、頭だけ中に出して、周囲に誰もいないことを確認する。
 靴を脱いで寮に入り、下駄箱に脱いでいた服の袋を取って、部屋に戻った。
 部屋の灯りを付けずに、袋に入っていた部屋着に着替えた。
 二つの二段ベッドがあり、奥の二つにはミハルとチアキが寝ているのが見えた。
 着替えを同じ袋に入れて、明日、学校に持っていくようにバッグに入れた。
 そして、自分のベッドに入った。
 温かい。
 なんか変だ、と思い、目を見開くが誰もいない。
 あちこち手を伸ばすが、誰かが寝ていたように範囲が温かい。
 確かにこれはベッドの下の段で、こっちは私とマミの方だった。
 うん。問題ない。
 疲れと怪我、ベッドに残る温もりのせいで、私はあっという間に寝てしまった。
 
 
 
『ママ……』
 空港で手に入れた、過去の動画。
 映っていた母親の姿が、今、まさに目の前に横たわっていた。
『ママ……』
 話しかけても、声は返ってこなかった。
『キミコだよ? 覚えてる?』
 横たわっている女性に触ることが出来た。
 ママだよね…… ママだ。
 良かった…… 生きてた。
『ママっ!』
 何かが間違っている。
 ずっと…… ずっとどころか、何年も会っていないはずだ。
 ここは女子寮で、母親が入ってくることなど……
 けれど私は抱きしめていた。
 おしつけた腰と、絡めた足が暖かくて気持ちよかった。
『ママ……』
 ギュッと抱きしめると、その柔らかい体を感じた。
 心地よさと性的な興奮を母に求めている??

 顔には格闘のせいか、あちこち血が滲んでいた。
「上条」
「所長もいらっしゃいましたか」
「何を持っているの? 気でも狂ったの」
「ええ、この坂井という女が、毎日毎日ネチネチネチネチと嫌味を言いやがるから……」
 扉がしまると、また軽い音がして錠がかかった。
 私は立ち上がって、部屋の奥へ逃げた。
 もう少し……
「犯罪よ、猟銃なんて」
「いいんですよ。もう一人殺してしまったから」
「!」
 立ち上がって止めようとした所長を、銃身で殴りつけた。
「ほら、止まりな坂井先生。止まらないと所長を撃ち殺すぞ」
 机の上にうつ伏せにした所長の後頭部に銃を突きたてた。
「止まって、こっちに来るんだ。めちゃめちゃにしてから殺してやるから」
 私はゆっくりと上条に近づいた。
 見えている風景に、オーバーレイして文字が浮かび始めている。
「ほら、自分でパンツおろして、ケツを向けろ」
「そんなことさせない!」
 所長が体を起こそうとした瞬間、上条は背中に肘打ちをした。
「うぉっ……」
 手にかけていた高電圧を発生する装置を上条に押し当ててスイッチをいれたのだ。
 しびれたように銃を離したが、上条が体を震わせたせいで、装置を落としてしまった。
「ちっ、なに……」
 上条は気を失うほどではなかったが、仰向けに倒れていた。
 今しかない。私は逃げようとして扉に走った。
 そして扉のノブを回すが開かない。
「そうか」
 カードを当てるが、エラーの音がする。
 そうだ…… この部屋に入る時、所長がカードを当てて私はカードを当て忘れた。
 入る、と、出る、が一致しないと開かない……
 またあのエラーだ。
「この棟の設備が俺の味方をしたようだな」
 足を引きずるように上条が近づいてくる。
 猟銃男との格闘で怪我をしたのだろうか。
「まさか先生が、あの高電圧の装置を持っているとは思ってなかったよ。落としたのは知ってたけど」
 私は両腕を取られて上に上げられた。
 そのまま上条が扉へと押してくる。
 顔が近づく。
 水晶のコードが…… 見えない。
「私に恨みがあるんじゃないの?」
「恨んでいるさ。もう何度も説明したろう」
「そんな人の顔に口づけ出来る神経が分からない」
 上条が左手を離したかと思うと、そのまま平手打ちをした。
「こうして欲しいのか? これなら満足か?」
 その左手がポケットに入ったかと思うと、カッターを取り出してきた。
「俺に無理やり口づけされる方が屈辱かとおもったからそうしようと思っただけさ。お望みならもっと暴力的に振る舞うことも出来るぜ」
 刃先を下に向け、私の襟元に差し込んだ。
 繊維が切れていく音がする。
「殺す前に楽しませてもらうから」
 カッターがお腹の下あたりまで切り裂くと、上条は私の服を両手で開いた。
「へっ…… へへっ……」
 私は自由になった右手で上条のほおを叩いた。
「ふざけんなよっ」
 上条の拳が、私のお腹に叩き込まれた。
 苦しくて体を折り曲げながら、床に倒れた。
「おとなしくされるままにしろ」
 あっ…… す、水晶のコード。
 私は無意識に読みはじめた。
 上条は私の下着を外し、自身の下着も脱ぎはじめた。
 私はその上条の頭から足先までにずっとオーバーラップして見える、水晶のコードを読み続けていた。
 声には出ていない。しかし確実のそのコードが読まれて、実行されていくのが分かる。
 上条は私の足の間に体を寄せてきた。
 その時、大きな音がした。
 上条の体が、血まみれになって私の上に倒れ込んでくる。
 大きな音のせいか、音が聞こえない。
「(帰ってきて)」
 所長はそう言ったようだった。
「(必ず戻ってきて)」
 猟銃をもったまま、所長は泣いていた。
 私は水晶のコードを読み終えると、この世の意識が消え去った。

 確かに体が軽かった。
 さっきの痛みがなくなっている。
「ほ、ホントだ」
「(あなた回復力が強いのかもヨ。つまり凄くエロい)」
 私は新庄先生にそんなことを囁かれて顔が熱くなるのを感じた。
 先生と私は体を重ねたまま、眠ってしまった。
 
 
  
「なに?」
 ものすごい音がして私は目が覚めた。
「ヘリでしょ。軍が来たのよ。さ、ちゃんと服を着て」
 先生と私は車を下りて、鬼塚刑事のところへ駆け寄った。
 かなりの数のヘリが順に着地しては隊員をおろし、再び飛び上がっていく。
「どうなったんですか?」
 ヘリのローターが回る音が大きく、大声でたずねる。
「ようやく軍がついたのさ」
 鬼塚は地下の方を親指で示すと、続けた。
「軍は地下にいる〈転送者〉はデカイものじゃなく、まだ、パーツと判断したようだ」
「パーツ?」
「全部が繋がって、大きなドラゴンのような形だったり、巨大な蛇にはなっていないとの判断だ」
「間違いないんでしょうか」
「多分、その判断は正しい。あの大きさのものを初めから転送できるゲートはない。あれは、小さいものがいくつか繋がったのさ」
 確かに私が足を突きたてたぐらいであの尻尾は退却した。
 巨大なものの一部なのだとしたら、あの痛みは小さく感じるだろう。それに、大きければここを抜け出している。おそらくこの地下にまだ閉じ込められている事を考えると、その推測は正しそうに思える。
「しかし、〈転送者〉のパーツに対抗するにしては大規模な部隊編成だ。念には念を入れてということだろうが…… 失敗は許されないからな」
 新庄先生が鬼塚刑事の横に立った。
「それで、帰れるの?」
「ああ…… そうだな。ちょっと確認してくる」
 私は不安に思ったことを新庄先生にたずねた。
「あの…… 軍のサポートをしろとかってことには……」
「ならないわ。私達が特殊な能力を持っていることはバレているけど…… 隊員が知って良いレベルのことじゃない」
 それを聞いてホッとした。
「ほら、帰っていいみたいよ」
 軍の指令部が出来つつあるあたりで、鬼塚が大きな腕でマルを作ったのが見える。
「ここで夏、合宿する予定なんですけど……」
「夏? どうだろう。今日の作戦が上手く行けば、じゃない? さすがに地下でドラゴンが出来つつある建物に学生が入り込むことはないわ」
「作戦がうまくいくといいな」
「大丈夫でしょ。〈某システムダウン〉と時が最大の危機だったのに、未だに人類は負けてないんだから」
 その言葉に少し安心した。
 これまでだって、私が知らないだけで何度も危機的状況になったに違いない。
 それを乗り切ってきたのだ。
「さあ、帰ろう」
 鬼塚が言うと、全員が車に乗り込んだ。
 山咲がエンジンをかけると、隊員が誘導を始めた。
 車がセントラルデーターセンターのエリアを出ると、大きなカーブがあって、高速道路に入った。車は、一般車線を他の車と同じように走った。
「すまんな…… 帰りは緊急車両じゃないんだ。寝た方がいい」
 一定のリズムで振動がくるせいか、私は後部座席で寝てしまった。
 目が覚めた時は、鬼塚刑事の車に乗り替わっていて、新庄先生も居なかった。
「あっ……」
「目が覚めたか?」
「〈鳥の巣〉のゲートは?」
「俺が抱えて通過した」
「ご、ごめんなさい」
「よく寝てたからな」
「重かったでしょう?」
「俺が何キロあるか知っているだろう」
 鬼塚は、寮の壁沿いに車を走らせていた。
「あの壁の穴のところでいいのか?」
「はい」
「寮監に話をしてやってもいいが」
 私はスマフォで時間を確認した。
「寮監を起こすと面倒なんで……」
「今度は正式に来てもらうことになるだろう」
「……新庄先生の代わりに、ですか?」
 鬼塚は車を止めた。
 先に下りて私の方のドアを開けた。

 まるで探し当てようというかのように、手を押し当てたまま上下、左右に動き回る。
「痛い?」
「……手が、手が当たっているとなんか楽な感じがします」
 言っている間も、さするように手が背中じゅうを動き回る。
「そうね。何かそういうものはあると思うな…… あのさ……」
「なんですか?」
「舐めても…… 舐めてもいい?」
「えっ…… どういうことですか?」
「患部を、ね。確かめたいの」
 先生は私の方に体を寄せてきていた。
 お尻の側に座り、体をのせるようにして、顔を背中に近づける。
「どう?」
 何かが触れた感覚が無かった。
 息がかけられた、という感覚の方が強く感じた。
「い、今、舐めたんですか?」
「……もしかして、感覚がない? もう一度、やるわよ」
 スーッとお尻の上当たりから、首筋に向かって息がかかったような感じがした。
「ちょっと脱いでもらっていいかな」
 私が返事もしないうちから、先生は上着を完全に取り去り、ブラも外していた。
「あっ…… あの……」
「あっ、乳首たっちゃったのね」
「恥ずかしいから触らないでください」
 先生は耳元で囁いてきた。
「(小さいけど感度はいいのね)」
「あっ……」
「(耳も感じるの?)」
 体がしびれたように反応した。
 先生の興味が私の反応の方に移ってしまったような気がする。
「ごめんごめん。もちろん背中の痛みの方を診るわよ」
 ぺちゃぺちゃ、と舌と唾液がつくる音が聞こえる。
 ほのかに暖かさを感じ、ようやく背中が舐められているように思えてきた。
 たまに、舌が止まると、その場所に唇を押し当て、吸ってきた。
「あっ、あの…… 吸うの止めてくださいっ」
「やあね。これは私の治療なのよ。毒を吸い出すわけじゃないけど、吸ったりすることで体に刺激を与えてるの」
 また、ずずっと、むしゃぶりつくように吸ってくる。
「少し趣味的な要素もあるんだけど」
「あっ…… 止めてっ……」
「その反応がね…… さらにやってと言っているようなのよね……」
 痛みと関係のない首筋に吸い付いてきて、先生は私の背中に体を合わせてきた。
 背中にあたる、柔らかい部分が、温かい…… って、えっ?
「先生、いつの間に脱いでたんですかっ!?」
 私は体をねじって確認しようとして、背中を痛めていたことを思い出した。
「痛っ……」
「ほら…… じっとして。大丈夫だから」
 唇がそっと当てられ、首筋を吸われた。
「あのっ……」
 新庄先生の手が、私のパンティへ差し込まれる。
「あのね。これは治療なのよ」
 谷間へと二つの指がスッと入ってくる。
「本当ですか?」
「信じてないの?」
「背中を撫でていた時は信じてましたけど……」
 指で中の部分を挟んで来た。
 ブルッと軽く指が震えると、私の声も震えた。
「(あっ…… んっ)」
 一方の手が胸の突起にたどり着く。
「(だって…… そんな……)」
「この気持ちの力って侮れないのよ」
 なに? なにの気持ち? 考えられない……
「(あっ…… んっ)」
「あなたの治癒の力を引き出しているの」
 気持ちいい以外にこの行為に何か意味があるとでも……
「(んっ、んっんっ…… あぁ……)」
 先生の手も激しく動きはじめて、息が切れている。
「ふぅ」
「(はぁ、はぁ、はぁ)」
 私もいつの間にか激しく呼吸して、息が切れていた。
「どう? これでだいぶ楽になったんじゃない?」
「(そ…… そんな…… そんなわけ…… はぁ…… はぁ……)」

 しかし状況は変わらない。
 エレベータはどんどんフロアを上がっていく。
「逃げないと、この建物から逃げないと」
 緊急ボタンを押して、停止させようと思った時に、エレベータが止まった。
 ゆっくりとエレベータのどドア開くと、廊下の先に所長が立っていた。
 所長はうつむいて、髪が顔にかかっていた。
「まさか……」
「私が呼び出したのよ」
「所長、今どんな人が入り込んでいるか……」
「知っているわ」
 所長は顔を上げた。
 長い髪から顔が見えた。
「猟銃を持った男、そして復讐に狂った上条くん」
「じゃあ、なんで……」
「知世。あなたははどこに行こうとしているの?」
「な、なんのことですか?」
「動揺してる」
 何故、そんなことが分かるのか……
「分かる訳ないのに」
 そうだ、分かるわけがない。カマをかけられたのだ。
「しまった……」
「やっぱり。相当遠いところなのね。もう帰ってこないつもり」
「……」
「どうして私に言ってくれないの?」
「信じてもらえそうにないからです」
「信じられないかもしれない。けれど話してほしい」
 所長は近づいてきて、手を握った。
「あなたを愛しているから」
 息が止まったような気がした。
 胸が締め付けられるような感じがして、息が出来ない。私は中島先生の愛を受け続ける、可愛い女ではいられない。
 それに、この世の死を受け入れられない。
 所長はハンカチで私の顔についた血を拭った。
「水晶のコードです」
 ハンカチを持つ手がとまった。
「水晶のコード? 今作っている、光ファイバーのことを言ってる?」
 言い換えをして言葉としては伝えることが出来るかもしれない。
 けれど、信じてくれるかはわからない。
 やはり無理だろうか。
「続けて」
「私達の世界を、コードで読めてしまう力」
「コード? さっきからのコードは、ケーブルじゃないのね? 記号か暗号か…… ソース・コードのこと?」
 私はうなずいた。
「ソースコードで読み、書き換える力があるんです。その世界の人達から、命の交換を申し込まれました」
「命の交換?」
「私がその世界に行き、その世界のある人物がこちらの世界にくる」
「……」
 所長と私は、研究室へ入り、向き合ってお互い椅子に座った。
 所長は肘掛けに腕をのせ、あごを手のひらにのせている。
 何か考えているようだった。
 信じられる話ではない。
「そんなこと、信じられない」
「ええ、でも……」
「もしあなたがその力をもつ世界にいくのなら、こちらに戻ってこれるじゃない?」
「コード管理プログラムに排除されてしまいます」
「何それ?」
「この世界を裏で管理するものです。もしこちらの世界のコードを書き換える力がどんどん働き出したら、物理法則も何もかも崩壊してしまいます。それらを守るものがいるのです」
 所長は笑い始めた。
「あなたがファンタジー小説を読んでいるのは知っているけど。そんな馬鹿げた話……」
「私は本気です」
 私は苛立ち、所長の言葉を遮るようにそう言った。
 そう言うと、うっすらとだが、見えている風景が変わってきた。
 もうすぐ水晶のコードが読み出せる……
 多分、後何分もかからないだろう。
「!」
 部屋外でカードリーダーの音がし、錠が軽い音をたてた。
 扉が開くと、そこから長い銃身が現れた。
「ひっ……」
 銃身が動いて、扉が全開すると、男がたっていた。

『痛いけど…… 大丈夫』
 この細い通路では、私の翼はこんなことにしか使えない。
「大丈夫か、白井、新庄」
 その声を聞いて私は翼を消した。
 そして、仰向けに寝転がる。
「私は大丈夫、この|娘(こ)が、白井さんが……」
 新庄先生が私を抱き上げ、抱きしめてくれた。
「尻尾、爪のある指。ここにいるのはドラゴンなのか?」
「ちょっと、白井さんの心配をしなさいよ」
「俺と白井で、ダメージは与えた。尻尾もすぐには戻ってこないだろう」
 私は目を閉じた。
 
 
 
 一定のリズムで揺すられていると、子供の頃を思い出す。父のお腹の上に、布で出来た椅子のようなもので縛り付けられていた。
 目が覚めて、騒ぐとおろしてくれた。
 青白い光が外で光っている。
 私は目を開けた。
「そこを右に行くのか?」
「図面上はそうね」
 二人でスマフォを見ている。
 体の感覚がハッキリしないが、どうやら私は鬼塚刑事の背中にいるのだ……
 私は再び目を閉じた。
 目を開いた時には、地上に出ていた。
 待機していた山咲が、車を回してきた。
「無事で良かった」
「あまり無事じゃないのよ」
 新庄先生がそう言うと、山咲の表情が固くなった。
「地中にいる〈転送者〉はかなり大型のものだ。さらに言えば冷却で冬眠していない」
「……」
 私は背中の痛みが強くて、背中を丸めて、シートに横になっていた。
 鬼塚は自身をスマフォで指を動かしている。
 新庄先生はそれを見て言った。
「何やってるの?」
「報告だ」
「そんなことより車をだして」
「軍がくるまでここを離れられない。報告しなければ軍は来ない」
「簡単な説明ね」
 先生はチラリと私を見た。
「それで報告はいつ終わるの。報告したら軍はいつ来るの?」
「報告はもうすぐ終わる。軍がくる時間は難しいな…… おそらく相当の数が必要になる。時間は掛かるだろう」
「全員来るまでいるの?」
「そんなことは無いが…… ある程度目鼻が立たないと、離れられないだろうな」
「白井ちゃんをどうするの?」
「瀕死というわけはない。何なら、お前がなんとかしろ」
「……」
 先生がこちらを見る。
「具合はどう?」
 背中全体から痛みが上がってくる。体を動かす度に、痛みが走る。
「鬼塚刑事。ここじゃない場所で、横になるところはないの?」
 鬼塚は〈セントラルデータセンター〉を見上げる。
「中に入るぐらいだが、今、許可はおりない」
「……」
 また先生がこっちを見る。
 あごに指をあて、言葉を探しているようだった。
「じゃあ…… こう、二人は下りてもらって、車から離れてもらえないかしら。白井さんには治療が必要よ」
 鬼塚刑事があごで、運転席の山咲に指図すると、車が動き物陰にとまった。
 そして、鬼塚と山咲は二人して地下入り口の詰め所の方へ歩いていった。
「体を伸ばして寝ていいのよ」
 新庄先生は後部座席を見る向きに運転席と助手席の間に腰をおろした。
 私は体を伸ばして仰向けに寝転がった。
「んっ……」
「背中? ちょっと待って。背中見せてもらってもいい?」
 ゆっくりと寝返ると、新庄先生はするすると私の上着をスルスルとわきのしたまでまくり上げた。
 先生が背中に手をあてる。
 温かい。
 触れた部分は痛みが和らぐような気がした。
「見た目は何もなってないのね……」
 やっぱり、という感じだった。
 おそらく自分の体もそうなのだろう。
「痛めた部分って、内に隠れてしまっているのよね」

「銃は渡さんぞ……」
 銃口を向けて、上条の鼻に突きたてた。
 上条はゆっくりとのけぞった。
「気をつけて、電撃が出来る機械を隠しているの」
「出せ」
 手を上げている上条は首を振った。
「そんなものない」
「あるの。さっき私はそれにやられた」
「女、お前が探せ」
 猟銃男があごで指図した。
 私はゆっくりと近づいて、とまった。
「だめ、私を盾にされてしまう」
「お前も言うことを聞かないな?」
 猟銃男は足で私を蹴り飛ばした。
「銃口で、アイツの上着をめくればわかるから」
「ふん……」
 私は尻もちをついたまま、二人の様子をみていた。
 銃口が下げられ、上条の上着をまくりあげていく。
 するとホルスターが見えた。
 男は完全にそれを銃口で指すまで上着をつついている。
「これ。これはなんだ」
 上条はとっさに脇をしめ、銃身を脇のしたに挟んだ。
 バンッ、と音がしたが、銃は上条の脇のしたに挟まれたままだった。
 背後にあった、壁やガラスが割れる大きな音がした。カチャリ、と音がして、何かが落ちたようだった。
 もう一度、バンッ、と音がした直後に、猟銃男は上条に蹴飛ばされ、銃は床に落ちた。
「なっ……」
 猟銃を落としてしまった男は、慌てて椅子にしがみついて立ち上がるが、猟銃は上条が拾い上げたところだった。
 ゆっくりと私は上条の後ろへ周りこんだ。
 落ちたものが気になっていた。
「さあ、今度はお前がこっちの」
「お前バカだろ」
 上条が引き金を引くが、何も射出されない。
 猟銃男は椅子を持ち上げて、上条に振り下ろした。
「あっ……た」
「ぐぁっ」
「ほら、それをこっちに渡せっ」
 上条は猟銃を振りかぶって、男を殴りつけた。
「渡すわけねーだろ」
 男も上条も、口の端や、鼻から血が流れていた。私はそのまま扉の方へ這って進んだ。
「おい、コラ、待て! 甲冑のやつはいつ来るんだ!」
 振り返ると猟銃男が血を垂らしながら近づいてくる。
 私は慌ててエレベータの呼び出しボタンを押すが反応しない。
「待てよ」
 上条が猟銃男の腕を引っ張って、拳を顔に叩き込む。
「何で反応しないの?」
 ふと見ると、呼び出しボタンの付近にカードリーダーが設置してある。
 エレベータの中にもカードリーダーがあったはずだ。ここは呼び出しもカードがいるのか?
 とにかく、自分のカードをあてると、呼び出しボタンが押せた。
 今度はエレベータが下に降りてくるのにイライラさせられる。
「早く!」
 上条が猟銃男を殴り倒し、フラフラになりながら、こっちに向かってくる。
「坂井先生…… まだ復讐は終わって……」
 バンッと大きな音がした。
 飛び散る血に、私は自分が貫かれたのだと思った。
 同時にエレベータのドアが開き、顔を拭いもせず乗ってすぐに扉を閉めた。
 このままでは呼び出しボタンで開いてしまう。
 けれど、何階に行けば助かるか、判断出来ない。
 私は目に入ったフロアのボタンをデタラメに押しまくった。
 ほどなく、エレベータが動きだし、私は慌てて一階のボタンを押した。
「えっ?」
 光っているフロアのボタンを見ると、11階だった。
「まさか、カードで押せるところが決まっているの?」
 けれど、一階へ行けなかったら帰れないはずだ。
 どうなっているの?
「中、中にもカードリーダーがあった」
 私はエレベータ内のカードリーダーにカードをあて、一階のボタンを押す。
「なんで!? なんで押せないの?」
 カードをあてて、ボタンを押す、ことを何度も繰り返した。

「せ、先生」
 スマフォを渡された瞬間、その画面には再び大きな蛇の頭が映った。
「!」
「何度も驚かないでよ……」
 蛇がスッと新庄先生の顔に戻っていく。
「自信なくなるから」
「ごめんなさい」
 そうか、これが先生の変身能力なのだ。
「先生、大丈夫だったんですか?」
「うん。私にも逃げるぐらいの力はあるのよね」
「よかった」
 私は先生に抱きつこうと思ったが、さっきの蛇の姿を思い出して、腰が引けた。
「この穴はなんなんだ」
「ここは何の為の穴だかわからないけど、あの爪の怪物が開けたのは間違いないみたい」
「全体は見たのか?」
「見えてない。隊員が殺られたのは五本の指のようね。開いた手のつめで突き刺された…… そんな感じ」
 私はスマフォで上方向を照らしてみた。
 天井に大きな穴が開いており、繋いでいたケーブルの端が見えた。
「相当大きい、それは分かるわ。私を巻き込んだ力からも分かる」
「ここまで叩き落されたんですか?」
 新庄先生は首を振った。
「逃げ回ったら真下方向に穴があったの」
「話してる暇はなさそうだ」
 パラパラとコンクリートや石が転がり落ちる音が聞こえた。
 私は上ではなくその方向にスマフォのライトを向ける。
 大きなウロコで固められている。先は鋭く尖っている。蛇の尻尾? まさか新庄先生?
「来たぞ……」
「これ新庄先生?」
「私はここ」
 新庄先生は人の姿のままだ。
 気を取られている間に、鋭い先端が私に伸びて来た。
 よっ、避けられない……
 いや出来る。私は足を開いて、先端を飛びして避けた。
「助かった……」
 またがった蛇の尻尾のような部分は、ぬめりがあってひんやりしている。
「何っ! まだ伸びてくるの?」
 またがっていた蛇の尻尾が、どんどんんと進んで来て、太くなってきた。
 またがったままの私の足は、両側に広がっていく。
「痛い痛い!」
「ばか、天井の間に挟まるぞ」
 体をねじって尻尾の上を這うようにして、先端に向かう。
 鬼塚刑事は尻尾の先端と格闘している。
 新庄先生は、半身を蛇化し、絡みつくようにして尻尾の動きを止めている。
 私は……
 足の先端に意識を集中して、爪を出す。
 蛇のウロコをめくるように足を突き立てる。
「かっ、固い……」
 ウロコが少しめくれ上がった。
 もう一度!
 足の先が尻尾の柔らかい部分を切り裂いている。
「尻尾が戻る!」
 新庄先生が叫ぶ。
 私の爪が突き刺さったまま抜けない。
「早く!」
「抜けない」
 尻尾は暴れながら通路を戻る。
 私の体は、尻尾がブレる度、ウロコや、通路の壁にぶつかる。
 急に尻尾の動きが止まって体が折れる。
 後ろを見ると鬼塚刑事が尻尾の先端をつかまえて引っ張っている。
『早く抜けっ』
 私はもう一方の足も突き刺し、小さな子供が靴を脱ぐかのように足で足を押さえつけた。
「抜けてっ!」
『何やっているの!』
 新庄先生が後ろから私を羽交い締めして引っ張った。
 ガッツリ食い込んでいた足が、あっけなく抜ける。
 二人は尻尾の上から勢い良く通路の床に落ちていく。
「危ない!」
 私はとっさに羽根を広げて新庄先生を包み込んだ。
 落下のショックだけでなく、暴れる尻尾が翼を痛めつける。
「白井さん、あなた大丈夫なの?」

 鬼塚刑事…… あなた、あなたは何をしていたの?
「鬼塚刑事、なんで助けなかったんですか?」
「待て。落ち着け」
「虎にもなっていない。まるで戦う気がないみたい」
「……」
 急に鬼塚刑事の表情が変わった。
 オーラなのか、何か空気感のようなもので、明らかに気圧されている。
 大きな力を感じ、私は鬼塚刑事を責めることをやめた。
「大丈夫だ。新庄は偵察する為にワザと引き込まれた」
 鬼塚は何かケーブルのようなものを用意し、床下に開いた穴に垂らす。
「聞こえるか?」
「……」
「新庄が情報を送ってくる」
「……聞こえません」
「耳で聞こうとするな。まるでもう一人の自分が考えているような、語りかけてくるようなものだ」
「お前の声は良く聞こえるんだが……」
 ケーブルを鬼塚の体側にも装着すると、穴に入って少し下がった。
「お前は俺の頭に乗れ」
 更に下がって、鬼塚の頭だけが穴から見える。
 私はそこに乗って頭を掴んだ。
「いいか、降りるぞ」
「大丈夫なんですか?」
「新庄はなんて言っている?」
「……」
「大丈夫だ。いくぞ」
 スルスルと下りていくが、穴からの光が届かなくなると、周りの風景が変わらないせいか、下りている感覚が無くなった。
「どこまで降りるんですか? さっきの感じだと高さが合わない」
「……」
 鬼塚はケーブルを緩めては握り、緩めては握りを繰り返し、少し、また少し降りる、というのを続けている。私にとってこの穴の中は、ほぼ暗闇にしか見えない。
『もう少しで底につくわ』
 自分の言葉のようだったが、自分が考えたのではない違和感があった。もしかしたら、これが新庄先生の声なのかも知れない。
『そうよ』
 やっぱり!
「聞こえた! 聞こえました鬼塚刑事」
「……黙れ」
 状況を忘れてはしゃいでしまった自分を反省した。
 カチャリ、と機械音がして止まった。
「ケーブルが終わったんだ。かなり深いぞ」
「どうするんですか?」
「こうする」
 カツン、と音がすると自由落下が始まった。
 鬼塚刑事を突き放す。
 更に落ちていくと、無意識に背中の翼が広がる。
 けれど、一つ羽ばたく前に、足にドンと力が響く。
「痛っったいっ……」
「大丈夫か?」
「大丈夫か、じゃないでしょ。先に言ってよ」
 何か背中に視線を感じて、私は黙った。
「!」
 鬼塚も後ろを振り返る。
 暗く、見えるものが殆ど無かった。
「何かいるの」
「お前は見えないのか……」
 なんとなく鬼塚の体が見えている…… 感じている感じだ。
「スマフォでも何でも、灯りを使え」
 私はポケットからスマフォを出して、ライトを付けた。
「っ!」
 目の前に映ったのは、自分の顔ほどもある蛇の頭だった。
 チョロッ、チョロッと舌を出す。
 慌てて、手を引っ込めようとしてスマフォを落としてしまう。
「シャーッ」
 床に落ちたスマフォの灯りが消えた。
 蛇が上に乗ってしまったに違いない。
 一瞬明るかったせいか、余計に暗さを感じて何も見えない。
 すると宙で灯りがパッとついた。
「私よ」
 灯りは私のスマフォで、画面には新庄先生が映し出されていた。

 私は猟銃男をじっと見た。
 怒らせてしまって、撃たれるかもしれない。
 お願い。甲冑の人…… 私を救って。
「誰だっ!」
 私の横の出入口方向に銃を向けた。
 人影が見えたような気がしたが、私は今がチャンスだと思った。
「パソコン触ってもいいの?」
「やってろ、こっちはそれどころじゃない」
 猟銃男は、何かに狙いをつけたまま、ゆっくりと出入口へ向かった。
 私は慌ててパソコンに座り、電源を入れた。
 いつものOSの起動時間が、やけに長く感じる。
「そこに座ってるんだろう? 立て! 手を上げたまま立て!」
 ログインすると、最低限のショートカットだけが置かれたデスクトップが表示された。
 ブラウザを起動して、この棟の入退室システムにアクセスする。
「ログイン?」
 しまった。この建物の入退室システムにもログインIDとパスワードが設定されている。
 中島所長から、なんとなく聞いたような記憶もある。
 なんだろう、これにアクセス出来ないと……
 バンッ、バンッ、とまた大きな音が部屋に響いた。
 今度はガラスや壁が振動する音にも気付いた。
 ガチャリと音がして、弾丸を入れ替えている。
「うっ、何をする」
 振り返ると、上条が猟銃男の後ろを取って、銃を使って男の首を絞めようとしている。
 猟銃男も銃を押すようにして抵抗する。
「はやくしないと」
 上条が生き残っても、猟銃男が生き残っても、私にとっては大差ない。
 まず自分のカードのエラーを無効化しなければ。そして、コードを読むまでの間、行き続けなければ……
 なんだろう、何か簡単なIDだったはずだ。
 このログイン画面を見れば思い浮かぶはず、と思って覚えなかったのだ。
「苦しぃ……」
 振り返ると、猟銃男の首が絞まってきていて、決着が付きそうだった。
 私は向き直ってもう一度画面をみた。
 警備会社のロゴ…… 確か、これか。
 左右対称のロゴを正順に打ってID、逆順に打ってパスワードに入れた。
 ログイン…… 成功。
「がっ……」
 上条の顔に、猟銃男の後頭部がぶつかり、二人共仰向けに倒れてしまった。
 もう一度パソコンに向き直り、今いる場所のエラーを表示させ、復旧と書かれたボタンをクリックした。
 ピーッと電子音がして、復旧と表示された。
「今、何をしたっ!」
 猟銃男が起き上がろうというところに、上条がタックルをして再び二人は床に伏せた。
「くそっ!」
 私はブラウザで館内のメッセージサイトにアクセスした。
『猟銃を持った男は地下にいる』
「だからカチャカチャと何をしているっ!」
 打ち終わると、送信を押し、ブラウザを閉じた。
「エラーを直しただけよ」
「……ウソだぞ」
 上条が急に落ち着いた声を出した。
「あの女はああいうウソが得意だ。捕まえて縛り上げよう」
「お前もさっきまで俺の首を絞めようとしていたんだぞ。信用なるか」
「あの女を自由にしていたら、二人共危ない。まずアイツからなんとかしよう」
「何もしないわ。ほら、もう終わったから」
 私はパソコンをシャットダウンして、手を上げて見せた。
 猟銃男は上条を時折振り返りながら、私の方へ近づいてくる。
 上条がこっちを先になんとかしようというのなら……
「この男の方が危ないわ」
 私はあえて猟銃男の手を取って引き寄せた。
「この男は首を絞めるのに失敗したから、何か作戦を考えたのよ」
 猟銃男はこっちの顔を見ている。
 私も見つめ返す。
「私はあなたの言う通りにした。言う通り、パソコンを閉じた。あの男は言う通りにならない」
「……」
 猟銃男は、上条の方を睨んだ。
「何を企んでいる」
「騙されている。その女の方が危険だ」
「銃を取ろうとしているのよ」
「していない。いいからこっちの言うことを聞いてくれ」
 上条を指さして言った。
「ほら、今。本音が出たわ。『こっちの言うことを聞いてくれ』って。あの男の方が危険だわ」

 この奥や中には何も扉はない。
 冷却の壁で防ぎ切れない〈転送者〉がいつあらわれるかもしれない。
「途中途中に」
 先頭を歩く鬼塚が言った。
「〈転送者〉を倒す連中が常駐している。用をたすなら、そこまで我慢しろ」
「トイレの心配ありがとう」
「本来」
 鬼塚が立ち止まって振り返った。
「お前が白井に説明すべき話だろ」
「白井さんが尿意をもよおしたら説明しようと思ったわよ」
「それじゃ遅いだろうが」
「いままでだってするとこないんだから余計な話をして、よけい行きたくなってもこまるでしょ?」
 私は恥ずかしくなって下を向いた。
「ほらっ! トイレの話はデリケートなのよ。男がべらべら話さないで」
 いや、どっちもどっちだ。
 とにかくそういう話は止めて欲しい。
 鬼塚は怒って、意地悪するかのように歩く速度を上げた。
 しばらく螺旋の坂を下りていくと、再び口を開いた。
「そろそろ言っておこう。今回の依頼だが」
「!」
 やけに顔色の悪い人が五人、こちらを向いて立っている。
「説明する手間が省けたかな」
「〈転送者〉を倒す為の人たちじゃないんですか?」
「やっぱり説明するか……」
 どうやら警備は軍が引き受けていたようだったが、迷彩服はボロボロにやぶれ、中にはヘルメットまで割れている者もいる。
「警備担当の隊員からの応答が途切れたんだ。どうなっているのか、調査をしなければならないんだが」
「隊員さん大丈夫ですか? 何かあったんですか?」
 私の声に反応する様子がない。
「単にダメージを受けているってだけじゃなさそうだな」
 立っているのがやっとに見えるが、隊員の一人が、こちらに向かってフラフラと歩いてくる。
「あっ、危ない」
 私は、その倒れそうな隊員を駆け寄って支えようとした。
「やめろ!」
「えっ?」
 目の前の隊員の胸が裂け、赤黒い血が吹き出した。
 そこから、大きな爪が襲いかかった。
 鬼塚の声掛けに一瞬躊躇した分、その爪を避けるだけの距離と時間が出来ていた。
 私は思い切り両足で踏ん張ると、体を後ろに蹴り出した。
 隊員の胸を裂いて出た爪が、弧を描いて床に食い込む。
 私はあそこにいたのか、と思うとゾッとした。
 狙いが外れたのが分かるのか、爪は逆方向のカーブを描いて消え去る。
 その爪に引きずられるように隊員は仰向けで床に転がった。
 勢い良く後ろに飛んだせいで、私は背中から床に落ち、何回か後転してしまった。
「し、死んじゃった……」
 顔面から足先まで赤黒い血液に染まった私は、床に座ったままそう言った。
「床下にいるようだな」
「鬼塚刑事、他の隊員さんは……」
 一人の隊員が死んだというのに、他の四人はただぼうっと立ち尽くしている。
「わからん。立っているのに何も応答しないんだから、敵だと思ってかかることだ」
「今の爪が〈転送者〉のものなら、本体はかなり巨大ね」
 新庄先生は床を見つめる。
「この先に進めば本体がいるってことですか?」
「ここからのぞいてみればわかるんじゃない?」
 仰向けになった隊員の胸の下に、ポッカリと開いている穴を指さした。
 そしてその穴へ向かい、新庄先生はゆっくりと近づいていく。
「気をつけろ」
「大丈夫。見るだけよ」
「先生……」
 立ち上がると私は先生を止めようと走り出した。
「先生やめて!」
 引き止める間もなく、再び爪が大きく飛び出して来た。
「逃げ……」
 先生は何か言い切る前に、飲み込まれるように床下に引き込まれた。
 さっきまで見えていた爪だけではなく、指のようなもの…… とは言え人間の指ではなく、鱗のような肌の…… 部分まで見えた。
 鳥? ドラゴンの手?
 私の力が及ばなかった。
「大丈夫か?」
 鬼塚刑事だった。

「カードをどうするんだ」
「廊下に出る扉の横に光っている小さな機械があるでしょう」
 カードの読み取り装置の方へ歩いていく。
 カードを当ててしまおうとする。
「待って!」
『ピ、ピピピピピ』
「おい、なんだこの音は! 騙したな?」
 やばい、殺される。コード、コードを早く読まないと、水晶のコード……
 ダメだ。とにかく時間を稼がないと。
「落ち着いて、落ち着いて。私はカード操作をしないまま地下に連れてこられたから、エラーになっただけよ」
「人が来る、扉を閉めないと……」
「大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて操作をして」
「誰も来ないわ。甲冑の男を呼び出す方法を言うから」
 男は背中を壁につけ、廊下の先を見ようと必死の形相だった。
「……言ってみろ」
「カードを押し付けて、その装置が凹むくらいに。そのまま5秒待って」
「へこむか? 固い感じだが」
「やってみて」
 男は片手を引き金に置いたまま、不器用にカードを押し付ける。
 三、四、五秒…… たぶん行けたはずだ。
 これで警備室にはここの異常事態を知らせることが出来たはずだ。
「来ない。甲冑のおとこが来ないぞ」
「人がきたらイヤなのに、甲冑の男は来ていいの?」
「そうだ! 甲冑の男に復讐しないと気が済まない」
 この状態で警備員が来て、果たしてこの男をなんとかできるのだろうか。
「来ないぞ! くそっ!」
 急に私の方に銃口を向けた。
 バンッ、と、耳がおかしくなる程の音が響く。
 痛み、痛みは…… ない。
「(くそっ、甲冑の男を呼べ)」
 猟銃の発射音で耳が変になっているせいで、男の声が小さく聞こえる。
 バンッ、バンッ、と続けて音がする。
 男が近づいてくる。
 私の頭の上から覗き込むと、カードを落とした。
「(早く呼び出せ)」
「えっ?」
「ケーブルを切ったろうが」
 私は手を引き寄せると、たしかにケーブルが切れていた。
 縛り付けられているケーブルをほどいて外すと、私は立ち上がった。
 引っ張られ続けていたせいか、立ち上がり、歩こうとしてフラフラとよろけてしまう。
 猟銃の男は、私の背中に狙いを付けている。
「早くしろ」
 さっきの操作で警備には信号が行っているはずだ。
 今度何かして、甲冑の男がここに来ないと男が何を始めるかは予想がつかない。
 それにこのカードはさっきエラーになった通りどこへも行けない。
 説明を受けた通り、入る操作と出る操作がペアになっていないからだ。
 これを直すには……
「ちょっと待って。さっきあなたがここでカードを操作した時、ピ、ピピピピピ、ってなったわね」
「そうだったか?」
「最初に間違えてカードをあてた時よ」
「そんな気もするが」
 銃を構えたまま、会話は続く。
「あれは、エラー音だって言ったでしょ。エラーを直さないから、呼び出せないのよ」
「なら、エラーを直せ」
「エラーを直すには、パソコンからやるのよ」
 私は実験室の端にあった端末を指さす。
 銃口はそのままで、男はチラッその方向を見た。
「余計なことはするな」
「エラーを直すには時間が掛かるわ」
「余計な連絡を取ろうとしたら、撃つ」
「銃を向けられているのに、そんなことしないわ。パソコンの方へ行っていい?」
 猟銃男は目を細めた。
「エラーを直さないと甲冑の男を呼び出せない」
 私はそこを強調しすぎないように、控えめに言った。
「パソコンから直接呼び出せないのかよ。携帯とか」
 甲冑の男はこちら側の世界の人物ではないから呼び出せない、とは言えない。
 何か、わかりやすい例えで誤魔化さないと。
「やれるか、試してもいいの?」
「……いやダメだ」
「……」

「結構まえですよ。もう|〈鳥の巣〉(こっち)にきて一年経ちますから」
「へぇ。最近、砂倉署に立ち寄ったりは?」
「しないですねぇ…… まず、|〈鳥の巣〉(ここ)から出たりするのが結構面倒なんですよ。外へでるのは休暇の時くらい。休暇が取れても実家に行くくらいで」
 スマフォにメッセージがくる。
『念の為、出入りの履歴は見てみる』
「あれ? もしかして、鬼塚さんの言っていることって、あの話のことかな?」
「なんだ、あの話って」
「いや、なんか俺が砂倉署に『出た』って話なんですけどね」
「出た? って出たんじゃないのか?」
「『出た』ってのがまるでお化けみたいな話で。つい最近砂倉署で俺を見た人って人が」
「それかもな。こっちもお前を見たってことを聞いて、確かめようと」
「あの〈鳥の巣〉の壁をよじ登ってこっそり出る訳にもいかないし、普通に勤務あるんだし、行く訳ないでしょって言ったんですけど」
 車を慎重に運転させながら、山咲は話し続ける。
「なんなんですかね。全く同じ顔だって言われて、ぞっとするのと同時に、一度見てみたいとも思いましたが、俺が砂倉署に行ったら、余計混乱するでしょうし」
「砂倉署で見たって言っていた者の名は分かるか?」
「ああ、わかりますよ。ニセ者の行動を突き止めてください」
 車はゆっくり、おおきくカーブを切った。
「そろそろ着きますよ。大丈夫とは思いますが注意してください」
 暗い空に航空障害灯が光っている。
 円形の高い塔。
 セントラルデータセンター。
 周りには高い壁が囲んでいる。
「あの壁は」
 鬼塚が言う。
「上に有刺鉄線がある」
「そうは見えないですね」
「内側に反っているから、こっちからだと見えない。普通は外部からの侵入を防ぐ為に外側に反っているんだろうが、今は中から出てくる〈転送者〉が脅威だからな」
 新庄先生が言う。
「有刺鉄線でなんとかなるとは思えないけどね」
「ないよりはずっとマシだ。センサーの代わりにもなっているしな」
 セントラルデータセンターの壁にそってゆっくりと進むと、入り口が見えてきた。
「地下へ入るの?」
「螺旋状に下りて、地下の駐車場から入る。扉をつくれないし。時間を稼ぐ為に距離を出す必要があるからな」
 地上の入り口には数人が待っていて、一人はロケット砲のようなものをこちらに向けている。
 確認が取れなければ、そのまま撃ってくるののだろう。
 車を止めると、入り口付近の人間が指図した。
「よし。降りるぞ」
「下に車で行かないんですか?」
「言ってなかったか?」
「セントラルデータセンターまで連れて行ってやってくれとだけ言われてました。てっきり地下まで入るのかと」
「俺たちは入るが、お前はここ待機だ」
 鬼塚は右手の奥を指さした。
 暗い空き地に〈鳥の巣〉用の改造車が何台か止まっている。
「新庄、白井、下りて歩くぞ」
「地下まで結構距離有りますけど……」
 車を下りた鬼塚が、運転席側に回って指をさす。
「ハウス」
「……わかりました」
 私と新庄先生はやたらと何度もボディチェックをされた。
 探知機らしき棒を取り替えては、撫で回され、手でも何度も触られた。
 鬼塚は持っていた拳銃を確認されてから返された。
 私は新庄先生に言った。
「なんでこんなにチェックされるんです?」
「何も持っていないから不審がられるのよ」
 意味がわからない。
「何故、何も持っていないと……」
「人間が〈転送者〉に素手で立ち向かう…… なんて信じられる?」
「そうですね」
 私と新庄先生は、入り口の警備の人が差し出したタブレットに映っている同意書にサインをした。
「あの…… 今の同意書、ロクによみませんでしたけど、大丈夫でしょうか?」
「生きて帰ってこれれば関係ない話よ」
 先生は笑った。
「死んだら死んだで、それこそ関係ない内容だけどね」

 
 
 入り口から入ると、応急でつくったコンクリートの道をどんどん下りていった。
 扉や蓋を作ればそこから〈転送者〉が出て来る。

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