その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

2018年05月

 亜夢は思い切ってバックスクリーンから飛び降りた。
 非科学的潜在力でアシストして、ゆっくりと音を立てないように着地する。
『止まれ! ヒカジョの小娘。動いたら人質を一人ずつグランドに飛び込ませるぞ』
 やはりこちらの行動は監視されている。亜夢は、もう一度SATのリーダーに問いかける。
『テレビ中継室からの外部送信を遮断してください。出来たら、はい、と思ってください』
 はい、とも、いいえ、とも取れない複雑な思念だけが返される。
 SATのリーダーには非科学的潜在力がない。こちらの|思念波(テレパシー)は伝わっても、相手は返せない。
 何を言いたいのかわからず、もどかしさだけが残る。
 亜夢が何か行動をして、それが敵にバレているのであれば、SATの試みは失敗していて、なんらかの形で監視が続けられているのだ、そう考えるしかない。
 つまり、亜夢は行動し続けるしかないのだ。 
 一歩進むと、首に当てたナイフが首に近づく。
「なんで? どこからこのちいさな動きが確認出来るの?」
 亜夢は声に出しながら、どこから見ているのかを必死に探した。
 人質一人ひとりの精神を乗っ取って、見ているのだろうか。
 同時に複数の人間の思考が流れ込んだら、どうなってしまうのだろう、と亜夢は考えた。
 やどかりの視神経を乗っ取った時でさえ、頭のなかで処理できなくなることもあったのに。
 亜夢は意識を広げて、思念波世界を確認した。
『ここで……』
 人質の動きと、思念波世界での動きを相互に確認し、どの人が、どの思念なのかを推測していく。
『一人ひとりアクセスして、マスターとか呼ばせているテロの首謀者を探し当ててやる』
 亜夢は思念波世界で、誰に向けてではなくそう言った。
 今ここにある世界が次第にわかってくる。
『やめろ』
 人質を特定しようとした寸前、真っ黒いフードをかぶった人物が世界を覆った。
 黒い布が広がり、海のように波打ち、広がっている。
 果てしないその布の真ん中に、目と目の周りだけが見えている。
 亜夢はその海に正対して立っている。いや、亜夢の正面に、垂直の海が広がっている、というべきか。
 どちらに重力が働いているわけではない。それぞれの世界に下が存在している。
『あなたこそ人質を返しなさい』
『お前が守っている人間たちは、非科学的潜在力を持つ者を差別している。私は非科学的潜在力を持つ者を解放するために戦っている。私に従え』
 黒い布の海が、声に反応して振動して波を打つ。
『従わない。人質の自由を奪っているのに、解放もなにもない』
 亜夢の声は、小さく世界に吸収されて行ってしまうようだ。
『この国の者どもが、非科学的潜在力を持つ者の自由を奪っていることは許せない』
『あなたの非情な態度が許せない。必ず見つけ出して倒す』
『ならば、いまこの場で決着をつけてやる』
 亜夢の思念波世界に広がっていた黒い布の海が消えた。
 慌てて現実世界の目を開いた。
 人質の真ん中に立っていた、美優が亜夢の方に振り返った。
 のどに突き立てていたナイフを亜夢の方に向けて構える。
「このナイフは避けれない」
「美優! 目を覚まして」
 |精神制御(マインドコントロール)されている美優が一歩一歩近づいてくる。
 手を伸ばして押し戻すようにしながら、亜夢が言う。
「やめて、美優、止まって」
 美優と亜夢が互いに手を伸ばせば触れることが出来るまで近づいた時、亜夢の方を向けていたナイフが、突然美優ののどの方を向く。
「まさか!」
 一瞬のことで何が起こったか分からなかった。
 亜夢の手には美優の握ったナイフが握られていた。
 亜夢が手を離せば、ナイフが美優ののどへ刺さってしまう。
 亜夢の手から、血が流れ落ちる。
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 中島さんが何か思い出したように言った。
「よく覚えていましたね。確かにお婆さんがやってきて、って」
「……影山くんと無関係な人じゃないのよ。血縁関係だって思った方がいい。あのお婆ちゃんに会う必要がありそうね」
「けど、俺、何も覚えて……」
 俺はうつむいて床を見つめた。
「大学に振り込んだ銀行口座の情報を追ってお婆さんの住所がわかるわ」
「へっ?」
 冴島さんはノートPCに素早く何か打ち込んでいる。
「ハッキング?」
「私がハッキングなんかできると思う? 私の霊力を使って調べているの。霊を憑依させた行員にリストを探させ、銀行からメールを打たせる訳」
 俺は冴島さんのノートPCを指さした。
「じゃ、今カチャカチャやっていたのは?」
「昨夜テレビで見た気になるお菓子の通販サイトを探していたんだけど?」
 俺はさっきとは別の意味でうつむいた。
 早く答えを見つけないといけない。あの屋敷と俺が住んでいた家に何か関連があったに違いない。けれど記憶は戻るわけでもないし、自ら何かができる状況ではい。
 ポン、と肩を叩かれた。
「大丈夫。なんとかするから。とにかく状況を確認しないと焦ってもだめよ」
「すみません」
「少し話しておきましょうか。警察関係者から情報を得ているの。事件が立て込んで同一地域で起きたので、除霊士が呼ばれたようね」
「あ…… 冴島さんと最初にあった居酒屋の事件」
「そうそう。あの時は私が警察に協力するため事件現場によばれたの。今回の同一地域の事件多発でも怪しいと判断すれば警察から呼ばれるわ。その情報からすると、付近に浮遊している悪霊の密度が都心の他の地域の平均値より四桁ほど違う異常値だそうよ。どこかに溜めておいたものが流れている、そんな気がするって」
「まさか……」
 俺が言いかけたところを冴島さんが割り込むように話した。
「玲香と一緒に屋敷の中に入った時、沢山の霊を見たんでしょ。屋敷周辺に集まっていた霊が漏れ出している、のかもしれないわね」
「やっぱり俺が引っ越したせいですよ」
「そう決めつけないの」
 冴島さんはノートPCで何か操作している。
「お婆さんの住所がわかったわ。会いに行きましょう」
 俺は両足をまとめていた紐を右足だけに巻きつけられた。
「どうして外さないんですか」
 冴島さんは振り返った。
「あなたを失いたくないからよ」
「それは俺を好きだとか、抱きたいとか言う感情……」
 いきなり頬を叩かれた。
「セクハラ発言は禁止だって言ったでしょ。女の子に嫌われるぞ」
「はい……」
 中島さんは後部座席に、俺は例のごとく助手席に座った。
 松岡さんがナビに入力すると、車は走り出した。
 俺はある疑問が浮かんだ。
「冴島さん、お婆さんの住所をメールした行員はどうなっちゃうんですか?」
「別に、自分の業務内で可能なことだから誰にも咎められないんじゃない? こんな夜中まで業務していたことは注意されるかもしれないけど」
 俺はちらっとルームミラーで冴島さんを見た。
「そうじゃなくて、霊をつけたんですよね。その霊はどうなっちゃうんですか?」
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 テレビ放送は、ちょうどニュースの時間のようだった。
『コンビニ強盗は警察の手で射殺されました。発生からわずか二時間しか経っておらず、本当に射殺するしか手段がなかったのか、警察の対応に疑問が持たれます』
 俺の住んでいた家の近くのコンビニに入った強盗事件のようだった。
「そんなことって……」
 俺は中島さんの方を見た。
「……」
 中島さんは何も言わなかった。
『今日明け方ごろ、大型トラックが民家に突っ込み爆発、火災が発生。爆発と火災により住宅三棟を消失、死者二名、重軽傷者六名の大事故があり、警察は計画的犯行の可能性も含めて、運転手の男から事情を聴いています』
「これも近くよ」
『これは先ほどお伝えしましたコンビニ強盗があった地点からわずか三百メートルしか離れていない住宅街で発生し……』
「……やっぱり」
 俺は立ち上がった。
 居ても立っても居られない、しかし理由も、何をすればいいのかも分からない。気持ちだけ焦っていた。
「うわっ!」
 俺はそのままソファーに尻餅をついた。足首が縛られていたのだ。
「なんですか、これ?」
「冴島さんが言った通りになったわね。事情がわかるまで、あなたをここから出しては駄目と言われてるのよ」
 俺は足首の紐をよく見た。紐の結び目がない。かといって、結び目が奥に隠れているわけではない。紐は一重なのだ。
「……」
「冴島さんの特殊な紐よ。最初から輪になっているものを着けて、コーやって締めたの」
 中島さんが、手の平を俺の足首の方へ向けながらそう言った。
 俺は端をつまんで引っ張れるか試してみる。輪ゴムのような伸び縮みする性質のものではない。
「お願いです。俺をもう一度あの屋敷のところに……」
 所長室の扉が開いた。
「まだ出かけることは出来ないわよ」
 冴島さんが入ってきた。
 立ち止まらずに所長の机に回り込み、資料を置き、ノートPCを開いた。
「冴島さん! これを外してください」
 冴島さんは口に人差し指をつけてみせた。
 そして、テレビの方を見る。
『はい。こちらトラック爆発事件現場に来ている門脇です。私はレポーターをやってきてこれほど奇妙な現場に来たことがありません。今現在、救急車や警察の車両、消防車がひっきりなしにこの地域で動き回っています。あそこ、あそこで火が上がりました。今、ここで新たな事件、事故が次々と起こっているのです』
「なっ……」
 俺が声を出すと、すかさず冴島さんが手のひらを下に向け、抑えるように下げてみせる。
「落ち着きなさい。あなたが事件の原因として関係しているのか、逆に、あなたがこの事件から影響を受けているのか、私も、なんにせよ無関係じゃない気はしてる。けれどどういう関わりなのかが分からないと、連れて行ったところで何も対処できないわ。それでは事件を悪化させるだけ」
「わかるんですか」
「今、やっているじゃない。あの画像のおばあちゃんに心当たりはないのね」
 俺は首を縦にふった。
「あのお婆さんについて、すこしだけ心当たりがあるわ。玲香が以前調べた時にあなたの大学の学費を前納したという人物よ」
「あっ!」
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「自分で自分の行為を変態と認めたことになりますからね」
 言いながら清川は腕を組み、目を伏せてうなずいた。
「だから、絶対にばれないように清川くんの名前で」
 ハンドルをバン、と叩くと、清川は言った。
「私はどうなるんですか? 盗まれたパンツを買い戻す婦警って、どう思われると思ってるんですか?」
「ストレートに考えれば、百合ロリじゃないかな?」
「百合&ロリ」
 清川はなぞるようにそう言う。
 今度は中谷が腕を組み、目を伏せてうなずく。
「う~ん。男のロリより、より変態度合いが増した感があるな」
「絶対にいやです」
「本当は…… 清川くん」
 まさか、油断しかかったところで、証拠をつきつけるのではないか。清川は顔をひきつらせた。
「えっ?」
「この金額出す、っていったらどうする?」
 スマフォの計算機アプリに、かなりの金額が提示される。
「えっ? それマジですか」
 有休を取って、近場の海外旅行か、国内の贅沢旅館をつかう旅が出来そうだった。
「ボーナスの半分を突っ込む形になるな」
 後ろ髪引かれつつも、その為に変態の汚名をかぶることになるわけだ。清川は現実を直視した。
「すこし心が揺らぎますが……」
 中谷は人差し指を立てて、清川を諭すように話し始める。
「そうだな。清川くんの染みつきパンツを乱橋くんのだ、とウソをついてもその金額が手に入るわけだからな」
 真実を知って、ワザと言っているのか、天然なのか、清川には判断がつかなかった。
「な…… なにをいってるんです」
「俺は構わないんだ。差し出したパンツがどう使われるか、と考えればそんなウソは付けないはずだからね」
 清川は『はぁ?』と逆切れ気味に言い返そうとした言葉を、ゆっくりと飲み込む。 
「えっ……」
 中谷は清川の肩をつつく。
「どう? 取引できるかな?」
「……どうつかうか、聞いてもいいですか?」
「XXXを○○○して△△△」
「ぎゃあ!」
 清川は強い嫌悪感とともに、鳥肌が立つのを感じた。
 その時、駐車場に爆音が響いた。
 亜夢とアキナを連れてくる途中に出てきたアメリカンバイクに乗った女が現れた。
「あの女!」
 清川はすばやく車を降りると、迷わず拳銃を抜いて構えた。
「警察よ。さっきの公務執行妨害で同行してもらうわ」
 バイクはクラッチを切って、ドルン、と空ぶかしした。
「止まりなさい! 聞こえないの?」
 中谷が車にパソコンを置いて出てくる。
 中谷も拳銃を抜いていた。
「止まりなさい!」
 撃てないと判断したのか、当たらないと考えたのか、バイクの女は二人を無視してオートドアの方へバイクを走らせる。
 そのままドームスタジアムの通路を入っていき、貨物用のエレベータに乗った。
「待ちなさい!」
 清川と中谷が中に入った時には、エレベータの扉が閉まっていた。
「くそっ!」
「中谷さん、パソコンで連絡して」
「わかった」
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 サングラスをかけた男が、暗い部屋でタバコを咥えている。
 タバコの炎は、吸うたびに明るく光るだけで全く燃え進まない。部屋の扉が開くと、ショートボブにつややかで真っ赤な口紅をつけた女性が入ってくる。
「また失敗したな」
「……」
 女性は何も言わずに頭を下げる。
「しかし、事態は動き出した」
「?」
「わからんのか。それと、その男がキーではないことも明確になった」
 女は口を尖らせて何か言いかけた。
「キーとなるのはもうひとりの影山だ。俺もまだ見たことはないが」
「もうひとりの影山?」
「ああ。まあ、それに気づけたのはお前のおかげだよ」
 タバコを咥えて、大きく吸い込んだ。しかし炎は進まない。
 ふぅ、と大きく吐き出すと、女は軽く咳き込んでしまう。
 男は突然口が緩むと、笑い始める。
「ハッハッハ…… このことは冴島も気づいていまい。準備しろ」
「はい」
 女は業務用の大型の掃除機のようなものを引っ張り出す。
 男は真っ黒な薄手のコートを引っ掛けると部屋を後にした。
「待て。俺の車で行くぞ」
 女は緊張した面持ちになったが、うなずいた。
 エレベータで地下まで降り、駐車場を歩くと、黒いスポーツタイプの車の前に止まった。
 黒と言っても光を映すようなツヤはなかった。漆黒の車。早く走るために飾りを取り去って出来たくさび形。
 男が小さなスペースに女の持ってきた掃除機を入れる。
 女は車のドアの開け方が分からない。サングラスの男が後ろに回って、指先で軽くドアを開ける。
 寝そべるような恰好のシートに座るが、女はシートベルトの付け方も分からない。
「キャッ」
 男は女の股間に手を入れたかと思うと、直後にカチッと音がしてシートベルトが固定された。
 男の表情は分からなかったが、女は男の機嫌がいいことが分かった。
 イグニッションを回すと、地下の空間に爆発的なエンジン音が響き渡った。
「!」
「……起きたわね」
 どうやら俺はソファーに寝かされていたようで、俺の横の椅子に中島さんが座っていた。そこで中島さんも寝ていたようだった。
「どう…… でした?」
「分からない。あの屋敷のことは一切出てこなかったの。一つ明らかな映像があって、今冴島さんがいろいろ当たっているところ」
 中島さんがタブレットを操作して、俺の方へ向けた。
「唯一取り出せた映像はこのお婆さん。知ってる?」
 そこには白髪をカラフルに染め上げ、大きめのメガネをして微笑んでいる老婆が映っていた。記憶がある、と言えばある。どこで見たとか、これが誰だ、とか言われるとまったく引っかかるところがない。
「知ってはいるんですが、誰だとかどこであったとか、俺との関係とか……」
「……やっぱりそうなのね」
 中島さんはがっかりしたようにスマフォを操作し始めた。
「冴島さんが言っていた通りだった」
「すみません」
「あやまることはないわ。予想通りだったんだから」
 スマフォを操作し終わると、中島さんは言った。
「テレビでもみる?」
 俺は上体を起こしてソファーに座り直した。
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 考える前にそう口にしていた。
 俺は何か忘れている。あそこに住んでいた理由があったはずだ。
「なに? 忘れ物なら明日にしなさいよ」
「違うんです、このニュース」
「コンビニ立てこもり事件?」
 冴島さんがディスプレイを指さす。俺はうなずいた。
「影山くんのせいだとか?」
「そうだとは言い切れないんですが、そんな気がするんです」
 冴島さんは顎に指をあてて何か考えている。
「ここに入って一時間弱。荷物を移動してからとしても四時間弱だわ。たったそれだけの時間で何かが変わった、と判断するには短すぎる。大体、なにをしていたっていうの」
「記憶が出てこないから…… けど、何かがあるんです。俺の役目があるはずなんです。あそこに居なきゃいけない理由が……」
 思い出せないと話にならない。
 思い出そうとしても目を閉じてバットを振るぐらい空しい。探そうとしてる意志だけが空回りしている。
「……この前の機械、もう一度乗る気ある?」
 中島さんがソファーから立ち上がった。
 俺がうなずくと、中島さんが言った。
「すぐ手配します」
「お願い。じゃあ、これから除霊事務所に行くわよ」
 中島さんが二階に消えていき、冴島さんが電話をかけた。
 三分ほどして外に出ると、松岡さんが車を回して待っていた。
「お嬢様、こちらに」
「自分で締めるから早く車を出して」
 松岡さんは驚きもせずに運転席に乗り込む。俺も慌てて助手席に飛び込む。
 墓地の周りを走ってから、大きな通りにでると、坂を下るトンネルに入った。
 トンネルを出ると、にぎやかな街に出た。すぐの信号を曲がり、地下駐車場へと入って行く。
 エレベータ口で俺と冴島さんが降りる。
 冴島さんがエレベータにカードをかざすと、エレベータの呼び出しボタンが赤く高速点滅した。
「なんですか、今の?」
「普通はこのエレベータからは除霊事務所へのエレベータは使えないの。それを臨時につかえるようにしたってだけ」
 エレベータにのり除霊事務所に付くと、所長室に入った。
「玲香ちゃんが来る前に、あなたの中身を見やすいように準備をしておくわ。そこに座って」
 俺はソファーに座った。
「目をつぶって。何があっても開けろ、というまで目を開けないのよ」
 冴島さんは手をかざすようにして言う。しかし、そこに強制されているような力はなかった。
「はい」
 そう言って目を閉じると、何かが近づいてくるのを感じた。顔の前に何か来ている。
 かすかに呼吸音がする。まさか…… いや、目は開けれない。
「!」
 唇に柔らかいものがあたる。しばらくすると、フッと消えるように離れていく。
 この感触は冴島さんのアレに間違いないだろう。しかし、確認することは許されない。
 ギャグ漫画でありがちなネタとしてこれは、松岡さんのアレ、かもしれない。
 しかしとてもいい匂いだ。俺と冴島さん以外にこの所長室に入ってきたとも思えない。とすれば結論として、冴島さんの……
「はい、目を開けて」
 俺の間近に冴島さんの顔があった。冴島さんの綺麗な瞳の中に、俺が映っている。
 本当に、この唇が、俺の……
「少し寝ててもらうわよ」
 言われた時には、すでに|瞼(まぶた)が重くなっていた。
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「こんな人魂が出るような家になんで住んでるんですか?」
「駅からここに来たなら、途中で高層ビル見えなかった? 事務所にすごく近いのよね」
 冴島さんは高層ビルの方向を指差す。
「そりゃそうですが、近いってメリットが人魂が出ることを上回りますか?」
「近いだけじゃないわ。霊が出るんで、価格が安いのよ。地価もウワモノもかなり安くで買ったわ。そこら辺のマンション住んだらすぐ元が取れるぐらい安いのよ。霊はこっちは専門家なんだから、対応方法はわかってるわけなんだし」
「まあ、そうでしょうけど。火の玉がフヨフヨしてたら、外歩いてる人はこの家なんだ? って思いませんかね」
 冴島さんは残り少ないコーヒーをクィっと一気に流し込んだ。
「住まわせてもらう立場なんだから、文句言わないの」
「は、はい」
「気付いたかどうか知らないけど、悪いけどあなたの部屋はあの納戸ね。ちゃんとした部屋があれば良かったんだけど、ここ、そんなに広い家じゃないのよ」
 さっきあの納戸の様子をみた時、こう言われることはなんとなく予想していた。
 中島さんが、ソファーから顔を出して言う。
「それとも私の部屋で一緒に暮らす?」
「えっ……」
 たとえウソでも、冗談でも、少し期待してしまう。
 冴島さんは俺の顔と中島さんを交互に見やりながら言う。
「おい。言っとくけど、この|家(うち)では恋愛禁止だからな。エロ動画とかも禁止」
「エロ動画も?」
「エロ動画もだって」
 そう言って中島さんが笑った。
 冴島さんはコップを洗いに立ち上がり、言う。
「それくらい共同で暮らす上での最低限のルールでしょう?」
「そ、そうですね」
 せめてPCとディスプレイが俺の部屋にあれば文句は言われないのだが、ここに置かれてしまっていることが悔やまれる。
「あ、そうだ、このディスプレイとPCなんですけど……」
 冴島さんはコップの拭き終わると、棚に戻して振り返る。
「そうそう。丁度テレビが壊れてたのよ。悪いけどしばらく使わせて」
「えっ、あっ、えっと」
「そっか。じゃあ、月々の使用代の支払いをするわね」
 そこまで言われてしまうと、自分の部屋に持ち帰る事ができない。せめてPCだけでもと思ったが、別のディスプレイがあるわけでもない。それにPCを持ち帰ったらその中にチューナーがあるために、テレビとしては使えなくなってしまう。
 俺はノートPCの購入を決意する。
「はぁ……」
「どうしたの?」
 冴島さんは不思議そうな顔で俺を見るが、中島さんはニヤニヤ笑っている。
「じゃ、いいかな?」
 その時、テレビから臨時ニュースを知らせる音が鳴った。
「なになに…… コンビニで立てこもり事件だって。店員と客を人質に。住所は…… あれ? これ今日行ったとこの近く」
「えっ? じゃあ、俺の家の近所じゃないですか?」
 冴島さんが冷静に訂正する。
「前の影山くんの家の近所、ってことね」
 何か胸騒ぎがする。
「冴島さん、俺戻らないと」
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「あっ、そうそう。私も影山くんに聞きたいことがあったわ。あの時、何故、私『妹』だったの?」
 俺は二人からの視線を外してディスプレイの方を見た。
「……」
「玲香、それ何のこと?」
 中島さんが、昨日冴島さんが来るまでのことを淡々と説明した。
「ふぅ~ん」
「……」
「冴島さん、なんか分かったんですか?」
「別に。たぶん、あんたの欲望よ。欲望。そういうのが一番強く表れるものだだから」
「え~ つまりは|妹萌え(シスコン)なんだ? そう言えば動画のタイトルにも『妹』が何個かあったような」
 俺は口の前に指を立てる。
 冴島さんが聞き返す。
「動画って?」
「ハハハ。なんでもないですよ」
「なにそれ。乾いてて、気持ち悪い笑い声ね。まあいいけど」
 そんなことを話していると、コーヒーのいい香りがしてきた。
 冴島さんはコーヒーカップを一つ用意し、椅子に座ると注いでそのまま一人で飲み始めた。
 俺は呆然と冴島さんの顔を見つめた。
「ん? もしかしてコーヒー欲しいの? なら自分でカップ持ってきて注いで飲んだら?」
 冴島さんが取り出したところからカップを取ろうとすると、中島さんが言う。
「階段の途中に納戸があるから、そこに影山くんの荷物あるわよ」
「あっ…… そっち使えってことですか?」
 冴島さんが口の前にカップを抱えながら言う。
「まあ、なるべくならね」
「はい」
 俺は階段を上がる為玄関の方へ戻った。
 すると、戸口の周りが妙に明るい。いや、明るいというだけでなく、照らしている光が妙に動いている。車のヘッドライトのように左右や上下とかの一定の方向ではないのだ。フラフラと、生き物のようだった。
 灯りが、フッと近づいてきた時、戸口の周りのすりガラスに映った。
「ひ、人魂」
 火の玉が浮かんでいるのだ。そうだ、コッチ側はさっきの墓地。
「冴島さんっ!」
「ど〜した〜?」
 声だけが聞こえる。本人はやってこない。
「ひとだま、ひとだまがでましたっ!」
「ああ、気にしないでいいよ。家は燃えないし、結界があるから入っては来ないから」
 フラフラと動く火の玉を見つめながら、俺は言う。
「け、けどかなり近くまで」
「だから大丈夫だって。ここはいつもそうだから早くなれないと暮らせないよ」
「……」
 俺は額にかいた汗を拭いながら階段の方へ向き直り、一度目を閉じた。
 階段側を|人魂(ひとだま)が照らしている。 
 パチン、と部屋の灯りを付けて階段を登った。
 階段を登ると、中二階のあたりに納戸があった。扉を開くとダンボールの箱が沢山詰まっていた。
 納戸は天井が一メートルない高さで、そのままは入れなかった。
 マジックペンで書かれた簡単な内容を読んで、コップが入っているであろうダンボール箱を探しだす。開いてゴソゴソやると、いつも使っていたマグカップが見つかった。
「……」
 それを持ってキッチンに戻った。
 俺は冴島さんの向かいに座って、コーヒーを注いだ。
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 直後、亜夢は思念波世界の中で、SATのリーダーが、はい、という意思表示をしたことを確認した。
 おそらく方法としてはそれしかない。亜夢はそう考えた。
 SATの人たちならネットワークの解析をするはずだ。すぐに外部からのアクセスを確認し、覗き見ている相手を特定するか、接続を遮断することができるだろう。
 お願い…… 亜夢は祈るような気持ちになった。



 地下の駐車場の車の中で、中谷はノートパソコンを操作していた。
 運転席にいる清川がたずねる。
「そのパソコン、どうやって通信してるんですか? 私のスマフォ、圏外なのに」
「ああ、これ? 携帯電波と警察無線のデータチャネルのハイブリッドだよ」
「よくわからないけど、納得しました」
 よくわからないのに納得できるってことは、興味がないのに質問してきたってことだな。中谷はそう思った。
 若い男女が車中で二人っきり。加えて中谷も、清川も独身だった。
「清川くん。こんな時しか聞けないこと、聞いてもいいかな」
「は、はい…… なんですか」
 清川は何を聞かれるか、と身構えた。
 相手は独身のロリコンだ。襲われる、とは思われないが、前触れもなくコクってくることはあり得る。
 ポケットから清涼系のタブレットを取り出すと、清川はスッと口に含んだ。
「署でさ、あの…… パンツ無くなったって件があったよね」
 ヤバい。この件はヤバい。清川は必死に頭を働かせる。
 あの件が中谷にバレていることはない。
 |絶対にだ(・・・・・・)。清川は中谷がカマをかけている、と判断した。
「えっ、もしかして、中谷さんが犯人なんですか?」
 清川が中谷の顔を指さした。
「なんで俺が。なんで今自白しなきゃならんのだ」
「だって、今しか聞けないことって」
「自白って、聞いてないだろ? 自分が犯人ってのは、自白であって聞いてないでしょ?」
 言いながら、中谷はバタバタと手を振った。
「そうでした」
 中谷は急に落ち着いた様子で、静かに言った。
「無くなったパンツって、乱橋くんのだよね?」
「そうですけど…… 中谷さん、怪しい。怪しさ満開です」
 中谷は清川から顔をそむけて、軽くノビをした。
「俺に譲ってもらえないだろうか」
「はぁ? 誰がっ」
 清川は慌てて口を押えた。 自ら所有していると言ってしまっている、いやそう受け取られてしまう。
「えっ?」
 間を開けてはダメだ、と清川は思った。とにかく話して気を紛らわせる必要がある。
「誰がそんな口きいてるんですか。ロリコンは女子高校生はアウトじゃないんですか」
「誰がロリコンなんだよ。いいじゃないか。若くてかわいい女性のパンツが欲しい。健全な男のあかしだ」
 こっちの誘いに乗ってくれた、と清川は安堵した。
「本人を口説くんじゃくてパンツに行くところが健全じゃないでしょ?」
「三次元の美女に欲情するのは健全だ」
「だからパンツが問題だと」
「三次元ならいいだろうが!」
 中谷の興奮を抑えなければならない。清川はすこし間をおいてから言った。
「二次元の萌絵に欲情していた方が害がないんですけど」
「清川くんが……」
 中谷は清川の両肩にがっしり、手をかけた。
 ビクッと、清川の体が勝手に反応する。
「な、なんですか」
「清川くんが署内の掲示板で買います、って書いてくれないか」
「え?」
 意外な言葉に、そう返すしかできなかった。
「俺の名前で書き込んだら、さすがに署に居られない」
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「荷物はもう運んであるわよ」
「あれ、ここ冴島さんの家なんじゃないんですか?」
 俺は表札を指さした。
「そうよ。私も、冴島さんの家に居候しているの。あなたも今日からお仲間ね。ほら、入ったら?」
「失礼します」
 俺は外の門を開け、家へ入った。
 入ると、二階へ続く階段があり、横にはまっすぐ廊下があった。中島さんは廊下を進んでいく。
 俺はそれについて行くと、そこは居間だった。
「俺のディスプレイ!」
 中島さんは、ソファーに横になりディプレイに大写しされているニュース番組を見ていた。
「ああ、ここに設置してって言われてたから」
「ちょっと待って、これ俺のですよ?」
「いいじゃん。無くなったわけじゃないんだから」
 俺はディスプレイに駆け寄って配線を確認する。
 チューナーではなく、俺のパソコンに繋がっている。
「あっ! 俺のパソコンも。俺のパソコン勝手にテレビ代わりにしないくださいよ」
「だから…… いいじゃん。ここで暮らすんだから」
「……」
 今頃になって俺は気が付いた。
 パソコンをつないでテレビを映しているということは、俺のパソコンにログインする必要がある。
 けれどPCはパスワードでロックはかけていた、はずだ。
「あの、つかぬことをお聞きしますが……」
「ああ、パスワードは推測できるようなものをつかっちゃダメね。今回私痛感したわ」
「うっ、やっぱり」
「ハードディスクに保存してあるエロコンテンツも見つかっちゃったわ」
 俺は頭を抱えた。
「えっ、隠し属性にしておいたのに!」
「隠し属性にしたんなら、『隠し属性のファイルを表示する』、ってオプション外しとかないと意味ないわね」
「うぉぉぉぉ……」
 俺は立ち上がって中島さんを指さした。
「プライバシー! プライバシーの侵害だ!」
「冴島さんには黙っておくから」
「何を黙っておくって?」
 廊下の方から声がした。
 ほどなくスーツ姿の冴島さんが現れた。
「ああ、影山くん。来たわね」
「あの、聞きたいことがいろいろと」
 冴島さんはキッチンの方に入って、コーヒーメーカーに豆を入れている。
「なにが聞きたい?」
「どうして引っ越し……」
 急にコーヒーメーカーがものすごい音を立てて豆を挽き始めた。
 俺は大声で言い直した。
「どうして引っ越ししなければならないんですか?」
「あなた、あの連中に狙われているからよ」
「いきなりすぎますよ」
「いそがないと、今度は前みたいに紳士的にやって来ないわ。必ず強行してくる」
 急に豆を挽く音が止まった。
「そうしたら、あんた勝てないでしょ?」
 俺はうなずく。さすがにこのGLPだけでは戦えないだろう。
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「この女狐めッ……」
「美紅さん、待って!」
 俺も冴島さんの後につく。
 階段を上る冴島さんの足が目の前でバタバタ動く。視線はそのまま膝裏、ふともも、と上がっていく。
「いてッ! 何するんですか」
「変なところで顔を上げるからよ」
「俺の方見てないでさっさと上ってください」
「また見たかっ!」
 俺は顔を手で覆って梯子の途中で止まった。
 ロフトの上から冴島さんの声がする。
「ちっ、小窓から逃げられた。これは確実に影山のせいだな。罰金をつけておこう」
「えっ、ちょっと勘弁してくださいよ」
 階段から顔を出したところを踏みつけられた。
「だから、覗くなって! 覗きの罰金も加算するぞ」



 その日は駅前のビジネスホテルに泊まった。翌日、俺はそのまま大学へ行き、授業を終えて家に向かっていた。
 返り道を歩いていると、トラックが通りかかる。普段気にもしないが、その運転席に見覚えのある金属フレームのメガネの女性が座っていた。俺はトラックが通り過ぎて行ったあと、ハッと気づいた。
「あれ? 中島さん…… だよな?」
 トラックが来た方には俺の家がある。
 いやな予感がして俺は小走りに家に帰る。
 階段を上がって、鍵を開けて部屋に入る。
「えっ……」
 何もない。壁一面を覆っていたディスプレイも、キャベツと水を入れる冷蔵庫も。靴を脱いでロフトへ駆け上がる。
 ロフト部分にあるはずの布団も枕も一切ない。
 部屋から俺の持ち物はなくなっていた。
 トラックに書いてある会社名が思い出される。
 そうだ、あれ、引っ越し会社だ。俺はやられた、と思ってスマフォを開く。通知が来ている。
「そこにいるとトウデクア? だっけ、奴らがまたくるといけないから、引っ越しといたわ。引っ越し先の住所はここ」
 俺は電車を乗り継ぎながら、住所の場所に向かった。
 地下鉄を降りて、地上に上がるとすぐのあたりに大きな墓地が広がっていた。
「えっ……」
 大きな墓地の反対側に、高層ビルがいくつか見える。その中の一つは、冴島さんの除霊事務所があるビルだった。
 慌ててスマフォを確認すると、住所の家はどうやらこの墓地の真横にあるようだった。
 もうあたりは暗くなっていて、墓地沿いの道には、ぽつぽつと灯りが点き始めた。
 墓場に見える|卒塔婆(そとば)が動いたように思えて、俺は周りを確認する。
 その付近の地面に黒い影が動く。大きさからしてネコかなにかだろう。けれどそうじゃなかったら……
 俺は小走りに住所の家に向かった。
 小さな屋根付きの駐車場と、二階建ての家が建っていた。
 表札には、『冴島』と書いてある。
「えっ、ここ、冴島さんの家? タワーマンションとか、ホテル暮らしなんだと思ってた」
 誰にいう訳でもなくボソボソとそう言うと、俺はメッセージを入れた。
『着きました』
「……」
『今出るね』
 メッセージは、中島さんからだった。
 しばらくすると、玄関の明かりがついて、鍵が外れる音がして、扉が開いた。
 スウェットを着た中島さんがひょい、と現れた。
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「(直観、だけどこの上、スタジアムのバックスクリーンなの。確かめておきたくて)」
 二人は階段を上り始める。壁沿いにジグザグに上っていく。
 登り切ったところは暗い空間だったが、少しだけ光が差し込んでいる扉があった。
「(出てみる?)」
 亜夢は扉の取っ手を掴む時、一瞬、躊躇した。
 そして開けると、眼下に広がるのはスタジアムだった。
「うわっ!」
 足場は何もなく、そのまま客席になっていた。後ろから押してくるアキナを腕で受け止めた。
「なっ!」
「アキナ、危ない! 落ちたら……」
 どうやらここはバックスクリーンのすぐ横にある作業用の扉のようだった。下に足場はない。
「亜夢、あれっ!」
 アキナが何を見つけたのか、亜夢もすぐに気が付いた。
 このバックスクリーンの下に、人質と思われる人々が一直線に並んでいた。
 そこは搬入口の門になっている場所で、落ちたら大けがでは済まない高さだった。
 その端ギリギリに、人質が立っている。
「なんだろう、みんな同じポーズしてる?」
 亜夢が言うと、その扉の左に広がる大きなスクリーンに映像が映し出された。
「えっ?」
『ヒカジョの小娘に、SATの諸君。見ているだろうか』
 スタジアムのいたるところにあるスピーカーから音声が流れた。
 音声は個人が特定できないように合成音声で流しているようだ。
『何人か解放していい気になっているようだが、まだ人質はいる。多くても少なくても人の命は同じなのだろう?』
 亜夢バックネット側にもある小さなスクリーンで人質の様子を見た。
「ナイフ。人質全員ナイフを自分の首に突き立てているんだわ」
『私が指示すればすぐに首にナイフを突き立て、落ちるぞ』
「卑怯な!」
 亜夢は間髪入れずに反応した。
 宮下への仕打ちといい、敵は全く容赦しないことを思い出す。
「亜夢、あれ、美優じゃない?」
 慌てて落ちそうになるアキナを腕で押さえる。
 並んで立っている人質の、ちょうど真ん中あたりに見覚えのある黒髪の少女が立っている。
「美優!」
 叫んでも反応はない。亜夢は思念波世界をのぞき込み、美優が首に何かを突き立ていることを感じ取る。
「アキナの言う通りあそこにいるの、美優よ……」
 体を出して、下まで飛び降りようとする。
『止まれ! ヒカジョの小娘』
 亜夢は扉を強く握って、降りるのをこらえた。
「(アキナ、敵には見えているってこと?)」
「(それしか考えられない)」
 アキナと顔を見合わせる。アキナが必死に回りを探る。
 美優の|精神制御(マインドコントロール)をしてそこから情報を得ているなら、前を向いている美優には亜夢の行動は見えない。別の方法で見ているか、本人がどこかにいる。亜夢はそう考えた。
「スタンドも、ベンチも、ここから見えるところに人はいないよ」
「スタジアムのテレビ中継室にいるのかも……」
 亜夢は自分で言って、SATの連中と確認済みであることを思い出していた。
 テレビ中継室には誰もいないのに、映像だけ確認することって……
「まさか、ネットで」
 亜夢はそう言うと、SATのリーダーに|思念波(テレパシー)を送る。
『テレビ中継室。外部のネットワークから接続出来ませんか?』
 相手の頭は混乱していた。さっきまで亜夢から|思念波を送っていなかったのに、突然送り込まれてどうしていいのかわからなくなっているのだ。
 亜夢は伝わるようにもう一度問いかける。
『テレビ中継室へは外部ネットワークから接続されていませんか? それが敵のリーダーかも。理解できたら、はい、と思ってください』
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 突然、美紅さんが抵抗をやめた。俺はすぐにひねり上げている手を放した。
「……なに? 今の何」
 俺は狭い通路で、冴島さんの横に立った。俺が来たせいで、中島さんが松岡さんの上に移動した。
「美紅とかいうあなたこそ何者なのよ。なぜ影山くんを必要としているの?」
「言うワケないだろう」
 冴島さんが突き出している手に力が入った。
「ほら、簡単なことから話しなさい。組織の名前は」
「トウデクア」
「なにそれ? 本当なの?」
「本当だ!」
 美紅さんの表情が歪んだ。
 言うはずのないことを、自分の口でしゃべっていることが悔しいのだろう。
「じゃあ、次。あなた達トウデクアの連中は、影山くんをどうしようとしてるの?」
「……」
 歯を食いしばって口を開かないようにしている。
 冴島さんは一度手を引いて、何かを押し出すように手を伸ばす。
「くっ…… わ我々の仲間に引き込んで、霊探しに協力してもらったり、隙あらばこいつの中の霊を抜き…… 畜生!」
 冴島さんの力に抵抗出来なくなったのか、美紅さんは跪き頭を垂れた。
「なるほど。影山くんを仲間に引き入れて、霊集めに協力させつつ、彼の中の霊を取り出そうってことなのね」
 俺の中の霊を取り出す。吐き気まではいかなかったが、腹のあたりが気持ち悪くなって、手でさすった。
「……さっき中島さんから、俺の中には複数の霊がいるって聞いたけど、そんなにいるんですか?」
「いるわ。こいつの中には金になりそうなやつがたくさん…… 畜生!」
 冴島さの術が入っているせいか、俺の言葉に美紅さんが答えた。言葉の最後に、まるでくしゃみをするように悪態?をつく。
「あのさ、影山くん、霊はお腹のなかに入るわけじゃないからお腹をさすっても変わらないわよ」
「……はあ。けどなんか気分悪くなっちゃって」
「今のあなたが維持出来ているのは、霊のおかげかもしれないのよ。それなのに、色香に迷ってホイホイついて行ったら、無理やり霊を剥がされて…… 風邪をひく程度じゃすまないわ。死ぬかもしれない」
「し、死ぬ……」
 そう聞いておれは震えた。
 しかしメリットもある。俺は思い出した。
「けど、俺の記憶は戻るんでしょう?」
「前言ったけど、除霊や霊を剥がすことで記憶が戻るとは限らない。後、警告しておくけど、あなたが今過去を知ってはいけないから霊が守ってくれているのかも。やっぱり、考えなしにやることは得策ではないのよ」
「……もうひと思いに|殺(や)ってくれ」
 美紅さんはうつむいたままそう言った。
 冴島さんが手を押さえつけるように下げた。
 すると、つぶれるように美紅さんは床に突っ伏した。
「何言ってるの。除霊士がそんなことしたら、冴島家はこの後三代まで免許停止よ。|殺(や)るわけないでしょ。影山くんにやらせるならするかもしれないけど」
「ちょっと待ってください。俺も殺しませんよ。もし俺がやっても、冴島さんの契約による指示のせいだから俺は無罪ですよね?」
 冴島さんがニヤリ、と笑って俺に向かって指を立てた。俺はゾッとした。
「私が命令した証拠はないもの。犯行動機は…… そうね。痴情のもつれってとこかしら」
「……」
「あっ!」
 中島さんが声を上げた。
 振り返ると美紅さんがロフトに掛かっている梯子を上っていく。
 冴島さんが慌てて追いかける。
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 二の腕が美紅さんの柔らかい胸にあたる。
「ね? そうでしょ?」
 美紅さんが俺の顔の前に手のひらを向け、すっと払うように動かす。
 もう一度同じことを言った。
「ね? そうでしょ?」
「中島さん。そういう訳だから。俺と美紅さんでイイことするから出てってくれないかな」
「なっ!」
 俺は中島さんの肩を押しながら、戸口の方へ押し出していく。
「待ってよ、外には屋敷から出た霊がいるかもしれないのよ。私を殺す気?」
「悪いけど、中島さん。美紅さんがああ言ってるし」
 美紅さんが急に顔色を変えた。
「霊が出ている? 屋敷から? あなたたち、あの屋敷に何かしたの」
 失言に気付いて慌てて中島さんは口に手を当てる。もう言ってしまったも同然だ。
 また美紅さんが俺の顔の前で手を動かす。
「屋敷で何をした?」
「……」
 言っちゃいけない、言わなきゃいけない、という感情がぶつかり合って、俺はただ固まっていた。
 するとカチャリ、と音がして扉が開いた。
「何やってるの、影山くん」
 後ろに松岡さんが立っている。
「ど、どうやって開けたんです」
「どうでもいいこと言わないで。そいつ、無断で霊を吸い込んで持ち去った女でしょ」
 美紅さん清掃員の恰好をして、俺のバイト先に現れた。そして何度も吸引装置で霊を持ち去った。
「冴島。ちょうどいい。影山はこっちがもらっていくところだ」
「何言ってるの。契約があるからそんなことできないわ」
「契約書に恋愛の項目はない。私と影山は恋愛で契約しているのだ」
「えっ? どういうこと? 契約なんてし……」
 言いかけた瞬間、また胸を押し付けられた。変に気分が盛り上がってきて、俺は美紅さんの体を引き寄せた。
「こら、影山。どうでもいいが、にやけるな」
 中島さんが後ろに下がり、冴島さんが前に出てくる。
 中島さんは冴島さんの左下から、松岡さんは右のさらに下の方から、ちょこっとずつ顔を出している。狭い部屋の狭く短い通路に三人いること自体奇跡だ。
「契約書に恋愛の項目はないわ。けれど、さっきの様子だと、あなたも契約している訳ではないようね。ただ無理やりコントロールしようとしているだけ。ならば私の契約の方が強いはず」
 冴島さんが手を上げて俺の方にてをかざす。
「ほら、影山くん。こっちに来なさい」
 体が自然と冴島さんの方へ進んでいく。
「ダメよ」
 美紅さんが俺を捕まえて離さない。俺はそれでも強引に前に進む。
「その|娘(こ)から離れなさい」
 俺は美紅さんの肩をつかみ、腕を伸ばして体を引きなした。すがるように腕にしがみついてくるが、俺は美紅さんの手首をとって、ねじるように回す。
「痛い、痛いよ」
 俺はやめれなかった。
「痛い、やめて」
「ごめんなさい。何故か、やめれないんだ」
 痛がっている女性に無理やり暴力を続けている自分を何とかしたかった。
「美紅さん、離してください。お願い」
「!」
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「私、霊を集めていたのは知ってるでしょ? あれ、ある組織にやとわれて霊を集めていたの。けれど、もう抜けたいって言ったら、態度が豹変して」
「豹変して?」
「あたし、殺される。秘密を知ったものは生きて組織を抜けられないって!」
 すると、ガチャリと扉が開いた音がした。
「?」
 目の前の扉は開いていない。俺は中島さんを振り返るが、中島さんも分からず首を振る。
「うるせぇぞ、このアマ!」
「キャッ。止めてください!」
 俺は扉の外を覗き見た。
 組織の男かと思ったが、隣の部屋の住人が出てきていた。
 男は俺の部屋の扉を叩いてきた。
「こら、騒がしくするな。さっさと、この女を入れてやればいいだろうが! こっちは夜遅くまで働いて帰ってきたところなんだ。とにかく静かにしろ!」
 お前の声の方がよっぽどうるさい、とは言い返せなかった。
 俺は思い切って扉を開けた。
「話、聞くから中に入って」
 少しだけ開けた扉から、するっと美紅さんが入ってきた。
「最初っからそうしろ!」
 俺は隣人に頭を下げ、そっと扉を閉じた。
「良かった……」
 美紅さんが、ぶら下がるように俺の首の後ろに手を回してきた。
 胸を…… 胸をわざと当てて、体を動かしている、ように思えた。
「ね? 私が来て、良かったでしょ?」
 中島さんが冷たい視線を俺に送っていた。
「あの、|他人(ひと)がみてるのでやめてくれませんか」
「えっ?」
 美紅さんが後ろを振り返り、中島さんの存在を確認した。
「あっ、ごめんなさい。あちら、彼女さん?」
 中島さんは立ち上がって、睨みながらこっちに向かってくる。 
 俺は怖くなって手を振った。
「あの、あの……」
 俺を飛び越えて、美紅さんの方に近づいていく。
「どういうお知り合いかしら」
「どういう関係か説明するのは、あなたの方じゃない?」
 顔と顔が近づく。
 光の加減か、中島さんのメガネが光ったような気がした。
「彼にトンネルに連れ込まれて、胸を触られた……」
「えっ、俺、胸なんて触ってないじゃん? そっちが勝手に押し付けてき……」
「お兄ちゃん?」
 言った中島さん自身、口を手で抑え、ビックリしている。
 言い方と言うか、イントネーションのせいなのだろう。俺には聞き覚えのある別の人物の声に聞こえた。だが、それが具体的にこんな人物、というのは思い出せない。俺に妹とかがいたのか…… だめだ。家族というものの記憶がない。一年より以前の記憶がないのと一緒だ。
「……」
「妹さんか。な〜んだ。そういうこと」
 美紅さんは勝ち誇ったような顔をして、腰に手を当てた。
「妹さんはどんなに好きでも結婚できないのよ。いくら妹でも、お兄ちゃんの自由恋愛の権利を奪うことは出来ないのよ」
 何を言いたいのか不明だが、美紅さんが俺の腕を強く引っ張って引き寄せた。
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「……遠慮しとく」
 中島さんはスマフォを操作して、急に呼び出し音が聞こえてきた。
「誰にかけ……」
 口の前に指をあてた。
「しっ」
 中島さんがスマフォを耳に当てた。
「中島です…… 入ってみたんです…… 霊が大量で…… けど、結局、彼は何も思い出していないんです…… 今、彼の家に避難してます…… 大丈夫ですよ。間違いなんか起こしませんから…… えっ、あの…… 来ない方がいいと思いますよ。めっちゃ狭い…… だから、大丈夫。あっ、切れた」
「なんです、その会話」
「所長がここくるって」
「えっ、入れないですよ」
 俺は周りを見回した。縦に座れるが、座れるというだけだ。何しに来るというのだ。
「そう言ったんだけどね」
 コンコン、と扉を叩かれた。
「えっ、もう来たんですか?」
「そんなワケないでしょ」
 そう言って中島さんは笑った。俺は立ち上がって玄関へ移動した。
 扉の外に、屋敷から流れてきた霊がいるかもしれない。俺は覗いて扉の外を確認した。
 扉の外には、小柄な女性が立っている。
 つやのある真っ赤な口紅。
 見たことがあるような、ないような…… えっと…… 美紅さん。
「影山くん?」
 中島さんから呼びかけられる。
「……」
 俺はもう一度のぞき込む。そうだ。髪が長くて、雰囲気も違う。
 美紅さんじゃない。俺はそう思った。
 見ていると、扉の前の女性は扉を叩いてきた。
「あの…… お願いです。お願いです。開けてください」
 声も、俺の知っている美紅さんよりワントーン低い。やはり別人だ、と俺は思った。
 つまり…… 怪しい。
 あからさまに怪しい。
 さっきまで、そんな焦っている感じもなかった。
 俺は中島さんの方を振り返った。
「……」
 中島さんは無言で首を振った。つまり、同意見だということだ。
 俺は無視しようと思って、扉を離れようとした。
「待って、そこであなたを見かけて。頼れる人があなたしかいないのよ」
「?」
 急に声が変わった。美紅さんなのか……
 俺は扉から覗いてみる。
 カツラを手に持っていて、短い髪、そして内向きにカールしている。
 つやのある、魅力的な唇。
「美紅さん?」
 と、俺は思わず反応してしまった。
「あっ! たすけて、お願い、助けて。組織に追われてるの」
 ドンドン、と扉を叩いてくる。
「組織って?」
 俺が覗いている、と思っているのか、扉の穴の方に顔を近づけてくる。 
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 亜夢とアキナの間には四五メートルほど間がある。そこの壁、床、天井はまだ例の干渉波を発している。亜夢から飛び込めば、またマスターと呼んでいる人物からの洗脳を受けてしまう。
 アキナはこの干渉波を抜けてこちらに来れるというのか。
 いや…… 違う。アキナはこの通路を超えたのだ。もう洗脳されている。だから、これ以上干渉波を受けても問題がないのだ。
「ねぇ、アキナ、聞こえる? 私達は戦わないわ」
 アキナなら、自身の力で|精神制御(マインドコントロール)を破れる。亜夢はそう考えた。
「アキナ? ねぇアキナ?」
「私がアキナだ」
 何かきっかけを与えれば、きっと自分を取り戻せるはず。亜夢は考えた。
「違う。ねぇ、いつものアキナはどこに行ったの?」
「私がアキナだと言っている。マスターは教えてくれた。敵は亜夢なのだと。マスターは敵を倒すまで戦えと言った」
「マスターがどんなやつか知らないけど…… 私はそいつを許さない」
 そのマスターとやらが宮下や三崎にした仕打ちは、亜夢にとってひつとして許されるものではなかった。
「亜夢、今のは矛盾してる。しらないのに許さないという……」
 とっさに亜夢はひらめいた。
「出てきてアキナ。今のはマスターが言わせた言葉よ。アキナは矛盾なんて言葉使わないわ」
「……」
「ねぇアキナ。アキナは『矛盾』なんて意味も知らないんでしょ?」
 固まったように動かなくなったアキナは、構えを崩し、膝をついてしまった。
 うつむいた顔が少しだけ上がる。
 顔にかかった髪を後ろに流す。
「亜夢…… 私だって『矛盾』ぐらい知ってるし、使うわよ」
「アキナ! アキナよね? 戻ってきたのね!」
 亜夢はアキナに駆け寄りたかったが、寸前で干渉波の装置が作動していることを思い出す。
「アキナ、残りの人質はどこ?」
「分からない。ここを通った時に頭がおかしくなって」
「そう…… とりあえず、ここを抜け出そう」
「床が壊れれば、装置は止まるのね。それなら…… 」
 アキナが拳を床に叩きつけた。
 さすがに床部部のパネルはビクともしなかった。アキナは続けて足を振り上げて、踵を振り降ろす。
「ヤァ!」
 アキナの踵が突き刺さるように床に付くと、ドン、と鈍い音がした。
 手応えあった、という表情のアキナは、床を手で引っ張って左右に割った。
「す、すごい」
 そう言って亜夢は手を合わせた。
「さあ、行こう」
「どこに?」
 アキナは亜夢が来た方の道を示す。
「戻るの?」
「うん。たしか、私が最初に行った大型搬入路。SATの人たちも、一緒にいるはず」
 亜夢はうなずいて通路を戻る。
 そして大型搬入路の方へ入る。
「……」
 万一敵がいた場合を考えて、声は出さなかった。
 しかし、見る限り誰もいない。
 |非科学的潜在力(ちから)を駆使しても何も感じ取れない。
 亜夢は床や壁を触って、そこから思念波世界を探索する。
「……」
 アキナが亜夢に無言で問いかける。
 亜夢は首を横に振る。
 何も感じ取れない。亜夢はここがバックスクリーン裏だと推測し、階段を上り始めた。
「(亜夢、どこにいくの)」
 小さい声でアキナがたずねる。
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 中島さんの手を引きながら走り始める。門から屋敷に通じる通路に出ると、そのまま門の方向に走った。
 霊の群れも、俺たちを追いかけるように通路に出てきた。
「影山くん!」
 俺はGLPを屋敷方向に構えた。
 竜頭を回して『助逃壁』に合わせる。
 十分に霊を引き付けると、龍頭を押し込んだ。
 GLPから光る壁が飛び出し、霊をひとまとめに押しやりながら、屋敷の方向へ進んでいく。
「やった」
 俺は中島さんの方を追いかけて、そのまま敷地から逃げ出した。
 中島さんは門の横の扉のノブに紐を括りつけて固定した。
「これで、追ってこないかな?」
 中島さんも、俺も息が切れていた。
「屋敷の外には出てこないですよ」
 俺はなんとなく、この屋敷の壁や門があの霊を閉じ込めている、そう思っていた。
「なんでわかるの?」
「……なんとなく」
「楽観的すぎない? どっかに隠れたほうがよくない?」 
 屋敷の門の前の道の反対側に、俺が住んでいるアパートがある。
「よければ、そこ、俺のうちなんですけど?」
「えっと……」
 頭からつま先までをジロジロ見られた。
「わかった。とりあえずなんでもいいわ」
 俺たちは急いで道を渡って、アパートの階段を上り、俺の部屋に入った。
 狭い玄関を上がって、俺の狭い部屋に入る。
 暗い部屋に先に入っていき、灯りを点けた。
 部屋の全体が見える。ロフトがあって、上るための梯子がかかっている。
 中島さんがいきなり指をさして言う。
「……なにこのテレビ?」
「いや、別に。いろいろな用途に使うから、大きい方がいいかなって」
「部屋の半分、いや一辺を全部占めてるじゃない。せまくなるじゃん」
 確かに端から端近くまでテレビがある。ただ、これはスマフォもつなぐし、パソコンもつなぐ。テレビも見れば、ネットも見る。映像はほぼこれで済ましているのだ。一人で済むにはのこりのスペースがあれば十分だ。
「あと、なんで雨戸閉まってるの」
「窓、開けたことないんで」
「向こうは何があるの?」
 中島さんは雨戸に近づいて行って、内側の窓を開け始める。
「地図上から判断すれば、さっきの屋敷が正面に」
 そう聞くと、体がビクッと震えた。
「やめとこっか」
「そうですね」
「……」
 中島さんが上を指さす。
「寝床しかないですよ」
 中島さんは口をゆがめた。
「なんかないの?」
「えっと、飲み物とか食べ物とかの話ですか? それとも椅子とか座布団とか?」
「どっちも」
「座布団はないので、俺のジーンズ出しますから敷いて座ってください。冷えた水ならありますよ。けど、食うもんはないです…… いや、あった。キャベツがあります。千切りにしましょうか?」
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 俺は左手で影をつまもうとするが、その影は全く手ごたえがない。
「う~~」
 目を凝らして、なんどかチャレンジすると、その影を掴むことが出来た。
『イタイイタイ…… はなせよ、はなせ』
「ねぇ、何やってるの影山くん逃げようよ」
 中島さんは俺の背中の方に回り込んで服を引っ張っている。
「大丈夫ですよ。この霊、痛がってる」 
 腕からはがし終えると、つまんだ黒い影を林の方へ放り投げた。
『おぼえてろよ』
 黒い影はぶるっと震えたように見えた。そして、スッと上昇して消えて行った。
「なに?」
 中島さんが聞くので、俺は答えた。
「おぼえてろって、言ってました」
 それを聞いて、中島さんは急に俺の背中をひっぱった。
「ちょっとまって、何か言ってたの?」
「ずっとしゃべってたじゃないですか?」
「霊の言葉がわかるの? さっきの黒い霊は影山くんの親族や知りあい、じゃないよね」
 冗談だと思って、俺は笑った。
「まさか。霊に知り合いがいるわけないじゃないですか」
 中島さんは手を振る。
「違う違う。親族や知り合いじゃない霊の言葉がわかるんだとしたら……」
「えっ? もしかして普通はあれ、聞こえないんですか?」
 俺の袖を引っ張る中島さんの手が震えた。
「君、ちょっとヤバいかも」
「どういうことですか?」
「それは私もわからないけど……」
 俺はGLPを付けると、林の先に気配を感じた。さっき黒い影が逃げて行った方向だった。
『おら、今度はさっきみたいにはいかないぞ』
 木の幹から、スッと黒い影が現れた。
「えっ、また出た」
『若造じゃねぇか、こんなのにつままれたのか』
 屋敷側に生えている低木の陰から、透明な空気のゆがみのようなものが現れた。
『いや、まてまて、なんかこいつ見覚えが……』
 最初の黒い影の横に、かすかな炎の球が現れた。
 中島さんがそれに気づいた。
「ひ、ひの玉…… に、逃げよう。やっぱりはいっちゃ行けなかったんだよ」
「見覚えって、俺のこと知ってるのか?」
 俺が言うと、火の玉は木の幹に隠れた。
『ビビるなって。束になって襲えば』
『俺たちの』
『勝利だ』
『時計は俺のモンだ』
 あっという間に多数の黒い影現れ、周りを囲まれた。
 さっきの霊はなんとかつまんで投げることが出来たが、この数から、自分と中島さんを守れるとは思えない。
 周りを見回して、一番数が少ない方向を探す。
「(逃げますよ)」
 中島さんに小さい声で囁く。
 小さく中島さんがうなずく。
「(あっち!)」
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 現実なのか、夢なのか、思念波世界なのか……
 目を開いているのか閉じているのか、立っているのか横になっているのか。どこからくる感覚を信じていいのかわからなくなっている。
『亜夢……』
 アキナが呼びかける。
 アキナの顔がどんどん大きくなっていって、口を広げると亜夢の体を飲み込んでしまう。
 暗闇。
 そして水が流れる音がする。
 その間中、頭は上下左右に叩かれ、動かされ続けている。
 こんなに揺れていると、まともに立ち上がられない。
 亜夢は満たされた水で呼吸が出来なくなった。
『苦しぃ……』
 息を吐き切って、苦しくて死にそうだった。
 それでも体は息をしようとして、今度は水が鼻から口から入り込んでくる。
『死ぬ』
 金髪の少女が、手を差し伸べた。
 ハツエちゃん? ハツエちゃん、助けて。
 金髪の少女が分裂する。
 もう一人の少女は腕組みして言う。
『違うぞ』
『助けて、ハツエ』
『この手を掴むのよ』
『違うぞ。考え方を変えろ。概念を突き崩せ』
『助けてあげる』
『違うぞ。わかるだろう』
 手を差し伸べてくる天使のような少女と、腕組みをしてじっと見下ろしている少女。
 亜夢は手を伸ばして、少女の手を取ろうとする。
『違う!』
 手と手が触れ合う瞬間、亜夢は少女の手を叩いた。
 すると空間すべてを満たしていた水が、塵のように分解されていく。どこにも見えなかった水面が下がり、亜夢の顔がその水面の上に出る。
 天使のように見えた金髪の少女は、黒い霧に包まれた。
 目だけが、亜夢の方を睨んでいる。
『ふん、この程度で逃げれると思うなよ』
 亜夢は水を飛び出して、高く宙を舞い、ひねりながら弧を描いて着地した。
 亜夢は頭を押さえながらも立ち上がり、通路をアキナの方へ進んでいった。
「この通路を渡り切れば……」
 進もうとする亜夢の足が震え始める。
「どうして? 動いてよ!」
 亜夢は自身の足を叩き、首をひねる。
「感覚がない……」
 再び襲ってくる強い頭痛。
 干渉波の何十倍もつよいものを流している、亜夢はそう思った。この壁、この床、この天井…… すべてが発信装置なのだ。
 かろうじて動く手を動かし、手首の内側を付けて指を開く。
「光球…… で……」
 手の平の中に光が集まり始める。
 突き出した手から放たれた光球が床を突き破る。
「!」
 亜夢は急に、体が軽くなるのを感じた。
「亜夢、勝負」
 亜夢は耳を疑った。
 アキナがものすごい形相で亜夢を睨みつけている。
「聞こえないなら、こっちから行く」
 アキナは足を肩幅ほどに自然に開き、腰をすこし落として、拳を引いた。
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