そうして待っているうちに、ゆっくりと行列が流れ始めた。階段の踊り場を折り返して、入り口付近に降りた。前のグループが変な歩き方をしているな、と思って床をみた。男が足を投げ出して座っていた。さっき真琴が階段を降りてきた時に、入り口で足を投げ出して座っていた男だった。
 真琴も同じように足を踏まないように店に入ろうとすると、白いシャツに名札をつけた店員らしき男が、真琴を引き止めた。
「お待ちください」
「年齢の分かるものを提示してください」
「え? そんなものないけど」
 店員は、通り過ぎようとした真琴の前に回り込み、入れさせなかった。
「別に普段はそんなことしていないんですが、楽しくない理由で店に入ろうとする人は入店禁止させて頂いておりまして」
「へ? 客を区別すんの」
 真琴は名札の名前を読んだ。
 名越剛(なごやごう)か、覚えておこう。
「トラブルになることが分かっておりますので」
「トラブルなんて起こさないわよ。ここに来るのを楽しみに来たんだから」
「……」
 名越の反応が固まった。
「なんでそこで黙るのよ?」
 真琴が言った。
 どうやら名越は、真琴を見ているのではなく、その後ろの何かを見て固まっているようだった。
 真琴が振り返った。
「ミツルさん」
 名越がそう言った。
 真琴の後ろには、入り口で足を投げ出していた男が、いつの間にか立っていた。
 真琴より少し背が高いくらいで、体格も大きくないし、強そうな感じはしなかった。ただ、無精髭と暗い目つきのせいか、怖い雰囲気は漂っていた。
「入れてやれよ」
 ミツルと呼ばれた男が言った。
「しかし、どう考えても」
「いいじゃねぇか」
「責任とれませんよ」
 ミツルが、真琴の顔をじっとみた。
「ああ、無理ねぇな」
「何?」
 真琴は怒ったようにそう言ったが、内心は怖かった。入り口にいたこのミツルという人物は、足を出して座り込んでいた時から何か危険な気がしていた。
「マイに言って、こいつに化粧させろ。それでいいだろう?」
「責任が……」
「責任責任うるせぇな。責任は俺が取るからいいだろう」
 ミツルの目が変わった。
 真琴が振り返ると、名越が震えたように思えた。
「はい」
 名越はポケットから四角いマイクのようなものに話しかけた。
「入っていいのね?」
「聞いてなかったのか? 化粧してもらえ。それでよければ入ればいい」
 また床にベッタリ座っていた目に戻ると、ミツルは人差し指を立てて言った。
「そうだ、料金まだだったろ。女性はワンドリンクで千円」
 真琴はバッグの縫いぐるみを避けて、財布を取り出し、ミツルに料金を払った。
 真琴の後ろに並んでいる人達は、名越の方へお金を払い、奥へと入っていく。
 しばらくすると、入り口に真琴の半分ほどの背丈の女性がやってきた。
 いや半分は言い過ぎだが、それくらい背の低い女性だった。名越とおなじようなシャツとパンツで、同じように名札をつけていた。
「ミツルさん…… この子ね?」
「化粧室に連れてってくれ」
 真琴はミツルに背中を押された。
「さあ、行きましょう。お嬢ちゃん」
 店員の女性と真琴が化粧室に入ると、もう既に鏡の前は女性三人が化粧を直していた。
「ちょっとその場所貸してください」
 店員が言うと、一番端の鏡の前のスペースを空けてくれた。すると、店員は、ヒョイ、といった風に鏡の前に座った。
「ほら、こっちに来なさい」
 呼ばれるままに、真琴はその女性の前に立ち、されるがままに化粧をした。
 化粧なんて、涼子と一緒にいた、芸能プロのマネージャーに化粧されて以来だった。
 真琴は店員の名札を見た。
 そこには『古谷舞(ふるたにまい)』と書かれていた。
「名越はあれで優秀なのよ」
「?」
「あなたを店に入れようとしなかった店員のことよ」
 古谷は真琴に薄くファンデーションをはたきながらそう言った。
「どういう意味です?」
「見る目あるでしょ?」
「だから、どういう意味ですか?」
 古谷は真琴の頭をグイっと鏡側に引き寄せると、耳元に小さな声で言った。
「(あなたが未成年なことを見抜いたってことよ)」
 真琴はムキになって言い返した。
「……違います」
「本当に違うかどうか。私は私なりの確認方法ってのがあるんだけど、やってみてもいいかな?」
 全体の色付けが終わったのか、古谷は顔を近づけて来て、真琴の唇に口紅を塗り始めた。
「いやです」
「そう…… そう言ったら、私が引き下がると思う?」
 言い終わると、古谷は突然、真琴の頭の後ろに手を回し、舌先を入れてキスをした。ぐいぐいと押し付けてくる強引さに、真琴は抵抗が遅れ、目を丸くするだけだった。
 ようやく顔を引き剥がした時、古谷はニヤリ、と笑った。
「何するんですか!」
 古谷は蛇のように、口から舌をペロペロと出し入れしてから、言った。
「そうね。少しは貴方の主張を認めてもいいかしら」
「こんなことで分かる訳」
「経験はありそう、ということよ」
 古谷が真琴の話しを制してそう言った。
「!」
 真琴は薫との出来事が頭をよぎった。
 古谷は真琴の目にアイラインを描き始めた。
「……これいつまでかかります?」
「もう少しよ。それとも、ここでやめる?」
「いえ」
 鏡に映る、自分の姿をみた。片目だけ強烈に大きく見える、今の状態で化粧を止められたら、不気味すぎる。真琴はすべてが終わるまで大人しく待った。
「さあ、終わりよ」
「ありがとう」
「どういたしまして。もうひとりあなたと同じような子がいたけど、もしかして知り合い?」
 田畑まさみのことに違いない。
 真琴は表情に出ないように、慎重に答えた。
「いいえ」
「そう。そっちの子も名越(なごや)は分かっていたみたいよ。ただ、化粧とか体つきが貴方ほどじゃなかったら、見逃しただけだって」
 じゃあ、ボクは体つきから子供だというのか。ずいぶん失礼な話だ、と真琴は思ったが、知り合いではない、と言った手前、そんなことを話す訳にはいかなかった。
「そんな事をさっき聞いたの」
 古谷が、洗面台からヒョイ、と軽い感じで降りると、真琴のお尻を叩いた。
「ま、とにかく。楽しんで来てちょうだい」


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