真琴は匂いから、今いる場所がクラブの化粧室だと推測した。そして、そこにいるつもりになって、全身の手足の感覚を想像し、合致する感覚を奪った。
 ヒカリも『酔い』に対して耐性がないのは同じはず。
 真琴は体の感覚を取ろうとすれば取ろうとするだけ、そこからの影響を強く受ける。さっき嗅覚だけが、いきなりもどったのは、おそらくそういうことだ。ヒカリが、なれない刺激に戸惑い、感覚を放り出したのだ。
 真琴はパズルのピースを埋めていくように感覚を取り戻した。手の感覚を取り戻した時、手を振り回し、熱く感じた方に顔を向けた。
 目に強い光が入った。
 真琴は視覚を取り戻した。
 不快な刺激に、見ることを捨ててしまったのだ。
 強い明かりを見たせいで、ぼんやりと見えるだけだったが、横で田畑が何か話し掛けているのが見えた。しかし、真琴はまだ聴覚を取り戻していなかった。田畑は何か口を動かしてるのは分かるが、何と言っているのか全く分からなかった。
『ヒカリ、無駄よ。もうほとんどの感覚は取り戻した』
 真琴は意識のなかで、ヒカリにそう呼びかけた。
 本当は、こんな感じに会話していいのかすら、わからなかった。ヒカリは、長い間、友と思ってきた、異世界からの意識体だった。それが、ホンの数日前に反旗を翻し、真琴との主従を逆転した。
 真琴は、それ以降、直接ヒカリとコンタクトしていない。
 今の言葉が、反乱を起こしたヒカリへの、初めての言葉ということになる。
 それなのに、いきなり脅しているような言葉だった。
 真琴は後悔した。
『抵抗しないで、ヒカリ。ボクに協力して』
 聴覚以外はほぼ取り返し、体のコントロールの上では完全に優位に立った。酔いの感覚すらも味方であるような気がした。
 真琴は頭痛を取り戻した。そして、再び左のこめかみを抑えた。
「……のよ。…り、欲しいんでしょ?」
 急に聴覚が復活した。
 その瞬間に、ヒカリに何か、感覚を一つ取られた。
 ヒカリが真琴へ言った。
『ボクは敵対す……』
「……ってる?」
 田畑の声と、再び黒い卵の中へ戻っていくヒカリが残した言葉が、同時に重なり合って分からなかった。
 注意が逸れたせいか、いつの間にか、声をヒカリに奪われた。
「持ってるよ。だから、早くちょうだい」
 真琴は、そう言ってしまった。
 声が出ないのに、耳からは言った言葉聞こえる、不思議な感覚だった。
「最初だから少しまけてあげる」
 田畑は真琴の手のひらを包むように握った。
 手のひらに、小さなビニール袋に入った、パチンコ玉のようなモノを手渡された。
「これ……」
 真琴は自分で出す声を聞いた。完全にヒカリは消え去っていた。
「どうやったら」
「経口薬だから、水でも、アルコールでもなんでもいいわよ。アルコールとかでヤった方が気分は上がるけどね」
 真琴はようやく化粧室の中の、個室の中にいることに気付いた。
 さすがに化粧室といえ、おおっぴらに薬の受け渡しは出来ないというところだろうか。しかし、個室の中に女性が二人入ったら、それはそれで何か疑われないのだろうか。真琴は困惑していた。


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