何もない、学校へと続く道を歩いていた。
 この道を歩くのは、いつもの朝と同じだった。登校時は左手の〈鳥の巣〉の壁が、道に影を作っている。暖かくなってきたとはいえ、朝と日陰が重なると、まだ上着がいるだろう。
 道には、百葉(ひゃくよう)高校の生徒がバラバラと学校への歩いていた。この壁沿いの一本道しかないし、全寮制なので全校生徒はここを通るしかない。寮と学校は一キロ程離れている。
 私は歩きながら〈鳥の巣〉と呼ばれる壁を見つめていた。
 壁の向こうには、某システムダウンの中心地があり、周りには旧国際空港、大きな貿易港もあった。
 軍の基地も演習場も、美味しいお米の取れる田んぼも、牧畜の為の農場もあった。
 今は〈鳥の巣〉の壁に囲まれたこの土地は、避難区域になってしまっている。
 この壁の向こうに…… きっと。
「やっと追いついた! 公子(きみこ)、何で黙って行っちゃうの。部屋にいないし、食堂にもいないから、急いで食べて、走って追いかけてきたのよ」
「あれっ? ……もしかして」
「え〜! 忘れてたの? 今日だよ」
 マミが言いかけたその時、マイクロバスのクラクションが、その声をかき消した。
 そして横を通りすぎる時も、ものすごいエンジン音をさせながら走っていく。音は非常に大きいが、速度は全く出ていない。たった一台の百葉高校の送迎バスだ。
「あのおんぼろ、いつまで使うのかしら」
「今日だったのね。全然気づかなかった」
「そうだよ。頑張ろうね」
 そう言って微笑んだ。
 私もなんとか笑顔をつくった。
「そうだね」
 彼女は、友達になって一週間になる、木更津マミだった。
 正確に言うと、友達らしくなって来たのがここ一週間ということだ。私と彼女は同部屋で、もう一ヶ月も一緒に暮らしているからだ。
 自分が転入してきたころはまだ寮の部屋には空きがあり、一人で一部屋を割り当てていた。ある時、学校が有名になった頃から、突然転入してくる生徒が増え始め、それに伴い寮の部屋が足らなくなったのだ。
 マイクロバスの音が聞こえなくなると、通りは一気に静かになった。
「公子、ちょっと聞いていい? なんでいつもツインテールなの?」
「……」
 答えに詰まってしまった。
 何か答えないと気まずいのは分かっている。
 けれど、まだこの話を人に言えるほど、自分の中で整理がついていないのだ。
「あ、いいよ。言えないこともあるもんね。公子、似合っているよ」
「ありがとう」
 マミは一度、後ろに下がって、また横に戻ってきた。
「髪、少しこっちの位置が下がってきてるよ、直してあげようか……」
 髪に触れられた。
「イヤッ!」
「えっ……」
 ビクッとして手を引っ込めるのが分かる。
 やってしまった。
 こんなにすぐ、冷静になれるのに。
 自分が嫌になる。
「ごめん」
「あ、ごめん、訳あるみたいだもん。触る方がどうかしているよね」
「下がっちゃってる? ごめん、位置良いか見てもらえる?」
 立ち止まって、髪をとき、髪をくくって、もう一度ゴムの位置を整える。
「これでいい?」
 マミはうなずく。
「ありがとう……」
 こういう時の関係の戻し方が二人のなかではまだできていない。
 何か、定番の笑い話でもあればいいのだが。
 前の学校の時は、たいがい、美術の教師か音楽の教師の名前を上げると、そんなに考えないうちに面白いネタが浮かんでくるものだった。
 まだ、二人の中ではそういうものがなかった。
 学校につくまでの、きまずい時間が始まった。
 車通りのほとんどないこの道では、わが校の生徒が歩いている以外に物音がほとんどない。
 左手は〈鳥の巣〉の壁だし、右側に時折立っている家は空き家だ。もちろん、一軒一軒空き家かどうかなんて確認しているわけではない。
 ただ、〈鳥の巣〉の壁側に面したガラスが全部、割れたままで直していないのだ。だとすれば泥棒だって入り放題だろう。それでも直していないということは、やはり、もう、中には何もない。誰もいないのだ。
 たまに、おじいさんが出てきたりするが、どう考えても野宿の代わりにここらの空き家を使っているような感じで、元の住人といった感じではない。学校からも、周囲の住宅には注意するように、と言われている。
「あのさ。公子って、木場田(こばた)と鶴田、知ってるよね?」
「うん」
 良かった。
 良かったのは、木場田や鶴田のことではない。
 自分からは何の話題を出していいのか分からず、どう考えてもこの静寂を破れなかったからだ。
 木場田はめちゃくちゃ背が高くて、女子から人気があるだけでなく、話が面白いせいか、クラスの中で中心的な人物だった。
「木場田の横にさ、いつも鶴田いるじゃん?」
 そう、そっちはあまり記憶に残ってない。
 多分、木場田の半分くらいの背しかない奴で、バカ、とか、殴るぞ、とかしか言わないような男だ。
「いたような」
「そうなのよ、聞いてみると、私の転校前からずっと横にいるようなのね」
「へぇ……そうなのね」
「……なんでみんな鈍感なのかな? 私転校初日に違和感もっちゃったかんね」
「どういうこと」
「出来てるでしょ、あの二人」
「え? 男同士だし」
「鶴田も乱暴な事言うけど、全部木場田の為の発言じゃん。びっくりするよ」
 マミは細かいシチュエーションを持ち出して、全部鶴田が木場田に気があるせいだと結論づけた。
 自分はといえば、楽しそうに話すマミの顔を見ているだけで良かった。自分の髪に、ツインテールに触れられた時には、喧嘩になってしまうのではないか、と思っていた。それがこうやって話を続けられているだけでも幸せだった。
「……ね。これだけあると、出来てんの? って気になるよね」
「すごいね。すごい良く見てるね」
「見てないよ、私男嫌いだもん」
 そう言って微笑んだ。
 一瞬、さそっているのか、と思うくらいに魅力的な笑顔。
 いつもこの場面で喉元まで出かかっている言葉を飲み込む。『私も男嫌いなんだ』
「……そんなこと言ったって、マミは女性らしい体型だし、モテるでしょ」
「え〜 それデブって言ってる?」
「ちがうよ〜 ボンキュッボンって感じだよ」
「だからデブってるって言いたいんだ」
「そんなことないって」
 この話題の時はいくらマミの体を眺めても不審に思われない。だから、なるだけ同じことを言って、話題を引っ張るようにしている。
「?」
「ほら、おっぱいなんか、もう揉んでくださいって感じで」
 私が両手を構えるとマミが胸を隠して言う。
「いやぁ〜 公子変態!」
 このまま触ってしまいたい。

『え?』
 マミが私の手をとり、そっと胸の上に引き寄せる。引き寄せられた手にびっくりして、確認するように顔をみると、
『いいの』
 と、うなずくと同時に指を動かし、手のひらはその重量を確かめるかのように持ち上げたりおろした。ああ、触れたかったマミの胸がここにある……
『やわらかいね』
『あっ…… ねぇ、ちょ、直接触ってもいいよ』
 簡単につけることが出来るようにホックで止めてあるタイをはずし、ブラウスの上のボタンから外していく。
 外したことをきっかけに、内側にある二つの膨らみは、まるで出たがっているかのようにブラウスを押し開いた。