私は時折、頭のなかにスクリプト※が浮かぶ。
 小さい頃は、それが何なのか分からなかった。
 自国語は英語ではないのに、変数や命令文はすべて英語で浮かんだ。
 まだ、誰にも言ったことはない。
 頭に思い浮かぶままをコンピュータに入れたこともある。不思議なことにそのスクリプトはバグもなく動いてしまうのだ。
 自分の中で作り上げられたものなのか、それとも本当にどこかから降ってきているのか…… それは分からない。
 大学の頃…… といってもまだ大学の研究所にいるのだから、大学生の頃というべきだ。大学の学生だった時、この世のどこにもないスクリプトが頭に現れた時に、そのスクリプトが動くシステムを組んでみたこともあった。
 私は化粧室で顔を洗ってハンドタオルで顔を拭っていた。
 今日もやたら長いスクリプトが頭に浮かぶ。
「先生ここでしたか」
「杏美(あみ)ちゃん、何かあったの?」
「実験の準備が出来ました」
「分かったわ。すぐ行きます」
 廊下を歩きながら、見下ろしているようような何千行、何万行と長く、かつ、何列にもなっているスクリプトが意識の中を流れていく。
 それは今回の実験で実際に使うものだった。
 立ち止まって目を閉じる。左下隅にあるコードが、赤く点滅している。実際に点滅しているのではない。全体を眺めていると、違和感があるのだ。
 実験室に入ると、上条くんが近寄ってきた。
「坂井(さかい)先生。実験の準備が出来ました」(坂井知世(さかいともよ))
 さっきの違和感を確かめないと、このまま実験を始めるわけにはいかない。
 共同の居室の為、今月内で一定の成果を上げなければならない。というか、予算も期待もかけられてない私の研究が、学内で別の場所を与えられるとは思えない。
 残りの数日が勝負なのだ。
 私は実験機器が並ぶ部屋を眺めた。
 測定機からのケーブルが束になってアイ・オーボードに入っている。それをコンピュータで瞬時に画像化して見れるようになっている。
 違和感のあるスクリプトが動いているのは、確か……
「今日は、何倍に設定しますか?」
「……」
「計画通り実施しますか?」
 違和感があるまま実行したら後悔する。
 一度初めてしまえば、再度準備を整えてスタートするのにまた何時間かかかってしまう。これ以上生徒を拘束することは出来ないだろう。
「ちょっとまって」
「えっ?」
 私は目をつぶって、違和感のあるスクリプトを確認した。
「測定する部分のプログラムは大丈夫? Dパートの測定機で動かすスクリプトを表示させて」
「オンラインできているものではないので、向こうに行かないとダメですね」
「分かったわ。ちょっと行ってきます」
 ケーブルの束が分岐して伸びている左の先に向かった。上条くんもタブレットを胸に抱えながらついてくる。
「担当者はいる?」
 上条くんがタブレットを確認している。
「水谷さん? ちょっとこの測定機のプログラム出して」
 私はヤニ臭い、と思いながらその水谷の頭ごしに測定機のプログラムを目で追った。
 頭の中で考えていたののと、同じ違和感。
「ここの分岐、ここの分岐の条件をちゃんと説明して。この式で判定出来る?」
「……出来ますよ」
「違うな…… 上条くん、変数の意味をもう一度正確に追って。比較演算子逆じゃない?」
「えっ……」
 水谷はムッとした顔でこちらを振り向き、上条くんは慌ててコードの前後を追いかけ始めた。
「上条くんと一緒に見て、間違っているなら直して、本当に大丈夫だったら実験を始めます」
 ああ、こういうキツイ言い方をしなくてもいいのに。自分でも思うことはある。
 けれど、余計な気遣いの言葉を言っていると時間が無駄になってしまう。
 今は時間がないのだ。
 私はそのまま実験室を戻り、もといたコンピュータの前に戻った。
「杏美ちゃん、そっちの箇所は大丈夫そう?」
「温度も安定してますし、計測には問題ありません」
「そう良かった」
「先生、上条くんが……」
 私はタブレットに目をやった。
『おっしゃられた通りでした。比較を逆にするだけですので、すぐ終わります』
 と書かれていた。
「杏美ちゃん、了解」
 私は椅子に座り、急いでタブレットで打ち返した。
『いそがないでいいから、本当に逆が正しいか、処理内容も合わせて確認のこと』
『承知しました』
 


※ スクリプト:ここではコンピュータ・プログラムのソースコードの意味