私はタブレットのケースを閉じて、目を閉じた。
 今回のスクリプトが全て頭に見えてくる。
 違和感があったところが修正されていく…… これでコードの懸念点はなくなった。
「坂井先生」
「!」
 椅子を回して振り返ると、そこには杏美ちゃんの姿はなかった。立っていたのは、中島所長の姿だった。
 私はタブレットを机に放り出して、慌てて立ち上がった。
 こちらを見ると、ニッコリと微笑みながら近づいてきた。
「|知世(ともよ)、実験の進みはどう?」
「中島所長。いらっしゃいませ。実験はまだ確認事項が少しあって」
「所長ってのはやめてよ。いつもは梓(あずさ)って呼び捨てにするくせに」
 確かに呼び捨てにしていたが、それは中島所長が呼び捨てにしてくれ、というから|無理にそうしていた(・・・・・・・・・)だけだった。何故名前で呼び合いたいのか、私には理解出来なかった。
 私と所長は、ふたまわりほど年齢が離れていて、中島所長の方は長年の実績を買われて、この研究所『初』の女性所長になっている。三年間も同じ研究を続け、未だにまったく成果の出ない私とは比べようもない。
「所内ですし」
 所長は諦めたような顔をした。
「実験はいけそうなの?」
「もう少しで開始出来ます。最後の確認事項ももうすぐクリアになるところです」
「そう。がんばってね」
「は、はい」
 急に後ろにまわられて、両肩に手を置かれた。
「そんなに肩に力を入れてはだめ。リラックスして」
 所長はそのまま両肩を揉んできた。
 すこしくすぐったい。
 おじさんがするセクハラギリギリの行為に近かった。
「あ、あの、肩を揉むのは……」
「えっ、ああ、イヤだったかな。ごめんなさい。今言っていいかわからないけれど、この研究には期待しているのよ」
「……」
 私には、それがお世辞なのか、嫌味なのか分からなかった。
「この実験。ある企業から共同で研究したい、という申し出があったの」
「えっ?」
 私の表情を見てか、所長は何か考えたようだった。
「やっぱり終わってから話すわね。今は実験に集中して」
 所長は背中を向けて扉に向かい、カードを取り出すと、さよなら、という感じにそのカードを振った。同時に、その手からエメラルドのリングがチラっと光った。
「しっかりね」
 そのカードを実験室の扉に設置したカードリーダーに開けると、自動ドアが開いた。
「坂井先生」
 今度は杏美ちゃんの声だった。
「上条さんの確認終わったとのことです」
 タブレットを開いて、メッセージを確認した。
『上条くん。戻ってきて』
 書いている間に、上条くんが戻ってきた。
 上条くんは私のタブレットをちらっと覗きこんだ。
「もう戻ってますよ。さあ、どうしましょう。念の為、100倍からやりますか?」
「計画通りで行きましょう」
 私はさらに続けた。
「計画通りに、最初に200倍。安定したら250、275、300倍まで試しましょう」
「分かりました」
 上条くんがそう言うと、装置をスタートさせる指示を出した。
「200倍から」
「……」
 何度かクリアしている実験ではあったが、今回の工夫によって、より安定的な動作が出来るはずだった。そして安定することで、300倍までの性能を発揮する…… はず、なのだ。
「坂井先生、周波数確認しました。非常に安定しています。前回の実験とは……」
「待って」
「はい」
 小刻みに上下する波動が画面に描かれていた。
 クロック数は現在の上限と思われているクロックの200倍。
 計測が間違えなければ、だが。
 このクロックを回路に流せば端で反射する。
 初期の実験装置ではこの端の反射が想定より大きいせいで、マトモな結果が見えなかったことを思い出す。
「もう一度、各値をチェックして。本当に200倍出ている?」
 論文に書いてから、別の研究室で追試され、ウソだの実験結果の捏造だの言われたくない。
「各自、担当分の再チェックねがいます」
 慌ただしく確認が目視チェックを始めた。
 メモ紙の上で軽く計算をし直す者もいた。
 遠隔地にはタブレットで、再チェックの指示を与えた。