実際、機器に触れようとする自分の手が、震えているのに気づいていた。
 この状態でやったら何か悪いことが起こる、と思えた。
「……お願いするわ」
 何もかも見透かされているような気がした。
 頼りになる、という気持ち以上に、嫉妬のようなものが上条くんに対して沸き起こるのを感じた。
 しばらくすると上条くんが戻ってきた。
「坂井先生。正常化しました」
「続けましょう」
 皆がうなずくと、最終目標の300倍へ移行した。
「300倍です」
「……チェックして」
 杏美ちゃんがタブレットで画面を切り替え切り替えてチェックをしていく。
 上条くんも同じようにチェックし、各員の応答も同時に確認してくれた。
「OKです。先生」
「成功、ね」
「そうです」
 上条くんが微笑んだ。
 自分自身で画面を見れば分かる話なのに、上条くんの顔で結果を確信している自分が情けなかった。
「皆、ありがとう。実験は成功したわ。測定器の記録をローカル側にも保存しておいて。保存したらこっちに集まって」
 タブレットでも同じ指示が飛んだ。
 張っていた気持ちが緩んだせいなのか、涙が出てきた。
 全員の前で何を話したのか、もう覚えていなかった。
 拍手と笑顔で囲まれて、とても幸せな気分だった。
 普通の会社に就職したら、こんな体験はなかっただろう。同じように一つのことをやり遂げることはあっただろうけれど。
 皆が後片付けを終えて、一人、一人と帰っていった。
 私は座って背もたれに体を預け、少し眠りかかっていた。
「打ち上げ飲み会の日までに実験が終わってよかったですね」
 杏美ちゃんが、ポツリ、と言った。
「あっ、もう予約だけしてたんだっけ……」
「そうですよぉ。私、キャンセル料のこと考えて、ちょっとドキドキしてたんです」
「そんなことまで心配かけて、ごめんね」
 ピッとカードが操作される音がして、扉があいた。
「坂井先生、第一応接室にお客様がお待ちです」
「?」
 そう言って、上条くんが目の前に立ち止まった。
 何も予定はないはずだった。
 実験が終わるかどうかすら不明だったからだ。
「所長がどうとか、とにかく今会うことになっている、と……」
 なんだろう、と思ったが上条くんが通す、ということはそれなりの人物ということか、と思った。
 私は立ち上がると、杏美ちゃんが寄ってきた。
「先生、お顔を少し」
 タオルで軽く拭ってくれた。
 多分、涙の後が残っていたのか何かだろう。
「上条くん、少ししたら行くと伝えてください。後、上条くんも一緒に会ってくれる?」
「はい」
 化粧室でメイクを整えてから、私は第一応接室へ向かった。本当は、メイクを整えたというより、汚くなったところを拭ったにすぎなかった。
 部屋に入ると、上条くんがコーヒーを置いているところだった。
 来客は急に立ち上がって、名刺を突き付けるように出した。
「XS(エックスエス)証券の林です」
「はじめまして」
「坂井先生の研究、実にすばらしい。我々はこの研究を早く実用化したい」
「……」
 何もかもがいきなりだった。
 手に押し付けられた相手の名刺は、XS証券とは書いていなかった。XS外貨オンライン、確かにそう書いてある。
 取締役 林小太郎。
 この段階で、取締役が出向いてきている。
「ああ、すみません。社名は前のままなんです。私の名前も、会社の住所と連絡先も同じですから」
 いや、そういうことじゃない、と思った。
 その人の行動や名刺は信用をつくる上で重要な部分ではないのだろうか? すくなくともこの人はそうは思っていないようだ。
「座りませんか。早く話をしたい」
 またそんな話だ。
 この人は何を焦っているのだろうか。
 上条くんが椅子を引いてくれた。
「すみませんが、上条も同席していいでしょうか」
「……ええ、かまいません」