「上条くんも座って、一緒に聞いて」
「林です」
 上条くんにもポン、と名刺を渡した。
「ああ、XSビデオオンラインの会社ですか?」
 林の顔が一瞬、気味悪い感じに歪んだ。
「やっぱり男の子ですね」
「?」
「いいえ、そんなことは置いておいて。先生の研究している水晶のファイバー、新しい水晶振動子。そこら辺を、ごっそり、全部、実用化させたいんですよ。ほら、この前うちが子会社にしたMM電気通信株式会社。そこに作らせて」
 何を言っているのだろう。
 今さっき、実験レベルがクリアされたばかりだというのに。いや、実験レベルがクリアされたことを知っている、というのか。
「まだ、実験をしている段階で」
「いや、もう実験も終盤のはずでしょ?」
「何故」
「別に盗み聞いたり、不正に情報を集めたわけじゃない。信用してください。確実に製品化して、相応の報酬の支払いを約束します」
「だから、何を言っているんですか。私はまだ論文を」
「そんなのんきなことは言ってられないんですよ。先生のファイバーがあれば、世界を飲み込むことが出来る。ごっそり先回りして、世界中の株を、先物取引を、全部ね」
「?」
「何を言っているか、分からなくていいんです」
 さっきとは別の、もっと嫌な感じに口元が歪んだ。
「とにかく。実用化の権利を独占させてください」
「……」
「実用化しなければ、ただの論文で終わりです。実用化すれば…… 世界は変わる。本当ですよ。坂井先生。良い答えを待っています。契約書はここに入っています。それでは」
 林は立ち上がると、紙コップをヒョイっと持ち上げ、グイッと一口で飲み干した。
「3日後。ここに来ます。所長にも約束をとっています。それ以上は待てません」
 上条くんが慌てて先回りし、応接室の扉を開けた。
「あ、ここでいいですよ。それでは」
 私は立ち上がりもせずに、林を見送った。
 何の話をされたのか、もう一度整理していた。
 私の研究のうち、水晶構造を持ったファイバーと、超高周波水晶振動子に興味があるようだった。それを一社で実用化したい。独占使用をしたいということだ。
 正直、製品になった時のことなど考えていなかった。
「坂井先生。チャンスですよ」
「……チャンス?」
 よく分からない企業に、こちらの研究成果を渡すことが?
「文面は私がチェックします。先生に不利なことがあれば必ず知らせます」
「チャンスなのかしら?」
「論文はお金には直結しませんからね。理論的にはOKでも工業製品になるまで時間がかかれば、その間に代替の技術が出来ていたりして、お金には結びつかなかったりします」
「お金……」
 お金のことは考えていなかった。
 必要なもののお金は十分にあったが、父の死のことを思い出すと、この世の中で、お金の必要性は嫌というほど知っていた。
「そうですよ。XS(ここ)なら相当儲かっていると思います」
「そういば、上条くんはXSを知ってたみたいね」
「あっ、そうですね。はい」
 その時、応接室の扉が開いた。
「坂井先生。ちょっとお話し良いかしら?」
「所長」
 返事を待たずにそのまま林が座っていた席に座り込んだ。
 私は椅子を回してそちらに向き直った。
「良い話だと思うんだけど」
「待ってください。XSの話でしょうか?」
「製品化、工業化は必要よ。今回の研究は理論だけで終わるものじゃない。今回のことがまとまれば研究所や大学への寄付金についても考えていただけるそうよ」
 もうそんな話まで行っているのか。
 おかしい、そんなに回線速度が必要な企業があるのだろうか、いったいどんなデータをやり取りしているというのだ。
「回答は3日後ということに」
「知世(ともよ)ちゃんは考える必要はないわ。あ、念の為、法務の方に確認させるから、私でいいから契約書のコピーを送って」
 所長の問いかけに、上条くんが返事をした。
 上条くんがいる前なのに、私を『知世ちゃん』と呼んでしまっている。
「中島所長、何をそんなに焦っているんですか」
「……成果が欲しくないの?」