所長は立ち上がった。
「知世ちゃん、自分の立場も考えて。もう何年もこのガラスと水晶の研究をしているのよ。成果もなしで」
 怒りが混じった表情だった。
 中島所長が、同じ研究室だった時のことが頭をよぎった。
 中島さんに、何度も何度も呼び出されて叱られて、何回も書き直し、何度も『紙』の書類を出しにいった。
 中の論旨がどうとかではない。
 ページが間違っている、レイアウトが悪い、図表が悪い…… 誤字脱字、表紙のフォントが違う……
「いい、考える余地はないの。契約上問題になる部分は、契約書の修正を要求すればいい。契約を前提とします」
「……はい」
 私には選択肢はない。
 最初からそう言えばいいのだ。
 私は立ち上がって、頭を下げた。
「坂井先生。それでは、よろしくお願いします」
 扉を開けて所長は出ていった。
「……なんか、もう急展開すぎますね」
「実験が終わったばかりなのに、ごめんなさいね。上条くん」
「いいんですよ」
「この話は、明日の打ち上げでは……」
「大丈夫、話したりしませんから」
 私はうなずくと、腕をテーブルにのせて、そこに頭をのせた。
「お疲れのようですね。私は研究室に戻りますが、応接室はまだ2〜3時間予約してありますから、ここに居ても大丈夫ですよ。」
「ありがとう。それじゃ私はここにいるから、何かあったら連絡して」
「はい」
 そう言うと上条くんは応接室を出ていった。
 この数時間で起こったことがよく理解できていなかった。
 考えてた通り、ファイバに水晶構造が入ると光りの集中が減り、ファイバヒューズ:光ファイバへ高出力をかけると、突然光球が進行方向と逆へ進行し、ファイバを壊してしまう現象の発生を抑えられる。
 これまでのケーブルよりは高価になるが、安定して高出力を使えるのだ。
 実際の実験はこの光ファイバーと、電子回路に使う水晶振動子の構造だった。
 電圧をかけると安定した周期で変形し、クロックを作れる水晶振動子だが、これを今までより簡単な構造で高クロックを取り出すようにしたものだった。
 今までやってきたガラスと水晶の研究で、ものになりそうなものはこれだけだった。
 その実験が上手く行き、いままで上限とされていたものの300倍もの性能が出せることが確認できた。
 何ヶ月かかけた実験が終了した、その数分後に、企業の取り締まり役が来てその権利を買いにきた。トントン拍子というには早すぎる。
 仕組まれている、と考えてもおかしくない。
 巻き戻って実験は果たして成功だったのか、というところまで疑いたくなる。
 私を騙す為に、皆が成功したように見せかけたのではないか、とすら思いはじめていた。
 私は壁に向かって、声にだしてみた。
「変な考えは、やめよう」
 何かある時は、こうやって壁とか天井に話し、自分に言い聞かせてきたのだ。
「実験は成功した。今日はそれだけを持って帰ろう」
 私は部屋に顔を出し、帰る前に研究所のシャワールームへ向かった。
 このまま電車に乗りたくなかったのだ。
 汗臭かっただろうし、シャツが肌についていた。簡単に言えば、着替えてから帰りたかった。
 シャワーを浴びていると、もう一人シャワーを浴びに入ってきたのがわかった。
 私は髪をすすいで、体をスポンジで洗い始めると、後から入ってきた人物が、真後ろから見ていることに気付いた。
「誰?」
「知世(ともよ)」
 そう聞こえると、いきなり後ろから抱きしめられた。
 過去にもこんなことがあった。
 私は目の前に回り込んだその手をとり、指についている指輪をみた。
 小さなエメラルドを一文字に並べたリング。
 ……中島所長だった。
「びっくりするじゃないですか」
「良かったわ。脅かすつもりだったし」
「充分驚きました。だから、そろそろ離してください」
「冷たいこと言うのね」
 私は所内での生き残りの為にしてしまった過去の事を後悔していた。
「冷たくないですよ。所長さんがこんなことしているところ見られたら、セクハラ問題になりますよ」
 所長の指が、私の乳房を求めるように体を這ってきた。
「知世(ともよ)が訴えるかしら?」
 先端をさぐりあてると、つまんで回した。
「あっ…… わ、私が…… 私が訴えなくても、回りから見ればどういうことかは明らかなのではないですか」
 もう一方の手が足の付け根の真ん中へ、するすると降りてくる。
 中島所長はそれと同時に、顔を私の耳元に近づけてきた。
「本当にイヤがっているの? 反応を見ていると、そうは思えないんだけど」