私は録音された音声に突っ込みをいれた。
 検査をした。日頃の体調に不安はなかったのだが、その『至急』という言葉に引っかかってしまった。
 言い間違えだとは思うけれど、何故そんな間違いをするんだろう。
 聞いている患者がどれだけ不安になるか、考えたことはないのだろうか。
 それとも…… 本当に?
 明日は…… 明日は実験の予備日だった。今日実験は終わったから、明日は打ち上げだけだ。大学病院に行く時間はある。
 研究の行く末と、自分の体への不安。
「あっ、また……」
 不安をさらに掻き立てるように、頭の奥でソースコードが生成される。
 今日、私の頭に降って湧いたものは、まだ見たこともない文字によるスクリプト・コードだった。
 まるで現実の風景にオーバーレイして映し出されるように明確に、文字がつらなっていく。
 見たことのない文字なのに、なんの動作をするのか、なんの目的なのかがぼんやりと分かる。
 これは水晶の動作を記述したものだ。
「水晶の動作? ですって?」
 驚いてしまって、壁に向かって声を出してしまった。
 現実はすべて超巨大な電子計算機上のシミュレーションである、というウソのような話を思い出す。
『これは水晶動作のソースコード』
 聞き慣れない音が、|そう言っている(・・・・・・・)。
「誰?」
 居るわけがない。
 |音として聞いた(・・・・・・・)事自体が錯覚のようなものだ。コードと同じように、頭に直接入り込んでいるようだった。音は聞き慣れないものだが、|意味は分かる(・・・・・・)。
『読め』
「どういうこと?」
 居ないことは分かっている。私は自分に言い聞かせる為にそうつぶやいた。
『読め』
 この『水晶動作のソースコード』を読めということだ。
 この文字を、私は知らない。
 不思議なことに意味は分かるのだ。
 だが、これを『読む』ことは出来ない。
「出来ない」
『読め』
 ぼんやりと、そう言っている人物の影が見えそうだった。いつか見たことがある。何度か、おそらく夢の中で。
 その人物は何度も何度もそう言い続けた。
 私はコードを何度も頭の中で先頭から終わりまで何度も眺めたが『読む』ことはできなかった。動作とコードは完全に頭に思い描くことができた。
 神が現れ、神託を授かる、というのはこういうことなのだろうか。
 しかし、このスクリプトを記述して実行する環境などない。それこそ、このコードが動くのは『神の』コンピュータ上なのだろう。
「このスクリプトを実行する環境があるのかしら」
 そう思った頃、ようやく声の人物が消えた。
 私の中に現れたソースコードは、自分の心が生み出した光りや影なのだろう。今日見えたコードは、将来への不安から生み出された幻想。私はそう思うことにした。
 このベッドで寝てしまえば、もう明日だ。
 私は灯りを消して、眠りについた。



 実験打ち上げの飲み会に行くため、一度自宅で着替えよう。私は家に向かう電車に乗っていた。お金が必要だ。昨日までとは違う額のお金が。
『早期に手術が必要です。といってもそれを出来るのは……』
 まるでドラマね。
 私は電車の床を見つめながら笑ってしまった。
 施術を出来る医師は何人も居ず、その順番待ち。手術に掛かる金額は法外。
 向かいに座っている子供が私に向かって「へんなの」と言った。
 そのボクに『ここが病院でなくて良かったね。病院だったらお姉さんもっと変だったのよ』と言いたかった。何もないところを見て笑うくらいなんだ。私の身に起こっている事に比べれば、変でも何でもない。
「あっ……」
 また目の前の風景にコードがオーバーレイされ、加えて外の音が聞こえにくくなった。
 子供の顔の上に昨日の水晶動作のソースコードが流れるように表示された。
『読め』
 ダメ、ここは電車の中なんだから。
 私はこれが収まるのを耐えなければならなかった。今どこの駅を過ぎたとか、社内のアナウンスを必死に聞き逃さないように注意した。
 目を閉じれば見えるものが、そのコードだけになってしまう。
 出来る限り別の風景をみていないと……
 私は立ち上がって、ドアのそばに達、外の流れる風景をみた。横に流れていく風景に、重なって縦に流れるソースコードのせいで、車に酔ったように気持ちが悪くなってきた。
 何駅か過ぎた頃、繰り返し聞こえていた『読め』の声が聞こえなくなった。
 しかし、コードのある部分にアンダーラインが引かれた。この世界での水晶の性質を表す、重要な記述のようだった。私にはなぜその一連の部分に、急にアンダーラインが引かれたのかわからなかった。