急に上条くんが周りに言った。
「先生ももう一度グラス持って」
 見渡すと、グラスを上げた。
「乾杯!」
 午前中の病院での告知が頭をよぎった。
 飲めもしないグラスをグイッと傾けると、目が回り始めていた。
 この時点ではただの立ちくらみだったかも知れないが、会が半分を回った頃には、本当に目が回っていた。
「あの時、よく測定機のスクリプトが怪しいって気づきましたね?」
「あぁ…… あれ、あれはカンよカン。おんなのカンてやつ」
「マジですか、女のカンって凄いですね」
「すごいのよぉ。スクリプトなんか一回見れば頭にはいるからぁ」
 自分では正確に発音しているつもりなのだが、口や舌が伴っていないのがわかる。
「プログラムコードは大部分が論理的なのだけれど、ある部分は感情的でもあるのよぉ。わかるぅ?」
 上条くんが笑いながら答える。
「なんとなくは」
「そこよそれなのよぉ……」
 自分の限界の酒量を超えている。頼んではいけないと思っていた。
「もういっぱいもらって」
「ダメよ」
 後ろから声がした。
「もう飲んだらダメ。帰れなくなる前に、気持ち悪くなっちゃうから」
「しょしょちょう…… じゃなくて|梓(あずさ)じゃない。今頃おそいわよ」
 中島所長は、上条くんをどかして、私の横に座った。店員を呼び止め、私の注文したお酒の変わりに何か違うものを頼んでいた。
「|知世(ともよ)も珍しいわね。こんなに飲むなんて」
「梓ものもぉよぉ」
「……知世は帰れなさそうね」
 所長の口元が笑ったように見えた。
「かえれますよ、かえれますから」
「そう言う時はダメなのよ。分かっているんだから」
 店員が所長にグラスを手渡した。
「ほら、お水。飲んだほうがいいわよ」
「あぁ…… 日本酒でしょう…… 梓はいつもそうやって日本酒飲ませてたもん……」
 私はグラスを右から左から眺めまわした後、上から口をつけた。
「いたらきます」
 アルコールなのか、水なのかがわからなかった。
 ふと、昨日の晩に現れた人物の影が見えた。
「あっ!」
 現実なのか、いつものソースコードのように現実にオーバーラップしている夢なのか、全くわからなかった。部屋の先の扉から、その影が出ていった。
「待って!」
「どこ行くんですか、坂井先生」
「知世!」
 後ろから大声で呼ばれるが、何故人を追って部屋を出たぐらいで騒いでいるのかわからなかった。
 私はその人物の影を追い続けた。
 昨日は男かと思っていたが、姿は女性のようだった。とはいえ、正面から確認したわけではなく、なびく髪が長いから女性に見えているのかもしれなかった。
 昨晩の『声』は男のように低かった。
「待って!」
 走っていた影は、急に立ち止まると振り返った。私は正面で向き合ってしまった。
「やっぱり女?」
 美しい顔立ちと胸元の宝石。
 眉間にはビンディがあるように見えた。
「インドのかた?」
 そのまま手を伸ばしてきて、私の両肩を抑えた。私は
「危ない!」
 杏美ちゃんの声が聞こえると、目の前の女性が消えた。
「えっ?」
 大きなクラクションの音が聞こえ、大きく迂回した車が高速で通り過ぎていった。
「大丈夫ですか!」
 杏美ちゃんが息を切らしてやってきて、私の手を引いた。
「坂井先生、怪我はないですか」
「知世…… 急にどうしたの」
 所長の声が聞こえた。
 何があったのか、ぼんやりと理解した。
 おそらく、私が夢遊病のように店を出て、国道で車に引かれそうになったのだ。さっきまで見えていた女性の影は、私の幻覚かなにか。
 私はそのまま目が回って、杏美ちゃんにもたれかかってしまった。

 記憶をなくすほど酒を飲む。
 そんな事はウソだ。