「呼んでます」
 意識が薄れていくなか、女性の姿が現れた。美しい顔立ち、胸元の宝石。あの晩、私が道路に飛び出す寸前のところを、抑えてくれた人物。
 その人は、光るような薄い色の髪が腰まである、長身の女性だった。どことなく、中島所長の若い頃にも思える。
 現実の景色は全く白く霞んでしまっているのに…… これこそ幻覚というものだろう。
『読め』
 女性が、|また(・・)そう言っているのが分かる。
 読めないです。
 私はどうやってこの字を発音していいか、なんと読んでいいのか……
 その女性は私の方を見て、睨んだ。
 そのまま足も使わず、スッと私に近づいてきて、私を通り抜けていった。




 気がつくと私はベッドの上で寝ていた。
 点滴が繋がっていて、口にもマスクがあたっていた。
 重大な状況なのかは分からなかった。
 もうどこも苦しくなかった。
「気が付きました?」
 返事をしようとしても、口がまともに動かない。しびれているのか?
「大丈夫ですよ。寝ていてください」
 看護師が言う言葉はハッキリと聞こえる。自分の意識はしっかりしている。
「ぉがぉっぁ……」
 口が、喉が、正しく言葉を発せられない。
 何故なんだろう。
「落ち着いてください。我々に任せて。状態は安定しています。寝ていていいですから」
 手も足も同じように動かない。意識はしっかりしているのに、何もかも動かない。
 このまま寝てしまったら、本当に私は……
 次に起きることはないのでは?
「…がぁ…… ぁっ……」
 全く動かない。
 また見ている景色が白んでくる。
「っ……」
 意識もぼんやりし始めた。
 宙に浮いているような文字列がスクロールし始める。またあの、水晶動作のソースコード。
 心配そうに見つめる女性看護師の後ろに、あの女性が立っている。
『読め』
 声が出ないのに……
 助けて……




 次に目が覚めたのは、病院の個室だった。
 蟻地獄から体が飛び出して、生き返ったような気分だった。
 全く体が動かなかった、あの時の状況は脱したようだった。
 しかし、告知の時に聞いたように、対処療法でしかない。根本的な治療を受けるには、巨額の医療費を用意し、長い待ち行列の最後に書き加えてもらって、手術を受けねばならない。
 ベッドを起こして、上体を起こすとチャイムがなった。
「どうぞ」
 ドアが開くと、上条くんの顔が見えた。
「先生……」
「坂井先生。無事で良かった」
 上条くんの前に、XS証券の林取締役が割り込んで、先に病室に入って来た。
「(止めたんですが……)」
 申し訳なさそうな上条くんの声が聞こえた。
 ものすごい匂いのする真っ赤なバラの花束を私の足元に放り投げると、林は隣の椅子にドカッと座った。
「今、上条くんに色々やってもらってるよ」
 上着からタバコを取り出すが、何か考えたようにそれを戻した。
「これは確実に特許が取れる。先生の特許だ。超高速の光ファイバー。試作ももう出来ますよ。これを武器にXS証券は新たな株取引の世界を作り上げる」
 看護師が入ってきて、迷惑そうな顔をした。
「すみません、声が大きいです」
「ここは個室じゃないか。声が大きいと言われるが、壁が薄いせいじゃないのか?」
「すみません。病院なので、静かにしてもらえますか」
「分かりました。すみませんでした。」
 上条くんが頭を下げた。
 看護師が怒りかけたところを上条くんになだめられた格好になった。
「まあ、とにかく順調だよ。先生の水晶の棟もどんどん作っているから」
「えっ? あれは来年とかの話じゃ」
「来年じゃ遅いって。商売はスピードだよスピード。まぁ、みてなさい。半年で作らせるから」
 上条くんが苦笑いしていた。
「じゃあ、元気そうで良かった。早く研究に復帰して、もっと凄い水晶の応用研究をしてくれ」
 林は、上着のタバコを口に加えて、病室を出いていった。
 上条くんが残った。
「ついていかないでいいの?」