その日より後は、誰もお見舞いには来なくて、次第に体調も安定してきた。
 林がお金を払っていった、というので私は退院まで、同じ個室で過ごした。その数日の間に、テレビや雑誌で、自分の姿が掲載されはじめ、何人かの看護師さんに「雑誌で見ました」、とか「テレビで見ました」と話しかけられた。どんな写真にも、中島所長がこだわっていた『水晶の研究棟』が写り込んでいて「水晶の女王」みたいですね、とも言われた。
「水晶の女王…… ですか」
「ほら、あの…… この所長さんと坂井さんが……」
 私と所長が二人とも女性なせいで、まるでアニメ映画であったダブルヒロインのようだ、と言いたいらしい。
 女性同士で好きあっている、明言されている訳ではないのに、ぼんやりと匂わせている、そんな関係。
 おそらく、実際の研究を報道したいのではなく、そういう演出を加えて、大衆の興味を引くよう、雑誌やテレビが創作したに違いない。
「所長と研究員なんで、そんなに仲がよいわけでじゃないんですよ」
「ああ…… わかります。長がつく人とはあんまり仲良くできないですよね」
 看護師社会でも、その説明で何か腑に落ちるところがあるようだった。
 そして、それ以上は突っ込んでこないことが分かり、私は少し安心した。梓と知世と呼び合うとか、この前も家に泊まったとか、そんなこと言ったらどんなことになるかは目に見えていた。
 退院の日はXSの林がやってきて、入院費を払いたいと言い出した。
「共同研究しているだけであって、林さんに何かお金をいただく訳には」
「この前のコードの件ですよ。上条くんから聞きました。先生の指摘だって」
 そんなことまで林に伝わってしまったか、と私は思った。
「あれはあれで、入院の退屈が紛れてちょうど良かったです」
「こちらにとっては非常に重要だったので。ソフト会社ってやつはやっかいですよ。自分で作ったバグを直すのに、また金を請求してくる。こっちのミスに漬け込んで、変な不具合を混入させてくるんだ。自分で仕掛けたタネでまた自分が儲ける。そうやって骨までしゃぶってくるんだ」
「そうですか? そうは思いませんが、そういう会社もあるんですね。とにかく、それが私の入院費を払っていただく理由にはならないので」
「気にしないでください。私にとってそれだけの価値があったっていうことなんですから」
「……ここで払ってもらうと、なんか他にも頼まれそうで嫌なんです」
 ハッキリ言ってしまった方が話しが早い気がしていた。
「ズバリその通りですよ。鋭いなぁ。まあつまりは、割に合わない。金額が少ないってことですよね。じゃあ、こうしましょう。ここの入院費は先生が支払って、後でちゃんと倍がけの報酬を振り込みますよ」
 そう言って林は引っ込んだ。
 病院の会計を進めると、金額にびっくりした。
 果たしてこの額を払って、自分の貯蓄は大丈夫なのだろうか……
 保険会社の人から電話があり、私はスマフォを手にとった。
「すみません。入院一時金のことなんですが、支払いは出来ないということになりました」
「そんな、保健契約の時、確かどんな入院でも一時金が出るという話だったと……」
「そうなんですが…… 坂井様の病名が、約款にある『高頻度入院が予測される病気』に該当しまして、支払いが出来ないということに」
「そんな、全くでないんですか?」
「はい」
 私は怒りでスマフォを切った。
 ただでさえ入院費は高いので、一時金が出たところで焼け石に水ではあったのだが、出ないという事実に腹がたった。この病気のままでは、手術時の一時金も出ないのだろう。
「坂井先生、振り込みの一部を前払いしましょうか?」
 林がしゃがみ、うつむく私の視線に入って、そう言った。
 払えない金額ではない。そう思いながらも、私は林にこう言った。
「お借りできますか」
「貸すんじゃないですよ。正当な支払いの前払いです」
「すみません」
 これで今日持ってきた次の話も対応せざるを得ない。
 病院の手続きを終えると、林が切り出した。
「先生の光ケーブルはもう敷設されます。そして我々のXS証券の、新たな株式市場が開かれます。これの完成には、坂井先生のプログラム能力が必要なんです」
「私はプログラム能力はないですよ」
「上条くんから色々と聞きましたから。コードを直す力だけじゃないのは分かってますよ。そんなに短期間に長いコードを書いて欲しいとか、そういう無茶なことではありません。上条くんにあらかじめ見てもらってますからね」
 何を作れというのか、まったく乗り気ではない私は、憂鬱な気分になった。
「私の書いたこの株取引アルゴリズムを、プログラム化して欲しいんです。環境とか言語とか詳しいことは上条くんから連絡が行きます。概要を説明しますから、一緒にXS証券まで来てください」
 病院の前のタクシーに乗り込み、林は会社の住所を告げた。
 後はずっとスマフォでメールを打ったり、頻繁にかかってくる電話に出たりしていた。
 思ったよりも早くXS証券につくと、導かれるまま社長室に入った。
「まずは文書で説明します」
 株取引の用語を知らない私にとって、株取引のルールなどは全く分からなかった。
 とにかく金額の大小、買うのか売るのか、具体的なレベルに落としてもらって説明を受けた。
 そして、なにやら数式を書いて説明が始まった。
 分割して、何度も何度も売りと買いを繰り返す。どこで儲かるのかということは分からない。とにかく早く、高頻度でトレードすることで他社を出し抜くことが目的だった。手数料が非常に高くついて損をするのでは、と思ったが、そこは問題にならない、と言っていた。