私が読むのは水晶のコード。水晶の動作をどうするのだろう。
「大丈夫、私、読み方なんか分からないから」
『誰っ!』
 杏美ちゃんが入ってきたのか、と思い振り返った。
 誰もいない。
「……」
 元に向き直るも、その気配も消えていた。
 姿は感じられないが、確実に気配はあったのだ。
「なんだろう。読め、と言ったり、読むな、と言ったり」
「先生、ちょっといいですか?」
「杏美ちゃんどうしたの?」
「来てください」
「分かったわ」
 杏美ちゃんのいる実験室へ踏入り、元居た研究室の灯りを消した。私はその小さな暗闇をみて立ち止まった。この小さな暗闇で起こっている何か。その何かに巻き込まれ始めている。そんな気がした。



 杏美ちゃんの検査プログラムの修正が終わり、ふたりは立ち上がって伸びをした。
「は〜、終わったね」
「先生のおかげではかどりました。ありがとうございます」
「久々に集中した感じ」
「退院したばかりなのにこんなご無理をお願いしてすみませんでした」
「いいのよ」
 入院中も結局コードを書いていたも同然だったし、退院の日を狙って押しかけてくる社長とかもいたから…… と心のなかでつぶやいた。
「お礼といってはあれなんですけど、食事に行きませんか。お、おごります」
「食事行きましょう。けど、いいのよ、おごらなくても」
「えっ……」
 杏美ちゃんの手が震えていた。
「じゃあ、やっぱりそういうことですか」
「?」
「……」
 杏美ちゃんは少しうつむいた。
 なんだろう、今日はこの手が震えているところを何度か見ている。
 緊張とか、そういうことなのだろうか。
「どうしたの、杏美ちゃん。今日……」
「平気です。先生が喜ぶなら、私大丈夫です」
「?」
「そうと決まれば、早く行きましょう。私、お腹ペコペコなんです!」
 杏美ちゃんに腕を引かれた。
 手が震えた後は、表情も行動も自然に思えた。
 気になる発言がいくつかあるが、あまり突っ込まないことにした。
 それが杏美ちゃんの緊張につながっているような気もしたからだ。
 二人で駅の反対側の和食屋に入った。
 料亭まではいかないが、居酒屋までくずしていない、キレイ目な店だった。
 私達は畳の個室に入って、向かい合わせに座った。
 おすすめのコースと、お酒を頼んで食事を始めた。
「どうですか」
「美味しいね。どこでこの店知ったの?」
「ネットで見て、いいなぁって思って上条さんとかに見せたら、行こうって言って一度来たことがあるんです」
「へぇ、上条くんと飲みいったりするんだ」
「たまたまですけどね」
 少し料理の間隔が空いた時に、飲み過ぎたのか、杏美ちゃんが私の隣に座ってきた。
「上条さんて、少し強引なところがあってそこが嫌なんです」
「そう? そんなに強引だったっけ」
「隠れてプレッシャーかけてきたり、陰湿なんですよ」
 本当に自分の知っている上条くんとは違う。ウワサでもそういう話は聞いたことがない。
「先生…… 助けてください。坂井先生……」
 そう言って杏美ちゃんが私の肩に頭をのせた。
 酔ったせいのか、本当に助けを求めてきているのか判断がつかなかった。
 店員が障子を開けて入ってきても、杏美ちゃんは寄りかかった姿勢を正そうともしなかった。
 テーブルは片付けられ、残るのはデザートという状況になった。
 杏美ちゃんは半分寝かけていた。
「杏美ちゃん、お家どこだっけ? 大丈夫?」
「まだダメです……」
 杏美ちゃんはデザートが出てきても手も着けない状況だった。
「ほら、しっかりして、住所は言える?」
「先生、私の家に止まっていってください」
「立てないの?」
「家まで連れてってください」
「そうするから、ね。ほら、立ち上がって」
 私はなんとか杏美ちゃんを抱き起こすと、店に呼んでもらったタクシーに一緒に乗った。