動かなくていい、と言った。
 動くな、とは言われていない。いや、うごくな、とは言ったが、度胸をきめてと条件付きだ。
 このままじっと座ったまま死んでしまうのはいやだ。
 私は少し草木が払ってある方向へ歩きだした。
 すこし歩きだすと、空気の冷たさが心地よく感じてきた。
 歩いていると、木々の間に黒い木材で出来た建物が見えてきた。
 そんなに距離は離れていない。
 馬の歩く音や声、人の声もしない。ならば、その建物に行ってみよう。
 誰もいなくて、入れるなら、入って隠れよう。私はそう考えた。
 建物に近づいてくるとそれは大きなロッジだった。
 いかにも別荘風だが、使われている素材が全て黒く塗られていた。
 隙なく整然としており、管理が行き届いているように見えた。
 入れそうにない、と私は感じた。
 突き出しているベランダの下に入って身を隠そう、それならば問題ないだろう。私は下に潜りこんで、木の柱に背中を預けると、そのまま寝てしまった。



 気づくと、辺りは真っ暗だった。
 スマフォを見ると、夜半過ぎていた。
 充電の残りは後わずか。物音は何もしない。別荘風の建物には全く灯りがつかない。不在のようだ。
 ふとスマフォで地図をみると、さっきまで避暑地だと思っていたものが、研究棟のごく近所であることが分かる。
「うそ、こんな地名が」
 思わず立ち上がろうとして、ベランダの床に頭を打った。
 とにかくここを出よう。
 避暑地ならともかく、都心で迷い込んだと言い訳するのは無理がある。スマフォで照らしながら歩いて床下を抜けると、同時にスマフォのバッテリーが切れた。
 床下を抜けたとはいえ、ロッジ側からも灯りがなく、暗い庭をどうやって抜けてよいのか分からなかった。
 家側に戻って門を探すしかない。
 足元の起伏につまずきながら、よたよたと歩いていくと、家の反対側についた。
「そこまでだ」
 首筋に冷たい金属を当てられた。
 私は事態が飲み込めなかったが、両手をゆっくりと上げた。
「何のようでここに入った?」
 低い、男の声ようようだった。
 答えようのない質問に、どうやって答えろというのか。正直に答えるしかなかった。
「研究棟の庭を歩いていたはずだったのですが」
「研究棟? そこの大学か」
「ええ、理由はわからないんですが、迷ったようにここについたみたいです」
「残念だが、家の庭と研究棟はつながっていない」
 カチャリ、と首すじに当てられたものが音を立てた。
「待って、私をどうしたいんですか? この首に当てているのはなんですか?」
「知りたいか? 知りたきゃ振り返ってみな。ゆっくりな」
 腕を上げたまま回れば、もしかしたら。
 私はゆっくりと回り始めた。
 四十五度ほど回ってから、顔を後ろに向けると、首に当てられているのが猟銃のようなものだと分かった。腕を下から回り込ませて、向きを変えれば……
「そこで止まれ。見えたろう? それ以上回るならぶっ放す」
「待って待って、止まるから」
 今引き金をひかれたら間違いなく頭が吹っ飛ぶ。
 見えない時より、本当の猟銃だと判ったせいで恐怖が増したようだ。
「こ、殺してどうするの、何も持ってないわよ」
「不法侵入者は殺しても構わないだろう。死体は庭に埋めれば誰も探しに来ない」
「猟銃の音がすれば、死体じゃなくても警察がここにくるわよ」
「ここに警察が来たって俺には何も影響ない。俺の家でもなければ、この近所に住んでいるわけでもないからな」
「あなたも不法侵入じゃない」
 馬が走ってくる音が聞こえた。
 まさか、これは幻影? けれど、話している内容が甲冑の男が話しているような内容とは違う。
「たまたま俺は猟銃を持っていた。それだけの違いだな」
『その男の武器を叩き落とすから、走って逃げろ』
 甲冑の男の声が聞こえた。
「さて、前戯は終わりだ。|挿入(フィニッシュ)といこうか」
 男は急に猟銃を構え直した。
 間に合わない……
 ダンッ、と大きい音がして、何も聞こえなくなった。聞こえないのは死んだせいかと思ったが、目を開けると猟銃は地面を向いていた。
「なんだ? 何をした!」
『何をしている! 早く!』
 私の腕をつかもうとした男の腕が、払い落とされていた。
 それを見て、とにかく壁の方へ走り始めた。
 まだ、この塀のどこに出口があるのか分からなかった。