山咲が逃げていったあの非常階段を使って降りようと考えた。
 ナースステーションの前を走り過ぎる。
「!」
 何か様子が変だ。廊下もそうだが、ナースステーションも灯りがついてる。
「君たち! 走らないで、危ないから」
 君たち、というのは私とマミのことだ。
 もしかして、看護師は全員起き上がって、通常の行動に戻っているのだろうか?
 そうだ。床に落ちていた、割れたカチューシャは?
 私は立ち止まって廊下に目を配る。
「どうしたのキミコ」
「なんか、普通に戻ってる」
 ナースステーションから看護師がボードを持ってこちらに寄ってくる。
「木更津さんよね? 退院の前にここにサインをお願い」
 マミはうなずくと、書面にサインをした。
「後はしたで支払いしていって」
 私とマミは顔を見合わせた。
「どうなってるんだろう」
「?」
 看護師は不思議そうにこちらの顔を見た。
「いえ、なんでもないです」
 これなら非常階段を使って降りる必要はない。
 私達は顔を見合わせ、笑った。
 これなら普通に着替えて、普通に堂々と病院から出ていく事ができる。
 準備が済むと、私たちは入口のオートドアから外に出た。
 マミが〈転送者〉にやられた日と同じように、二人は百葉へ行く新交通の駅に向かった。
 駅に入ると、静かに無人運転で二両編成の列車がやってくる。
 最初の何駅かは立っていたが、例によって乗っている人が私とマミだけになってしまった。
「怖くない?」
 私は〈転送者〉に襲われたときのことを思い出していた。
「あっ…… あの時と同じ?」
 私は慌てて口にてをやった。
「大丈夫だよ。気にしてないから」
 マミは私に近づくように座り直した。
「怖くない訳じゃないけど」
「私が…… 私が守るから」
 私も少しマミに寄って座り直した。
「お願いね」
 肩にほおをのせて、上目遣いにこっちを見てくる。
 さ、誘っているのか……
『魔除けのチューして』
『えっ?』
 マミが目を閉じて、口をとんがらせる。
『意地悪ぅ』
『だから、それって何?』
『なんでもいいでしょ? チューしてよ、チュー』
 頭を肩に乗せてきているのと同時に、こっちの腕をぎゅっと胸に押し当てるから、感触でぼーっとしてくる。
『ちゅ、チュー?』
 私も目をつむって唇を近づける。
 唇が触れたか、と思った瞬間。
『キミコがするのに、キミコも目をつむってるの?』
 触れたのはマミの指だった。
『えっ、マミがキスしてって言うから』
『キミコ、バッチリ目を開いててよ』
 マミは頭を上げて私の正面に向かっていた。
『!』
 鼻が当たらないよう、すこし顔を傾けて、マミがキスしてきた。
 お互い、目を開けたまま。
 お互いの唇を軽く噛むように触れ合った後、マミが舌を絡めてきた。
 キスは食べ物じゃないけど、味わったことのない食感だった。
 私の興奮は頂点に向かって急上昇を始めた。
 片腕をマミの背中に回し、ギュッと体を引き寄せる。
 もう一方の手は…… 手は……
「キミコ!」
「へっ?」
 ペチッと手を叩かれた。
「この手は?」
 柔らかくて優しい曲線の上に置かれた自分の手を確認する。
「あっ、ご、ゴメン」
 いつの間にか妄想全開になっていた。
 慌てて手を引く…… とみせかけて。
「あっ…… ちょっと!」
 ちゃんと意識をもって感触を味わっておきたかった。