「これ、なんですか?」
「グラン・バットマンといいます。どうですか?」
「……えぇっ。無理そうです」
「そお? さっきの柔軟体操の様子をみているかぎり、これくらいできそうですけど。やってみましょう」
 亜夢は無理やり美優の近くに押し戻され、バーにつかまり足を跳ね上げる。
「な……」
 先生が近づいてくる。
「もう一度やってみてください」
 亜夢は顔をしかめながら、足を跳ね上げる。
「……もう一度」
 美優が笑う。
 亜夢がもう一度足をすばやく跳ね上げる。
「亜夢…… 殺気があるよ。これ格闘技じゃないんだから」
「!」
 先生が手のひらをポンと叩いた。
「そう。それが言いたかったんです。何か違う、と思ったんですが」
 亜夢の放課後は超能力を使って、上級生や同級生と組手のようなことをやっていた。どうしてもこういう動きに殺気が込められてしまうようだ。
「じゃ、こんどは足を上げて上体をつけてください」
 一瞬なら跳ね上がる足も、上げたまま状態を足に付けていくとなると痛みに負けて、超能力が使えない。
 先生は亜夢が『出来る子』だと思ったのか、しつこくフォローにくる。
「せ、先生。痛い! 痛い、イタイ、裂けまくります」
 一瞬驚いたような顔になり、場が凍り付いたかと思ったが、今度は急に笑い始めた。
「裂けるほど痛いかもしれませんが、裂け『まくる』っていうのは何なんでしょうかね」
 他の生徒もそれを聞いて笑い始めた。
「けど、これ裂けまくってます!」
 美優もお腹を押さえて笑った。
「面白い人ですね。けど、なんとか出来てますよ。うん、出来てます」
 先生はさらにバーレッスンを進めていく。
 亜夢も「無理です」と言いつつ、こなしてしまうために、他の生徒と同等に扱われてしまう。
「じゃあ、十分休憩にします」
 そう声がかかった時には、亜夢の全身から汗が吹き出ていた。
「きついよ、美優。バレエって、もっと可愛らしいものを想像してたよ」



 レッスンが終わり、亜夢は水を飲みに更衣室を出て行った。
 亜夢が使っていたロッカーは、きちんと閉まっておらず、中が見えていた。
 美優はふと、亜夢の外したヘッドホンを手に取った。
 スイッチを入れて頭に付ける。
「!」
 美優の表情が変わった。
 廊下の方で音がすると、美優は亜夢のロッカーにヘッドホンを素早く戻した。
「どうしたの?」
 美優の表情を見て、亜夢がたずねる。
「どうもしないわ」
「そ、そうならいいけど」
 二人は黙って帰る支度を終えた。
「今日の|夕食(ごはん)ってどこで食べるの?」
「この近くのイタリアン・レストラン」
 更衣室を出て、エレベータを使って降りた。
 二人はそのビルを出ると、街の人混みの中を歩き始めた。
 坂を上って小さな路地を入っていくと、緑白赤と横に並んだ旗が見える。
「あそこよ」
「わあ、なんか雰囲気あるね」
「そうでしょ? ここママの知り合いの人がやっているお店なの」
「なんかすごいね」
 美優が中に入り、亜夢も続いて入っていく。
 薄暗い感じで、高校生の二人で入るような店の雰囲気ではない。
 大人のデートに使うような雰囲気と、静かに溢れる高級感に亜夢は気圧されていた。
「こんなとこ、あたし来てもいいのかな」
「大丈夫よ、大騒ぎしに来たんじゃないんだし。お食事するところなんだから私達だって居ていいはずよ」
「あとさ、これ、つけてたらまずいかな」
 亜夢は右耳のあたりの、白いヘッドフォンを指さした。
「食べる時にはずせば…… いいんじゃない?」
「よかった」
 ウエイターが目の前に立ち止まり、一度後ろに戻る。そこで何か確認した後、再び二人の前に戻ってきた。
「美優様、こちらでございます」
「名前も告げてないのに、いきなり『美優様』だって」
「『美優』って名前で予約入れたから、しかたないじゃん」
 そこが聞きたいのではない、と亜夢は思った。さっき言っていたように知り合いのお店だから、顔で入れるのだ、と亜夢は思った。