「チッ」
 女の子は舌打ちした。
 ようやく足が動き始めた。以前の〈転送者〉との戦いで、一体に対してこんなに消耗した記憶がない。おそらく賢いだけではなく、スピードやパワーも違うのだろう。
 ここには誰も助けに来ない。鬼塚刑事も、新庄先生ももう私の味方ではないからだ。私は『〈転送者〉を破壊した』のではなく、『北島アリスを殺した』と思われている。
 目の前の〈転送者〉は倒せるかもしれない、がその後に四体…… とこの女の子とも戦わなければならないのだ。
「逃げよう」
 少なくとも、この場で戦い続けることは出来ない。死しか見えない戦いに挑む時ではない。
 天井が高ければ翼を使えるが、大きい〈転送者〉も自由に動けてしまう。私は低い通路へ逃げることを選択した。
「逃げる気?」
 〈転送者〉は頭すれすれの通路を這うように移動してくる。腕と足を使った高速移動をしようとすると、天井に頭がついてしまうのだ。
「どきなさい」
 女の子が〈転送者〉の脇をすり抜けて私を追ってくる。彼女も早く走るために上体を屈めているため、本来のスピードは出ていない。
 階段や曲がり角をうまく使って、距離をかせぐ。
 E体は空港のカメラに映るだろうから、きっと軍がやってくる。
「いくら逃げても無駄よ。出てきなさい」
 そう言って出ていくヤツがいるものか。私は体を低くし、通路に置いてある椅子やテーブルの影に隠れて移動していく。
「それとも、そのうち軍がやってくる、とか思ってるのかしら?」
「?」
 こっちの場所は分かっていないはずだ。
 椅子と椅子の隙間から、馬の足を確認する。まだ、十分距離はある。
「出て来なさい。逃げるくらいなら、負けを認めて〈扉〉の支配者に従うのよ」
 カツ、カツ、と|蹄(ひづめ)の音が響く。
 視線が外れるのを確認して、影から影に動く。
「ん? こそこそと影から影に逃げ続けるのか」
 そろそろ、軍の監視に引っかかって出動がかかっても……
「隠れて逃げるって、やっぱり、軍が来ることを期待しているようね。それがどれだけ愚かなことか教えてあげる。絶望して、〈扉〉の支配者に服従するんだ」
「私は絶望なんかしない」
 そう言って、通路の奥を確認する。天井が低いせいで〈転送者〉はまだ追いつけないようだ。
「そう言うなら、軍が来ない理由を教えてやろう。軍が設置したカメラ映像の伝送装置には、ダミーで映像を流す装置をつけてある。奴らは何も映らない無人の映像をじっと確認し続けるだろう」
 下半身が馬である女の子は、腹を抱えて笑った。
「さあ、いい加減諦めて、我々の側に付け」
 まさか、軍が接続先が変わっても検出できないような仕組みでここの映像を監視しているはずはないだろう。もしそうだとしても、例えば昼夜同じ映像なら気付くはずだ。
 ただ、今軍が現れていないことから考えれば、少なくとも現時点ではその映像で騙されているのだ。
 時間を稼がなければ……
「あなた、さっき鴨川(かもがわ)美琴(みこと)って言ったわね」
「ああ、言ったが、それがどうした」
 私の声を聞いて、キョロキョロと首を振って探している。
 私はまた少し移動して、言う。
「なんでその名前を知っているの?」
「はぁ? お前こそなんでその名前にこだわる? お前は確か、白井(しろい)公子(きみこ)……」