「……面白いしつけをしているのね」
 橋口さんがそう言うと、冴島さんは腕組みをした。
「当然よ。野生の本能のままなんでもされたら、雇い主の品が落ちるってもんだわ」
 橋口さんが俺の方へ近づき、じろじろと見つめた。
 うしろに回られ、つま先から頭のてっぺんまで、じっくりと、なめるように見られた。
「ふぅん。面白い素材ね。いろいろ使えそう」
「カンナには使いこなせないわ」
「そうかしら。あなたこそ、この子の表面的なところしか使っていないように思えるケド」
 その時、冴島さんの車が上下に激しく揺れた。
「!」
 地震、とかそういうものではない。
 見ると、中で松岡さんが暴れている。
 さっきの説明だと、松岡さんの中の『忠犬』の霊が反応しているということになる。
「気を付けて!」
 冴島さんと橋口さんが警戒して周りを見回す。
 中島さんは急いで車の中に入る。
 俺は……
「俺はどうすれば?」
 身体が宙に浮くのを感じた。
「えっ?」
 首に縄がかかっている。
 縄の先を追っていくと電柱の上にたどり着く。
 ほとんど足場のないところに、黒いスーツにサングラスをした男がいて、縄を引っ張っり上げている。
 冴島さんがが、手刀で切るように手を動かすと、首に絡みついてた縄が切れた。
 俺は落下し、電柱の上にいた男も向こう側に落ちてくる。
「いてっ」
 冴島さんも橋口さんも、電柱の向こうにいる男の方を睨みつけていて、俺が腰を打って道路でのたうち回っていることには目もくれない。
「カンナ、あれが『黒い火狼(ほろう)』ね」
「麗子、気を付けて。連れの女がいない」
 二人は背中を合わせて背後を取られないように警戒している。
 中島さんがしたように、車の中へ逃げ込むべきなのか。
 気がつかれないようにコソっと立ち上がると、俺は車の助手席に向かって走った。
「!」
 目の前を黒い狼が走りすぎてから、俺の方を向いて走ってきた。
「えっ?」
 狼は炎に姿を変えた。
 俺がそれを避けようとすると、そこにも狼がやってきて、燃え上がった。
 いつのまにか、あたりが炎で囲まれている。
「助けて!」
 周りを火で囲まれているせいで、何も見えない。
 息が苦しくなってくる。
「助けて!」
 なんだろう、誰の反応もない。
 俺は身体が動かなくなっていく恐怖を感じた。
 死ぬのだろうか……
「……える」
 かすかだが、声が聞こえた。
「……こえる」
 確かに声がする。この炎の中で、炎以外の、残った何も見えない暗闇の方から声がする。