「一瞬だけ、手の硬化が遅れた……」
『まったく、どうして肝心な時に躊躇するのじゃ』
 金髪の少女が、美優の肩越しに見えた。
『ナイフを押さえるだけに力を使うな、ここを使え』
 ハツエは頭を指さした。
「!」
 亜夢はそのままナイフを握りつぶした。
 そして、美優の手からナイフを奪い取ると、グランドへ投げ捨てた。
「ならば」
 突然、美優の両手が亜夢の首に当てられた。
 亜夢も必死に美優の手を外そうとする。
 今度はナイフではない。素手だ。何かすれば美優が怪我をしてしまう。
 亜夢は我慢して|非科学的潜在力(ちから)を抑えていた。
『進歩がないのう……』 
 そうか。亜夢は思った。接触しているなら、美優の思念波世界にダイブできる。
 小さな陸地。
 亜夢はそこに静かに降り立った。
 自分の足をついたら、他に踏み出せる場所がないような狭い陸地。
 残りはすべて海。波打つ黒い布でできた海。水平線まで真っ黒だった。
 空は真っ白で、すべてがうっすらと光っていた。
『美優!』
 言った声は届かない。海に飲まれてしまう。
『美優っ!』
 さらに大きい声を出すが、独り言のような声に聞こえる。音が吸い込まれるようだった。
『この布だ』
 そうだ、ついさっきも見た。
 この布は、敵のマスターが着ていた服だ。このどこかにあのフードがあり、その中から見ているはずだ。
『……』
 ここに飛び込む。どんな世界になっているのか。布に見えて、液体のようにふるまうかもしれない。亜夢は足を着けてみようとして、その足をひっこめた。
 手で触ってみよう。亜夢は膝を曲げて姿勢を低くする。手が海に届く、と思った時に、海面が遠ざかった。
『……』
 急に、ぐらぐらと陸地が揺れると、水平線の端が高く上がった。
『まさか……』
 持ち上がった黒い布が、こちらに迫ってくる。
 高さが認識できるほど近くなり、亜夢は慌てた。
 布の波の高さが、亜夢の背を何倍も超えている。
 亜夢は布の波の反対を振り向く。
『えっ……』
 反対側も、布が上がっている。高い波。この陸地は、布に挟まれてしまう。
 波が近づいて逃げ場がない、と思った瞬間、亜夢は布の波を飛び越えた。
 黒い布の、高い波の向こう側は、布の端があって、|世界(・・・)|が(・)|切(・)|れていた(・・・・)。
 亜夢は黒い布の波を超えてから、切れた先へ飛び込んだ。
 そこは黒い布の海で隠されていた、海底にあたる部分だった。
 空間を進みながら、亜夢は匂いを感じていた。
 大通りに、ハイブランドが並ぶ中、ガラス張りの店の中にいる美少女。
『美優!』
 亜夢が必死に進むと、ガラスが割れ、そのまま美優の姿が消えてしまった。
『美優!』
 目の前に壁が現れる。
 壁についたバーにつかまり、足を高く上げてる女の子。バレエのレッスンが始まったのだ。
 並んでいる娘たちを追っていくと、亜夢の目を引く娘(こ)が一人。
『美優!』
 亜夢はその壁に近づき、美優にしがみつく。
 美優は淡々とレッスンを続け、亜夢がよりつよく抱きしめると、美優は光の粉のように散って、消えて行った。
『どこなの?』
 次に見えてきたのは、坂だった。