「麗子、あれ、もしかして」
 橋口が言いかけると、冴島はその人の形の光の塊に向かって、走り出していた。
 冴島が行ってから橋口が言った。
「……それって果たして、人間(ひと)なの?」



 火狼に飲み込まれた、はずだった。
 俺は気が付くと、冴島さんに抱えられていた。
「良かった、生きてた、生きてたよ」
 冴島さんの涙が俺の顔に落ちてきた。
 横を向くと、男の姿があった。冴島さんはもとに戻れないと言っていたが、体から霊が抜けてしまった今、狼の姿ではいられなかったのだろう。火狼と思われる男は、立ち上がろうとして、血を吐いた。
 もう一度、膝が揺れながらも立ち上がると、俺を睨みつけた。
 血だらけの口を開け、倒れ込むように襲い掛かってくる。
 冴島さんが飛び退き、俺は転がりながら、男と交錯するように足元をすり抜けた。
 男が対象を失って地面に倒れ込むところを、抱き止めた者がいた。
「美紅さん!」
「もう戦うのは無理です。私と一緒に組織を抜けましょう……」
 美紅さんが男にそう言うと、男は俺の方を振り返った。
 男の血だらけの口がニヤリと笑った。
 男は美紅さんの方に向き直り、抱きつくようにして首筋を噛んだ。
「いやぁあああ」
 美紅さんが叫ぶと、男は破裂したようにバラバラになった。周囲に血が飛び散る。
 美紅さんは手で顔を覆っている。
「美紅さん?」
 俺は立ち上がりかけた。
 美紅さんの腕や足が風船が膨らむようにむくんでいく。
 指がわからなくなるほど手が膨らみ、着ていた服が切れて飛び散ってしまう。
 何もかも人としての形がなくなり白い肌の球体になった。直径で四メートルはあるだろうか。
 球体が完成すると、重力にまけて、丸くてい平たい、せんべい餅のように広がった。
 急激に地面に広がったその白い肌に弾き飛ばされ、俺は尻もちをついてしまった。
「美紅さん!」
 白い肌ののっぺりした物体が、俺の声に反応した。
 うねうねと一部が動き始めると、その縁に丸い輪郭が浮かび、横に並んだ切れ目と、縦に一つの突起、そのしたに横に開いた切れ目が現れた。
 三つの切れ目はただ暗く、穴が開いているように見える。
 俺はトンネルで見た、奇怪な顔の事を思い出していた。
 あの時、俺が見たのは、まさか、この美紅さんの姿?
「!」
 下の切れ目が動いて、声が出た。
「今度こそ、お前を食らう」
 美紅さんの声ではなかった。かといって、火狼だった男の声でもない。
「美紅さん…… 戻って、元に戻って!」
 人のような顔の横にもう一つ盛り上がりが出来、顔のような輪郭が浮かび上がる。切れ込んだだけの目と、突起した鼻、切れ込んだだけの口に、薄っすらと赤い紅が付いた。
「逃げ…… 逃げて…… 私…… 戻れない……」
 それはとても小さい声だったが、美紅さんの声だった。
 目の部分の切れ込みが閉じると、端から涙のようにしずくがこぼれた。
 白い肌の中に、輪郭ごと消えていく。
「逃げ…… て、おねが…… い」
 平たくなっていた白い肌の円盤が、再び球に戻った。
 すると、あらゆる場所を埋め尽くすように顔が現れた。