「こんにちわ」
「おさきです」
 声に反応した俺は手を止め、振り返ったが、もうそこに女子店員の姿はなかった。
 一人帰って一人入った。まだ店内に行っていないから、着替えてここを通るはず。俺はそう思いながら、再び桶に手を突っ込む。桶の中の皿、フォーク、スプーンがなくなった。俺は何気ないふりをして、廊下の方を見つめた。
 再び別の音色のブザーがなった。
 食洗機が停止したのだ。取り出して、棚に並べなければならない。
 以外に思い食洗機を開けようと手をかけた瞬間、声がした。
「はいりま~す」
 何にも優先して、振り返った自分の全力のスピードで振り返ったはずだった。
 すでにそこには女子店員の姿はなく、チーフがガムを口に入れている姿があるだけだった。
「どした?」
「いえ、なんでもありません」
 このバイトを始めるときにがっつり言い聞かされたことがある。
 基本的にバイトは女子店員への声かけ禁止。どうしてもしなければならない場合は、チーフから指示をもらう事、となっていた。女子店員にタレント志望の娘(こ)が増えてからそうしたようだった。当然、どこまでそのルールが厳しいか知らずに応募してくるから、男子の求人倍率は高い。しかしこの状態だと知るとすぐやめてしまうので、離職率も高い、という具合だ。
「不満があるなら辞めても良い。代わりはたくさんいるからな」
「不満はありません」
 俺はそう言った。
 結局、ちょっとも女の子の姿を見ることはできなかった。
 皿や食器を洗って、ヘトヘトになってから、女の子の帰った店内の掃除を言い渡される。
 店内に入ると『ミラーズ』という店名に違(たが)わず鏡が多いことに気付かされる。そうか、俺は思う普通に客としてくれば最高だ。店を取引の場として使っている連中を調べるのに、食器洗いの裏方のバイトをしても全く意味がない。俺は、なにか的はずれな調査をしている気がしてきた。
 その時、店の扉が開いて、女の子が入ってきた。
「こんばんわ……」
 閉店後の時間に入ってくる女子は、店の女の子だと思って、俺は口を開かなかった。
「?」
 かすかに手首に違和感があった。
 けれどそんなことはすぐに気にならなくなっていた。俺は我を忘れて女の子を見つめていた。長い髪に切れ長の瞳、白いキメの細かい肌。それに出る所は出ているグラビア曲線の持ち主だった。キラキラしている、そんな言葉がぴったり合うように思えた。
 思わずやっぱりこの店の女の子はすげぇ、と思ってしまった。しかし、口をきいてはいけない。目線を戻して、ひたすら床をモップで拭き続けた。
「あの…… チーフという方はどちらですか?」
 女の子の方から、俺に話しかけてくる。言っている言葉からすると、どうも店員ではないようだった。
 念のため話しかけないように、手を使った仕草で待つように伝えてから、俺は店の奥に向かって声を出した。
「チーフ、お客様がいらしてます」
「お客? ん…… ああ、そうだ。座って待っててもらえ」
 俺は掃除が終わった方の側の席へ案内して、その娘(こ)を座らせた。
 この女の子をチーフが呼んでいたならば、この娘(こ)は店員候補で、今から面接するんじゃないか、と思った。
 モップをかけながら、チラチラとその娘(こ)を見ていると、チーフがやってきた。
「カゲ、VIPは掃除したか?」
 VIPルームというのは一番奥にある個室のことだった。
「最初に終わってます」