俺は駆け寄る。
 橋口さんがゆっくり近づいてきて、トレンチコートから|幣(ぬさ)を取り出すと、うつ伏せに倒れている男を祓う。
「多分、この人にはものすごい反動がくるわ」
「どういうことですか?」
 空を指差し、次に地面を指差す。
「憑いていた霊の力が強ければ強いほど、後遺症が残るわ。まるで空を飛んでいるような高揚感から泥沼を這うような感覚になるわけよ」
 俺は男に肩を貸して立ち上がらせる。
「降霊って、麻薬のようなものなんですね」
 自分で言っておきながら、俺はどうなるのだろう、と思う。
 俺の中にもいくつも霊がついている、と冴島さんが言っていた。
 記憶を封鎖している霊がいなくなって、記憶が戻ったとき、麻薬のように霊を欲しがっている俺がいるのだろうか。
「まあ、そんなところね。この男、昨日から何件か窃盗と傷害事件を起こしてるから、警察に連れて行って引き渡しましょう」
 橋口さんが近づいてきて、濡らしたタオルで俺の顔をぬぐった。
「?」
「気づいてないの? 顔、血だらけよ」
 橋口さんが見せたタオルを見て、顔の痛みが戻ってきた。



 暗い部屋の中で、真っ赤なジャケットの男がスキットルを口に運ぶ。
 ウイスキーの香りが部屋に広がる。
 部屋の中のソファーには、女が横になって寝ていた。女はウイスキーの香りに目が覚めたのか、姿勢を正して座り直した。女は長い髪に切れ長の瞳、白いキメの細かい肌。くびれと、出る所は出ているグラビア曲線の持ち主だった。
「すみません」
 赤いジャケットの男はその言葉に反応せず、じっと立ったままだった。
「私のせいで」
「もういい。今度はうまくやれよ」
 女の目が一重に変化して、大きく少し垂れ気味になった。唇も少し薄くなった。顔の輪郭も丸顔から、すこし細い感じに変わっていく。それだけ変っても、全体のバランスが保たれていて、美人には違いなかった。
「これなら見破られません」
 そう言う声も、さっきまでとは別人のようだった。
 男は突然女の正面に回り込み、女の眉間を指さした。
「外見はいい。お前の能力でいくらでも変えられるからな」
 男は次に自分のこめかみあたりを指さした。
「問題はお前の思考だ。気に入られ、取り入ろうとするのはいい。だが、気持ちを許してしまっていないか?」
「……」
「あんな降霊師に手玉に取られるというのは、お前から緊張感が抜けてしまったからだ」
「そんなことは……」
 女は頭を下げ、床を見つめる。
「あの男に対して油断することは今後二度とありません。次は必ず」
「ああ……」
 と言うと、男は目をつぶって腕を組んだ。
「次は頼むぞ」



 橋口さんがが運転するバイクで、送ってもらった。
「墓地の横は入りたくないから、ここで」
 橋口さんはそう言った。
 ここは冴島さんの家の近くの大通りだった。家は少し入って、墓地の裏手になる。
 俺はヘルメットを橋口さんに返し、頭を下げた。