上野陽子は、例の事件の前後から頭痛に悩まされていた。実際は奇妙な夢もみるようになっていたのだが、その二つが関連するなどとは思っていなかった。頭痛がひどい時は、寝てしまうことで良くなる事だけが、彼女の中で繋がった事実だった。
 だから、休み時間のちょっとした時間でさえ、頭痛が酷いせいで寝てしまうことが多くなった。上野がそうして教室で寝ている時、友達の夏奈が声をかけた。
「陽子! 何寝てんの?」
「…な、」
 声にもならない返事に、夏奈は陽子の肩をポンポン、と叩いた。
 すると急に、上野は寝ていた上体をおこした。
「発車します。おつかまりください」
「えっ?」
「おもちゃの店エミィにお越しのたかたはこちらでお降り下さい」
 周りで、すこし笑いが起きた。
 これはどこかで聞いたような口調だった。おそらく、陽子の乗っているバスのアナウンスと同じだ。
「何ふざけてんの、そうじゃなくてさ」
「次は東堂本。東堂本。高校へはこちらでお降り下さい」
「陽子! 大丈夫?」
 クラスでは剣道部での騒ぎが思い返されたのか、怖がり出す生徒が出始めた。
「陽子!」
「…ああ、夏奈」
 上野は体を起こしたが、両手で頭を抱えるように抑えていた。
「夏奈、頭が痛くて寝てた」
「さっき変なこと言ってたよ。覚えてる?」
「…判らない。なんか夢を見てた気がするけど」
 夏奈が友達を呼んだ。
「陽子の様子おかしいから、先生に言ってきて。私は陽子の様子みてるから」
「うん」
「大丈夫だよ。ホント」
「頭痛なんでしょ? 休んでてよ」
 夏奈は上体を起こした上野を机で寝るように促した。上野もそれに従った。
 上野を扉の外から見ていた男は、下がったメガネを少し直してから、スマフォに指を滑らせた。
「頭痛…ね」
 スマフォには『上野・頭痛』とメモが残った。
 クラス担任が小走りに教室に来て、上野と話しを始めた。先生の話しぶりから、今日は上野を休ませることになりそうだった。
 メガネの男は、チャイムがなるとまた何か軽くメモをしてから、自分の教室へと戻っていった。
 その日の放課後、メガネの男は同じ学年の別のクラスの教室に行き、知り合いらしい女生徒と話しをしていた。
「なるほどね」
「報告はどういたしましょう」
「いつものように、あそこに上げといて」
「はい」
 男子生徒がずっと立ち尽くしていると、
「何故、そこに立っているの? 北御堂さんの方はどうなってるの」
「えっ? 朝の件で終わりかと… 上野さんの確認もありましたし…」
 メガネの男より背の高い女生徒がその会話に割り込んできた。
「妹が北御堂を監視しております」
 メガネの男と話していた、女生徒はメガネ男の方を見たまま言った。
「ほら、あなたがダメだから書記の佐々木がこんなことまでしてる。もう少し頑張ってください。今日はもう解散します」
 男は言った。
「明日からはどうしましょう。私は引き続き朝は北御堂さん、昼は上野さんの監視で良いのでしょうか?」
 女生徒は立ち上がっていたが、メガネ男子より頭一つ背が低かった。そして、また顔も見ずに答えた。
「あなたは上野さんを朝から監視しなさい。報告は1日ごとあそこに上げといて」
 長身の女が言った。
「こちらは北御堂をずっと監視します」
「お願いします」
 と、言った。両手で重そうに鞄を持ち上げると、小柄な女生徒は教室を出ていった。