その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

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 何もない、学校へと続く道を歩いていた。
 この道を歩くのは、いつもの朝と同じだった。登校時は左手の〈鳥の巣〉の壁が、道に影を作っている。暖かくなってきたとはいえ、朝と日陰が重なると、まだ上着がいるだろう。
 道には、百葉(ひゃくよう)高校の生徒がバラバラと学校への歩いていた。この壁沿いの一本道しかないし、全寮制なので全校生徒はここを通るしかない。寮と学校は一キロ程離れている。
 私は歩きながら〈鳥の巣〉と呼ばれる壁を見つめていた。
 壁の向こうには、某システムダウンの中心地があり、周りには旧国際空港、大きな貿易港もあった。
 軍の基地も演習場も、美味しいお米の取れる田んぼも、牧畜の為の農場もあった。
 今は〈鳥の巣〉の壁に囲まれたこの土地は、避難区域になってしまっている。
 この壁の向こうに…… きっと。
「やっと追いついた! 公子(きみこ)、何で黙って行っちゃうの。部屋にいないし、食堂にもいないから、急いで食べて、走って追いかけてきたのよ」
「あれっ? ……もしかして」
「え〜! 忘れてたの? 今日だよ」
 マミが言いかけたその時、マイクロバスのクラクションが、その声をかき消した。
 そして横を通りすぎる時も、ものすごいエンジン音をさせながら走っていく。音は非常に大きいが、速度は全く出ていない。たった一台の百葉高校の送迎バスだ。
「あのおんぼろ、いつまで使うのかしら」
「今日だったのね。全然気づかなかった」
「そうだよ。頑張ろうね」
 そう言って微笑んだ。
 私もなんとか笑顔をつくった。
「そうだね」
 彼女は、友達になって一週間になる、木更津マミだった。
 正確に言うと、友達らしくなって来たのがここ一週間ということだ。私と彼女は同部屋で、もう一ヶ月も一緒に暮らしているからだ。
 自分が転入してきたころはまだ寮の部屋には空きがあり、一人で一部屋を割り当てていた。ある時、学校が有名になった頃から、突然転入してくる生徒が増え始め、それに伴い寮の部屋が足らなくなったのだ。
 マイクロバスの音が聞こえなくなると、通りは一気に静かになった。
「公子、ちょっと聞いていい? なんでいつもツインテールなの?」
「……」
 答えに詰まってしまった。
 何か答えないと気まずいのは分かっている。
 けれど、まだこの話を人に言えるほど、自分の中で整理がついていないのだ。
「あ、いいよ。言えないこともあるもんね。公子、似合っているよ」
「ありがとう」
 マミは一度、後ろに下がって、また横に戻ってきた。
「髪、少しこっちの位置が下がってきてるよ、直してあげようか……」
 髪に触れられた。
「イヤッ!」
「えっ……」
 ビクッとして手を引っ込めるのが分かる。
 やってしまった。
 こんなにすぐ、冷静になれるのに。
 自分が嫌になる。
「ごめん」
「あ、ごめん、訳あるみたいだもん。触る方がどうかしているよね」
「下がっちゃってる? ごめん、位置良いか見てもらえる?」
 立ち止まって、髪をとき、髪をくくって、もう一度ゴムの位置を整える。
「これでいい?」
 マミはうなずく。
「ありがとう……」
 こういう時の関係の戻し方が二人のなかではまだできていない。
 何か、定番の笑い話でもあればいいのだが。
 前の学校の時は、たいがい、美術の教師か音楽の教師の名前を上げると、そんなに考えないうちに面白いネタが浮かんでくるものだった。
 まだ、二人の中ではそういうものがなかった。
 学校につくまでの、きまずい時間が始まった。
 車通りのほとんどないこの道では、わが校の生徒が歩いている以外に物音がほとんどない。
 左手は〈鳥の巣〉の壁だし、右側に時折立っている家は空き家だ。もちろん、一軒一軒空き家かどうかなんて確認しているわけではない。
 ただ、〈鳥の巣〉の壁側に面したガラスが全部、割れたままで直していないのだ。だとすれば泥棒だって入り放題だろう。それでも直していないということは、やはり、もう、中には何もない。誰もいないのだ。
 たまに、おじいさんが出てきたりするが、どう考えても野宿の代わりにここらの空き家を使っているような感じで、元の住人といった感じではない。学校からも、周囲の住宅には注意するように、と言われている。
「あのさ。公子って、木場田(こばた)と鶴田、知ってるよね?」
「うん」
 良かった。
 良かったのは、木場田や鶴田のことではない。
 自分からは何の話題を出していいのか分からず、どう考えてもこの静寂を破れなかったからだ。
 木場田はめちゃくちゃ背が高くて、女子から人気があるだけでなく、話が面白いせいか、クラスの中で中心的な人物だった。
「木場田の横にさ、いつも鶴田いるじゃん?」
 そう、そっちはあまり記憶に残ってない。
 多分、木場田の半分くらいの背しかない奴で、バカ、とか、殴るぞ、とかしか言わないような男だ。
「いたような」
「そうなのよ、聞いてみると、私の転校前からずっと横にいるようなのね」
「へぇ……そうなのね」
「……なんでみんな鈍感なのかな? 私転校初日に違和感もっちゃったかんね」
「どういうこと」
「出来てるでしょ、あの二人」
「え? 男同士だし」
「鶴田も乱暴な事言うけど、全部木場田の為の発言じゃん。びっくりするよ」
 マミは細かいシチュエーションを持ち出して、全部鶴田が木場田に気があるせいだと結論づけた。
 自分はといえば、楽しそうに話すマミの顔を見ているだけで良かった。自分の髪に、ツインテールに触れられた時には、喧嘩になってしまうのではないか、と思っていた。それがこうやって話を続けられているだけでも幸せだった。
「……ね。これだけあると、出来てんの? って気になるよね」
「すごいね。すごい良く見てるね」
「見てないよ、私男嫌いだもん」
 そう言って微笑んだ。
 一瞬、さそっているのか、と思うくらいに魅力的な笑顔。
 いつもこの場面で喉元まで出かかっている言葉を飲み込む。『私も男嫌いなんだ』
「……そんなこと言ったって、マミは女性らしい体型だし、モテるでしょ」
「え〜 それデブって言ってる?」
「ちがうよ〜 ボンキュッボンって感じだよ」
「だからデブってるって言いたいんだ」
「そんなことないって」
 この話題の時はいくらマミの体を眺めても不審に思われない。だから、なるだけ同じことを言って、話題を引っ張るようにしている。
「?」
「ほら、おっぱいなんか、もう揉んでくださいって感じで」
 私が両手を構えるとマミが胸を隠して言う。
「いやぁ〜 公子変態!」
 このまま触ってしまいたい。

『え?』
 マミが私の手をとり、そっと胸の上に引き寄せる。引き寄せられた手にびっくりして、確認するように顔をみると、
『いいの』
 と、うなずくと同時に指を動かし、手のひらはその重量を確かめるかのように持ち上げたりおろした。ああ、触れたかったマミの胸がここにある……
『やわらかいね』
『あっ…… ねぇ、ちょ、直接触ってもいいよ』
 簡単につけることが出来るようにホックで止めてあるタイをはずし、ブラウスの上のボタンから外していく。
 外したことをきっかけに、内側にある二つの膨らみは、まるで出たがっているかのようにブラウスを押し開いた。
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 私はそのまま肩紐を撫でるようにずらして、マミの胸を見た。
『きれい』
 待ちきれずにそのまま指先から、手のひらへと押し付けていき、その感触に震えた。
『やっぱりおっきいね』
 触っているうちに、マミが快楽のままに声をあげる。
 こんな…… こんな通学路の真ん中で……

「?」
 胸を触ろうというふうにかまえていた手を、私は慌てて下げた。
 しまった…… やっちまった。
「ど、どうかした?」
「なんか、本気を感じる」
「ハハ…… いや、そんなことないから」
「そうだよね〜」
 良かった。
 無かったことに出来た? かな。
 これがこれから寮の部屋に戻るタイミングだったら最悪だ。部屋に戻ってから必要以上に警戒されただろう。幸い、今は学校に行く途中。さっきのことなど、部屋にもどるころには忘れいるだろう。
「それよりさ、今日は転校生くるって話でしょ」
「そうだね、転校生なんて久しぶりだね」
「二週間も転校生いなかったって、久々だからね」
 しかし、寮もこうやって相部屋になってきている関係で、そろそろ転校生も打ち止めか、という話がウワサになっている。
「ま、私も一年前は転校生だったんだけどね」
「後何人受け入れるんだろうね。三人部屋とかになったらどうする?」
 確かに構造上は二段ベッドが二つなので四人まで入れるのだが、当初の説明では一人部屋だった。それが途中で改定されて二人部屋まで、というのが現状だ。再々の改定も考えられる。
「さすがにこれ以上増えるんだったら、寮の裏に立てているのを使うんじゃない?」
「あれ、寮なのかな?」
「新しい子をそっちに入れるのはずるいよね。私達から移りたい」
「新しい寮でも一緒の部屋になれるといいね」
 うっかり本音を言ってしまった。
「え、新しい寮は一人一部屋なんじゃないかな?」
「そうだよねぇ、いくらなんでも…… ハハ」
 何か、妙だった。
 さっきまで歩いていた生徒が、全く見当たらない。
 全員が敵を察知して逃げたか、獲物を見つけて追いかけて行ったか。
 つまり、とにかく、やばい。
 おそらく、〈転送者〉が来る。
「ねぇ、〈転送者〉(あれ)が来るの?」
「そうみたい……ね」
 〈転送者〉(やつら)の出てきそうなところを重点的に、しかし、一点を凝視しないように注意した。
 〈転送者〉は蓋や扉のようなものを利用して出てくる。何故そういう場所を選ぶのかはわからない。能力的には何もない空間からポロッと出てきても不思議ではない。しかし、今まで一度として何もない『空』とかから降ってきたことはない。ドアから出てくるとか、マンホールの蓋が開くとか、そういうギミックからしか出てこない。
 不思議といえば不思議だったが、本物を見たこともないから、信じるしかなかった。
「ここらへん、何があったっけ?」
「さっき15メートルぐらい後ろにマンホール。すぐ右の家のドアと窓」
「じゃあ、その家だね」
 マミと背中を合わせる。出来るだけ死角を減らし、一瞬でも先に把握し、撃破する為に。
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「遅いね」
「……」
 マミの方が頭一つ背が高い。
 そのせいか、左右を見渡すと、マミの肩が視界に入る。
 合わせた背中に、ジワリと汗が流れる。
 来ない。
 チラリ、と〈鳥の巣〉に視線をおく。
 某システムダウンの影響を、少しでも抑える為の壁。
 ガラクタを芯材に、即席で作ったコンクリート壁(へき)。
 本体を覆い隠す為の、一定の距離に建造した円形の壁だ。
 実際は、山がある所には、壁はない。
 百葉のあたりは平野部だから、この〈鳥の巣〉の壁があるのだ。
「少しずつ、学校の方へ移動しよう。このままじっと待ってると、遅刻しちゃう」
「そうだね」
 少し背中の間を開け、様子をうかがいながら学校の方へ歩き始めた。
 首を少し左右に振ると、マミが手にはめている、ナックルダスター(=メリケン・サック)が目に入る。
「さすがに、ここら辺は某システムダウンの影響が強いね」
「マミは結構慣れてきたね。それ、どう?」
 お互い、半身の姿勢で学校を向き、少し早歩きを始めた。
「結構重いのよね。もっと体を鍛えないと」
「効くの?」
「まだ〈転送者〉に使ったことはないの。公子(きみこ)で試させてくれる?」
 マミが拳を振り上げる。
「やっ、やめてよ……」
 恐怖に体が震える。
 それがバレたのか、マミがこっちを見て言う。
「かわいい」
「やめてよ」
「しないわよ」
 マミの笑顔、この屈託のない表情に、気持ちが高ぶる。
「泣いてるの?」
「泣いてないよ」
 マミとエッチしたい。
 何でこんなタイミングで、と自分でも思う。
 けれどマミを見ていると、突然抱きしめたいという強烈な感情が湧き上がってくる。
 付け加えて言えば、私自身、女性だし、マミも女性であることは理解している。そしてそう言う女性同士が求め合うのは、普通ではない、という認識はある。
 けれど友達以上の関係になりたい。
 男の人には抱いたことのない感情が、女性に対してあることに気付いたのは、実際、つい最近のことだ。
 感情が高ぶると、どうしても目に現れてしまうらしい。友達になってからのこの一週間で、もう何度かこの姿を見られてしまっている。
「ごめんね」
 マミが自然と私を抱き寄せる。
 スイッチが入ったように頭の中では妄想が暴走を始める。マミの息遣いを感じ、胸の感触を頭に叩き込む。首筋にキスをしそうになる自分を抑え、スカートの下に手を差し込もうとする欲求を投げ飛ばす。
 頭の中に快楽を促す物質が充満しはじめている気がする。
「公子(きみこ)!」
 甘くとろけるような、ここまでの流れを断ち切るような声。
 緊急を感じとった筋肉の緊張。
「出たの?」
 さっきと同じように背中を合わせた隊形に戻る。
 今度はマミが学校側を向き、私が寮側を向いている。
「マンホールは……」
「まさか、真下?」
「違う! 右の側溝の蓋から来た!」
 右足のかかとを上げ、すぐに蹴り出せるように準備する。
 側溝の蓋がゆっくりと持ち上がった。
 コンクリートと隙間の砂がこすれる音がする。
 黒いガス状のものが這い出てきて、中で小さい火花が散る。
 ゴォーっと音がしたかと思うと、広がったガス体が収束して首のない人型を作り出す。
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 二人は現れた〈転送者〉に向き直った。
「これってE体?」
「そんな感じ」
「ナックルダスターを試させて」
「油断しないでね」
 マミはうなずく。
 と、同時にダッシュを決め、左のフェイントから右のボディを決める。
『ぬぉ』
 中の気体が抜けるように音がする。
 〈転送者〉と会話をしたり、声を聞いたものはいない。死体を回収出来たものもいない。
 引き抜いた右手をもう一度中心にぶち込もうとするのをフェイントにして、左手で腕と腕の間のような小さな膨らみで光る、E体の『目』のような部分を狙った。
 すばやい左ジャブがE体を貫いたと思った瞬間。
「あっ……」
 ガス状に体が広がったかと思うと、マミを包み込むような体勢で物体化した。
「マミ! しゃがんで」
 力いっぱいのハイキック、〈転送者〉のない『首』の下にヒットする。
 振り抜いた右足を軸に、後ろから左足を突き出す。
 これも〈転送者〉を捉える。
「ふぉっ」
 そんな、空気が抜けたような音。
 と、同時に急に動きが止まった。
 再びガス化し、二人の周りを回り始めた。
 試しにそのガス体に蹴りを入れると、公子は勢いで足が取られて転んでしまった。
 覆うように回り続けるガス体は、頭の上にも広がり始め、光りを遮り始めた。
「やばい。無理にでも抜けないと!」
 マミは速度の遅い頭の上の方に拳を叩き込むが、何も反応がない。
「じゃあ、やっぱりこっち」
 一番流れの早い正面に拳を打ち込む。
「ダメ!」
 マミが吸い込まれるように流れるガス飲まれ、螺旋を描きながら上空へと巻き上げられていく。この〈転送者〉の弱点…… ガス状態でも本体という部分があるはず。
 竜巻は、中心を大胆に動かして、その渦に巻き込もうとしている。右左、動きを見ながら、調整しながら、細かく移動して避ける。
 ダメだ…… 避けているだけではマミを助けられない。
 何も仕掛けてこないと思われたか、ガスが竜巻の真ん中をくの字に曲げきた。
「うわっ!」
 体を同じように曲げ、ガスを避けたが、スカートの裾が巻き込まれ、ちぎれてしまった。
「待っているだけ、じゃないってことね」
 きっと一番流れが速いところの、その先にいるはず……
 渾身の力を込めて、流れと同じ方向に蹴りを叩き込む。
 そのまま、体を浮かせて足だけをガスの外へ外へと押し出す。
 竜巻の中にケリ足を差し込んだ状態で、その内側をグルグルと回りながら昇っていった。
 けれど、この空気の壁の向こうにいるはず。
「ここ!」
 ガスの流れより速く、足場のない空中で蹴り込む。
 ドン、と鈍い音がした。
 赤く光った〈転送者〉の本体の目が、一瞬足先に見えて、消えた。
「勝った……」
 あっという間に竜巻になっていたガスの流れが緩み、今度は高みから落とされていく。
 空中で体勢を整えると、羽根のように静かに着地し、上空を見上げた。
「マミ!」
 すっと蹴り上がると、更に上空から落ちてきたマミの体にしがみつき、クルクルと回りながら、ゆっくりと地上に着地した。
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「マミ、起きて」
 道に体を寝かせ、目を閉じているマミの意識を確認する。
「ヤバイ、救命救急処置をしないと……」
 ついこの前、学校で説明を受けたばかりだった。いきなり実践しなければならない、と思うと急にドキドキしはじめた。実際は、それだけでない、モヤモヤとした感情もある。だけど……
 だけど、躊躇っている時間はない。
「マミ、起きて」
 ダメだ、反応がない。
「誰か助けて!」
 もう登校時刻をかなり過ぎてしまっている。
 誰かが通りかかる可能性が下っているということだ…… このままじゃ、助けも期待できない。
 マミが呼吸をしているか確認し、背中にカバンを差し入れ、気道を確保した。
 口を開け、息を吹き込む。
 続けて、胸骨を圧迫する。
 回数を数えながら、繰り返し、繰り返し、圧迫を続ける。
「っはッ!」
 マミの呼吸が戻った。
 よかった……
 ホッとすると、いきなり、大きなエンジン音が聞こえてきた。ボロエンジンの音。さっき学校へ行ったバスが学校から戻ってきたのだ。
 道の真ん中に立って手を振り、『助けて』と叫んだ。
 ボロバスが、車体を軋ませながら停車した。
 運転手が足を引きずりながら、ゆっくりと歩いててくる。
「お嬢さん。早く救急車を呼びな。このバスじゃ助けられない」
 ガリガリとアスファルトを擦る音が聞こえる。右足がそんな調子で引きずっていて、まともに運転ができるのだろうか。
「どうした」
 背後から急に呼びかけられた。
 振り向くと、自分の倍はあるかと思う、大きな男が立っていた。
「……えっと。マミが、〈転送者〉にやられた」
 言いながらも、私は男の体格の大きさに怯んでしまった。
「どんな形だ」
 〈転送者〉と聞いた途端、男から強烈な威圧感を感じる。
 着ている服はシンプルなブラックスーツだったが、普通の会社員とか、そういう人間じゃないことが、自分にもわかる。ヤバい感じの暴力系な団体構成員かなにか。
 気迫で空気を変えるような類の人間。その筋の、と表現される人間のように思える。
「どんな形って?」
「〈転送者〉だ」
「E体だったんですが、途中でガス状になって、竜巻を作りました」
「この娘(こ)は」
「その竜巻に巻き込まれて」
 見かけによらず素早い動きでマミの呼吸を確かめると、男は言った。
「救急処置は?」
 私はうなずいた。
「おかげで助かったようだ、こっちの無線で救急車を呼ぶから、後は任せて」
「!」
 やばい、マミが連れていかれる。そんな、すごく嫌な予感がした。
「警察だよ」
 男が手帳を見せた。
 こちらの気持を読み取られた?
 いや、多分、怒ったような顔をしたせいだ。
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 それにしても、あの威圧感のようなものは、警察官という職業が出すものだったか。
「安心してくれた?」
「……わかりました。マミのこと、お願いします」
 その大きな警察官にマミと、自分の生徒手帳を見せると、男はスマフォで記録していた。
「君は学校へ行った方がいい」
「でも……」
「現場の記録をするとなると、君もずっと拘束されることになるけど」
 何か、獣のような、最初の印象とはまた違う、気迫というか、オーラが発せられている。そうとしか思いようのない、何か、と言うべきなのか。
 ずっと私の頭に描かれているイメージ。それは虎だ。
 なんだろう。
 直感的に伝わってくる。
「あの……」
「君がどうやってE体の〈転送者〉を追い払ったか…… いや、倒したかを、根掘り葉掘り聞いて良いのかな?」
 いや、聞かれたらまずい。
 何故私達が〈転送者〉と戦ったか、とか、私がどうやって倒したのか、とか……
 なんだろう、この人は何もかもお見通し、というのだろうか。
 スマフォを何か操作して近くの救急車を向かわせたらしい。もう救急車の音が近づいてきている。
「救急車もくるが、他の警察の車もくる。あのバスに乗って学校に行ったらどうかな?」
 ガリガリ…… と音が聞こえる。
「このボロバスは一度寮に戻るんだから。乗ったらもっと遅れるぞ。ここからなら、歩いて学校に行きな」
「おじいさん、あんた何者?」
 よく見ると、引きずっている足には、金属性のカバーがついている。それがガリガリと音を立ているのだ。
「あのボロバスの運転手だ。この件は誰も見てないんだから、この娘(こ)になにを聞いても何も分からんぞ」
「分かったよ、おじいさん」
 スーツの大男は私の方に向き直る。
「ほら、他の人の証言も取れた。この娘(こ)を救急車に引き渡したり、後の事は俺がやる。連絡するから、とにかく君は学校に行くんだ」
 私はうなずいて、学校へ向かって小走りに移動を始めた。
 マミに助かって欲しい。
 もう一度あの笑顔を見せて欲しい。
 一緒に病院に行けなくてゴメン……
 私は繰り返し繰り返し、何度も同じことを考えながら、学校についた。学校につくと、気づいてはいけないけれど、判ってしまったことがあった。
 マミはとてもじゃないが、戦えない。
 あの娘(こ)は普通の女の子だったんだ。
 今日『二人でいこう』と言っていたところへは、多分二度と行かないだろう。
 とても悲しい気持になっていた。
 考えているうちに学校についた。
 時間的に学校の門は閉まっている時間のはずだったが、開いていた。警備員も、とくに何も言わずに通してくれた。
 そのまま急いで教室に入ると、教室はまだざわざわと雑談をしている状況だった。
「公子」
 アヤコが呼びかけてきた。
「あれ、授業は?」
「何言ってるの、マミが救急車で運ばれたんでしょ?」
「う、うん。そうなの。〈転送者〉が出て」
 急に教室がしん、と静まった。
 自分に視線が向けられていた。
「……なら、授業がはじまる訳ないでしょ?」
 その小さい声は教室中に響いた。
 確かに重大事だ。
 しかし、それが伝わったとしても、つい二三分前のことのはずだ。ホームルームならもう少し早く始まっていてもおかしくない。
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「白井公子(きみこ)いるか」
 そう言って、体育教師の東(あずま)が教室に入ってきた。
 私は黙って手を上げると、東が言った。
「一応、カバンももってこい」
 静かになった教室が、少しざわついた。
 クラスの連中の、冷たい視線を感じがら、私は先生の後ろに追いつくよう早足で歩いた。
「強い竜巻だったようだな」
「……はい」
「周囲の家のガラスが割れて、トタン屋根が吹き飛んでいる。お前は本当になんともないのか?」
「ええ。体勢を低くして、家の影を利用したので、幸い怪我もなく」
 校舎の端のエレベータに来ていた。
 生徒は乗ってはいけない、とされている。
 というか、呼び出しボタンを押しても反応しないから、生徒は使えないのだが。
 体育教師がエレベータの呼び出しボタンに、首からぶら下げていた身分証をかざした。
 扉が開くと、さきほどのブラックスーツの男がエレベータ内に体を曲げて立っていた。
「刑事さん……」
「エレベータが閉まりかけたので、慌てて乗ってしまったのですが…… どこにも降りれなくて困っていたんです」
「そうなんですよ、このエレベータは職員専用になってましてね。……ちょうど、白井を連れてきたところです」
 エレベータに乗れと手招きをした。
 私が片足を入れたところでブザーが鳴った。
 小さいエレベータとは言え、三人で、というか私が載っていないのだから二人で重量が超過するなんてことはありえない。
「ああ、私と荷物で三人分ぐらいはあるので…… 先生が載っていないと動かないですよね。私が降りますから」
 刑事が一歩あるくと、エレベータがグラグラと揺れ、またブザーが鳴った。
「……い、いえ私が歩いていきます」
「一階の応接室に」
 すっと頭を下げて、刑事は音もなくエレベータを抜け出た。
「?」
「一緒に階段でいこう」
 私が案内しながら、階段を一緒に降りた。
 刑事が階段を歩くと、踊り場についている灯りに頭がつきそうになる。
「マミは大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫。意識もはっきりした、と連絡があったよ」
「そうですか。やけに学校にくるのが早いので、何もしてくれなかったのか、と心配になりました」
「恐れなくても大丈夫」
 私はムカっとして刑事を睨みつけてしまった。
「(君が〈転送者〉を始末したんだろう?)」
 さっきまでの声とはまるで違う、小さく、細い声だった。この大きな体でどうやって発声しているのか、構造が知りたくなる。
「……」
「気にするな。そのことを聞きたいのではない。周辺の家が破損しているから、どれくらいの竜巻だったのか、詳しく話しを聞けと言われただけだ。〈鳥の巣〉側の監視カメラの映像を貰えば、簡単に分かることなのにな」
「!」
 しまった。
 まさかあの近辺にあったカメラに映っていたのだろうか。
 この情報の伝わり方の早さを考えると、通学路のカメラは学校側でモニタリングしているのかも知れない。
「大丈夫、こっちは〈鳥の巣〉が管轄じゃない。〈鳥の巣〉(あっち)はあっちで別の組織さ。本当だよ」
 なんだろう、この刑事は私が何者かを知っているように話してくる。
 ありえない。
「竜巻の状況と、家とかの破損状況をもう一度見てもらって、動きを説明してもらえばいいだけさ。怖がらなくていい」
 やっと一階に降りると、体育教師が応接室の前で待っていた。
「刑事さん、なんで急に降りたんです」
「いや、一番重い私がエレベータに乗ってるなんて悪い気がしたんで」
「白井、調書を取るのに協力してくれ」
「大体話しは聞いたので、白井さんを現場に連れて行っていいでしょうか」
「え?」
「校長先生には話しは通してあります」
「……そうですか。白井、どうだ?」
「ホームルームはいいんですか」
「話は通してあるそうだ」
 刑事の後をついていった。
 竜巻の現場にきていた車が置いてあり、私は案内されるまま、運転席とは反対の後部座席に座った。
 刑事が乗り込むなり、いきなり車が沈んだ。
「……あの失礼ですが体重って」
「二百」
「へ?」
 言うと同時に車が走りだした。 
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 校門にいる警備員が普段の弛んだ表情ではなく、いつになく厳しい表情で車を見つめている。
 私はその二百の意味が理解できなかった。車の最高速度とかを聞かれたと勘違いしているのだろうか。それとも身長と間違えて答えているだろうか。お相撲さんだって平均体重は百五十キロといったところか、そう考えれば、この体のバランスで二百キロはありえない。
「あの、体重」
「二百」
「ですから」
「聞こえてる」
 声の調子は変わらないのに、鳥肌がたつような獣の気を感じた。
「すみません」
「分かってくれればいい」
「君だって体重を聞かれたくないだろう」
「はい」
 本当に体重を聞かれたくない。体重のことを聞くのはセクハラとか、そういう意味だけではない。
 そんなことを話している間に、車は現場についた。
 現場には鑑識課員が数名いて、盛んに記録をつけていた。
「君は車から降りなくていい。その代わり、番号非通知でここに電話して」
 電話を掛けた。
 刑事はすぐに電話を取り、車から降りると、ヘッドセットを接続して、話しかけてきた。
『〈転送者〉が現れたのは? どこ?』
「そこの側溝の蓋です」
 刑事が道を進んでいく。
『そっちから見えるか?』
「見えます。もう少し左です」
『これか? ここも蓋が吹き飛んでる』
 〈転送者〉が竜巻になった時、周りにあった様々なものを巻き上げてしまったのか。
 マミのことで周りの様子までみえていなかったが、確かに様々なものが削りとられたようになっている。
 マンホールの蓋や、家のガラス類も粉々だ。
『(出現箇所がここ、という証言があるんだが)』
 私にではなく、刑事が周りの誰かに何か説明しているらしい。
『ありがとう。後は〈転送者〉が倒れたのはどこになる?』
 もう一度マミと一緒に戦った時の事を思い出した。
 〈転送者〉の竜巻に飲まれた状態になってからは、辺りの風景はまともに見えていない。
 巻き上げられたマミが落ちてくるところを捕まえた以外、ほとんど記憶に残っていない。
 いや…… あると言えばあるのだが。
『どうだ?』
「ここからじゃ分からないです」
『どういうことだ?』
「……」
 しまった。
 余計な言葉に気づかれたのかもしれない。
『……わかった。ちょっとまってろ』
 通話が切れた。
 刑事はまた周りの人と話しをしながら、タブレットを持って車に戻ってきた。
「このタブレットで現場周辺を俯瞰出来る」
「なんの映像ですか、これ」
「ドローンだよ」
 警察もドローンのようなマルチコプターを使った空撮をするんだ、と感心してしまった。
「このあたり? 右とか左とかは?」
「ちょっと左をみたいです」
 刑事が車の無線機を取って話す。
「左に振って」
 映像が変わる。
 そう、ここだ。この裏側あたりだった。
「ここです」
「そこで静止して」
 刑事はタブレットを引き取ると、指をさした。
「この辺り?」
 私は頷いた。
「わかった。もうちょっとだけ待ってて」
 車から出て行くと、刑事の持っているタブレットに人が集まってくる。
 鑑識の人が、タブレットで指示した場所へ小走りに向かった。
 しばらくすると、何かを見つけたらしく、刑事が誰かに指で丸の形をつくった。
 刑事は車の方に戻ってきて、乗り込んだ。
 例によって車は凄く沈む。
「ありがとう。助かった。今から学校に送っていく」
「この道、しばらく通れないんですか?」
「学校が終わるころには通れるようになっている予定だ」
 車がバックすると、方向を変えた。
 学校の方に向くと、モーターから急にガソリンエンジンに切り替わったのか、音を立てて加速を始めた。
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 構内に入ると、校舎の端で担任教師の佐藤が出迎えていた。佐藤先生は、車を降りた私の横に立ち、刑事に頭を下げた。
「白井、お前も」
 背中を押され、頭を下げる。
 刑事も頭を下げた。
「捜査協力ありがとう」
 言い終わるや否や、刑事は踵を返して車へと向かう。私は急いで追いかけた。
「あっ、あの、すみません。刑事さんお名前聞いていいですか」
「鬼塚(おにつか)だ」
 右手を差し伸べてきたが、その大きい手に圧倒された。
「それと…… もう危ない真似はするな」
「なんのことですか?」
「こんなことを続けていると命がいくつあっても……」
 無意識に刑事を睨みつけていた。
「そうか。本当にやる気なんだな。助けが必要な時は、迷わず俺を呼べ」
「呼べっていったって」
「……そのうちわかる」
 鬼塚が乗り込むと、そのハイブリッド車は音もなく、すべるように走り去っていった。
「ほら、教室に戻れ。すぐにホームルームするぞ」
 余韻とか、そういうものはないのか……
 担任の佐藤の後について教室に戻ると、教室の中はざわざわしていた。
「あっ、廊下にいないと思ったら教室の中に入っていたのか…… まあいい。ここに立ってろ」
 担任の佐藤がそう言った生徒は、見かけぬ顔だった。
「あなたが転校生?」
「白井、そういうことを言うな」
 担任は、パンパン、と手を叩いて皆を座らせると、ホームルームを始めた。
 木更津マミが〈転送者〉に襲われたこと。だから他のみんなも、登下校時の〈転送者〉に注意をすること、という話があった。
 続けて、期末テストに向けての課題について。
 そこまで終わって、やっと先生の隣に立っていた転校生の話しになった。
「さっき、ちょっと話しに出たが、木更津がきてからこのクラスには転校生が入ってこなかった。が、今日は、久々にクラスの仲間に加わる生徒を紹介する」
「さつまりょうくんでぇ〜す」
 おどけた声で、男子が言ってしまった。
「ほら、黙って。自分で言って」
「さきほど紹介された佐津間(さつま)涼です。まだ説明してなかったけど、こういう字だから」
 転校生は教壇にある教師用のタブレットにさっと書き込む。
 すると、教室のサイドにあるディスプレイがパッと映って文字が表示された。
 転校生にしては、この学校の仕組みに慣れすぎているような気がする。
 おお、とかへぇ…… とか、そんな声が聞こえる。
 どこかで見たような気もする。
「何が得意なの?」
「部活とか入る?」
「ちょっとまて、質問コーナーじゃないぞ」
「転校生なんて珍しくない、って聞いてたんだが」
 佐津間がそう言った。
 担任の佐藤よりは大きいが、背の高さは男子としては平均的だ。もしかすると、このクラスだと小さい方になるかもしれない。
「もう一ヶ月も入っていないから、ちょっと新鮮なんだよ」
「だから静かに。佐津間、自己紹介つづけて」
「もういいよ」
「じゃー質問コーナーにしてよ先生」
「そうだ、佐藤、そうだ」
 騒ぎが止まらない。
 今回の転校生が女の子で、私の部屋にさらに相部屋になるならよかったのに。私の、私の為の、私だけの小さな女子ハーレム……
「うるさい、他のクラスは授業時間なんだぞ」
 急にマミの顔が浮かぶ。
 そうだったマミ…… マミ、大丈夫なのかな。
 もう一緒には戦えない、かな……
「質問だらけになったら収拾つかないから、一人質問はひとつ。代表して何人か選ぶからそいつらだけ質問な」
 佐藤は佐津間から教壇のタブレットを取り返し、ランダムで生徒を選んだ。
 急に生徒が一人立ち上がる。
「はい。あ、私は鈴木葵です。よろしくお願いします。質問…… わ…… 質問は……」
 なんでもいいから早く学校終わってマミに会いたい。
「好きな食べ物はなんですか?」
「小学生かよ」
「たこ焼き」
「佐津間も小学生かよ」
「いいだろ」
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 福原が立ち上がった。
「福原隆史です、よろしく」
 福原が頭を下げると、佐津間も軽く会釈した。
「質問は、サッカー部に入りませんか?」
「それ勧誘だろぉ」
「バスケこいよ」
「すみません、今はわかりません」
 と佐津間が言った。
「優柔不断だなぁ……」
 福原が座った。
 自分のタブレットがゆっくりフラッシュした。
 何も考えてなかった…… orz.
 どうしよう。
「は、はい。わたくしはしらいきみこです。よろしくお、おねがいします」
「なんだ、いきなり惚れたのか」
「あがりまくってんな」
「しつもんは、このこのがっこうのいんしょうを言ってください」
 クラスが沈黙してしまった。
 担任の佐藤がフォローした。
「この学校にきて、印象はどうだった?」
「別に」
「別にはないだろう。なんでもいいから言ってみろ」
「そうっすか…… 学校の印象っていうか、さっき質問したツインテールの子、声がババアですね」
 クラスが爆笑した。
 一人一人の笑う仕草が、スローモーションのように何度も自分に襲いかかってくる。
 そもそもクラスで目立つ方ではなかったのに。
 まさか、クラス全員に笑われるなんて……
 こんな注目の浴び方なんて全く想像もしてなかった。
 頭の中が真っ白になった。涙が溢れてきた。
 涙のせいか、景色が白く霞んいく。
 私、どうしたんだろう……

 気がつくと、ベッドで寝ていた。
 ふとんも違うし、天井も。何もかも違う。すくなくとも寮ではない。
 なんだろう、泣きすぎて気でも失ったんだろうか。情けない。たかが声のことを笑われただけなのに……
 体を起こすと、着ていたはずの制服ではなく、病衣を身につけている。間違いない。ここは病院なのだ。
 廊下側から視線を感じた。
「気がついた?」
 看護服を来た女性が、廊下に立っていた。私がベッドから降りて行こうとすると、押し戻すような手のしぐさをしながら、ゆっくりと近づいてきた。
 私は下しかけていた足を戻し、そのまま待った。
「具合はどう? 体温測って、血圧測るから、それまでちょっと待っててね」
 廊下にもう一人、人影をみつけると、自分の中のテンションが上がった。
「マミ!」
「ちょっと。今言ったでしょう? 体温測るのと、血圧測る必要があるから、じっとしてて。お友達だって待っててくれるから」
 女性はベッドの脇のカーテンを少し動かし、廊下側から見えないように隠した。
「安静にして数値が収まらないと、今日、入院になっちゃうよ」
「ごめんなさい」
 自分の鼓動を抑えられるのか、少し不安だった。これが数値に出てしまったら、マミと一緒に帰れない。
 看護服の女の人が、機器をガサガサと用意する時に、心の中からマミのことを消し去った。
 代わりに今日の転校生の一言が思い出された。
『あのツインテール、ババア声だな』
 そう言ったかどうかは確かでなかったが、確かにそんな、ババアと言っていた。それ自体も悔しいが、その後のクラスの反応が……
「ほら、ちょっと。腕だして」
「あ、ああ…… すみません」
 機器が装着され、腕に圧がかかる。
 音とともに圧が抜けていき、何かピカピカと光って数値が計測される。看護の方がタブレットで記録をとって、ニッコリと微笑む。
「うん、一応先生に確認とるけど、この数値なら多分大丈夫よ」
「よかった」
「気をつけてね。目の前が白くなったら貧血だから、ばったり倒れるまで我慢しないで、はやく座ったり、横にしてよ。貧血そのものより、倒れて頭を打ったりする方が危険なんだから」
「貧血? 私貧血になったんですか」
「血が足りない、という数値ではないのよね。脳貧血なんだと思うよ」
「……」
「なんかショックなことが起きると、そういうことになったりするわね。とにかく気をつけてね」
 クラス中から笑われたせいだ、それしかない。
 ちょっと注目を集めてしまうと気分が悪くなる。そんなことに負けてしまったんだ。
 弱い自分……
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「制服はそこに畳んであるから、着替えたら病衣はこっちのカゴにいれといて」
「わかりました」
「ほら、いいわよ」
 看護の人がカーテンを開くと、マミが病室へ入ってきた。
「びっくりしたよ、公子、どうしたの」
「うん…… 貧血だって」
「急に?」
「詳しいことは寮に戻ったら話すね」
「一緒に帰ろ」
 カーテンをもう一度戻し、私は制服に着替えた。先生がやってきて軽く状態を確認されて、そのまま手続きをした。両親へは連絡をしてくれているそうだ。
 スマフォに両親から連絡があったが『来なくても大丈夫』と返信した。来て、と言ったところで両親には何か理由があって、どのみち来れないに決まっている。
 マミと二人で近くの駅まで行き、百葉への新交通に乗った。無人運転の二両編成。途中駅までは多くの人が乗っていたが、百葉に近くなるにつれ、多くの人が下り、乗り込む人が減っていった。
 後二駅過ぎれば次は百葉、というところで車内は私とマミだけになってしまった。
「あれ、本当に私達だけになっちゃったね」
「まあ、この先は全部駅も無人だし」
「座り放題、寝放題だね」
 カバンを枕にして、長い椅子に横になってみせた。
「私もやってみよう」
 マミも向かいの椅子で同じような格好になった。
「なんか変な感じ」
「そうだね」
 某システムダウンが起こってから、それを中心とした街や村は避難地域に指定された。そこに住む人たちの意思にかかわらず、強制的に退去させられ、避難したのだ。
 それに伴い、他の人も怖くなって移動を始めた。自主避難と呼ばれたが、それもしかたがないことだった。
 避難地域の近くでは、民間のサービスはもちろん、行政サービスですら受けられなくなり、治安も悪化していったからだ。
 だから今〈鳥の巣〉へ近づけば近づく程、人がいなくなる。そういう構造になっていた。
「〈転送者〉って今日初めて見た」
「私もだよ」
 クラスの仲間から目撃談は聞いたことがある。
 出現を予測出来る人もいるようだ。
 そういう人のネットワークを使って、スマフォに知らせるような仕組みを作っている人もいるらしい。まぁ、それが正確ならば、私もつかいたい。
「もっと弱いんだと思ってた」
「確かに」
 〈転送者〉で死人がでたとは聞かない。
 必ず逃げてこれていることから推測して、そんなに強い生物ではないのだと考えても不思議はない。
「マミは怖かった?」
「……うん」
 マミの表情をみた。
 これは結構深刻な状況だ。
 やっぱりマミには、〈転送者〉を打ち倒す適正がない。
「あ、そうだ。今なら話せない?」
 マミが体を起こした。
「なんだっけ?」
 私も体を起こした。
「貧血になった理由(わけ)」
「そうだね……」
 誰が乗ってくる訳でもないし。
 監視カメラはあるかもしれないけど、それは寮だって同じ。
「!」
 急にブザーがなった。
「緊急停止します 緊急停止します」
 急ブレーキのせいで、マミは椅子の上で倒れてしまった。
 立ち上がって、手すりに捕まる。
 進行方向のガラスを凝視するが、何も見えない。
「何、何だっていうの?」
「見えない。別に何もないけど」
 そう言っているうちに、列車は完全に停止した。
「なんだろう…… 私、前の車両にいってみる」
 マミは椅子に座りながら震えている。
 やはり朝の出来事がショックだったのだ。
 もしかしたらこれも〈転送者〉の仕業、と考えてしまうのだろう。
 しかたないことだ。
 正直言えば、私だって怖い。
「行かないで」
「えっ……」
 マミに腕を握られた。
 二つの胸の膨らみに、挟まれた腕の感触が、私によこしまな考えをもたらす。
 
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『私と戦いとどっちを取るの』
 振り向くと、マミの胸元は大きく開いていて、白い肌の膨らみが丸見えになっている。
『いかきゃ誰が倒すの、警察は現場検証しかしてくれない』
『そんなの言い訳よ、私のことが嫌いになったのね……』
 マミの美しい瞳に、涙が溜まっていく。
『違うよ、大好きだよマミ』
『じゃあ、キスして』
 目を閉じてキスを求めてくる。
 どうしよう……
 ここでやらないと一生マミとキスできない気がする。
『じゃ、じゃあ、いたただきます』

『何かありましたか?』
 男の声だった。
『何かありましたか?』
 続けて同じことを聞いてくる。
「公子、何してるのよ」
「え?」
 目を開けてはいたが、現実が見えていなかった。私は声のする先を探した。
「公子、これって、どこに向かって返事すればいいのかな?」
 マミがそう言った。
「あれじゃない?」
 車両のつなぎ部分の上部に、小さいディスプレイがついていて、駅員の顔が映っていた。
『何かありましたか?』
「わからないです。とにかく、急に停止しました」
『こちらには、車両の緊急通報ボタンが押されたと表示されてますが』
「緊急通報ボタン??」
 マミの方を向くがマミも同じ気持ちだったようで首を振った。
「押してません」
『車両先頭部にある、1番の緊急通報ボタン……』
 新交通の職員が何かを確認するような様子していたと思うと、突然、映像が途切れた。
 同時に、ガチャン、と大きな音がした。
 鍵が開いた音。
「キミコ! あれ!」
 先頭車両の先頭部分のドアが開いた。
 そこから、真っ黒な首無しーーE体が出てきた。
 ドアを過ぎた部分から大きくなっていった。それはまるで、風船のように膨らんでくる。もうこのドアから戻れる大きさではなっていた。
「いぃやぁーーーー!」
 耳が潰れるかと思うほどの絶叫に目をつぶった。目をつぶっても音は遮れないというのに、何故こんな反応をするのか、自分の行動が不思議だった。
「マミ、落ち着いて。とにかく後ろに行こう」
 震えてしまって、歩けそうにないマミの背中を押しながら、〈転送者〉と反対の方向へ進む。
 さっきE体が入ってきたのと同じドアが見える。
 違う…… あそこは開かない。
 普通の乗車用ドアを緊急レバーで開放して、そこから逃さないと……
「マミ、電車を降りよう」
 赤い印がしてある箇所の、開放レバーを、説明の通りに操作する。これでドアが開閉するはず。
「開かない?」
 もう一度、取っ手に力を込めて、引く。
「どうして!」
 開放用の赤い装置をもう一度書いてある通りに順番に動かす。きっちりと手応えがある。これで開かないなんて…… 車両メーカーを恨むべきなのか、鉄道会社の整備員を恨むべきなのか……
「開いて!」
 E体がゆっくりと近づいてくる。
 私達を獲物、と認識している。
 しかし、E体は、車両の継ぎ目で引っかかって体を曲げたり、向きを変えたりしている。
「マミ、とりあえずそこに隠れて」
 私は運転席横のコの字になったスペースにマミを連れて行った。
「けど、き、公子はどうするの」
 そう言うマミは足が震えて、まともに立ち上がれそうになかった。
「戦う」
「危ないよ! 今度こそ死んじゃうよ、ね、一緒に隠れて」
 確かに…… 少し、いやな予感がした。
「二人隠れることができるほど広くないから。私が囮になる。多分、戦っていれば、窓なり扉なり、どこか開くから、そこから逃げて、約束だよ」
 マミは小さくうなずいた。
 その仕草があまりに可愛くて、頭にキスをした。
「じゃ、行ってくる」
 とにかく、時間を稼ぐことと、脱出ルートをつくることが肝心だ。
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 E体はまだ車両の継ぎ目を通れなくてもがいていた。
 まずは、こちらの車両にこさせなければ一つ目の目標に近づく。
 E体はこっち側の車両に手を掛け、無理やり体を抜こうとしている。私はその〈転送者〉の腕を蹴り上げた。
 そして、前方車両へ戻す為、体ごとぶつかった。
 体をぶつける度、〈転送者〉の赤黒い、目のようなものが、暗く光る。
 何度目かに体をぶつけようとすると、今度はE体の腕のようなものを突き出して妨害した。
『あぶない』私は気持のなかで叫び、体当たりを一度諦め、E体のその腕を、動かない方向にキメて、全身のちからを込めることにした。
 このまま腕を折ってやる。
 再び、継ぎ目の奥にある、赤い部分が暗く光った。
 私の体ごと、ぐるっと腕をひねったかと思うと、そのまま前の車両に引きずり込まれた。
 反対の腕が私の顔をめがけて飛んでくる。
『まずい!』
 横にかわした、と思った瞬間、腕は私の腹に打ち込まれていた。
 フェイントかますのかよ。
「ゔっ……」
 体が『く』の字に曲がる。
 苦痛と恐怖が、頭を支配していく。
『……迷わず俺を呼べ』
 馬鹿でかい刑事が言った言葉が蘇ってくる。
 どうやってあんたを呼べばいいんだよ。叫べとでもいうのか。
 呼んで欲しかったら、そこまで教えておいてくれ。
「(はっ)」
 息を吐きながら、無理やり体を動かす。
 すれすれで〈転送者〉が振り回す腕を避けながら、窓やドアが壊れることを願った。
 しかしE体の攻撃は正確で、振り回し過ぎて窓ガラスやドアを打ち壊すような真似はしない。
 どれだけ窓の寸前で避けても、窓やドアを叩く前に止めてしまうし、ギリギリのところを振りぬいていく。
 いや…… ドアを叩いたとしても壊れないか…… ドアが壊れる程の力だったら、私のお腹は破裂していたに違いない。
 止まって反転すると動きをよんだはずなのに、〈転送者〉はそのままの方向にグルリと回転した。
「しまった!」
 人間なら裏拳に相当するものをもろに食らってしまった。
 床に叩きつけられ、前後左右がわからなくなる。
 車両の継ぎ目にある手すりにしがみついて立ち上がる。
「ひゅ〜っ」
 〈転送者〉が空気を押し出したような音をたてた。
 気味の悪い音。
 もしかすると、コレが奴の声なのかもしれない。
「公子! 大丈夫?」
「……だいじょうぶ」
 自分の力でこの敵を倒さないと。
「ナックルダスター、つかう?」
 急に〈転送者〉が走りだし、体当たりしてくる。
 挟まれないよう、慌てて手すりから手を離し、後部車両に逃げる。
 〈転送者〉は大きな音をたて、継ぎ目の部分に体をぶつける。
 やはり体が大きすぎて、通過出来ないのだ。
「ふぅ……」
「公子、使う?」
 ナックルダスターを投げてよこそうかというマミの後ろに、奇妙な影が。
「……マミ、逃げて!」
 先頭車両の〈転送者〉が連結部分でハマっている間に、別の〈転送者〉が後部車両のドアから転送が始まったようだ。マミもすぐに異変に気付く。
「いやぁ〜〜 助けて、助けてキミコ!」
 やばい……
「とにかく立ち上がって」
「立てな……」
 そこにいたらマミに見られてしまう。
 それだけは避けたかった。
『……迷わず俺を呼べ』頭の中の鬼塚刑事が言う。
「だからどうやって……」
 私は天を仰いだ。
「助けて……」
 完全に転送が終わったらアウトだ。
 いや、多分、体力的に二体は倒せない。どうする。
「マミ、目を閉じて、耳を塞いで!」
「なんで」
「いいから、お願い!」
「分かった」
 私は全力で最後部のドアへ跳んだ。
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 と、同時に、全力で声を張り上げた。
 マミに音が聞こえないように、ずっと声を出し続けた。
 きっとこれは、ガラガラで、ババアみたいな声なんだろう。興奮したなかで、ふと冷静な自分がそう言った。
 転送されかけたE体の半身に、繰り出した蹴りが突き刺さった。
 マミは耳を抑えて丸くなっている。
 そのまま、そのままでいて……
 さらに強く右足を突き刺す。
 息を継ぎながら、声を出し続ける。
 すると、E体の目のような場所の光が弱まった。
「ふぁ〜」
 通学路に出た〈転送者〉を倒した時に聞いた、空気が抜けるような音がした。
 E体の腕がダラリとさがり、目の光りが消える。
 足先に合った手応えがなくなった。
 慌てて足を引きぬく。
 ドアが閉まり、時間が逆に動いていくかのようにE体が消え去った。
 パタン。
 やった。とりあえず、勝った。
「マミ、マミ! 大丈夫?」
 私はマミの肩に手を置いて、そう言った。
「!」
 目を閉じて震えていたマミがようやく目を開いて、耳から手を離した。
「〈転送者〉は?」
「大丈夫、ドアに押し込んだら戻って行った」
 私はウソをついた。
「ありがとう」
 マミは立ち上がるなり、抱きついてきた。
 救えた、と思う安堵に、見られなかった、という気持ちが加わって、まだ車両の継ぎ目にいる〈転送者〉のことを忘れてしまいそうになる。
 ぎゅっと、抱き返すと更に体が密着して、気持ちが良かった。
「!」
「どうしたの?」
「ドアが……」
 マミが見ている方向を振り向くと、乗車口がゆっくりと開き始めていた。
「まさか、こっちからも……」
 マミをまた同じ後部のコの字のスペースに押し戻すと、乗車口の前で構えた。
 もう、同じ手は通じない。
 こんどこそ見られてしまう。
 その時、ガツン、と大きな音がした。
 音は先頭車両からで間違いなく、その音の意味は間違いなく嫌なものだった。
「ふ〜〜」
 横たわったE体が、両手をついて立ち上がってくるところだった。もちろん、そこは後部車両の床だった。
「まずい」
 今度は正面の乗車口が音を立てて開いた。
「!」
「呼び方が下手だな」
「……」
 そこには鬼塚刑事の姿があった。
「お前は隠れて、目をつぶっていろ」
 いそいでマミのいるところに逃げ込み、マミのことを抱きしめた。
「それでいい」
 E体が滑るように走りだすと、鬼塚はその巨体を軽々と跳躍させて乗り込んできた。
 と、同時に刑事はE体を蹴った。
 蹴られたE体が乗車口にぶつかったせいか、鬼塚が乗り込んだせいか、車両は大きく揺れる。
「うらぁ!」
 刑事が叫ぶと、強烈なオーラが車両を包み込んだ。
 鼻も口もないE体が、怯んだように見える。
 残像すら見えないような手と足が、流れるようにE体に注がれた。
 すぐに、大きな破裂音。
 私が倒した時のような、あの抜けるような音ではなく、爆発したような、突然臨界を迎えたような、激しい音だった。
 影が実体化したようなものがヒラヒラと舞い、床に撒かれた。
 鬼塚の圧倒的な強さだけが印象に残ってしまった。

 マミと二人で車の後部座席に座り、私はぼんやりと外を見ていた。
 マミは私の肩に頭をのせて、すやすやと眠っている。綺麗な黒い髪に、赤黒でラインの入ったカチューシャがあることに気付いた。これ、朝はしていなかったような…… けれど、今日ずっとマミと一緒にいたわけではない。どこか途中でつけたのかもしれない。
 マミの髪を撫でながら、こんな安らかな時間が永遠に続いたらいいのに、と思って、次の瞬間には否定した。いやいや、どうせ永遠に続くならもっとエロい関係になってから、そんな甘い時間が延々と続いて欲しい、と思い直した。
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 マミが頭をこちらに倒しているせいで、襟元から胸がチラっと見えた。綺麗な肌がやわらかそうなカーブを描いている。マミが寝ている無防備さも手伝って、のぞき見てしまう自分への罪悪感がひどかった。けれど、そこから視線を外すことができないでいた。
 〈転送者〉が破壊された後も、鬼塚は私達に何も質問しなかった。そのまま高架下に停めてあった、刑事の車に私達を乗せてくれただけだ。
 私は、さっき刑事に言われたことを思い出した。
『今、〈転送者〉がモノ、なのか動物なのかもわかっていない。所有者も分かっていない。都心であればともかく、こんな田舎じゃ、正当防衛を証明するのも難しい』
 つまり、〈転送者〉を倒すことは罪になってしまうというのだ。
『モノでも動物でも、まずは器物破損の罪になるだろう、と言われている。所有者のあるものを壊してしまったような場合に相当する。道路を走っている、あるいは停車している車を壊した、傷つけたのと同じ罪だ』
 猪や熊を撃つような行為にならないのかとも聞いたが、だめだった。
『現状はそうはいかない。そもそも害獣として認めようににもあまりに情報が少ない』
 法整備なんかをまっていたら、国が滅ぶのではないか、と私は言ったが『それは俺らが考えることじゃない』と一蹴されてしまった。
 それにしても、いままで〈転送者〉に出会ったことがない私が、同じ日に二度、合計で三体に遭遇することになるなんて。何かが変わり始めているのだろうか。
 再び、ぼんやりと外の光景を眺めていると、鬼塚刑事が車に戻ってきた。
「ほら、制服の上着忘れてた」
 鬼塚は運転席に乗り込み、窮屈そうにからだを捻ると、制服を渡された。
「寮まで送ってく」
 そう言ってエンジンをかけた。
「ありがとうございます。そうだ…… 暑くて上着脱いだんでした。すみません。忘れてました」
 いや、そんな理由で脱いだんじゃない。
 あの時だ。マミが隠れているそばのドアから、転送が始まった時。
「とにかく気をつけるんだ。上着を忘れたりすることにも注意が必要だが、その前に、お前は好戦的過ぎる」
「そんなことありません」
「〈転送者〉は〈転送者〉を呼ぶ性質がある。知らなかったのか?」
 鬼塚はシートベルトをしめて、車のエンジンをかけた。
「電車のドアというドアから出てくる可能性があったんですか?」
「可能性はあった。友達がいたのだから、まず逃げることを考えてくれ」
「最初、逃げようと思いました。けど乗車口は開かなくて」
「……」
「鬼塚さんほど力があれば、開いたかもしれ」
「誰かが」
 鬼塚はいいかけて、話すのを止めた。
 こっちは話しの途中で止めて、話し出しを待っていたのに、刑事は黙々と運転を続けるだけで、何も言葉をつなげない。
「どうしたんですか?」
「……いや」
 再びだまってしまった。
 私もぼんやりと外の風景をみるだけだった。
 あたりが完全に闇になった頃、寮の灯りが見えてきた。
 人の住まない地域に近いせいで、建物があっても灯りがつくのは寮ぐらいしかない。
 寮の警備の人に言って車の中に回してもらった。
 その間に私はマミを起こした。
 鬼塚刑事が車を止めて、車を降りた。私とマミも車を降りた。
「じゃあ、気をつけて」
「ありがとうございました」
 私とマミは頭を下げて、刑事が帰るのをまっていた。
「白井さん、ちょっと」
 刑事は後ろに回りこんできた。
 両肩を抑えられてしまった。
「なんですか、なにするんですか?」
 鬼塚はしばらく背中を見つめている。
 まさか…… あれが見えてる?
「やめてください!」
「あ、ごめんごめん。セクハラとかで訴えないでくれよな」
 私は慌てて手に持っていた上着を羽織った。
 鬼塚は何もなかったかのように笑顔で言った。
「じゃあ、二人共気をつけて」
 車は寮を出ていった。
「さあ、戻ろう」
「公子、最後の、何だったの?」
「わかんない、ただのエロ刑事が女子高生の体を見たかった、ってことじゃない?」
 そういうことにさせておいてください。鬼塚刑事、と心の中で謝った。
「そんなことより、今日はいろいろありすぎて整理がつかないよ」
「そうだね〜 本当に怖いことばっかりだった」
「病院にはマミのご両親きたの?」
 家の親は『来て』と連絡しても来なかったろう。
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「連絡はしたけどね。多分こないから」
「そうなんだ。私の両親も来ないから連絡しなかった…… あ、いや、ごめん連絡した。来なくていいからって」
「一緒だね」
「うん」
 たぶん、こんな某システムダウン発生場所に近い、しかも全寮制の学校へ、娘を入れてしまう親には何か共通点があるのだろう。自分の子供に干渉したくないとか、独立心を育む為に放任主義であるとか、どんな考えかは良く分からないけれど。
 私達が寮の食堂で食事をしていると、同じクラスの娘(こ)と何人か合った。今日、クラスで私が倒れたことには触れなかった。別に、触れられたらそこでマミに話してしまおう、と思っていた。
 食事の間には、話すきっかけがなかった。
 寮はお風呂の時間が区切られており、部屋割で時間がシフトしていた。そうやって一定時間に集中しないようにコントロールされていた。
 それがイヤな生徒は、学校にいるうちにシャワーを使ってしまう。部活とかの生徒はそっちで済ませてしまう人も多いようだ。
 私もマミも部活に入っていない為に、学校のシャワーを使うことは滅多になかった。大きくてゆっくりつかれるという理由で、私は寮の風呂の方が好きだった。
 部屋にぶら下がっているお風呂のシフト表を眺めながら、私はマミに言った。
「そろそろお風呂の時間だね」
 マミはベッドの上に腰掛け、自身の足先をみつめていた。
「……うん。今日は時間帯の終わりの方ではいろうか」
 いつも時間の幅で、早い時刻ばかりをみていたから、終わり側の時間を気にしてことがなかった。表を改めてみてみると、今回、私達の部屋は最後の時間帯だった。それの終わりの方の時間帯ということは、本当に最後の最後ということだ。
 私はシフト表を元に戻した。
「マミがそれでいいなら」
「ありがとう」
 このタイミングで話すべきか、と私は思った。
「今日、私が教室で倒れた理由(わけ)、話してなかったよね」
「……」
 マミが聞きたいのか、拒否しているのかが分からなかった。
「ちょっと、こっちにきて」
 マミが手を置いた、ベッドに腰掛けた。
「一度、話し変えてもいい?」
 私はうなずいた。
「今日やろうとしていたこと、公子はおぼえているよね?」
 マミと計画していたことだった。
 あの壁の向こうへ行く計画。
 私はうなずいた。
「あれ、さ」
 また、マミは自身の足先を見ていた。
 伸ばしたり、曲げたり、重ねたりしながら、時間が過ぎた。
「あれのことだけど、怖くなっちゃった」
 急にこっちを向いて、手を合わせた。
「本当にゴメン。無期限延期ってことで」
 たぶん朝の〈転送者〉の件だ。
 実際、私もマミはもっとやれる、と思っていた。マミにも能力があると思っていた。
 しかし実際は違った。
 そうだとすると、無理に〈鳥の巣〉の中に連れて行くことは出来ない。某システムダウンの中心部で〈鳥の巣〉の内側には〈転送者〉がもっと高確率で発生する、と考えられるからだ。
 私はまた一人になったような気がして、悲しくなってきた。
 どうしてこう一日に何度も泣いてしまうのだろう。涙もろくなってしまったのかな……
「公子、ごめん。けど、私。私には無理だよ」
「うん。こっちこそ、ごめん。そうだよね、怖いよね、いいよ、大丈夫」
 私、大丈夫だって言った?
 違うよ。大丈夫じゃない。
 めちゃくちゃ寂しいのに。
「公子」
 マミが肩を抱いてくれた。
 私はそのまま抱きついてしまった。
 ぎゅっとされると、悲しみが紛れるだろうか。
 抱きしめられると、寂しさが消えるだろうか。
 いつのまにか声をだして泣いていた。
 朝は〈鳥の巣〉に入ることを、半分忘れかけていたのに。元々、一人でも入る気でいたのに、断られると、涙がでてしまう。
「公子?」
 ドアが叩かれた。
「公子いる?」
「いるけど、ちょっとまって」
 マミが答えた。
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「入っていい?」
「ちょっとまって」
 マミがタオルを手渡してくれた。
 私は慌てて涙を拭った。
 それでもすぐに溢れてくる。
「入るよ?」
「まってよ!」
 ドアが開いた。
 私はまだタオルを顔に当てて涙を拭っているところだった。
「どうしたの公子、木更津になにかされたの」
 神代(こうじろ)さんだった。神代佳代(かよ)。クラスで委員長をしている。
「何もしてないって」
「なんでもないよ、大丈夫」
「いいや、なんかあったっしょ。絶対なんかあった」
 いつも思うのだが、神代さんは委員長って柄じゃない。漫画でいうところの、五月蝿い新聞部の部員という感じだ。
「何のようですか?」
 神代さんは部屋に入ってきて、ドアを閉めた。
「そうそう。そうでした。伝えたいことがあるんでした」
「私に?」
 神代さんはうなずくと、マミの椅子をひっぱってきて、私の正面に座った。
「今日転校してきた佐津間(さつま)君ね、公子(きみこ)に悪いことしたって言ってたよ」
 はぁ? こっちがどれだけ傷ついたと思ってんだ。悪い事、だと思った時に言うのを止めろよ。
「ちょっと待って」
 私はこのタイミングでマミに説明したいと思って切り出した。
「マミに話したいから、その話ちょっとまってくれる?」
「いいけど」
 私はマミに向き直って、言った。
「今日私が倒れた話なの。マミが居ない状況でホームルームになったの。転校生が紹介されて、その転校生がドライな奴で。皆は質問したがってるから、佐藤が適当に三人選んで質問させたの。私、この佐津間って転校生に質問しなきゃならなくなったの」
 出来る限り省略しようとしていた。
「転校生は先に教室に入って色々話ししてたんよ。そこから担任と公子が入ってきてホームルームになったわけ。半ば話しを聞いていたから、他のクラスの連中からしたら改めて紹介ってのも変だなぁ、って感じだったのね」
 神代さんがそう付け加えた。
「その時、私なんかアガっちゃって。本当に頭んなか空っぽになってみたいで。なんだっけ、そう、学校の印象は? とか質問したの。転校生は『別に』とか言っちゃってさ」
「そうなのよ、佐藤がフォローするつもりで『なんかあるだろう』とか言ったせいでさ、公子が」
 私は神代さんがその先を言いかけたところを止めた。
「ごめん。そこは私が言うね」
 深呼吸した。
 動悸は激しくなって、また倒れてしまうかと心配になる。
「……転校生、私の声、ババアみたいだって」
「その転校生、酷いこと言うね」
 苦しい。実際、あの時は、その先がショックだったのだ。
 神代さんが椅子から立ち上がって、私の横に座った。
 そして背中をさすられた。
「そ、その一言でクラス中が笑って」
 息が止りそうな感じがする。
「大丈夫、公子」
 マミに倒れるようによりかかってしまった。
「ごめんね。委員長の私も、フォローできてなくて。あとさあ、あんときは佐藤先生もなんかフォローして欲しいよね」
 フォローがあればなんとかなったろうか。
 そういう状況じゃなかったかもしれない。単に私が弱いのだ。弱いから、そんなことで倒れてしまった。
「本当に大丈夫? ね、公子?」
「ごめんね、変な話蒸し返しちゃって」
「いいの、どのみちマミに説明するんだったから」
「でさ、その佐津間くんね。謝ってたから。『委員長、誰か白井の知り合い知らねえか』って聞いてくるからさ。私で大丈夫だよ、って言ったら『謝っておいてくれ』だってさ。あれだよ、ほら、小学校の時に男子が好きな女子にちょっかいだしてくるやつ。あんな印象なんだけど」
 ふん。私はあんな男は趣味じゃないし、小学生レベルの求愛方法も知らないし興味もない。
「結構イケ面だし、付き合っちゃえば」
「え? どんな奴なの?」
 マミは私の前に差し出された神代さんのスマフォを覗き込む。
「へぇ。一般的にはイケ面なんだろうね」
「マミは興味ないの?」
「ちょっと趣味と違うかな」
「私も趣味じゃない」
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「なに? 二人とも妙に気があうじゃん」
 マミの顔をみると、少し赤くなっているような気がした。
「さっき泣いてたのと関係あるでしょ? ねぇ、何で公子泣いてたの?」
「いいじゃない」
「秘密よ、秘密」
 そう言うので、私はマミの顔を見た。
「ねぇ〜 公子、秘密よね?」
 マミは顔をかしげ、て同意を得ようとしていた。
「そうだよ、秘密だよ」
 そう返すと、マミは笑顔になった。
 私はそれを見て、もう何もかもを投げ出してマミに抱きつきたくなった。
「なによ、それ。あんまり秘密秘密いうなら、二人の関係、調べちゃうから」
 スマフォを引っ込めると、神代は立ち上がった。
「ま、とにかく佐津間も悪い奴じゃないってことで、よろしく」
「そんだけ?」
「そんだけだよ。それに仲の良い二人の部屋に長居しても悪いし帰るね」
「神代さんありがとう」
「気にしないで」
 ドアから頭を出して、去っていく神代に手を振った。
 向こうも一度振り返って手を振り返した。
 部屋に戻ると、マミが言った。
「転校生ってその一人だけ?」
「今回は一人だったね」
「さっきの写真だと、背は高いって感じじゃないね。どれくらい?」
 妙に転校生のことを聞くな、と思った。
 趣味じゃないんじゃなかったのかな。
「私よりは大きいけど、マミよりは小さいんじゃない?」
「鶴田よりは大きいんだ」
「うん、そうだね。鶴田は私ぐらいでしょ?」
「ふぅーん」
 なんだろう、何を考えているんだろう。
「確かに木場田達に囲まれてたよ。仲良くやれそうな感じ」
「スクールカーストの上位の方なのか」
 私はこのスクールカーストというヤツが良く分からない。カーストの下だからといって、別にクラスの奴隷のように働かされているわけでもない。単に発言の影響力が弱いだけだ。それに、カーストの下の人間は別にクラスへ影響を与えられなくとも、やっていっていける。どちらかというと『クラス』という集団に依存しているのはカーストの上の方の連中なような気がしてならない。
「まだわからないよ。第一印象、そんなに明るい感じでもないしさ」
「ふぅーん」
 なんだろう。何が知りたかったのだろう……
 もしかしたら、マミは木場田や鶴田あたりに興味があるのかも知れない。妙に彼らの行動を見ている感じだ。
 マミはそのままベッドに横になった。
 私は机の上に置いてある時計を見た。
 お風呂までには時間がある。
 今日、何もなければどうなっていたかを考えていた。
 私とマミは、今日〈鳥の巣〉の中へと入るつもりだった。
 避難区域にしていされている〈鳥の巣〉の中の市町村は、全員が避難しているが、人が完全に住んでいなくなったわけではない。某システムダウンを復旧する為に、日々人が入り、そして交代の為、人が出ていっている。
 普通なら、遠隔業務で対応するIT業務でさえ、某システムダウンのせいで〈鳥の巣〉内のコンピュータシステムまで直接作業者が足を運ばないといけないのだ。もうかれこれ5年もやっているから、遠隔地から出きてもよさそうなのだが。
 恐らく外部ネットに接続出来ない、特殊な理由があるに違いない。
 某システムダウンの中心にそびえ立つタワー。
 避難区域にある、今は使えない国際空港。
 逃げ遅れた人がいるに違いない。
 何が起ったからすら判らなかった。遠くに煙が立ちのぼっていた。
 線量だの、発光があったとか、きのこ雲だとか、大人達は恐れていた。
 私はまだ子供だった。それに空港についたばかりで、何が起こったか全く理解できていなかった。いや、今でも報道は制限され、ごく一部を除いて映像は流れない。ネットで探してもないのだから、本当になかったと勘違いするひともいるだろう。逃げ遅れた人が何人いるかも、正しい発表はない。
 一緒に空港に降りたはずの友達。
 なのに、いなくなってしまった友達。
 完全にその部分の記憶を失っている。私を私じゃなくしているような、何か、とても大事なものが欠落している。それが〈鳥の巣〉にあるはずだった。
 加えて、某システムダウンと同時に出現し始めた〈転送者〉のことや、自分に起こった異変。それらすべてが原因がこの〈鳥の巣〉の中心にある気がしていた。
「公子…… どうしたの?」
「えっ、なんでもないよ。次のボランティアのこと考えておかないとな、って」
 全くこころにもないことを話してしまった。
 けれど、それはそれで考えなければならないのは本当だった。百葉高校では、ボランティア活動が成績に影響するのだ。
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「そうだね。この前の道路の清掃はあんまり喜ばれなかったもんね」
「また一緒にやろう?」
「もちろんだよ。もっといいのを探そうね」
「そうだね」
 学校では問題解決する能力を重視している。本当に様々な課題がある。通常の数学、英語、国語、社会という区分けではなく、それらをミックスして課題を出してくる。ボランティアはその一環ということらしい。
 問題を解決する為の数学であり、英語、国語、社会、化学、物理なのだ。
 大抵の課題は何教科かがミックスされている。
 それらを解きながら、基礎的な教科を学んでいくというスタイルだ。教科自体は、ほぼ自習するに等しい。もちろん、質問をすれば普通の学校のように教えてはくれるのだが。
「やっぱりさっきの神代さんがやってたような、学校の為のボランティアが手軽に出来て手堅いよね」
「けど皆考えてるから、アイディア勝負だよー 公子なんか良いの思いついたの?」
「全然ダメだけど」
「そっか。気長に考えようか。それより、そろそろお風呂いこうかー」
 マミが体を起こしてそう言った。
 小さいバッグに下着とタオルを入れて廊下にでる。しばらくするとマミも同じような小さいバッグを持って部屋を出てきた。
「鍵持ってる?」
「うん」
 私が鍵をかけ、それから寮のお風呂へ向かった。
 後ろからマミの歩く姿をじっとみていた。
 ゆらゆらとお尻を振るように歩くのをみるのが好きだった。自分もこんなにおしりを振って歩いているのか分からないが、他の人の姿をみてもこんなに極端に左右にひねる感じの娘(こ)はいない。
 歩きながら腰をひねると、部屋着の裾が大きく揺れる。
 お尻のあたりは、サイズがキツイのか、下着のラインが見えてしまっている。制服の時はスカートがフリフリして、下着が見えそうになる。下着を見たい気もするが、他人にも見られてしまうから、ヒヤヒヤしてしまう。だから、どちらかというとこの部屋着の方が、安心して見ていられるのだ。
「公子、私、今日、何にもしてないけど、なんか色々疲れたねー」
「あんなに何回も〈転送者〉にあうことはないもん。疲れて当然だよ。私もくたびれた」
「あ、公子、誰もいないみたいよ。今日は本当に最後の最後になった!」
 脱衣場のカゴは全部ひっくり返っていた。
 少しだけすけて見える浴場の中に人影は見えない。
 私は確認する為に開けてみたが、本当に誰もいない。着替えを置いていないのだから、中に誰も居ないのは当然なのだが。
「時間ずらしてよかったね」
「ほんとー。転校してきて初めてだよー」
 私も本当にそう思う。
 これなら、少しぐらい間違いが合っても問題ない。手が滑って胸を触ってしまったり、あんなことやこんなことが起こっても、誰も咎める者はいない。私もこんな日がくるのを待っていた。
 マミはあっという間に部屋着を脱いで浴場へ入った。
 私も急いでその後を追った。

『今日は丁寧に洗わないとね』
『え、何で?』
 私はわざとマミに尋ねる。
『えー もうわかってるくせに』
『私が洗ったげるよ』
 マミのボディタオルを奪うと、感触が伝わるように薄く重ねて持ち、そっと肌に重ねる。
 丁寧に動かしながら、ボディタオルとは逆のい手でもマミの敏感な肌に触れる。
『えっ、公子、ちょっと……』
『ここはどうかな?』
 わざとその手で胸の突起をいじってみる。
『あん…… ちょっと、公子ぉ……』
 敏感過ぎる反応にこっちの気持ちもどんどん上がっていく。
『本当にスタイルいいよね』
『あ…… ちょっと…… ああ……ん』
『気持ちいい?』
 奥の方へ手を伸ばすと、急に体をそらすようにマミの体が反応した。

「どうしたの? 公子。寒いから扉早くしめて」
「……」
 慌ててよだれを拭う。
「ごめんごめん」
 扉を閉めて、マミの横に座って体を洗う。
 本当にこの妄想癖はなんとかしないと…… そのうちバレてしまいそうだ。
「提案があるんだけど」
「なに? 公子。急に『提案』だなんて」
 ここまで言っておきながら、私は少しためらった。
「『提案』なんて、ちょっとおおげさだったね。あのさ…… 背中洗いっこしよ?」
「おたがいの背中を洗うのね。いいわよ」
「じゃ、私があらったげる。マミのボディタオル貸して」
 手渡されたボディタオルを薄くなるように持ち替えた。
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 痛くないように、そっとなでるように上下に動かす。
「にゃははは…… 公子、くすぐったいよ。もう少し強くしないと汚れ落ちないんじゃない?」
 思いもよらぬ反応に、気持がたかぶった。
「ちょっと変った洗いかたしてもいい?」
「えっ?」
 私は少し手順を飛してしまった。
 自らの体にボディソープを塗りたくって、マミの背中に押し付けていた。
「ちょっと…… それ何のつもり?」
 すぐに冷静さを取り戻したが、してしまったことは元に戻らない。
「気持いいけど、それってやばくない?」
「そ、そうだよね」
 気持いいことは、いいんだ。『キモイ』って言われるかと思ってた。
 急にマミが振り返った。
「ほら!」
 振り向いたマミは、私の胸のぽっちを触ってきた。
「あっ…… ん」
「公子の、立っちゃってるし、擦れて赤くなってるよ。あんなことしちゃだめ」
 他人(ひと)に触られるの初めてだけど…… 気持いい。
「(もっとさわって)」
 私の声はたぶん、聞こえないくらい小さい声だったのだろう。
「普通にボディタオルで擦っていいからね」
 マミは再びもとの向きに戻った。
 私は悪ふざけをすることなく、しっかりと背中を洗った。
 何度となく『おっと手が滑った』と言いかけたが、言葉も手も、必死に抑え込んだ。
「ありがとう。今度は私がしたげる」
 ああ…… この言葉が違う意味だったら……
 そう思いながら、小さくうなずく。
 調子に乗って『痛くしないでね』と言いかけた言葉を飲み込む。
 背中をマミに向けた瞬間、大きな問題に気付いた。
「ご、ごめん!」
 私は慌てて立ち上った。
「痛っ…… ど、どうしたの? 公子」
「マミ! 大丈夫?」
 マミは椅子から落ちてしまって、仰向けに倒れている。
「頭打たなかった?」
 私はひっぱり起そうとして片膝をついて、マミの脇に手を差し入れた。
「うん、頭は打たなかったよ…… 公子…… 何をしようとしているの?」
「え? 何って起してあげようとしてるんだよ?」
「抱きかかえては起せないんじゃない?」
「そうかな…… もう少しやってみてもいい」
「あっ…… ん…… ちょっ…… ちょっと」
「えっ、あれ?」
「当ってる…… あんっ! ねぇ、公子、わざと……」
「えっ、え?」
 いや、わざとだ。
 無意識のエロがマミのおまたにふとももを擦り付けろ、と命令したのだ。
「あっ、ほんとだ。ごめん」
 私は少し体を離して、マミの腕を引っぱった。
「本当に何? 背中洗わなくていいの?」
 うなずいた。
「代りに」
「かわりに?」
「代わりに前を洗って」
「?」
 あれ、言葉に出してしまった……
「いいけど、前は自分で洗えるんじゃない?」
「そ、そうだよね」
「?」
「どういうこと?」
「だから、いいけど」
 洗ってくれるということか。私は気持をあらためた。
「じゃあ、お願い……」
「うん。じゃあ、座って」
 ヤバすぎる。ちょっとじゃすまない。半分、いや、完全に変態の域だ。
 言ってしまった自分と、最後の最後にお願いしてしまった自分。
 どちらの自分も最低だ……
 マミは私が頼んだ通り、前を首筋から胸、脇腹、お腹、そして下腹部へと、順番に、丁寧に洗っていった。
「あっ……」
「あ、強かった? ごめん」
「違うの、そういうんじゃなくて、なんか変な気分……」
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