その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

カテゴリ: 俺と除霊とブラックバイト

 しばらくすると、声が聞こえてきた。
「放せよ、引っ張るなよ」
 松岡さんが手首をつかんで歩くのを、抵抗するように突っかかりながら歩いてくる。
 ショートボブに、ビビッドな口紅。白黒画像ではっきりとは分からなかったが、間違いない。さっき教室であった|娘(こ)だ。
 冴島さんは、霊圧を発生する機械のスイッチを切って、松岡さんの方へ進む。そして俺を手招きする。
 ショートボブの女は、冴島さんを警戒して睨みつけた。
「あなたがさっきの霊弾を?」
「……」
 言葉では答えず、首を縦に振る。
「危ない、ってことは分かっててやったわね」
「……」
「影山くんとはどういう関係?」
 冴島さんの問い詰め方が変な感じがして、俺は慌てる。
「どういう関係もさっき初めて話したぐらいですよ」
 俺がバタバタしていると見ると、冴島さんは手の平をこっちに向ける。
「黙って」
 完全に命令(コマンド)が入ってしまい、俺は口が開かなくなった。
「どういう関係?」
「別に……」
「……影山くん。この前の家族の写真を見せて」
 スマフォに入れている写真を表示させて、見せる。
「違った」
 当たり前だ、と言いたいが、命令が入っていて話すことが出来ない。
「あなた、お名前は」
「……」
「ごめんさいね。私は冴島麗子。除霊士よ」
「!」
 その|娘(こ)は急に体が震え始めた。
 やばい、何かしでかす気だ。
 けれど喋れない。
 俺はもう一度意識を集中する。
「冴島さん、危ない!」
「えっ?」
 俺の声に、冴島さんは振り返ってしまった。
 松岡さんが押さえていた腕を振り切って、その|娘(こ)が冴島さんに突っ込んでくる。
「冴島さん、後ろ!」
 冴島さんはその|娘(こ)の方を振り向くが、もう遅かった。
 バチッと二人の体が重なり合ってしまった。
「大丈夫ですか!」
 慌てて駆け寄る。まさか、ナイフか何かを……
「麗子おね~さまぁ…… まさかお会いできるなんて……」
「?」
「ど、どういうことですか?」
 その|娘(こ)は顔を冴島さんの肩や胸にこすりつけるようにしている。
「さあ、私にも分からないけど」
「私、冴島さんのファンなんです」
 その言葉に、香山ユキファンである俺の魂が叫ばずにいられなかった。
「お前、冴島麗子ファンと言うのなら、もっと早く気づいてるだろうが!」
 全く意に介さず、という表情だ。
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「だ、か、らぁ〜 そういうのが、セクハラだって言ってんだろ!」
「……」
 冴島さんが俺の背後に回った。
 俺の肩、腕を触って上下させる。
「ピンポイントに集中させたければ、指を伸ばしてその先端から。広範囲に広げたければ拳全体から。そういう使い分けも出来るように」
「……この前やってみたようにしていいですか?」
「やってみて」
 冴島さんがうなずくと、俺は川下を見て指で銃の格好をつくる。
 集中して、霊を、霊圧を感じながら……
「ポチャッ」
 真下、というほどすぐそこではないが、霊弾として機能しないぐらいすぐ近くに落下した。
「……」
 冴島さんは正直な評価を言っていいか悩んでいるようだった。気を使っているということだ。
「いや、あの、こんなはずじゃ……」
 あの時、コンビニの駐車場から式神を狙ったときは、撃てた。もっと直線的に飛んで、式神を貫いた。ただ、式神にダメージはなかったが。
「もう一度」
「うん」
 少し遠くに飛ぶように。少し上目に狙いをつけて……
 ポチャッ、とすぐ近くの水面に霊弾が|落ちた(・・・)。
「大丈夫。初めてはこんなもんよ」
「なんかその慰めかたはやめてください」
 その時、俺の横の水面に何か着水した。
「!」
 続けて、もう少し近くに、チャプン。
「霊弾……」
 まるで本物の弾丸が撃ち込まれているような音がする。
 振り返ると、草むらに人影が見える。
「女?」
 冴島さんは姿勢を低くして、紙を取り出して、陣を書き込み、水平に紙を放る。
 紙はそのまま舞い上がったかと思うと、頭、羽根、尾のように十字の形をつくると、草むらの人影の方に飛んでいく。
「これが式神ですか」
 冴島さんが手にもつ、もう一枚の紙には墨絵が描かれている。その絵は、式神の動きに合わせて絵柄が変わる。初めは何のことか分からなかったが、書き換えスピードが遅い白黒動画だ。
 冴島さんが、スッと手を下げると、式神が急降下した。
 式神は霊弾を打ってきた人物の姿を映し出す。
「あれ?」
「もしかして知り合い?」
 冴島さんは人差し指と中指を伸ばし、くるっと手を回した。
 式神がまた急上昇してこっちに戻ってくる。
 冴島さんの手の平に止まると、十字の形が元の四角の紙の形に戻る。
 それをポケットに入れると、冴島さんが言った。
「松岡、連れてきて」
「はっ」
 松岡さんが会釈すると、すばやく藪の中を走っていった。
 以前、松岡さんは『忠犬』なのだ、と聞いたことがある。まさにそんな様子だった。
「あの、知り合いっていうわけじゃないんです。さっき大学の教室で顔をみただけで」
「顔を見たことがあるなら、十分よ」
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「燃えていた、と聞いて安心したけど、燃えてないんならかなりヤバかったわ。まさか成長するのを作っちゃうとはね。つーかさ、普通式神生きてるなら、作り出した本人が何か感じてもよさそうだけど?」
 俺は首を振った。
 本当に何も感じなかった。本当なら畑を進んで行って、偵察した結果を知りたかったのに。
「感じないのか…… だとすると本当に式神は禁止。完璧になるまでは作ろうとしちゃダメよ」
「はい」
 冴島さんは腰に手を当てて、首を傾げた。
「さらっと言ったけど、式神の話のなかで、霊弾を撃った、って言ったわね。この前は意識させるまで霊弾自体見えなかったのに……」
「でも。式神には全然効かなかったんです」
「それは状況によるし、どんな霊弾だったかにもよるけどね」
 ガラガラと音が聞こえてきた。
 振り返ると、松岡さんが車輪のついた大きなバッグを引っ張ってきた。
「なんですか? あれ」
「実は、ちょうど霊弾の撃ち方を教えようと思ってたの。松岡の持ってきている機械は場の霊圧を高めて霊弾を撃ちやすくするものよ」
「へぇ」
 よく野外で電気を使うときに使う機械や、空気を圧縮する機械とか、無骨さがそんな感じだった。
「とにかく水辺まで行くわよ」
 俺たちは水辺に行き、川下の方へ向いた。
「ほら、この方向なら川しかない」
「確かに…… けど先には自動車や電車の橋がかかってますけど」
「一キロは無いにしろ、相当の距離があるのよ。まずそれまでに水に入っちゃうわね。安心して撃っていいわ」
「はい」
 冴島さんは理屈の説明を始めた。周囲の霊圧を使って、取り込んだ霊力を弾丸のように射出する、というのが基本だ。霊力が弱くても、霊そのものを投げつけるような気持ちでも同じようなものが撃てる、ということだ。
「霊そのものを取り込んで撃つような場合は、その霊の性質も出てしまうから、性質が合わなければ何も効果がない、ということもある」
「電圧と電力と電子、って置き換えてもいいんですか? まあ、電子なら性質は一定だと思いますが」
「……ごめん、そういう例えは良くわからないの」
 冴島さんは川下の方を向いた。
「軽く撃ってみるから。松岡、場を作ってくれ」
 松岡さんが、紐を引っ張ってエンジンを回す。本当に発電機のようだった。
「まずはみて覚えるんだ」
 冴島さんも、簡単に『みて』というのだが、霊弾はそもそも霊視出来ないと出たのかすらわからないものなのだ。俺も除霊士の訓練を始めてからは、霊視が出来るようになったから、それなりには見えると思うのだが。
「はい」
 冴島さんの手の先から、白い、炎のようなモノが水面を飛んでいく。そして数十メートル先でスッと消えた。
 消えてから少し遅れて、川でポチャ、と魚が跳ねたような音がした。
「?」
「さあ、手の先から出すんだから、そこに意識を集中するの」
 冴島さんが俺の手を両手で包むように触れ、指先の方へ絞るように滑らす。
「あっ……」
「変な声をだすなら、セクハラで訴えるぞ」
「すみません。変な想像をしてしまって……」
 冴島さんは頭を下げて、ゆっくりと言った。
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 通話を切ると、広げていた教科書とノートをしまって席を立った。
「ちょっと!」
 俺は呼び止められて、振り返った。
 やけに濃いメイクの女子だった。おかっぱ頭というぐらいのショートボブ。ビビッドな口紅に強い色のアイシャドー。大学でよく見かける娘(こ)だが、知り合いではなかった。
「キミ、最近引っ越した?」
 この人に話しかけられることはない、と思っているため、自分自身を指でさして問い正した。
「俺?」
 その女子は手を広げた。 
「他に誰が?」
「……ああ、引っ越したよ」
「ふーん……」
 しばらく立って、次の会話を待っていたが、何も言われず、素敵なハプニングも起こらなかった。わざとどこに引っ越したとか、そういうことを言わずにいたのだが、聞き返してくることもなかった。
 なんだろう。俺に興味があるんじゃないのか、と思った俺は、首をかしげてから言った。
「他にないの?」
「引っ越したか確認したかっただけよ。それ以外は別に」
「別に?」
「ない! ないって言ってる!」
 そう言うと、バチッと教科書を机に叩きつけ、席に座った。
 音にビビって周りを見回すが、この教室は次の時間は空きになるようで、もうほどんど他に生徒はいなかった。
「な、なんだよ……」
「じゃあね」
「じゃあな」
 また一瞬ではあるが、モテ期のようなものを期待した俺が間違っていた。
 どうして愛やら恋やらはいつまで経っても始まらんのだろうか。容姿には難があるのは分かるが、性格とかにも問題があるのだろうか。さまざま自問自答しながら、川原についた。
「野球場ってどこだ?」
「ちょうどいいところだった」
 振り返ると、冴島さんが立っていた。どこで着替えたのかスーツではなく、ベージュのサファリジャケットを着て、しっかりしたブーツを履いている。
 前方にいつもの黒塗りの車が、土煙を巻き上げながら進んでいく。
「こんなところで何を勉強するんですか?」
「実地訓練ね。なにか戦う手段を教えておいた方がいいかも、と思ったの」
 俺は川の近くへ下りていく途中、話し始めた。
「このまえの式神の話、続きを言ってませんでしたよね」
「えっ、なに、続きって?」
 あまりの驚きように、俺は言わない方がいいのか、と思って口を閉じた。
「……」
「ねぇ? どういうこと。続きがあるのね?」
「いえ……」
 冴島さんは立ち止まって、俺の顔の方に手をかざした。
「ほら、話しなさい。事によってはすぐにバイト先のコンビニに行かないといけないかもしれない」
「作った式神が三、四メートルの大きさの『やっこさん』になって、『ヴォォォーーー』とか言って。俺は霊弾を撃ったんだけど何の役にも立たなかったんです。そこに赤ジャケの男が現れて、式神を燃やしてしまった」
「……何故、その前には連絡をいれてくれてたのに、その後は連絡を入れなかった?」
 俺は探すように空を見上げた。
「えっと、次の休憩時間って、深夜でしたので」
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 と店長の声がした、と思ったら店長は店の奥へ引っ込んでしまう。
 『やっこさん』の頭のような部分が、ぱっくりと割れた。
「くち?」
 上村さんを食べよう、いや、飲み込もうというのだろうか。
「もう一回!」
 俺はもう一度、手で銃のような形をつくって、霊弾を打つ準備をした。
 さっきも、しっかり撃てているはずだ。狙う場所が間違っているだけだ、と俺は思った。
 で…… どこを狙う?
「ボス」
 上村さんが、そう言った。俺に言ったのか? 上村さんの視線は全く違うところを見ている。
 俺はその視線を追うと、男が一人立っている。
 どうやらそいつが『ボス』らしい。
 真っ赤なジャケットに赤いシャツ。なぜそんな組み合わせなのか分からないが、男はジャケットの内ポケットからウイスキーを入れる金属のボトルを取り出して、一口あおった。
「世話の焼けるやつだ」
 ボスと呼ばれた赤ジャケのお琴は、両手を広げて目をつぶり、胸の前で手を合わせた。
 合わせた手の平をゆっくりと広げると同時に、目を開ける。
 手のひらの間に赤い光が見えた。
「焼き尽くせ」
 言った瞬間、赤い光は生き物のように宙を走り『やっこさん』の腕のぐるっと回った。
 回った腕に火が付き、黒焦げになると、上村さんごと腕が落ちてくる。
 赤ジャケの男は上村さんを抱きとめ、そっと駐車場に下ろした。
「……」
「ヴォォォォーーーー」
 三度目の咆哮。
 それは断末魔の叫びだった。
 赤い光が『やっこさん』の身体のあちこちを走り回り、触れた部分が燃え始めていた。
 あっという間に全身に火が回り、黒く焦げた紙がヒラヒラと舞って、落ちてきていた。
「すげぇ」
 気が付くと、赤ジャケのボスと上村さんの姿は見えなくなっていた。
「……」
 色々なことが一度に起こって整理がつかなかった。
 未熟なうちに式神を扱うと危険なこと。俺にも霊弾は撃てるが、威力が低いこと。上村さんという女性はどうやら、美紅さんと同じ類の者であること。そのボスである赤ジャケの男が赤い光を操れること。
 そのボスに、見逃されて助かったこと……
「ほら」
 声のした方に振り返ると、店長が箒とチリトリを差し出していた。
「駐車場をよごすんじゃないよ。まったく」



 仮眠を取って、コンビニから直接大学へ向かった。
 大学の授業が終わると、スマフォに着信があった。
「もしもし」
『ちょっと仕事が空いたけど、除霊士の勉強する気ある?』
 体は疲れていたが、不思議とやる気はあった。
「はい、よろこんで。いくつか確認したいこととかもありますし……」
『なに、確認したいことって…… なんか嫌な感じがするけど。まあ、いいわ。そこの大学から川原の方に行ったところに野球のグランドあったでしょ? そこに行くから』
「はい」
『野球場は待ち合わせに使うだけよ。千本ノックとかじゃないからね?』
「はい」
『ノリが悪いわね』
「……す、すみません」
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 女性は誰に向かってか、言った。
「あの、外、外に大きな『やっこさん』が」
 『やっこさん』という言葉が、すんなり頭の中で映像に構築されなかった。
 レジに隠れて、スマフォで『やっこさん』を検索する。『やっこさん』というのは『奴』つまり江戸時代の武家の中間(ちゅうげん)のことらしい。余計にわからない。
 検索結果を、画像、に切り替えてみる。
 なにやら人の顔がいっぱい出てくる。『やっこ』が愛称なのだろう。これのどこが江戸時代の中間(ちゅうげん)だというのだ。
 ふと、画像のなかで折り紙の『やっこさん』が表示されていて、俺は急に重大なことを思い出した。
 上村という女が言っている『やっこさん』とは、|俺(・・)|が(・)|作った(・・・)|式神だ(・・・・・)。
「まずい!」
 カウンターを飛び越え、コンビニの外へ出た。そして、畑の方を見る。
「……デカくなっている」
 さっき手の平から飛び立っていった式神は、俺の手の平に収まるほどの大きさだったが、今はバスケットボール選手が肩車しているほど、三、四メートルというところだろうか。
「なんで……」
 呆然としてしまった俺を、上村という女性がつっつく。
「あれ、あなたが作ったの?」
「えっ? いや、違……」
「……」
 上村さんが俺を疑うように見つめる。
「違います」
 折り紙の形の巨大な『やっこさん』が畑で、天に向かって叫んだ。
「ヴォォォ----」
 低く、唸るような声。俺は恐怖のせいか、背筋に寒気が走った。
「えっ?」
 『やっこさん』が何かを見つけたように、こっちに向かってやってくる。
 ゆっくりと、一歩一歩進んでくる。
「どうするの?」
「……」
 俺は畑の方へ進み出た。
 霊力で動いているなら、俺の霊力で破壊できるのではないか。
 撃ったことはなかったが、見よう見まねで霊弾を試してみようと思った。
 手でハンドガンのような形を作り、人差し指を『やっこさん』に向けた。
「……いけっ!」
 指先から何か光るものが走って、『やっこさん』の中心を貫いた。
「やった」
 俺は確信をもってそう言ったが『やっこさん』は全く変わらず、こっちに迫ってくる。
「ヴォォォォーー」
 再びの咆哮。
 立ち止まったかと思うと、急に怒り狂ったようなスピードでこっちに走ってくる。
 駐車場の下あたりで、ジャンプする。
 高く飛び上がった奴が、コンビニの駐車場に着地する。
 俺はバックステップして、十分な距離を保つ。
 『やっこさん』が降りた場所が、軽くひび割れてへこんでいる。
「助けて……」
「えっ?」
 折り紙の『やっこさん』の太い手が、上村さんを持ち上げている。
「助けてよ!」
「何を……」
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「……」
 俺は店長から箒とチリトリを手渡され、駐車場の掃除を行った。
 不良のような連中が溜まる場所は決まっている。食べかすも落ちているし、紙くずも散らかっていた。
 俺は箒でそれらを履いていると、不思議なことに気付いた。
「あれ、渦を巻く……」
 掃いたポテチのクズや、小さな紙の切れ端、枯れ葉などが、掃いた方向から少しだけずれる。それを追うように箒で掃くと、再びクズや塵の方向がずれる。結果として、ぐるりと輪というか、渦を描いた。
「ここに何かある?」
 何か術を仕掛ける時に、陣を描いたりすることがある。この駐車場にそういう五芒星や何かが描かれているのかもしれない。その力が不良を召喚している? のだろうか。
 さらに掃き進めていくと、渦の中心が分かった。
 俺は道端まで行き、石を見つけてきて中心にバツ印を入れた。そして、ゴミをチリトリに掃き入れ、袋に捨てた。
 駐車場を見ながら店に戻ると、店長にぶつかってしまった。
「す、すみません」
「駐車場の掃除をするのに何分かかるんだ。まったく」
「サボっていたわけでは」
「サボっているのとかわらないだろう」
 手を腰に当てている店長越しに、俺は店内の時計を見た。
「あ、もう休憩していい時間ですよね」
 店長も振り返って、時刻を確認する。
「……」
「休憩入ります」
「そういうのはいっちょまえだな。まったく」
 俺はバックヤードに入って、冴島さんに電話した。さっきの式神の失敗の原因を知りたかったのだ。
「……というわけなんですよ。やっぱり冴島さんみたく九字印を切れないとダメなんですかね?」
「そんなことないよ。変に力もないのに印だけ切ってると痛い目に会うっていうし。ちょっと細かいところを見てないから原因まではわからないな。今回は『やっこさん』だったから良かったけど、変なものが出来た時に処置できないだろうから、私がしっかり教えるまでは式神を作るのは禁止ね」
「は、はい…… それと」
「それと何?」
 俺はコンビニの駐車場でゴミが渦を巻いた話をした。
「……それ、今回の課題にしようか。陣があるんじゃないか、という見立ては間違えじゃない。そこを無力化するのをやってみて。そっちはどうやっても変なことにはならないだろうし。自分で調べて、工夫してやってみなよ。勉強になるから」
「ハイ!」
 何か認められた気持ちになって、うれしかった。
 除霊士を目指すことにはしていたが、自分にそんな力があるのかどうもピンとこないせいで、やる気が出ないこともあった。こうやって冴島さんに認められるなら、一つ一つやっていこう、俺はそう思った。
 休憩時間はそんなことをしている間に終わってしまった。
 部活帰りの学生やら、タクシーの運転手、残業確定の会社員…… と言った順に客層が移り変わっていくと、また外に不良たちがたまり始めていた。人数はまだ三人ほどだった。
 駐車場のあのバツ印が入ったあたりを中心に集まっている。
「……やっぱりあそこの下にあるんだな」
 そう思って、不良たちをみていると、女性客が入ってきた。
「あっ……」
 さっき来た、上村と名乗る女性だった。
 女性は、すこし垂れ目で、顔はスッキリとほそい感じだ。
 その女の人が、コンビニの入り口あたりで店を見渡して、俺を見つけると近づいてくる。
「かげやま……」
 やばい。俺は店長に何を言われるかを考えて、女から逃げるように店内を動き回った。
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「お待ちのかたどうぞ」
 そう言って、次々に会計をしていく。
 コーラ、缶コーヒー、ポテチ…… 本当に統一性はなく、金額も大したものはなかった。しかし全員が購入し、また外の駐車場へと戻っていく。一人座り、二人座り…… かかとをべったりと付けて。
 俺は店内の客がいなくなると、また窓際に行ってそとの様子を確認する。
 見ていると、背中をつつかれた。
「刺激するなって」
 店長だった。
「駐車場が埋まっている訳じゃないんだから、刺激すんなよ。見た感じ乱暴な連中だから、恨まれたら店壊されちゃうよ」
「……」
 言われるまま窓際を離れたが、間もなく各々が買った菓子やら飲み物が終わると、急に一列に並んで入ってきた。
 中のゴミボックスに仕分けて捨て、出ていく。また仕分けてゴミを捨てて、出ていく。
 順番に八人がゴミ捨てを終えると、駐車場には戻らず、どうやら奥の畑の方へ進んでいく。
「ちょっと駐車場を掃除……」
 と言いながら俺は走って外に出る。
 連中は駐車場を降りて下の畑の中の道を歩いていく。ちょっと前の行動と同じだ。
 俺は店長が来ないかチェックしながら、畑の先に誰かいないか確かめる。
「!」
 誰かいる。しかし、遠すぎて見えない。
 うろ覚えの式神の知識を総動員する。たまたまポケットに入っていた紙にボールぺんで書く。
 俺はまだ、九字の印は分からない。
 額に人差し指と中指を着け、集中して想像したものを、頭から紙に動かすように指を当てる。
「動いた?」
 風で動いただけかもしれなかった。いや、風なんか吹かなかった。
 俺はもう一度気持ちを集中して、それを指を使って紙に伝える。
「えいっ!」
 自然に声が出ていた。
 紙が生きているようにビクビクと動き出すので、俺は怖くなって手を離した。
「えっ?」
 バタバタバタ、と音を立てて飛行し、紙は俺の指に戻ってきた。
「鳥? かな?」
 鳥、というより折り紙の『やっこさん』のような形だった。
 俺は懸命に念じる。
「あそこの様子を俺に伝えろ」
 手を振って、その紙の『やっこさん』を飛ばそうとする。
 バタバタバタ…… としばらく滑空して畑の方へ下りていくが、力尽きたように止まってしまった。
「ふう……」
 どうしよう。もう一度チャレンジするか……
「こら、早く駐車場掃除しちゃって」
 振り返ると店長が箒とチリトリをもって立っていた。
「ちょっと時間を与えるとサボろうとするのはやめてくれないか。まったく」
「サボってたわけでは……」
「私が箒とチリトリを取るのにも気づかなかったのに?」
 そう言われると変だ。俺は箒とチリトリを取りに行くフリをしてここにいる。ホンの一、二メートルのところを歩いて行き、扉を開け、箒とチリトリを取り出す。そんなことが出来るのか。そして、なぜ俺は気づけない?
「店長、何者ですか?」
「ただの店長だよ」
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「かげやま、さん?」
 俺の名札を読んだらしい。
「はい」
「どこかでお会いしましたか?」
 俺は首をかしげながら言った。
「そういうことはないと思います。強いて言えば私がバイトを終えて帰る時にすれ違ったことが1回」
 女性は一点の曇りもない笑顔を見せた。
「そう、そうね。いちどここですれ違ったわ!」
 笑いをこらえるようにしばらく口を押えてから、
「ごめんなさい。私だけ名前を知ってしまって。えっと、私は上村杏といいます」
 すべてを袋に入れて、支払いをお願いするところだったが、俺はその名前を聞いて何かとつなげかけていた。
「うえむらあん、さんですか」
 女性はうなずく。俺は自然と顔がほころんでいた。
 その時、何か変な気配に気づいた。周りを見渡すと、店長が店の端から睨んでいる。俺は慌てて金額を告げた。
「千と五十八円になります」
「はい、ちょうどあります」
 商品の袋を渡す時、上村さんが俺の手に触れた。
 ハッとして、目を合わせてしまうと、上村さんは軽くウインクした。
「また来るわね」
 手を胸のあたりで小さく振り、そう言って店を出ていく。
 店長が睨んだまま、近づいてくる。
「ちょいちょい、何やってるの! まったく」
「はい?」
「はい、ぎもんけい、って、その言い方、私をなめてるの?」
 胸倉をつかまれるのか、と思うほど店長は顔を近づけてきた。
「いいえ、なめているとかそんなことはありません」
「いい。お客さまと親しくなるのはリスクがあるんだから、バイトとして、そういうことをやらないでください」
 そう言うと、バックヤードに戻りかけた。
「美人だったから?」
 店長が足を止めた。
「お客様が美人だったからなんですか?」
 こっちに振り返って、またズカズカと近づいてきた。
「そんなわけあるか。お前が客と仲良くなって、変な噂がたったり、お客と仲が悪くなった時どう責任とるんだよ。あの人、近所の客なんだぞ」
 店長もそれくらいのことは考えていたのか、と思い言い返すのを思いとどまった。
 俺は自分の制服をつまみ上げて揺らし、言った。
「バイトとしてじゃなければいいですね」
「ああ、その通りだ」
 店長はバックヤードに入ってしまった。
 俺はそれからしばらく無言で淡々と仕事をこなした。
 すると、またそとの駐車場が騒がしくなった。
 商品を整理するついでに、窓際を回って駐車場を確認する。一人、二人…… いや六人、七人。あ、またやってきた。
 さっきと同じ場所に不良のような男たちが集まって、踵をべったりつけて座っている。
 俺がのぞき込んでいることに気付くと、連中はぞろぞろと店内に入ってくる。
 俺はレジ側に急いで戻る。バックヤードの扉が少し開いた。店長が見ているようだ。
 店内を列をなしてぐるっと回っていくと、各々飲み物や食べ物を一つづつもって並んだ。
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「バイト中に怪我をされたら、私が困るんだよ。まったく」
「すみません」
 単純に、俺のことを心配しているのではないことを知り、ここのバイトが単純なものではなくてそれなりにブラックだったことを改めて思い出した。
 それでも店長の位置を確認しながら、外の連中を見ていた。
 連中のせいで、客が引き返してしまうようなら、追っ払う必要がある、と思っていた。
 しかし、人数が七、八人になった頃、ぞろぞろと駐車場の端へとあるき始めた。
「ん?」
 何か目的があるようには思えなかった。しかし、紐で引かれるように次々と去っていく。
「ちょっと影山くん。さっきも言ったろう、困るよ」
「いや、大丈夫ですよ。連中どっかに行くみたいですから」
 言っている間に、駐車場に残っているやつが去っていった。
「ほら」
「……」
 店長は少し喜んでいるようにも思えたが、クビを傾げていた。
 確かに去っていく理由がわからない。
「ちょっと駐車場掃除してきます」
 連中がたむろしていたところに、食べかすやゴミが散らばっている。それを片付けるふりをして、俺は連中がどこへ行くのか見極めようと思った。
 コンビニの外に出て、|箒(ほうき)とちりとりを取りに行く。
 横目で連中を見てみると、コンビニの駐車場のすぐ二メートルほど下にある畑にいた。駐車場の端まで行き、様子をみる。連中は畑と畑の間の小道を、一定の間隔を開けて一人ずつ歩いて行く。
「なんだろう」
 小道の先には軽トラが走れるような農道がある。そこに誰かいるようなのだが、遠すぎて見えない。
「ん〜」
 誰からも目撃されるような位置なのに、遠いというだけで見えない。
 鳥のように翼があれば行って見てくるのに……
「!」
 そうだ、式神だ。
「ほら、駐車場の掃除するんじゃないのか。まったく」
 店長に見つかって、俺は連中がたむろしていたところに戻り|箒(ほうき)で掃除した。
 掃除がおわり、道具を片付ける際に、畑の方を覗いた。
 列になって歩いていた連中はいなくなっていて、何かしたような跡もなかった。
「なんだったんだろう」
 裏のドアが開いて、店長に呼ばれた。
「ほら、お客さんだぞ」
 俺は急いで店内に戻って、手を洗って、ぬぐってレジにつく。
「あっ……」
 俺は思わず声を上げてしまった。
 女性の一重の瞳はすこし垂れ目で、唇は薄かった。顔はスッキリとほそい感じだ。あれ…… 知っている女性、と錯覚してしまうような雰囲気。作り出す表情や、それらの配置やバランスが良くて美人であるということだ。しっかりメイクもしていて、ドキッとさせられる。
 以前、ここですれ違った女性だ。
 コンビニという性質上、二度とこない客か、何度も来る客がはっきりしていた。つまり、この女性客は何度も来る、近所の女性に違いないと俺は判断した。
「どうかしました?」
 レジには商品がたくさん置かれていて、まだ一つとして俺はスキャンしていなかった。
「失礼しました」
 俺が商品のバーコードをスキャンしては袋に入れていくと、女性が言った。
「どこかで会ったかしら?」
 えっ、そのセリフをそっちから言うのか、俺はなんて返していいのか悩んだ。
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 俺は連絡をとると、冴島さんは式神について予習をしておけ、ということを言った。
 術を実際に使う練習は、冴島さんといる時にすることになっていた。自分ひとりでやるのは、必ず座学だけ、と決められていた。それは例えば霊弾を撃ったとして、目標もなくさまようようなものを撃った場合、俺が自分で始末をつけられるかわからないからだ。実地は必ず冴島さん監督の下で行う。これが決まりだった。
 そのまま大学の図書館へ行き、式神に関する本を読むことにした。
 パソコンで検索をかけると、かなりの数の本が出てきた。
 どこから読むか、と思って、目をつぶってから指さして数冊選んだ。
 棚から集めてきて机に置き、目を通していく。
 概要だけをかいつまんで呼んだ限りは、使役した神(鬼)ということのようだ。人間に使われるような神、というのだから、どちらかと言えば鬼、が正しいのではないかと俺は思った。そういう意味では、このGLPだって、式神をシステム化して使っていると言える。
 いろいろ読んでいく中で面白いのは、紙にさらさらと呪文を書き、それがあたかも生きているように動き出すものだった。
 そういえば、あの時の降霊師も紙を懐から取り出して使っていた。
「ん?」
 図書室の窓ガラスに気付かないのか、スズメほどの大きさの鳥が俺に向かって飛んできた。
 当たる、と思って目を閉じるが、ガッとも何も音がしなかった。
 目を開くと、俺が積んでいた本の上に止まって誇らしげに鳴いた。
「あれっ?」
 横に座っている人も、正面に座っている人も、周囲の人が誰一人このスズメを無視していることに気が付く。
 俺はじっとスズメ…… スズメの大きさの鳥…… 鳥のような何か…… をじっと見た。
 じっと見ていると、何かディテールが違う。何か雰囲気が鳥ではないのだ。
「これ、式神だ」
 鳥がそのガラスを抜けてくるわけがない。そして俺以外に気付くものがないとすれば、そう考えるのが自然だった。式神だとしたら、逆によくできている。こんなのを飛ばせれれば、誰にも気づかれずに探偵のようなことが出来る。何しろ、普通には見えないのだから、どこにでも入り放題だ。女湯だろうが、女子更衣室だろうが……
 俺は研究の為、その式神を捕まえてみようと思った。理屈が分かれば、俺にも出来るかもしれない。
 そのスズメに、手を伸ばした瞬間、パッと姿が消え、一枚の紙になった。
「!」
 無の空間から紙が出てきたのは、他人に見えたらしく、俺は不思議そうな目を向けられた。しかし、じっと動かず我慢していたら、全員自分の本や勉強に戻っていった。
 俺は本の上に乗った紙をそっと手に取った。なにか文字が書いてある。
「不純な動機の為には、式神は使えないわよ 冴島」
 冴島さんは初めからこのメッセージを書いておいて、俺に飛ばし、俺が欲を出して式神を取ろうとした時に術が解けるようにしておいたに違いない。俺は試されていた、ということだ。
 スマフォが鳴った。冴島さんからのメッセージだった。
『正しくないことの為に術を使ってはいけない。最初に約束した一番重要なことよ』
 俺はスマフォに向かって頭を下げた。



 俺は大学を出ると、昔住んでいた家の近くのコンビニに向かった。
 ちょっと前に店員を人質に立てこもり事件があったコンビニだった。さすがに直後は客も来なかったが、徐々に客がもどってきているようだった。客より問題なのはバイトが集まらないことにあった。
 俺は店長に挨拶をして奥に入ると、コンビニの制服を羽織った。
 商品を並べていると、外にかかとをべったり付けたまましゃがみ込む若者連中が増えてきた。リーゼントとか、角度を付けたサングラスとか、都心とは違う、郊外や地方によくいる不良のような連中だった。
 連中の方を見ていると、店長がやってきた。
「影山くん、あんまり連中の方をジロジロ見ない方が」
「大丈夫ですよ」
 あまりにビクビクしているので、俺は少し笑いながら言った。
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 俺は砂糖とミルクを入れてかき混ぜた。
「影山くん、あなた除霊士になりたいの?」
「えっ? なんでそうなるんですか?」
「井村さんとかを救いたかったんでしょう?」
 ん、俺はそのことを話していないはずだ。
「俺、なんか言いましたっけ?  
「足固められて動けなかった時、電話先で泣いてたし」
「な、泣いてませんよ」
 冴島さんは、スッとコーヒーを口に含んだ。
「……動機がなんであれ、除霊士を目指すなら手法は教えてあげる」
「うんと、俺、除霊士になりたいわけじゃ……」
 コーヒーを持った手をゆっくりと冴島さんの方に出して言った。
「同じことよ。正式じゃなければ、今回の違法降霊師と変わらないわ。除霊士になるためじゃなければ教えられない」
 冴島さんの表情は真剣そのものだった。
 半端な目的で、中途半端に除霊の術を知っている素人よりも、正しい目標に向かって勉強している者の方が術を正しいことにつかえるということだろうか。
 悩んだ末、ふと見るとコーヒーがなくなりかけていた。
 俺は決断した。
「……俺、除霊士を目指します」
 パチン、と冴島さんが手を叩いた。冴島さんが右手を差し出してくると、俺も右手を差し出して握手をした。
「これからは|弟子(でし)って呼ぶから」






「ほら、お客さん来てるじゃない」
 おにぎりを並べていたが、店長に言われてすぐにレジに戻る。
 接客をして、レジ打ちして、商品を渡す。
 おせぇんだよ、と言わんばかりに無言で睨んでいく客。
 それに対しては怒りの感情すら沸かなくなっていた。睨んだり、舌打ちするだけなら何も痛くない。そういうのには慣れてしまった。本当にイヤな客は、肉体的な接触がある。暴力、というやつだ。
「ほら、ぼーっとしてないで戻ってきて」
 俺はまた棚におにぎりをならべる作業に戻った。
 これが終われば、大学に行ける。
 そう思うと救われた。今の状況からすると、大学で勉強することが、肉体的、精神的にも楽だった。バイト先はこんな感じだし、家に帰れば冴島さんから除霊士のためのキツイ修行をさせられる。かと言って大学で寝ているわけではない。大学の勉強が新鮮で、楽しい、安らぐ、と心からそう思えていた。
 俺は服を着替えて、店長に声をかけて上がった。
 店を出て行く俺とすれ違うように、コンビニに女性客が入ってきた。
「ん?」
 振り返ると、女性も俺の方を見たような気がした。
 一重の瞳はすこし垂れ目で、唇も薄かった。顔はスッキリとほそい感じ。知っている女性、というわけではなかった。だが、間違いないのはバランスが良くて美人だということだ。しっかりメイクもしていて、ドキッとさせられる。
 しばらく入り口の端に避けて俺はその女性客の姿を目で追った。
 何度記憶にアクセスしてみても、知り合いではなかった。
「……」
 結局、俺が惚れっぽいだけなのだろうか、と思いながら大学へ向かった。
 午前の授業を受けて昼食を取って後、俺が受ける午後の授業が休講になっていたのに気づいた。
「どうしよう、時間が余った……」
 俺は冴島さんの言葉を思い出していた。『大学の勉強もあるでしょうから、少しでも時間のある時は私に連絡しなさい。そうしないと術は身につかない』そうだった。とにかく連絡をしないと。
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「ありがとうございました」
 その時、派手な音の着信音がなって、橋口さんは手袋を外してスマフォを確認した。
「どうかしました?」
「注文していた鞭(むち)が入荷したみたいね」
 橋口さんが、ニヤリ、と笑った。
「ムチ?」
「黒い火狼(ほろう)に焼かれてしまったのよ。ムチがあれば今日だってこんなに遅くはならなかったし、逃した降霊師も捕まえられたかもしれないわね」
「そんなにすごいんですか」
 訝しげに俺を見てくる。
「勘違いしているかもしれないけど、もちろん、普通の|鞭(むち)じゃないわよ。呪術的な刻印がされている対霊体用の特殊|鞭(むち)なんだから」
「なるほど」
 カチャリ、とバイクのギアを変えると、クラッチを切ってハンドルを開け、ドルン、と大きな音を出した。
「じゃあね」
「おやすみなさい」
 俺は橋口さんが去っていくまでそこで手を振った。
 そして家に帰ると、寝間着にタオルをクビから掛けている冴島さんが迎えてくれた。
「お帰り」
「ただいま」
「……」
 俺がダイニングキッチンの方へ行くと、冴島さんがついてきた。
 椅子に座って、大きくため息をついた。
「お疲れのようね」
「ええ、少し疲れました」
「悪いけど、バイトが重なっちゃったの」
 俺は自分自身を指さした。
「俺のバイトが、ってことですか?」
 冴島さんが、首からかけていたタオルで自身の頭を少し拭った。
「当然でしょ。私はバイトする必要ないもん」
「重なるってことは、新しいバイトですね」
 今、俺は『ミラーズ』というアメリカン・パイレストランのバイトをしている。しかし、今日、追跡していた降霊師を逃してしまったため、近日中にこのバイトは終了せざるを得なかった。
「今度はコンビニね」
「コンビニ……」
 俺が疲れたような声でそう言ったせいか、冴島さんは食器棚のところに行ってカップを取り出そうとする。
「コーヒーのむ?」
「ありがとうございます。飲みます」
 冴島さんが豆をセットすると、コーヒーメーカーがうなりを上げて豆を粉砕し始めた。
「ミルクと砂糖は?」
「両方ください」
 テーブルに一通り準備すると、冴島さんが俺の正面にすわった。
 肘に顎をのせ、こっちを見ている。
「どうしたんですか?」
「コーヒーが入るのを待ってるのよ」
「バイトについて教えてくださいよ。今度はどんなことなんですか」
 冴島さんは話し始めない。
 しばらくすると、コーヒーの香りがしてきた。
 俺は、冴島さんの方は向いてはいたが、井村さんのことをずっと考えていた。
 力があればおっさんの魔の手から救えたに違いない。冴島さんや、橋口さんのように除霊能力を鍛えれば、俺だって井村さんを……
「コーヒー入ったわよ」
「ありがとうございます」
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 俺は駆け寄る。
 橋口さんがゆっくり近づいてきて、トレンチコートから|幣(ぬさ)を取り出すと、うつ伏せに倒れている男を祓う。
「多分、この人にはものすごい反動がくるわ」
「どういうことですか?」
 空を指差し、次に地面を指差す。
「憑いていた霊の力が強ければ強いほど、後遺症が残るわ。まるで空を飛んでいるような高揚感から泥沼を這うような感覚になるわけよ」
 俺は男に肩を貸して立ち上がらせる。
「降霊って、麻薬のようなものなんですね」
 自分で言っておきながら、俺はどうなるのだろう、と思う。
 俺の中にもいくつも霊がついている、と冴島さんが言っていた。
 記憶を封鎖している霊がいなくなって、記憶が戻ったとき、麻薬のように霊を欲しがっている俺がいるのだろうか。
「まあ、そんなところね。この男、昨日から何件か窃盗と傷害事件を起こしてるから、警察に連れて行って引き渡しましょう」
 橋口さんが近づいてきて、濡らしたタオルで俺の顔をぬぐった。
「?」
「気づいてないの? 顔、血だらけよ」
 橋口さんが見せたタオルを見て、顔の痛みが戻ってきた。



 暗い部屋の中で、真っ赤なジャケットの男がスキットルを口に運ぶ。
 ウイスキーの香りが部屋に広がる。
 部屋の中のソファーには、女が横になって寝ていた。女はウイスキーの香りに目が覚めたのか、姿勢を正して座り直した。女は長い髪に切れ長の瞳、白いキメの細かい肌。くびれと、出る所は出ているグラビア曲線の持ち主だった。
「すみません」
 赤いジャケットの男はその言葉に反応せず、じっと立ったままだった。
「私のせいで」
「もういい。今度はうまくやれよ」
 女の目が一重に変化して、大きく少し垂れ気味になった。唇も少し薄くなった。顔の輪郭も丸顔から、すこし細い感じに変わっていく。それだけ変っても、全体のバランスが保たれていて、美人には違いなかった。
「これなら見破られません」
 そう言う声も、さっきまでとは別人のようだった。
 男は突然女の正面に回り込み、女の眉間を指さした。
「外見はいい。お前の能力でいくらでも変えられるからな」
 男は次に自分のこめかみあたりを指さした。
「問題はお前の思考だ。気に入られ、取り入ろうとするのはいい。だが、気持ちを許してしまっていないか?」
「……」
「あんな降霊師に手玉に取られるというのは、お前から緊張感が抜けてしまったからだ」
「そんなことは……」
 女は頭を下げ、床を見つめる。
「あの男に対して油断することは今後二度とありません。次は必ず」
「ああ……」
 と言うと、男は目をつぶって腕を組んだ。
「次は頼むぞ」



 橋口さんがが運転するバイクで、送ってもらった。
「墓地の横は入りたくないから、ここで」
 橋口さんはそう言った。
 ここは冴島さんの家の近くの大通りだった。家は少し入って、墓地の裏手になる。
 俺はヘルメットを橋口さんに返し、頭を下げた。
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 急に暗くなった、と思って目を開けた。
 目が慣れてくると、状況が分かった。
 俺と橋口さんは結界の外出ていた。
 軍服の男は、顔を覆っていた腕を開いてこっちを見る。
「結界を壊したというのか」
「このこのエロパワーをなめないことね」
「えっ? エロパワー? なんかもっとカッコいい名前着けてくださいよ」
「じゃあ、スケベパワー」
 俺は項垂れた。
「ならば俺の霊弾を食らえ」
 軍服の男は、手袋をした手の人差し指を伸ばし、親指を立てて、銃のような形をつくる。
 そして、狙いをつけると、そこから光る霊弾が発射された。
「かげやまくん、トレンチコート!」
 俺は地面に落としていたトレンチコートに飛びつき、橋口さんに投げた。
 自然と広がったトレンチコートが男の放った霊弾を捉える。
 橋口さんが、トレンチコートのうしろから鉄拳を霊弾に向けて打ち込む。
 すると、霊弾は倍のスピードで男に返っていく。
「ぐはっ……」
「橋口さん、効いてますよ! もう一発」
「屋敷の時のようにここは霊圧高くないんだケド」
 霊を弾丸として打ち出す技だ。周りから取り込む霊力がないと、自分で振り絞るしかない。霊圧が高ければやりやすいということなのだろう。そして、ここは街中、霊圧は高くない。
 橋口さんは俺を手招きする。
「?」
 そして胸を手で持ち上げてみせる。
「ここに手を当てて」
「えっ!」
 俺は引いてしまった。しかし、橋口さんは俺の手を引いて胸に押し当てる。
「ほら、さっきみたいに後ろに回って」
「……」
「早く!」
「はい」
 俺はもうやけになって橋口さんの胸を触った。
 柔らかいし、後ろに回ると橋口さんの髪からほんのりいいにおいがする。
 自然と背中に体を押し付けてしまう。
 橋口さんもさっきの軍服男のように人差し指を伸ばし、親指を照準よろしく立て、狙いをつけた。
「霊力頂戴!」
「はいっ!」
 霊力なのか、精力なのか、頭のなかがぐっちゃぐちゃになってわからなかった。
 けれど橋口さんの大きな胸が光って、俺は目をつぶった。
 ドンっ、と大きな音がして、目を開くと、軍服の男は胸を抑えていた。
 苦しそうに、膝をつく。
「ぐぁ……」
 スッと、男の周囲の空気が歪む。
 何か、帽子、外套、軍服を着た男が抜けていくように思えた。
 男はみるみるうちにおっさんに金を渡す前の体格に戻っていく。
「霊が抜けた?」
「そ。成仏したってこと」
 男は、うつ伏せに倒れ込んだ。
「だ、大丈夫?」
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「橋口さん、この結界、どうすればいいですか? 『助逃壁』は効きますか? 『鉄龍』はどうですか?」
 橋口さんは、俺の言葉など聞こえていないようだった。
 軍服をきた長身痩躯の男が迫ってきているのだ。
「こんなに単純な結界に嵌るとはな…… ククッ」
 俺には男の目が光ったように思えた。
「とにかく『助逃壁』行け!」
 俺は竜頭を押し込んだ。
 放たれた光の壁は、橋口さんを押さえつけている結界をスルーして、軍服の男へと飛んでいく。
 男は、ひょい、と石垣に飛び上がると、さらに跳躍して俺の背後に降り立った。
「何度もそんなものを食らうか」
 一瞬で間を詰められ、正面へ突き出した右足が俺に飛んでくる。
 かわせ…… 心の中ではそう叫ぶが、間に合わない。
「うぉっ」
 体重差だろうか、筋力の違いだろうか、俺はカンタンに蹴り飛ばされた。橋口さんのいる結界にぶつかって、今度は地面に叩きつけられる。
「ぐっ……」
 自分の腕が胸と地面の間に挟まって、胸の一点を強打した。
 息が……
 うつ伏せから体をひねって空を見上げると、軍の帽子にこけた頬、軍服の男が視界入った。
「死ね虫けら」
 ブーツが顔に落とされる。
 瞬間に体をひねってかわす。
「避けるか、それなら」
 左足をひねるがわに突き立て、右足でボールをけるように振り込んでくる。
「あっ」
 激痛が顔面に広がる。ほとんどしびれているものの、口へ流れてくるものが感じられる。 
「ほら、逃げてみろよ」
 ガツン、と骨がぶつかる音がする。
 まずい、これをかわさないと、死ぬ……
「もういっちょ」
 大きく振り上げた時、一瞬体を九の字に曲げて、左足の抑えをかわす。
 俺は体をねじり、転がる。距離ができるまで、何回も転がった。
 そこで身体を起こすと、声が聞こえた。
「かげやま…… くん」
 橋口さんが四つん這いになって、俺を呼んでいる。
 涙をぬぐって、しっかりと目を開く。
 橋口さんの紫色のセーターの胸元から、大きな胸が…… 谷間というか、房の揺れが…… 魅力的な光景に、俺は頭がクラッとなった。
「あんッ!」
 橋口さんが、反射的にそう言う。
 俺はいつの間にか、橋口さんの背中に回っていた。
 そして俺の手は、橋口さんの胸の前に当たっていて、地面と胸に挟まれていた。
「ご、ごめんなさい。おれ、触るつもりじゃ……」
「ちょ、頂戴」
 俺の腰も橋口さんの柔らかいお尻のあたりにあたって、気持ち良くなっていた。
「ちょ、ちょうだいって?」
「結界を破る力!」
 と、突然、ぱあっ、と橋口さんの胸のあたりが光った。
 俺はまぶしさに目を閉じた。
「なんですか、この光?」
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「なに? 集中が必要なんだケド」
 立ち止まって振り向いた。
 ぶつからないように止まる。
「|霊痕(れいこん)とか見えたり感じたりするんですか?」
「普通の状態で人から霊痕がつくほどのこことはないわ。おそらくだけど、今は、霊痕はさっきの『助逃壁』を壊す時の霊的ダメージのせいで霊が漏れているのよ」
「なるほど」
 橋口さんが指差す。
「神社があるんですって?」
 橋口さんの指さす、その方向だったはずだ。
「ええ。ありました」
「御神体の影が出来る場所があるわ、おそらくそこだとおもう。私に何かあったら、フォローよろしく」
 橋口さんが自身の巨乳を持ち上げながら、ウィンクする。思わず|巨乳(そこ)に目がいく。
「えっ?」
「この前、私が気絶してたところを助けてくれたの、忘れた?」
 いや、あの時は、あの、その、橋口さんのおっぱいに夢中だったような……
「ま、あなたの本能の話だと思うから、大丈夫でしょ」
「?」
 すると橋口さんは、まるで行先をしっているかのようにまったく悩むことなく道を選択する。
「ちょっと待っ……」
 自然と足が止まった。
 まっすぐ見据えた先きには、おっさんと、おっさんに金を渡していた男がいた。
 金を渡して、霊を憑けられた男は、今、軍服を着ていた。
 長身痩躯。軍服に軍の帽子、上から|外套(マント)を羽織っている。
 こっちに気が付くと、男は|外套(マント)をはらった。その手には五芒星が書かれた手袋……
「しまった!」
 橋口さんが言うと、俺は目の前が真っ暗になった。
 布が顔に掛かったようで、もがいて手に取るとそれは橋口さんのトレンチコートだった。
「……くっ」
 目の前で橋口さんが倒れている。
 抱き起そうと近づくと磁石が反発するような力を受ける。
「うわっ!」
 強力な磁石で弾かれたようにしりもちをついてしまう。
「結界よ……」
「結界?」
「単純な結界だけど、単純な分、強力なの。普段なら引っ掛からないんだけど……」
「霊痕ばかりにきを取られているからだ……」
 ニヤリ、と笑った。そしてハゲのおっさんは、こっちに手を振る。
「じゃあな、除霊士さん」
 おっさんは懐から白い紙を取り出すと片手を顔の前に立てて祈る。
 すると、白い紙が空高く飛んで行きながら、大きくなり、色が黒くなった。
「アァーアァー」
「カラス?」
「しまった」
 橋口さんは立ち上がろうとするが、何か見えない力に押し付けらるかのように地面に押し付けられる。
 長身痩躯の男が関係しているようだった。
「じゃあな」
 カラスの足に綱を投げつけると、カラスがそれを掴んだ。
 ハゲのおっさんはそのまま空へ引っ張り上げられて、消えて行った。
「くっ、逃げられた」
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 俺はそれを止めに跳び出そう、とすると、
「待ちなさい」
 と言われ橋口さんに腕を掴まれる。
「もう間に合わない」
「けど……」
「あなたは他の客を避難させて」
「なんて言って説明すれば」
「そんなこと考えて」
 橋口さんはVIPルームへ近づく。俺はホールの真ん中で言う。
「VIPループで危険物が見つかりました。慌てないで、速やかに店の外に出てください。皆さん、慌てず、店の外へ出てください」
 夜も遅くなっていて、満員という状態ではなかったが、結構な数の客が出入り口に急ぐ。慌てて会計をする店員。
 会計を任せた客はどんどん出ていく。
 VIPの扉を少し開けて、橋口さんは中を覗く。
 客が出て行き静かになったホールで、突然俺のGLPが警告音を鳴らす。
「なんだ?」
 見ると『助逃壁』の表示がフラッシュしている。
 初めて見る表示に、どう対応していいのか慌てる。
 VIPルーム側を見ると、GLPの警告の意味が分かる。『助逃壁』が捉えた霊体が多すぎて、破裂しそうなのだ。
「橋口さん、伏せて!」
「?」
 俺はジェスチャー伝えようと、手を広げて床に伏せるような仕草をしてみせる。
 意味に気が付いて、橋口さんが床に伏せる。
 遅れて俺も伏せる。
 物理的にVIPルームの扉が破壊されて吹き飛ぶ、店内を仕切っているガラスとそのガラスが一斉に割れる。
「うわっ!」
 大きな音が終わって、俺は立ち上がる。橋口さんが伏せたままなのに気付いて、助けに行く。
「橋口さん」
「私は大丈夫よ、連中には逃げられちゃったケド」
「えっ?」
 俺は破壊されたVIPルームの扉から中を見る。チーフが倒れ込んでいる以外に、人影はいない。
「チーフっ!」
 ホールの端で騒いでいる女の子に救急車を呼ぶように言う。
「チーフが倒れてる、救急車を呼んで!」
「私は奴らを追うわ」
「俺も行きます」
 チーフに応急処置をしてから、俺は立ち上がる。
「……あなた、麗子に何か指示されているわね?」  
 俺は自分の体を見た。
「?」
「いいわ。やれる範囲で。ついてきなさい」
 そういうことか、と俺は持った。冴島さんからの指示、確かにあった。『これからさき、この男に近づかないこと』つまり俺はその範囲内でしか動けないということか。
「はい」
 橋口さんが何かを感じ取るように通りを右に左に進み、気配を感じるように視線を配る。
 俺は急に動き出す橋口さんに置いていかれないように後をついていく。
「橋口さん」
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 暗い、人のいない公園。
「なんだったんだ……」
 自分の声が虚しく消えていく。俺は自分の置かれている状況を再確認した。
「えっ? 俺、これどうしたらいいの」



 足に石を付けられた晩、俺は冴島さんに電話して、GLPを使って『鉄龍』という霊力のある杖を出した。『鉄龍』の杖によって足元の石を割って脱出が出来た。公園を出る際、入った時のような跳躍力もなく、全身をつかってなんとか塀をよじ登ってから、槍の間を抜けてこっそりと外に出た。店に戻る勇気はなかったから、そのまま駅に行って終電で家路についた。
 翌日、大学の授業が終わると、バイト先に電話を入れた。
 チーフが出て、ものすごい怒っていた。店の床掃除を全部チーフがやったこと、俺の前掛けを片付けたこと。それらを含めてペナルティを課す、ということだった。そして今からバイト先に来い、今日のホールの清掃はお前がやれ、とそういうことになった。
 俺はしかたなくバイト先に行った。
 それとなく調理師の人に井村さんのことを聞いた。
「チーフが一人辞めたって言ってたけど、もしかしたらその|娘(こ)のことかもな」
 やっぱり、あんなことがあったら普通辞めてしまうだろう。店からずっと追い掛け回されたわけだからな。心の傷は簡単には消えない。忘れるにはここに来てはダメだ。
 俺は残念だったが、井村さんのことを思うとその方法しかなかっただろう。それとあの時、井村さんを助けた、あの赤いジャケットの男とはどういう関係なんだ。井村さんの心に俺が入る隙間など、そもそもなかったのではないか、などと自虐的な考えが頭に浮かび、初めから井村さんと仲良くなろうなんて考えなければよかった、と思った。もう俺は誰かを好きになったりしない。自分が傷つくだけだから……
「カゲ、お前にお客さんだ」
 ホールから戻ってくるなり、チーフが言った。
 俺は前掛けをはずして、ホールに出た。客席で手を振る女性がいた。
「あの人だ」
 俺はその女性の向かいの席についた。
「どうしたんですか、橋口さん」
「しっ…… その名前は言わないで」
「……」
 橋口さんは、トレンチコートを席の背もたれに掛けていて、大きな胸をテーブルに載せるような格好で、俺に手招きした。椅子に座り直して、俺も橋口さんに顔を近づけるように体を寄せる。
「(例の降霊師と降霊を依頼した男の情報)」
「(えっ、どうしてそんなこと俺に?)」
「(そこ、そこに入った)」
 橋口さんの視線の先だとすれば、VIPルームだ。
「(えっ、どうすればいいんです?)」
「(GLPで……)」
「キャァー」
 VIPルームからの声だ。
 ホールの女の子がVIPから出てくる。
 チーフが目立たないように慌てて移動するのが見える。
「(ほら、早く、あの光の壁)」
「助逃壁」
 竜頭を回してセットする、チーフがVIPルームの扉をスッと開けて中を覗き込んでいる。
「いいから早く撃て!」
 橋口さんが俺の頭を叩く、そのまま竜頭を押し込むと、光の壁が飛び出し、VIPルームの方へ大きくなりながら進んでいく。ホールにいる多くはない客は、俺と橋口さんが立ち上がっているのを見るだけで『助逃壁』をみようとしない。
「(はしぐちさん、もしかして、『助逃壁』って霊感のない人には見えないんですか?)」
「(みえないでしょうね)」
 橋口さんは、椅子に掛けてあったトレンチコートに袖を通すとVIPルームの方へ近づく。
 チーフは中の様子を確認するために入ってしまう。
「チーフ!」
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「しつこい!」
 声が聞こえて、俺のやらねばならないことを思い出した。
 公園の林の中を走り抜けていく。
 と舗装した通路を、走っていく人影を見つける。
 俺はそれを追う。
「井村さん!」
 前方に人影が見えてきた。
「影山さん?」
「?」
 手前にいる、ハゲのおっさんが振り向いた。
「なんだお前は」
 おっさんは立ち止まって、俺を指さした。
「人の恋路をじゃまする奴は、こうだ」
 おっさんがポケットから出した白紙を広げ、懐から出したペンでさっと書きなぐる。それを弾くように俺に向けて飛ばしてきた。
 紙は不自然に飛行してくる。前に走りながら、身体をずらしてよけた。
「えっ?」
 バタバタ、と音がしたかと思うと紙は急カーブして俺の左足に絡みついてきた。そして、みるみるうちに粘つくようになり、重くなった。俺は手をついてしまった。
「い、岩?」
 左足が、黒光りする石の中に埋まっている。重すぎてビクともしない。
「影山さん!」
 井村さんが、俺に気付いてこっちに向かってくる。
 そこをおっさんが、抱きつくように捕まえる。
「やっと捕まえた」
 一瞬にして、井村さんの意識が飛んでしまった。
「やめろ、井村さんを離せ!」
 動く右足と両手をついて、前に進もうとするが、まったく動けない。
 おっさんに担がれて、井村さんの足が宙に浮いた。
「やめろぉ……」
 ハゲのおっさんがニヤリ、と笑って後ろを向き、公園の奥へ歩き始めた。
「ちきしょう……」
 その時、俺の視界の隅を、さっと、動く影が見えた。
 おっさんが立ち止まる。
「何者だ」
 おっさんと、おっさんが担いでいる井村さんのせいで、その先にいる者の姿は見えない。
「仲間を返してもらうか」
「仲間だって…… これは人じゃ…… まさか」
 可能なかぎり体をずらすと、おっさんの前にいる人物が、真っ赤なジャケットを着ているのが分かる。
「なんだ?」
 おっさんの前に立った真っ赤なジャケットの人物から、煙、いやオーラが発せられた。
 立ち上る煙のような、陽炎のような空気の動き。
 おっさんは怯えたように足が震えはじめ、肩に載せていた井村さんをゆっくりと、通路に寝かせる。
 暗くて遠くて良くは見えなかったが、真っ赤なジャケットの人物の顔がうっすらと見える。男だ。
「これでいいだろうぉ…… ゆるしてくれよぉ…… こっちはクライアントだぜぇ……」
 真っ赤なジャケットの男が、パッと手を払うような仕草をする。
「ひっ!」
 おっさんは一瞬にして、通路横の林に去って行ってしまった。
 赤いジャケットの男が、手をかざすと、井村さんの体が宙に浮かぶ。
 すーっと赤いジャケットの男の肩に引き寄せられるように移動していく。井村さんを担いで、赤いジャケットの男は公園の奥の方へと消えて行った。
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