その時あなたは

趣味で書いている小説をアップする予定です。

カテゴリ: 俺と除霊とブラックバイト

 調理師の人も、帰り支度を済ませていて、嫌そうな顔を見せたが、ホールを覗いてみてくれた。
「……いないな。チーフはそこで寝てるけど」
「えっ!」
 しまった。降霊師に何か霊を憑けられたのかも知れない。
「だって、井村さん着替えてない」
「知らねぇよ。ホールに女の子は見えねぇぞ。チーフ寝てんだし、お前が確かめろ」
 俺はホールに出て、チーフが真ん中のテーブルに突っ伏して寝ている以外、他人がいないのが分かった。
 そのままVIPルームを開けたが、そこにも誰もいない。
 ホールから裏に戻ってきて、着替え終わった女の子に声をかける。
「井村さん。井村さんを知らない?」
 何人かは首を振る。
 一人が言う。
「チーフが寝ちゃった後、VIPから逃げ出したのを見たよ。制服のままじゃん! って思ったけど、それを追っておっさんが出てきたから、怖くて何も言えなくなっちゃった」
「ありがとう」
 前掛けをはずして、チーフの机に放り投げると、俺は店を飛び出した。
 どっちだ…… どっちに行った? 俺に霊感があれば……
 俺は天を仰いだ。夜の空には、雲が垂れこめていた。
 その時、雲の一部が明るく照らされた。
「ん?」
 あの下で何か雲が明るくなるほどの光が放たれた、ということだ。
 ビルか、車道か…… 俺は考えたがその雲の方向に、光を放つ人工物が思い当たらなかった。つまり、人工物の光ではない。何の光かは分からないが、不自然な光であるということだ。
「一か八か、あの雲の下に行ってみるしかない」
 俺は走った。
 電話番号を聞いておけば良かった。メアドでも、メッセージIDでも、なにか連絡方法を交換しておくべきだった。
 俺は普通の男女が、始めにすることをしていないことを悔やんだ。
 近づいていくと、そこはどうやら公園の中のあたりであることが分かった。
「あれっ?」
 公園は、鉄製の高い門があり、それは既に閉まっている。
 しかし、光は公園内でまだ光ったり、している。
 登れば上って入れないことはないが…… 監視カメラがある。
「もし井村さんとあのおやじだったとして、どうやって入ったんだ?」
 俺は塀沿いに走った。塀の上には鉄の槍のようにとがった先が並んでいる。
 どこかから入れる場所があるのかもしれない。
 しかし、入れる場所は見つからない。
 光は強く、もう、すぐそばで光っている。
「ほら、もう観念してこっちへおいで」
「やめて、近づかないで」
 井村さん、の声じゃないのか。俺は中を見つめる。暗くてよく分からない。
 塀の槍のような先端を飛び越えて、中ににはいるしかない。
「こうなりゃ、やけだ」
 勢いをつけて、走った。
 塀の前で、俺の体は自分の予想以上に跳ね上がった。
「えっ?」
 塀の槍のような部分を軽く超え、体をひねりながら着地する。
「俺、体操選手とかだったっけ?」
 俺は飛び越えた塀を見つめた。身長の倍、はないにせよ、この高さを飛び越えたことなどなかった。
 通りにはロイター板があるわけでもない。跳ねるように飛び越えられた理由がない。
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「お客様にそういう言い方をするな、髪の薄い方とか言い方があるだろう」
「薄いんじゃなくて一本も生えていないんです」
 チーフが俺の説教を諦めたのか、ホールの側に動き出す。
「ハゲがどうした」
「ホールにいる女の子を呼びつけているみたいで」
「わかったすぐ行く」
 俺も確認しに行きたかったが、調理師に止められた。
 チーフが低姿勢になって、やさしい言葉使いをしているのが聞こえてくる。
 何度か同じことを言っていると、客も態度を軟化させてきたようだ。
「どうですか」
 俺が聞くと調理師の人がちょっとホールを覗いてくれる。
「もう大丈夫だろう」
「良かった」
 チーフが戻ってきたが、俺の説教のことは忘れていた。
 ずっとその客の愚痴を聞かされたが、大して嫌ではなかった。それより皿を食洗機にセットしたり、食器を洗ったり乾かしたり拭ったり、いつもの単調で何度も繰り返される仕事が辛かった。
 俺は、ゴミ出しの合間に、スマフォで撮った映像を編集した。
「冴島さん」
 俺は電話をしていた。
「ということで、映像を確認して欲しいんですが」
「じゃあ、今事務所だから玲香のメアドに動画送って」
 玲香というのが、秘書の中島さんのことだと教えられ、俺はそのメールアドレス宛に動画を送った。俺がキッチンに戻った時に、メールが返信された。
 仕事の合間を見て確認すると、冴島さんの代わりに書いています、ということで中島さんから返信があった。
 この男は間違いなく降霊をしているが、映像が連続的に映っていないから証拠にはならない、ということだった。そして注意が付け加えられていた。これから先、この男に近づかないこと。
「……」
 完全にあのおっさんが降霊師だ、と分かればここで捕まえなくともいい、ということなのだろうか。
 けれどこの動画では証明できない、とも言った。証拠足り得ないのであれば警察はまだ動けない、ということだ。もし一昨日の映像にあったおっさんの連れ、が昨日の殺人犯だったらこれ以上野放しにしていると被害が広がってしまう。さっきも降霊していたわけだから、その男も何か犯罪を犯してしまうかもしれない。
 手の届くところにいる悪党に手出しできない歯がゆさで、俺はイライラしはじめていた。
 降霊師へのイライラと仕事のイライラが重なって、本当に俺は爆発寸前だった。たとえチーフと言えど、いま突っ込んできたら言い返してやるところだった。
 そんな雰囲気を察したのか、チーフは再びホールの方へ行ってしまった。
 俺は、どこにもぶつけることが出来ないまま、店の営業時間が終わった。
 一人一人、女の子は帰っていく。
「あれ、チーフ戻ってきました?」
 調理師は黙って俺の方を振り返り、「いいや」と言った。
 制服の女の子が立ち止まり、「井村さんとお客様がもめていて、チーフが中に入って収めようとしている」と言うだけ言って、更衣室へ行ってしまった。俺とホールの女の子は会話をしてはいけないのだから、一方的に情報を言うだけしかできないのだ。
「もめているって……」
 俺はイヤな予感がした。井村さんが美紅さんと同じように霊を集めている組織の手下だとしたら、井村さんにも何か霊がついているだろう。降霊師が|憑(つ)いている霊に興味を持ったのだとしたら……
 調理場を掃除しながら、井村さんが通ったら俺が帰るまで待ってくれ、という事に決めていた。今、まだそのハゲのおっさんがそこにいるなら、井村さんが一人で帰るのは危険だ。ここの規則をやぶってしまうことになるが、このさい仕方ないことだった。
 だが、いつまで経っても、チーフも井村さんも裏に戻ってこない。
「あの、ホール見てもらえますか?」
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「ごめんなさい。三十分遅れます」
 俺はチーフにあれこれ言う隙を与えずに、言って即、通話を切った。
 俺はおっさんの動きを追った。
 小道に入ると、急に木々が生い茂る場所に出た。鳥居が見えるから、神社だろう。
 スマフォで写真を撮っている観光客のふりをしながら、おっさんの視線の先をみると、前髪を降ろしてメガネをかけた男が立っていた。
 急にメガネの男が膝をつき、手を合わせておっさんに祈るような恰好をする。俺はスマフォで動画をとって、場所を動きながら、おっさんとメガネ男の様子を映した。
 おっさんが手を出すと、男がバックから封筒を渡す。おっさんは封筒の中身を確認したようだ。
 おそらく金を渡したのだろう。
 急にメガネ男の額に手を当てて、目をつぶらせると、おっさんは両手を広げて何か話し始めた。
 観光客は、神事かと思っておっさんのことを映したりしている。おっさんは神主ではないしこれは神事ではない。違法の降霊にちがいない。おっさんは観光客の目も気にせず、どうどうと呪文のように言葉を読み上げ、ポケットから出した白い紙を広げ、メガネ男の頭にのせた。
 気合の入った声が響くと、メガネ男は、背中に何か冷たいものでも入れられたかのようにブルブルと震えた。そして、立ち上がった。
「えっ?」
 なぜか、さっきまでいたはずの観光客らがいなくなっている。俺は慌てて、木の幹に隠れた。
 木の幹から、そっと顔を出してみると、メガネ男はおっさんよりはるかに背が高くなっている。メガネを外して、バックに無造作にしまう。おっさんと強く握手を交わして、立ち去っていく。おっさんはニヤリと笑いながら封筒を自分の懐にしまう。と、急におっさんが俺の方に走ってくる。
 まずい…… バレた。
 幹に隠れて、右に逃げるか、左の低木に隠れてしまうか考えた。
 物凄いスピードで足音がしてきて、低木に隠れる時間はないと判断した。GLPの竜頭を回して『黒王号』にセットする。これで逃げれば時間は稼げるはずだ。
「……」
 いつのまにか通りすぎて、おっさんは、鳥居の方にいた。
「えっ?」
 俺は『黒王号』を呼ぶのをやめ、慌てておっさんの後を追った。
 おっさんは鳥居を出たあたりで肩で息をしながら歩いていて、俺は容易に追いつくことができた。
 どこにいくのか追跡をつづけると、結局『ミラーズ』へ戻ってきた。
 するとおっさんは躊躇せずに店に入った。
 俺はGLPで時間を確認すると、チーフを怒らせるわけにもいかず、追跡をここで終了することにした。
 店の横のビルの入り口から入って、裏口の暗証番号で入る。
「こら、カゲ。なんですぐ切るんだよ」
「す、すみません」
 俺は頭を下げた。そしてすぐに前掛けを着けて準備をつづけた。
「すみませんじゃねぇんだよ。すぐに切らなきゃまだ説明できたんだが、説明聞かずに切ったからな。その罰金を給与から抜いとくからな」
「えっ、働いた時間が少なくなる分が減るだけじゃないってことですか?」
 チーフは机をたたく寸前だった。
 そして、叩いた。
「たりめーだろうが」
 チーフと俺と調理師の人しかいなかったが、場が凍りついように思えた。
「申し訳ありません」
「キャー」
 声がして、調理師の人がホールの様子を見る。
「チーフ、ハゲの変な客が」
 俺はその言葉でさっきのおっさんを思い出した。俺が入る前にここに入っていたはずだ。常連のハゲのおっさん。
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 俺は、駅のホーム、電車の中での彼女の笑顔が思い出した。そして、冴島さんの言葉で俺たち二人の時間のすべて否定されたような気がした。
 ……違う、俺はダメなヤツかもしれないけど、彼女を否定したらダメだ。
「いい子ですよ。俺の情報ってなんですか? 俺がなんだっていうんですか? それなら俺が欲しいのと違わないんじゃないですか? 会ったこともないのに、あの子のことを疑うのはやめてください」
「……ごめん。豆挽いてる音で聞こえなかった。もう一度言って」
「もういい!」
 俺は階段を登って中二階の納戸、俺の部屋に使わせてもらっているところ、に入って、敷きっぱなしの布団にくるまって、寝た。
 大学の授業が終わると、バイト先に向かいながら考えた。
 冴島さんが言いたかったことは、井村さんが|美紅(みく)さんと同じように俺に|憑(つ)いている霊や、あの屋敷に近づくための情報を集める為に近づいて行きた人物だ、という意味だろう。だが、美紅さんがそうだったように、俺には井村さんにも悪意があるように思えない。俺についている霊が落ちたり消えたりしても、記憶が戻るどころか、失われてしまうかもしれないと言っていたが、井村さんが欲しいといっても霊をあげることは出来ない。けれど俺に近づいてきて、害を与えるわけでもなくそこにいる人を、拒否したり排除することもなにか違う。
 バイト先の駅で降りると、反対側の通路から下りてくる一人に気づいた。
 髪の毛はなく、眼光するどいおじさんだった。
 他にも通路を下りてくる人はいて、なぜ俺はその人が凝視したのかを考えた。どこかで見たことがあるからだ…… そうだ。店の防犯カメラの映像だ。店の常連のはハゲのおっさん。
 俺は時間を見てまだ店のシフトまで間があることを確認し、そのおっさんをつけてみることにした。
 おっさんは駅から出ると、俺のバイト先の店の前で立ち止まった。
 俺はコンビニに入るフリをして角を曲がってそこからおっさんを見ている。
 おっさんは上体を右に左に動かしながら、店内の様子を確認している。俺は店の配置を頭に浮かべた。あの位置からなら、待機している|娘(こ)を確かめることが出来る。
 しばらくそうやって体を振りながらそこにいると、満足したのかお目当ての|娘(こ)がいなかったのか、通りを歩き始めた。俺もまた後をつけはじめた。
 おっさんは次にクレープの店に立ち止まると、若い女性観光客の後ろに並んだ。
 俺はそれを横目で見ながら通りすぎ、反対側の角に曲がったふりをして監視した。前にいる女性観光客はよその国からきたようで、よくわからない言語を話していた。
 おっさんはその観光客を後ろからジロジロみたり、クレープ屋の店員が顔をだすたびにチェックをしている様子だった。
「どんだけ若い女の子好きなんだ……」
 順番が来るとそのままクレープを注文して、店の女の子に話しかけたりしながら、出来上がるのを待っている。
 女の子見ていると、笑顔、笑顔、苦笑、笑顔、と、時折嫌ですよ、というアピールを入れている。
 気づかれないように、おっさんの視線が一瞬ずれた時を見計らっている。
 おっさんは出来上がったクレープと自分の顔を入れて自撮りして、周囲で食べている客に混じってウロウロしながらクレープを食べる。
 こんな人物が本当に『ヤミ降霊師』なのだろうか。
 冴島さんから聞いたヤミ降霊師、違法降霊師の話はこうだ。強くなりたい、金儲けしたい、気持ちよくなりたい…… そんな欲望だけが強くて満たされない人間を巧みに誘い込み、強くしてやる、金儲けが出来るように…… と持ち掛けて降霊する。降霊した霊もやがて昇天するし、取り憑く先に興味を失えば消えていく。だが、霊は憑りついて自我に直接働きかけるから、実際に効果があってもなくても、上手くいったような錯覚だけがのこり、しばらくするとまた降霊師に頼みに来る、ということだ。
 だから、もっとヤバい連中に囲まれ、顔を隠して歩いているのだと思っていた。こんなに堂々と、日中の大通りを歩いている人間とは思っていなかったのだ。
 その時、おっさんは突然スマフォを取り出して話し始めた。
 顔つきもガラッと変わって、厳しい表情になった。これなら『ヤミ』とか『違法』がつくような感じの人間に見える。俺は自分のスマフォをみて時間を確認した。そろそろシフトの時間だ。おっさんが早くことを起こしてくれることを祈ってチーフに連絡を入れる。
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 風呂に入って寝ようと思ったら、冴島さんが帰ってきた。
「おかえりなさい。いつも遅いですね」
「もう帰ってたのね。そうだ、あの事件、あなたのバイト先の近くでしょ?」
 冴島さんが指をさしてそう言った。
「警察協力で橋口さんが来てて」
「そうみたいね。ちょっと話しを聞いたわ。殺人犯だけど、あなたにお願いしている違法降霊師が|憑(つ)けた霊の可能性があるわ」
 ふと、俺は自分がコピーして警察に渡した映像が頭に浮かんだ。
 ハゲの常連さんと、その連れ。連れは、上下レザーを着ていたな…… 上下レザーの男? 筋肉とかのつきかたはまるで違うが、顔はもしかしたら……
「まさかミラーズの店内で降霊術は行わないと思うけど、近くで事件があったのなら、そういう可能性も否定できないわね」
「店内に、VIPルームっていうのがあるんです。外からは見えない部屋が」
 しかし、ハゲの常連さんがVIPを使っていたかどうかはわからない。もしかしたら、予約状況とか使用状況を書いている店のノートに何か書いてあるかもしれない、と俺は思った。
「ちょっと調べた方がいいかもね。現場を抑えれれば、その場で捕まえることも可能よ」
「わかりました」
 冴島さんが俺を睨んでいるのに気づいた。
「えっと…… どうかしましたか?」
「あなたどこまでついてくる気なの」
 気づくと、冴島さんはトイレの扉の前にいた。
「あっ、そんなつもりじゃ」
「……」
 冴島さんはこっちをじっと見ている。俺が充分に離れるまでは、トイレに入らないようだった。
 俺は居間のソファーに戻って考えた。
 どうやったら、監視カメラの映像を確認させてくれるだろう。今日は店長だったが、明日はきっとチーフが来ている。チーフは裏方が店の側に出ていくのを極端に嫌う。何か明確な理由を作らないと店の防犯映像をみることは出来ない。
「影山くん…… ちょっとじっとしてて」
「えっ、なんか霊でもいましたか?」
「違うわ…… 髪の毛。結構長い。あなたのじゃないわね」
 俺は風呂に入ってそういうものが一切ついていないはずだ、と思い考えられる髪の毛について言った。
「風呂入ったから、今髪の毛がついているとすれば、冴島さんのじゃないですか」
「……へぇ」
「なんですかその言い方」
 冴島さんはニヤリと笑った。
「ずばり、霊痕がついている、と言った方がよかったかしら?」
「れいこんですか?」
 冴島さんは俺に手をかざした。
「あなたの家族のこと、あなたの屋敷のことは言わないのよ」
「……」
「これで大丈夫かな。いい、その女の子、あなたが欲しいんじゃなくて、あなたの情報が欲しいのよ」
 突然『女の子』という単語が飛び出てきて、俺は焦った。
 俺にとって、今、女の子というのは井村さんしか考えられなかった。
 なぜ、井村さんのことがバレている。井村さんは、俺の家族とか、屋敷のことを知りたがっているというのか。だが、彼女はまだそんなこと一つも言い出してない。
「なぜ女の子のことが……」
 冴島さんは、キッチンの方へ行くと全自動コーヒーメーカーに豆をセットした。
「……そうね。悪かったわ。今回のは良い訓練になると思うから、自分で考えてみなさい。なぜ私がさっきのようなことを言ったのか。答えがわかった時、あなたは確実に一つ成長しているわ」
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「……じゃないですよね」
「私は影山さんを待っていたんです。一緒に帰りましょう?」
「えっ……」
 自分の顔がニヤけていることがはっきりと分かった。わかっていたが、その顔を普通に戻すことが出来なかった。
 井村さんが微笑む。
「どうしたんですか? 私の顔に何かついてますか?」
 俺は首を振る。
「そんなことない、ないよ」
「良かった」
 俺たちはホームで電車を待っていた。
 井村さんが話しかけてきた。
「今日は、殺人犯がいることを知らせてくれて、ありがとうございました。あのままあそこで看板を拭いていたら、危ない目にあっていたかもしれない」
「ああ、本当によかったよ。何事もなくて」
「あの後、影山さんなかなか帰ってこないから…… 私……」
 井村さんが急に俺の手を引いてきた。
 やわらかくて、すべすべした指に触れて、気持ちが良くなった。
「えっ?」
「心配しました。店長が出てはいけない、と言うし。どんなことがあったんですか」
「えっと…… あの後だよね。俺はちょっと動けなくなっちゃってさ。だけど、警察に協力している除霊士の人がやってきて、犯人とあっさり捕まえてくれたから助かったよ」
 井村さんが、上目づかいで俺の方を見てくる。
「除霊士、ですか。なんて人ですか」
「あっ、いや、うん。よく知らない」
 俺の手を井村さんの頬に付けた。
「本当に?」
 俺のGLPから違和感が伝わってくる。
「……」
 俺は言葉には出さずに、うなずいた。
「じゃあ、犯人には霊がついていんですか?」
 GLPの違和感は続いている。
 井村さん、あなたがこの違和感の原因ですか。俺はそんなことを言いかけ、その言葉を飲み込んだ。
「じゃないかな。俺もよくわからないんだよ」
「……そうですよね」
 井村さんが、そう言って笑うと、急にGLPの違和感が消えた。
 同時に、俺の中にある警戒心も一緒に消えて行った。
「井村さん、明日も|仕事(バイト)入るんですか?」
「明日も同じ時間入りますよ。影山さんは?」
 迷いもなく、そう答えたように見える。
 俺は、それに対して戸惑いながら言った。
「俺も午後、店にはいります。よかったら…… 明日も一緒に帰りませんか?」
「……ええ、影山さんがよければ」
「良かった。明日が楽しみになってきました」
 また自分の顔がニヤけていることを抑えられなくなっていた。
 なんだろう、本当にモテ期がやってきたんじゃないか。
 明日も会話が弾めば、この|娘(こ)を彼女にできるんじゃないか、俺はそう思っていた。
 葵山で俺が下り、井村さんはずっと手を振っていた。
 駅から歩いて、下宿させてもらっている冴島さんの家に帰る。
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 しつこい。これで十二、三度目ぐらいだろうか。店長はひたすら回数が多いとは聞いていた。逆にチーフの説教は、相当胆を冷やす代わりに回数がすくないらしい。もしかしたら、チーフの方が…… いや、どっちらもあまり変わらないか。
「聞いているか?」
「は、はい。すみません」
「急いで食器をそろえて。井村君のせいか店はかなり混んできている」
「え、また外の掃除をさせてるんですか?」
 この店では新入りの女の子に、わざと外の掃除させ、気を引かせて客を呼び込んでいる。
 掃除といっても、本当に汚れを落とすようなことではない。
 本日のメニューを書いた置き看板と、自動ドアのガラスを軽くふく程度。
 女の子の制服と、そのしぐさをアピールするのが目的なのだ。
「ほら、料理出来たからプレート頂戴」
 乾燥が終わったプレートを素早く差し出す。
「カップとソーサーも」
「はい」
 大体、他人が少なすぎるのだ。今日一日、朝から夜まで俺が入らなければ店は回らない。
 なのにも関わらずこの皿洗いに対して、店内のリスペクトはゼロだ。
 そりゃ、次から次に辞めていくだろう。無理もない。
 そんな風に、へとへとになりながらも、俺は仕事を終えた。
 後は店内の清掃をすれば上がり、というところで、店長が俺に言った。
「いや、今日は本当にありがとう。井村君が助かったのもそうだし、なにより今日君が入ってくれたおかげで、食器が早く準備出来て、いつもより客を回すとことが出来た。本当にありがとう」
「は、はい。どういたしまして」
 なんだろう、俺の心の声が聞こえたのだろうか。
 俺がいなければ回らない、ということを理解したような店長の発言だった。
「もう少しだから頑張って店内の掃除をしてもらえるかな」
「はい」
 俺は店内の掃除を始めた。
 店内の椅子やテーブルをすべて綺麗にし終えると、俺は厨房に戻った。
 前掛けを自分のところに引っかけて、厨房のゴミをまとめると店長に挨拶した。
「今日は、これであがります。お疲れさまでした」
「ああ、ありがとう。明日は午後からだったかな?」
 店を出よう、解放される、と思った瞬間、頭をハンマーで叩かれたような感覚になった。
「……俺、明日シフトは入っていないはずですが」
 店長は何かノートを広げてみている。
「大学の授業は午前中だときいていたから、入れると思って組んでしまったよ。お願いだ、入れないか?」
 そういえば時間割りを提出させられた。取っている授業にマーキングさせた上でだ。
「えっと……」
「決まりだな。頼んだよ。お疲れさま」
 俺が何か言い訳を言い出さないうちに帰らせ、シフトを確定しようということのようだ。
 店長に押し出されるように店を出て、明日の午後のバイトが確定した。
「……はあ。ブラックにもほどが」
 ビルのゴミ集積所に両手のゴミを叩きこむと、俺はビルを出た。駅の改札につくと、女の子がこっちをみているのに気付いた。
「あっ、井村さん」
「影山さん、待ってたの」
「えっ? 俺を」
 井村さんがうなずく。
 俺は除霊事務所のバイトを初めてから、何度も来たと思ったモテ期が、こんどこそ本当に来たのかも知れない。そう思ったが、過去の経験から疑り深くなっていた。
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「影山くん! 危ないんだケド!」
 橋口さんが上から飛び降りてきた。
「えっ、どこから?」
 そう思うと、上下レザーの男が飛び上がって、黒王号の上にいる俺の高さまで上がってくる。
 拳が打ち込まれる寸前、橋口さんが投げたコートが上下レザーの男に絡みつく。
「うぉっ!」
 上下レザーの男は顔をトレンチコートにくるまれて、道でのたうちまわっている。
 橋口さんは九字を切る。冴島さんがやっているところを見たことはあるが、橋口さんもするんだ、と俺は思った。
「えいっ!」
 橋口さんの手刀が振り下ろされると、バタバタと動いていたレザーの男の動きが止まった。
 光の粒が、パッと飛び散るように見えた。
「橋口さん」
 警察官が拳銃を向けながら近づいてくる。
「もう大丈夫。除霊は済んだわ。殺人容疑で取り押さえて」
 銃をしまうと、警官は一斉に飛びかかった。
 橋口さんは俺に近づいてくる。
「で、あんたはなにしてるのかな?」
「えっと…… この馬、黒王号っていうらしくて」
 俺はなんとなく腕の方を見た。
「ああ、GLPから出したってわけね? 選ぶにしても最悪のを選んだわね」
 確かに高いし、下りたくても下りれない。
「どういうことですか?」
「普通の霊なら、この馬の力で蹴散らしたり、追いかけたり、逃げたりできたでしょうけど」
 俺も実際のところ、そのつもりで呼び出していた。
「相手はケンシロウよ。つまりあなたはラオウ。黒王号ではケンシロウを蹴散らすことも出来ないし、ましてや逃げるなんて選択肢はないのよ」
「い、意味がわかりませんが」
「……はあ。まあ良いわ。上下レザーの男には注意するのね」
 橋口さんは踵を返して、後ろ姿のまま手を振った。
「あっ、えっと……」
 俺は…… どうしよう。下りたとして、この馬は消えるまでどこかにつなげておくべきなんだろうか。
 通行人の何人かがスマフォのカメラを向けて写真を取り始めた。
 撮るなと怒るわけにもいかず、曖昧な笑いで返していると、撮る人たちが増えていく。
「これ、いつ消えるんだろう……」
 とりあえず『鉄龍』と同じように霊力を使い果たせば消えるだろう。
 そう思い、俺は馬を走らせることにした。



 店に戻ると、店長から怒りをぶつけられた。
「なんでいなくなったんだ。そして、行ったっきりずっと帰ってこない。外には殺人犯。死んだかと思ったよ。そして、この食器や皿を見たまえ。君が怠った仕事の結果だ」
 俺は必死に食洗機を使いながら仕事を進めた。
 汚れが軽いものは、直接手洗いした。
 結局、あの馬はちょっと走るどころでは使いきれないぐらいの霊力をもっていたのだ。
 店の前の通りでは全く話にならなかった。だから車道に出て、自動車の後をついて行ったのだから、きっと六十キロ近くでていたろう。それくらいの速度で走り回って、一時間近くを費やした。自動車やバイクでの六十キロとは違い、初めての乗馬での六十キロは、生きた心地がしなかった。
 店に戻ってきた時は、桶には食器が山となっていて、店長はこんな感じだった。
「すみませんでした」
「井村くんが無事だったのは幸いだった。だが、君が働いていない一時間近くの間の賃金と罰金を給料から差っ引かせてもらうよ」
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 何も考えずに竜頭をクルクルと回していく。
 連動して変わっていく画面を見ていると、早すぎて見えなはずの文字が頭に浮かんだ。なんどか進めたり戻したりするうちにその文字で画面を止めた。
 『黒王号』と書かれていた。
「こくおうごう……」
 店長がGLPを覗き込んで、言った。
「ん、こくおうごうだろ? 確かものすごい大きい馬じゃなかったかな。乗っている奴がちょーつええんだ」
「店長、中国語得意なんですか?」
 店長が興味を持ったようで俺のGLPを触ってくる。竜頭をクルクル回したり、画面をタップしてきたりする。
「ん〜 見た感じ、これ、中国語じゃねーんじゃねぇかな」
「えっ……」
 GLPが中国製、ということで俺はこの画面の言語は中国語だと決めつけていた。
「中国語じゃないんだ……」
「確かに漢字がやたら多いがな」
 俺はその『黒王号』というのがやけに気になっていた。すごい大きい馬なら、逃げるにも追いかけるにも都合が良さそうだ。なんなら『助逃壁』の代わりに壁となってもらってもいい。
「店長! 井村さんがまだ外でした」
「何!」
 店長は慌ててレジのところへ行く。俺もこっそりと後ろをついていく。
 昨日入ったばかりの井村さんが、外の看板を拭いている。
「なんか様子が変だ!」
 店の前に止まったパトカーを盾にするように警官が銃を抜いた。
「井村さん……」
 俺は何も考えずに店の入口から外に出ていた。
 警官が銃を向けた先にさっきの上下レザーの男がいた。
 井村さんは何も見えてないのか、看板を拭いている。
「そんなに足を伸ばしたまま身体を曲げると…… パンツが見えちゃう」
 いや、そんなことを考えている場合ではない。助けないと。
 独り言のせいで警官の一人が俺に気づいたようだった。
「キミ、下がって」
「あれウチの店員なんです」
 俺は警官の制止を振り切ってパトカーの前に出た。
 そうして、急いで井村さんの手を引く。
 上下レザーの男、つまり殺人犯に聞こえないように、小さい声で言う。
「(危ないよ! 早く店に入って)」
 ようやく周りをみて状況が飲み込めたようだった。
「(影山さんはどうするの、ほら、一緒に……)」
 井村さんが手を引くが、それを振りほどく。
「(大丈夫、俺は大丈夫だから)」
 井村さんが店に駆け込むのを見て、俺も店からの死角へはいる。そして、GLPの竜頭を押し込む。
「いでよ『黒王号』!」
 俺の足元から、真っ黒い馬が浮かび上がってくる。
 そのまま俺を背に乗せ、『黒王号』が現れた。
 かなり、高い。
「えっ……」
 犯人が、こっちを向いた。
「ラオウ……」
 俺はラオウ、と言われて身体のなかのスイッチが入ったようだった。
「お前が見たのは死兆星。俺と戦う運命だったのだ」
 自分で言っている、その言葉の意味がわからなかった。
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「もちろんです」
 橋口かんなは警部とパトカーにのり、殺人現場のある通りにつく。
「犯人らしい人物が逃げているのね」
「向こうのビルの上に」
「じゃあ、私たちはこっちのビルから行きましょう」
「橋口さん、ここでは遠すぎませんか?」
 橋口はビルの上を眺め、言った。
「大丈夫。ここの方が見通しがいいから」
 警部は意図を理解したように、他の警官は別のビルの屋上に向かわせ、自らは橋口と一緒のビルに入る。
 屋上の鍵を預かって、外に出る。
 周囲のビルがほとんど見下ろせる位置に出た。
 橋口が手すりまで進み出ると、周囲のビルの屋上を眺める。
「あそこが発見したビルね?」
 警部はタブレットで地図を見ながら言う。
「そうですね」
 橋口はビルの屋上をじっと見つめている。
 何かを投げるように手を軽く振る。
 警部には何も見えない。
「あの、何か投げた、んですか?」
「しっ……」
 橋口は口に指をつけて黙るような仕草をする。
 警部も橋口が見ている方をながめるが、なにも見えてこない。
「警部。あそこ、三つめのあのビルの屋上」
「はい」
 警部はすぐに無線を使ってビルを指示する。
「それと、周囲に逃げれないように周囲のビルの屋上にも」
「はい」
 同じように素早く人員をコントロールする。
「橋口さんはどうしますか?」
 橋口は、手すりを飛びこして、ビルの縁に立った。
「橋口さん?」
 トレンチコートを両手でもって掲げ、橋口は目的のビルへ飛び出した。
「!」
 警部がみると、橋口はトレンチコートをパラグライダーのように使って、下のビルの屋上へ滑空していた。
 警部は無言のまま無線のやり取りに戻った。



「どうした、まだ休憩が終わるには早いぞ」
「殺人犯がこのビルに……」
「えっ、どういうことだ」
 すると外にサイレンの音がして止まった。パトカーが来たのだろう。
「ん、なんだ」
 店長が言う。
「さっき警官がパトカー呼んでました」
「ちょっとまて、本当なのか?」
 俺はうなずいた。
 店長は慌てて店に入って、店の女子店員を集め、説明する。
「今、非常事態が発生した。殺人犯がビルの周囲にいるらしい。下手に逃げるよりはここにいた方が安全だ。店の外の掃除はいいからな」
『はい』
 全員の綺麗な声が返ってくる。
 俺はGLPを確認する。まだ『助逃壁』は復活していない。他のやり方を知っているのは『鉄龍』しかなく、果たして、さっきの拳法使いのような奴に通用するかどうか不安だった。
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 その単語にピンと来たのか、警察官はすぐに外に出てきた。
「その男は今どこに」
「こっちのビルの廊下、だと思うんです」
 俺は警察官と一緒にビルへ戻る。
「ここです」
 中の様子を確認しながら、そっと扉を開けてビルに入る。
 ビルに入るなり、警察官はためらいもなく銃を抜いた。
「あなたは下がって」
 俺は警官の後ろについた。
 ずっと奥へ進んでいく。例の曲がり角につく。
「どっちですか?」
 警官は前方を警戒したまま言った。
「俺がいた時は、右側にいました」
 『助逃壁』を裂けるためにそこを曲がって行った。間違いない。
 警官は直進方向も警戒しながら、右側の通路を警戒する。
「この先はどうなっているか分かりますか?」
「こっちは店の厨房に……」
 えっ? まさか…… バイト先の店に入られた?
「!」
 俺は何かを感じて腰を落とした。
 ガツン、と壁が叩かれた。そこには何者かの拳がめり込んでいた。割れたコンクリートが崩れた。
「ほう…… よく避けたな」
 警察官が俺の方を振り返って、迷わず引き金を引く。
「フン」
 と声がした。
 俺はしゃがんだ状態から、上体をひねって後ろを見る。そこにいたのは、上下レザーの男だった。
 男は左の人差し指と中指で、警官の放った銃弾を挟んで止めている。 
「信じられん……」
 再び警官の手から火花が見えると、レザーの男は上体を振ってそれを避けた。
 三発目が発射される前に、レザーの男は廊下を走って逃げていく。
 銃を持つ手を伸ばしたまま、警官が追う。
 俺は足が恐怖に震えながらも立ち上げると、警官の後を追った。
 警官は足音を追って階段を登っていく。
 俺が追いかけていくと、警官が止めた。
「こっちに来てはダメです。あなたは安全なところへ」
 警官は持っている無線機で他の警官の応援を呼んでいる様子だった。
「本当に戻ってください。安全な場所に」
「はい」
 俺は諦めて階段を下りた。
「安全な場所って……」
 店の厨房へ入る扉は暗証番号が必要だから少しは安全だ。
 時間的には休憩時間ではあったが、俺は店に戻ることにした。



 交番の警官から緊急連絡が入ったらしく、周りがあわただしく動き出していた。
「橋口さん、一緒に来てもらえますか」 
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 昼の混雑が過ぎ、一通り食器を洗い終えた。十五時以降の混雑の前に、俺は休憩をもらった。
「休憩に行く途中で、ゴミ出ししてよ」
 店長もチーフ同様に容赦なかった。
 俺は前掛けを外してから、ゴミの袋を抱えて廊下にでて、集積所に突っ込んだ。
「ふぅ……」
 しばらくの休憩時間だ。ため息をついた瞬間、スマフォにメールが入った。
「冴島さんだ」
 俺はスマフォを開けてメールを読む。
 橋口さんからの情報で、殺人犯はまだそこらへんにいるから注意して、まあ出来ないだろうけど、何なら捕まえちゃって、という内容だった。
「はぁ……」
 別のため息をついてしまった。
 と同時に、俺は廊下の様子が変なことに気が付いた。そう思うと、GLPのあたりも何か変な感じがする。
 変に歩き回らず、この違和感はなんだろう、と意識を集中させる。
 影だ。自分の影。廊下の影が何か変なのだ。ということは……
 俺はゆっくりと廊下の天井を見た。正面側には何もない。ということは、後ろ。
 からだをひねりながら、後ろを向く。
「ほあたあ!」
 ほあたあ? 同時に何かが天井から降ってきた。避けるようにバックステップする。
「あんた誰?」
 あんた誰、というか、黒レザーの袖なしジャケットに、黒レザーのパンツ。
 上腕は盛り上がっていて、ジャケットの間から見える裸の胸には、やけどのようなものが七つついている。
 まさか、おまえはもう死んでいる、とか言わないだろうな。
「違う! そうだ。朝、店長が見せてくれた、殺人犯!?」
 言いながら俺は左右に体を振りながら廊下を後ずさりする。
 上下レザーの男は、ニヤリと笑いながら追いかけてくる。
「追いつかれる……」
 やれること、やれることと言えば……
 GLPの竜頭を回して『助逃壁』に合わせて、竜頭を押し込んだ。
「頼む!」
 GLPから放たれた光の壁が廊下いっぱいに広がり、上下レザーの男は光る壁をみるなり、踵を返して逃げ出した。
「えっ?」
 どう見ても人の姿だったが、光る壁を怖がるように逃げた。この光る壁の意味に気づき、逃げたのだとすると、上下レザーの男は人間ではないのか。
 男は『助逃壁』の進むスピードより早く廊下を戻り、曲がり角をまがる。
 この壁が直進するなら、壁が通りすぎた後、あの曲がり角からこっちに戻ってくるに違いない。
 俺は『助逃壁』の進行方向とは逆、ビルから出る方向へ廊下を走った。
 ビルから出て、人通りが多い場所に出れば、さっきの男とて、そう簡単に殺しに来ないだろう。今朝殺人があったばかりだし、もしかしたら警察が巡回しているかも知れない。
 ビルを飛び出るとあたりを確認した。
 警察…… 警察の人……
 そして出てきたビルの出入り口から、中をのぞき込む。上下レザーの男が出てくる様子はない。
「どうしよう……」
 このままじゃ、バイトに戻れない。運よくバイトに戻れても、ゴミ捨てに行く度に警戒する必要がある。
 どうしよう、とにかく警察を呼ぼう。そして警察の人と、一緒にこのビルを探せば、すくなくともしばらくの間の安全は確保される。
 俺はビルを離れて、交番に駆け込んだ。
「あの、上下レザーの怪しい男に追いかけられました」
「!」
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「は、はい、今終わりました」
 悪いことは出来ない、と俺は思った。そのまま店長にUSBメモリを渡した。
「やっぱこれ、君が持っててよ」
 と手を押し返された。
「えっ…… いいですけど」
 俺はポケットにUSBメモリを入れた。
 楽しい時間はあっという間に終わり、俺は皿と食洗機とゴミ出しの繰り返し地獄に入った。
 それに、何故か今日は午前中からやたらに客が多い。
「殺人事件があった、ってなれば客が減るのかと思ったが……」
 店長がクビを傾げながら厨房にやてくる。
「返って映像が出回って、この街のことを思い出してくれるのかな」
 殺人のせいで客が増えている、としても一時的なものだろう。本当にこのあたりに殺人鬼が潜んでいるとしたら、最終的には客が減っていくはずだ。
「てんちょー、警察のひとが」
 厨房側に顔を出してきた。ピンクの制服に合わせて同じ色のヘッドドレスをつけている。こういうアレンジはありなのだろうか、と俺は思った。みんながしていないことをすることで、他人(ひと)の目を引こうということだろうか。
「あっ、影山くん、さっきの渡してきて」
 俺は慌ててタオルで手を拭いて、店側へ出ていった。
 警察官が入り口に来ていて、人目が集まっていた。
「?」
 いや、どうも違う。人目が集まっている理由は、その奥にいる、背の低い女性…… 背は低いが、胸が、胸が非常に大きい女性がいた。
「あれって橋口さんじゃ……」
 まずい。ここで俺と橋口さんが、つまり警察関係者と知り合いということになったら、店の客にバレてしまう。客の中にはターゲットの違法降霊師がいるかもしれない。こんな段階で、俺が内偵をしていることがばれてしまわけにはいかない。
 俺は取り出したUSBメモリをもう一度ポケットにしまって、店長に差し出した。
「店長から渡してください」
「なんでお前渡してこないんだよ」
「えっと……」
 何か気の利いた理由を考えておくべきだった。
 俺は必死に考えた。
「警察官の人がイケメン過ぎてはずかしい」
「バカ」
 重い、重いげんこつを頭に落とされた。
 俺は考えた末、マスクを付けてから入り口へ向かった。
「監視カメラの映像です」
 橋口さんは、店の外にいる人々の視線を集めていて、それを追い払うのに精一杯のようだった。
 気にしすぎたか、と俺は思った。
「確かに受け取りました。メモリはコピーしたら返しますね」
「はい。お願いします」
 警官が帰りかけた時、橋口さんが言った。
「あれ?」
 やばい、バレた? 俺は視線をそらした。
 帰りかけた警官が俺と橋口さんの方に向き直った。
「……」
 橋口さんがじっと見るせいで、更に警官がこっちに向かって戻ってくる。
「ごめんなさい。なんでもないわ」
 橋口さんはきびすを返して、警官を押し戻すようにして去っていった。
 俺はマスクの下で、静かに、大きなため息をついた。




 
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「ああ、この|人(はげ)、常連さんだよ。単価高いからいいお客さんなんだけど…… 女の子の評判は良くないんだけどな。目つきがエロいとか、この人に近くによると触ってもいないのに、身体に触れたような気がするとか言って。何度か俺も店内の監視カメラみて確認したけど触ってはいないんだよ。けどなんか変なことは変なんだ。まあ、そういう人もいるから我慢だ、とは言ってるんだけど」
 このおじさんは女の子から気持ち悪がられている、ということだろうか。
 監視カメラ装置のことで、俺は店長に伝えなければならないことを思い出した。
「そうだ、店長。あの、映像をコピーするメディアがないです」
「なんだメディアって?」
「USBメモリか、DVD−Rとかが必要ってことです」
「なんだ。ほら、金渡すからコンビニで好きなのかって来い」



 除霊士である橋口カンナは、朝、警察に呼び出され、殺人事件の現場に来ていた。
 死体は片付けられた後だったが、強力な霊痕が残っていて通常の犯罪ではないことは除霊士である橋口にとっては明らかだった。
「霊は関わっていますか?」
 鑑識の人がたずねると、橋口はうなずいた。
「やっぱり…… 来ていただいて良かった」
 警部がやってきて、橋口と話す。
「犯人の後を追えないものなのか。歩いたりする先に霊が残ったりしないのか」
 橋口は手を広げて言う。
「霊痕で追跡するようなことはないわ。それをしたいなら警察犬に匂いを覚えさせて、追わせる方が正しいわね」
 橋口は店の横の小さな入り口を指さした。
「あそこ、がどうかしたんですか」
「それこそ霊の痕がついているのよ。ずっとそこに居たんじゃないかしら。匂いもついているかも」
 その小さな入り口は、被害者が今朝、荷物を搬入しようとした入り口だった。
 犯人はそこにずっと座っていたのだ。
「わかった。警察犬を連れてこよう」
 橋口は通りを歩き始めた。
 殺人現場以外にも、通りのあちこちに霊痕が残っている。警部が言ったように霊痕で追いかけられるのではないか、と思うほどに存在する。普通、こんなことにはならない。
 あるとすれば…… 橋口は思った。強い霊力が、体から溢れている場合だ。ただ、溢れるということは、相当な強力な霊を持っているか、本人に保持する能力がない、つまり器以上に霊が降りてしまったか。
 橋口のスマフォが鳴った。
「カンナ、もしかしてあの殺人事件現場にいる?」
「何よ麗子。いきなりそんなこと聞いて」
「周囲の霊圧はどうなの? この前の屋敷のようなことになってない?」
 橋口は周りを見渡す。
「霊圧は測ってないけど、あちこちに霊痕があるんだケド」
「あの、そのあたりって実はね……」



 女子店員がやってきても、俺は店側の方にいることが許された。
 監視カメラ映像のコピーをとる、という重大な仕事があって、どちらかと言えば店側にある小部屋に出入りする必要があったからだ。
 初めて目の前で見るバイト先の女子店員。全員ではないにしろ、タレント志望の娘(こ)が多いせいで、容姿のレベルは非常に高い。俺は美しい女性を眺めることが出来る喜びに震えていた。
「今日、殺人事件あったって」
「知ってる、テレビでやってた」
「この近くだよ。首をぐるっと真後ろに回されて」
「なにそれ。怖いよ~」
 俺は、女子店員たちの話に加わろうと小部屋を出ると、店長とばったり顔を合わせてしまった。
 ルール上、俺は女子店員と会話をしてはいけないのだ。今日は店長だからいい、というわけではないのだ。
「コピー、終わった?」
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「六時ですね」
 俺は再生を行った。
 店のシャッターが映っている。通りにトラックが入り始めている。たまに人も通行しているが、画面の隅なので歪んでしまっている。そもそも、リアルタイムに映像を記録していないから、普通に再生しても一時間の流れが十分ぐらいで見れてしまう。
「……それでは、昨日の夕方ですね。ここは閉店何時ですか?」
「二十一時半です。人がいなくなるのはその一時間後ですけど」
「じゃあ、二十時半から一時間」
 俺は警察の人が言うままにセットして再生を行った。
 さっきの映像とは違って、かなり人通りがあって、いろんな人が流れていくのが映っている。
 髪を剃ったのか、抜けたのか、頭の地肌が見えている男性が店の前を行ったり来たりしている。スマフォで話をしながら、連れの男と入ってくる。連れの男は皮の上下を着ているが、体つきは随分スリムで、華奢な男だ。
「……」
 さらに映像が進むと、窓の外にたまり場として集まり、店内を覗き込む男が何度も映る。店員の質が売りの店だけあって、たまにチーフが出ていって人を散らすが、しばらくするとまた集まってくる。
「なんですか、このジェルでべったりした頭の男は」
「あっ、それは店のチーフなんです。店の前に男の人が溜られるとお客様が入ってこなくなっちゃうんで、追っ払っているんですよ」
「ここは良く通報いただきますよね」
 チーフが追っ払っても窓の外にしつこく覗き込む奴が居る時は、警察に電話をしているのだ。
「はい」
「あっ、そこで止めて」
 画面にまたさっきの髪のない男と、皮の上下を着た男が映っていた。ちょうど店を出るところだ。
「?」
 腕に違和感があった。GLPが何かを知らせようとしているのではないか、と思うのだが、それがどういう意味なのか、いつもわからない。
「……」
 警察官も二人でモニタをずっと見つめている。
「なんか変だ」
「……う〜ん。なんだろう。変だとは思うんだけど」
「すみません、映像のコピーを頂いていいですか昨日の夕方ぐらいから」
「えっと、店長に話してもらって良いですか?」
 俺はとりあえず言われた映像が消えないようにプロテクトの設定をする。
 そして、小部屋を出て店長のところへ行く。
「店長さん。映像のコピーを頂きたいんですが」
「ああ、良いですよ」
 店長は間髪入れずに俺の方を見て言う。
「コピーしといて。どれくらいかかる」
「コピーしたことないからわからないです」
 店長は警察に向かって肩をすぼめる。
「申し訳ない。とりあえず、午前中にはやっときますよ。午後になったら取りに来てください」
 店長が言うと、警官二人は店長に敬礼をした。
「お願いします。では失礼します」
「ご協力ありがとうございました。失礼します」
 俺は店長にトン、と手で押された。
「何が映ってた?」
「ハゲのおっさんと、その連れ? っぽい男です」
「ハゲのおっさん? ちょっと見せてみろ」
 店長が言うので、俺はまたさっきの小部屋に戻って店長に映像を見せる。
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 俺がバイト先の駅を降りると、通りは警察車両、と報道関係者らしいカメラやマイクを持った人間であふれていた。その人たちをかき分けながら進んでいき、バイト先のビルの扉から店のあるビルへ入った。
 裏口の扉の番号を入れて、厨房に入る。
 チーフの代わりで、今日は店長が入っているようだった。店長はパーマをかけた髪を肩まで伸ばしている男性だった。店長は大げさに弾くように指を動かし、スマフォ画面をスクロールさせていた。
「おはようございます」
「おう。そと、まだマスコミ連中いたか?」
「ああ、いっぱいいましたよ。何があったんですか?」
「殺人だよ。聞いた話だが、顔が真後ろ向いてたってさ」
 店長がスマフォから目を離さないので、何か書いてあるのかと思った。
「そこになんか書いてあるんですか?」
「いや、ついさっきの話だから、あんまし情報ないな」
「じゃ、それなにやってるんですか?」
 俺はかけてある自分の前掛けをとり、紐を結びながら店長に近づいた。
「おっ、見つけた。ほらっ」
 店長が見せた画面には、膝をついて胸を地面につけているのに、顔が空を向いている男の写真があった。
「こんなのすぐ消されちまうからな。保存保存」
「気持ち悪いっすね、消したほうがいいですよ」
 俺は店を開ける支度をしに店内に入った。
 そのシャッターを開け、入り口の自動ドアのカギを開け、電源を入れた。
 急に、自動ドアが開いた。
「すみません誰かいますか?」
 入ってきたのは警察官だった。
 俺はどうしよう、と悩んでから、何か勝手に話す前に店長を呼ぶべきと判断した。
「ちょっと待ってください。店長呼んできます」
 チーフがいなくて良かった、と俺は思った。チーフはだったらいきなり犯人にされそうだ。
 しかし、店長をしみじみと見た時、こっちもそれなりに怪しいと思った。
「店長さんですね。私は渋山署の佐々木というものですが。お話伺ってもよろしいですか」
「いいよ、いいよ。なんでも聞いてよ。ほら、立ち話もなんだからそこ座ってくださいな」
「そこの通りで殺人事件がありまして……」
 警官二人と店長で話を始めていた。
 端的に言えば、目撃情報を探しているようだった。
 目撃情報でなければ、不審者とか、このストリートでの情報。それもなければ、外の防犯カメラの映像の提出の話、と進んでいく。
「防犯カメラか…… そうだ、たしか一つだけ外が映るのがあったかな」
 店長が店内で机や椅子の準備をしている俺を見てきた。
「おい。お前防犯カメラの映像見る方法わかるか?」
 初日にいきなり説明された時、俺はなんのバイトをするためにやとわれたのか悩んだのを覚えている。
 まだ二日目だったが、それが役に立つとは思わなかった。
「昨日教わったので、分かると思います」
「あいつについて行ってください」
 俺は二人の警官の視線を同時に受け、すこしビビった。
 俺は店の隅にある小さい扉を道具を使って開け、小部屋に入った。警官もそれに続いて入ってくる。
 狭く、機械の熱気がこもっていた。
「これです。いつぐらいの映像を見ますか?」
 俺はリモコンを持って、画面を切り替えていた。
 外が取れるのは一台しか設置していない。暗視カメラではないから、外が暗くなれば、荒く、ぼやけた映像になってしまう。
「じゃあ、始めは今朝かな。日の出…… 六時くらいかな」
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「シェアなんで」
 その言葉で、ちょっと印象が変わった。ただ、シェアと言っても、同性とのシェアハウス、なのか、同棲の言い換えなのか。その違いはかなり大きい。俺はそこまで突っ込んで聞く気にはなれなかった。
「そっかぁ、若いっていいね」
「えっと、そうだ。名前聞いてませんでしたね。私は井村って言います。お名前は?」
「へぇ、井村杏奈っていうんだ」
「あれ? 私、名前は言ってませんけど」
 井村さんは急に腕を身体にひきつけ、警戒した様子を見せる。
「あ、ごめん。俺、店で立ち聞きしちゃったんだ。本当にごめん…… 俺は影山醍醐」
「ああ。だから、『カゲ』って言われてたんですね。聞き間違えてて『ハゲ』って言ってるんだと思ってました。さっきから頭見て禿げてるのかなって」
 井村さんは無邪気に笑った。
「で、影山さんはどこまで行くんですか?」
「葵山だよ」
「えぇ…… そっちの方がびっくりです。葵山に住むって家賃いくらかかるんですか?」
「ああ、バイトの金じゃ住めないよね。……えっと、親戚の家に下宿してるんだよ」
 説明するつもりは端から無かったが、それでも冴島さんをどう説明していいか分からなかった。
 親戚、でウソを通せるだろうか。
「そうですよねぇ〜 いくらなんでもねぇ〜」
「まあ、お互い様ってことで」
 そんなことを話していると、葵山の駅についた。
 俺は降りると、電車が出発するのを見送った。
 井村さんは、扉のところに立って、ずっとこっちを見て手を振ってくれた。
「いい娘だなぁ……」
 電車が見えなくなると、俺はホームを離れた。



 多くの店が並ぶ通りに、たくさんのトラックが並ぶように止まっていた。
 朝のこの時間は、店のお客よりも店の商品を入れた段ボール箱の方が多い。
 トラックを降りるとせわしなく段ボールを台車に移し、それを店に運び入れる。
 通りに、また別のトラックがやってきて、店の前に止まった。
 トラックの運転手が降りてきて、荷物を入れる戸口に近づいた。
「ん? あんた、大丈夫かい?」
 戸口をふさぐように男が腰を下ろし、眠っていた。
 上半身裸に黒のレザーの袖なしジャケットをひっかけ、下も黒い皮のズボンだった。
「なあ、大丈夫なら、ちょっとどいてくれないか?」
 そう言って運転手が男の肩に触れると、急に立ち上がった。
「……」
 運転手も小さい男ではなかったが、立ち上がった上下レザーの男はもっと大きかった。
 二メートル、まではいかないが、それくらいの印象がある。精悍な顔立ちに、胸に七つの傷。
「おい。俺を起したのはお前か……」
 運転手は思わずバックステップして、何も言わず首を振った。
 あからさまに無視してやりすごそうとしていた。
「お前だなっ!」
 腕が動いたかどうか、はっきりしないほど早く、上下レザーの男は突きを繰り出していた。
 踏み出してとどくかどうか、という位置にいた運転手には何が起こったか分からなかった。
 当人からすれば、おそらく瞬間的に目の前にいた男が消えた、ように見えたろう。正確には後ろを向いているのだ。しかも、顔だけが。
 運転手が膝をついて前のめりに倒れたのに、顔は空を向いていた。
 運転手が死んでいることに、周りが気づいて救急や警察が呼ばれた時には、上下レザーの男の姿はなくなっていて、だれもその行先を知らなかった。





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 あの恰好の女の子が、店の外で、メニューとかを張ってある掲示板を拭いたり、ドアを拭いている。高いところを拭こうとすれば、足が伸びるし、低いところを拭こうとすれば、お辞儀するような恰好になったり、足を曲げねばならず、腰が落ちたりするだろう。色々と想像すると、突然『えげつなっ』と思った。
 おそらくこれは掃除させているのではない。単に掃除のフリをして、新人を外に向けてアピールしているのだ。客寄せだ。キャ〇クラの客引きと一緒なのだ。
 俺は自分の想像によって、よだれが出ていることに気付き、慌ててハンカチでぬぐった。
 俺は急いで残りの清掃を済ませた。
 VIPからチーフが出て来る時には、店内の清掃を終えていた。
「カゲ、ちょっと」
「はい」
 俺はさっきの杏奈とかいう娘が見れるかと思って急いでチーフのもとに走った。
 ちらっとみると、もうVIPには誰もいなかった。
「明日、午前中から入れるか?」
「えっ……」
 俺は今日も朝から入っている、と言いかけたが、冴島さんが手を横に振る動作が頭に浮かんだ。
「そっか。入れるよな。お前は優しい、良いやつだもんな」
「は、はい」
 チーフはジェルでべったり後ろに流している髪に触れた。
「俺はちょっと店来れないけど、女の子に話しかけたりするなよ。厨房の監視カメラちゃんと見てんだからな」
「えっ、音声も入るんですか」
 ぐいっと、胸ぐらを掴まれた。
「って、お前話す気満々じゃねぇか」
「いえ、違います。違います。普通監視カメラって音声抜いてあるんですけど、ここのは違うのかなって」
「音はねぇけど話しているのはすぐわかんだよ。黙って仕事してくれな。頼むよ」
「……はい」
 冴島さんに頼まれた仕事があるのだ、簡単にクビになるわけには行かなかった。
 明日も朝から入らなければならない、となると結構早く起きねばならない。早く起きるには早く寝ないと。もうこんな時間だ、俺はGLPを見て時間を確認すると、チーフに頭を下げた。
「では、お先に失礼します」
「おう。早く帰って身体を休めてくれ。おつかれさん」
 俺は前掛けを自分用のフックに掛けて戻すと、最後のゴミ袋を作ってゴミ置き場に持っていった。
 ビルのトイレによって手を洗い、ついでに顔を洗った。
 薄暗い通路を通って、ビルを出ると、駅に向かった。
 駅の改札にICカード乗車券をタッチしようとすると、背中を突かれた。
「いてっ」
 振り返ると、店の面接を受けていた女の子がそこにいた。
「帰るの一緒の方向ですね」
「ああ、うん……」
 なんだろう、この態度は。人なつっこいだけなのか、俺に気があるのか。しょっちゅう自分に気があるのでは、と思って失敗してきている割には、その考えを捨てられない自分がいて嫌だった。
 ホームで待っていると、電車が入ってきた。
「この時間の電車ってちょっと怖いから、一緒にいてくださいよ」
 車内にはそんなに人が居るわけではなかった。確かに日中に比べると乗客の質が違う。酔っぱらい、チンピラ風、女の子も居るんだが、優しい雰囲気はない。
「いいけど、キミ、どこまで行くの?」
「神宿までです」
 都庁のあるところだ。そんなところに若い女の子が一人で住めるのか。それとも、いいところのお嬢様なのだろうか。
「えっ、そんなところにすんでるの? 家賃高くない?」
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 どうやら、その娘(こ)をVIPルームにに入れて話をしようとしているようだった。
「カゲ、VIP入っているからな。誰も入れるなよ」
「はい」
 俺は店内の床を拭き終えると、椅子とテーブルを拭いて回った。
 半分ほど終わった時に、VIPから袋を持って女の子が出てきた。
「あの、更衣室ってどこですか?」
 俺は無言で指を動かし、更衣室への道順を教えた。
 しかし女の子は理解できないようで、イラついた表情で言った。
「さっきからなんで黙ってるんですか?」
 VIPルームの扉は閉まっていて、チーフには聞こえないと考え、小さい声で言った。
「この店、女子店員と男子店員は口きけないんです。だから、店員候補のあなたとも話せないんです。更衣室はそこを左に言って突き当りです」
 女の子はニッコリと笑って会釈をした。そして更衣室の方へ入って行ってしまった。
 俺はとにかく部屋の掃除を進めた。正式採用までは女子店員ではないとはいえ、口をきいてはいけない規則だ。チーフが見ていたら首になってしまう。
 しかし、掃除をしていても着替え終わって出てくるだろう方向を、俺はチラチラと、いや、首がおかしくなるぐらいの頻度で見てしまっていた。あのグラビアラインの持ち主が、この店の制服をきたらどんな素敵な光景になるか、期待に胸が膨らむどころの話ではない。
 そして、現れた。
 生足、強調された胸、くびれた腰。
 そして、歩くたびに揺れるスカートのすそと、胸。
 俺は完全に仕事を忘れてしまった。
「似合うかしら」
 俺は話しかけられていることに気が付かなかった。
「……」
 VIPルームの扉が開いた。
 俺は反射的にテーブルを拭き始めた。
「杏奈くん、はやくこっちにきて」 
「は、はい」
 俺は必死に顔を上げないように耐えた。
 VIPの扉が閉まると、俺は大きくため息をついた。
「すげぇ。ここの制服、破壊力半端ねぇ」
 俺はVIPルームの扉を見つめていた。
 すると、聞こえないはずの声が聞こえた。
「いいね。制服姿みて、即決だ。採用だよ。で、いつから入れる?」
 チーフの声が漏れ出ている。
「えっと明日からでも」
 杏奈とか言った子の声だ。
「うんそうだな。明日から来てもらおうかな。明日はちょうどシフトが薄くて困ってたんだ。そうだ。聞いてないってことがないように、初めに言っておくとウチの店は、後から入った女子店員にやってもらうことがあるんだ」
「なんでしょう」
「掃除だよ。掃除といっても、さっきいた汚い男がやっているようなことじゃない。店のドアや外に出している掲示板を拭いてもらうんだ。制服でね」
 汚い男…… 俺は自分のことを頭に浮かべた。まあ、間違ってはいないか。
「仕事はウエイトレスなんでしょう? なんで『掃除』なんですか?」
「まあ、新入りの子にそういうことをさせる、って決まりなのさ。儀式というか」
 俺は想像した。
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「こんにちわ」
「おさきです」
 声に反応した俺は手を止め、振り返ったが、もうそこに女子店員の姿はなかった。
 一人帰って一人入った。まだ店内に行っていないから、着替えてここを通るはず。俺はそう思いながら、再び桶に手を突っ込む。桶の中の皿、フォーク、スプーンがなくなった。俺は何気ないふりをして、廊下の方を見つめた。
 再び別の音色のブザーがなった。
 食洗機が停止したのだ。取り出して、棚に並べなければならない。
 以外に思い食洗機を開けようと手をかけた瞬間、声がした。
「はいりま~す」
 何にも優先して、振り返った自分の全力のスピードで振り返ったはずだった。
 すでにそこには女子店員の姿はなく、チーフがガムを口に入れている姿があるだけだった。
「どした?」
「いえ、なんでもありません」
 このバイトを始めるときにがっつり言い聞かされたことがある。
 基本的にバイトは女子店員への声かけ禁止。どうしてもしなければならない場合は、チーフから指示をもらう事、となっていた。女子店員にタレント志望の娘(こ)が増えてからそうしたようだった。当然、どこまでそのルールが厳しいか知らずに応募してくるから、男子の求人倍率は高い。しかしこの状態だと知るとすぐやめてしまうので、離職率も高い、という具合だ。
「不満があるなら辞めても良い。代わりはたくさんいるからな」
「不満はありません」
 俺はそう言った。
 結局、ちょっとも女の子の姿を見ることはできなかった。
 皿や食器を洗って、ヘトヘトになってから、女の子の帰った店内の掃除を言い渡される。
 店内に入ると『ミラーズ』という店名に違(たが)わず鏡が多いことに気付かされる。そうか、俺は思う普通に客としてくれば最高だ。店を取引の場として使っている連中を調べるのに、食器洗いの裏方のバイトをしても全く意味がない。俺は、なにか的はずれな調査をしている気がしてきた。
 その時、店の扉が開いて、女の子が入ってきた。
「こんばんわ……」
 閉店後の時間に入ってくる女子は、店の女の子だと思って、俺は口を開かなかった。
「?」
 かすかに手首に違和感があった。
 けれどそんなことはすぐに気にならなくなっていた。俺は我を忘れて女の子を見つめていた。長い髪に切れ長の瞳、白いキメの細かい肌。それに出る所は出ているグラビア曲線の持ち主だった。キラキラしている、そんな言葉がぴったり合うように思えた。
 思わずやっぱりこの店の女の子はすげぇ、と思ってしまった。しかし、口をきいてはいけない。目線を戻して、ひたすら床をモップで拭き続けた。
「あの…… チーフという方はどちらですか?」
 女の子の方から、俺に話しかけてくる。言っている言葉からすると、どうも店員ではないようだった。
 念のため話しかけないように、手を使った仕草で待つように伝えてから、俺は店の奥に向かって声を出した。
「チーフ、お客様がいらしてます」
「お客? ん…… ああ、そうだ。座って待っててもらえ」
 俺は掃除が終わった方の側の席へ案内して、その娘(こ)を座らせた。
 この女の子をチーフが呼んでいたならば、この娘(こ)は店員候補で、今から面接するんじゃないか、と思った。
 モップをかけながら、チラチラとその娘(こ)を見ていると、チーフがやってきた。
「カゲ、VIPは掃除したか?」
 VIPルームというのは一番奥にある個室のことだった。
「最初に終わってます」
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